芸能人とは?

20世紀以降は、観客と直接対面しなくとも、テレビ、ラジオ、映画、レコードなどで芸を披露する人々が加わった。
現在日本で主に「芸能人」と呼ばれるのは、後者の中でも特に、テレビと映画で芸を披露する人々である。テレビや映画に出ない人は芸能人ではないといったふうな誤解をしている人も多い。
さらに、テレビのトークバラエティの興成により、トークをする人・できる人が芸能人であるというふうな風潮も生まれた。そのため、テレビに出演しても本来の意味での「芸能」のみをおこなう人(たとえば最低限のトークしかしない歌手)は「芸能人らしくない」と表現されるなどという逆転現象も見られる。
売れっ子ともなれば当然知名度も上がり、収入も増える。結果、ファッション、ライフスタイル、言動などが常に大衆に注目されるようになり、時としてカリスマ的な影響力を及ぼす。だが、そんなに甘い世界という訳でもなく、生活を維持し生計を立てるには不安定で、人気が無くなれば活躍の場は減り、1度上ったギャラは下がらないので、テレビ局側も起用しなくなる。その結果、人々に忘れられればそれこそ「お役御免」とされてしまうシビアな世界でもある。実際、芸能界に入ってもデビューして有名になれた人は実際には極めて少ない。
長期的に安定した職業とするには才能や実力は絶対条件ながら短期的展望においては運によるものもあり、逆に実力があってもチャンスに恵まれなければなかなか活躍は出来ず、総じて有名になれる者はごくわずかである。しかし、その華やかさもあって若年者からの「将来なりたい職業」では常に上位にランクインするなど、大衆文化を享受する人々にとっては常に憧れであり、依然人気である。
現代においては、実際にはさほどの芸も実力も無い者がまさしく運と話題性によって生き残っているケースも実在するため「芸ノー人(芸NO人)」と揶揄したり、また同性愛者の芸能人を「ゲイ能人(Gay能人)」と呼ぶこともある。その一例として、レイザーラモンHGがいる(ただしレイザーラモンHGはお笑いのネタとしてゲイを演じているだけで、実際は同性愛者ではない)。
一部の大スターや大御所を除けば芸能人の社会的地位は未だ高いとはいえずそれなりの売れっ子であっても銀行が融資を渋るカード使用限度額を低く見積もられる等の事情も見受けられ経済的な援助が受けにくい状況にある。
元々芸能人は日々の糧を得るには非常に不安定な職業で、その歴史は古くから差別の対象であった。農村社会が永らく続いた日本においては、成人するまでに村社会において必要な様々な実力を身につけることが求められ、周囲の仲間と同等の仕事、例えば重い米俵を担げる、同じ早さで稲刈りが出来るといった必要な能力を身につけそこなった者は、大工や鳶といった職業集団や旅芸人等へ身売りされるといった現実があった。このような流れが江戸時代には士農工商の身分外の存在(商人や職人の更に下の身分)として差別される形となって記録されている。
また、ヨーロッパ等においても彫刻家や音楽家の処遇にそのルーツを見る事ができる。彼らは古くはローマ帝国時代はもとより、文芸の大いに賑わったルネサンス・バロックの時代においても有力な資産家をパトロンとして得なければ後世に残る偉業もなし得なかったと言えよう。著名なクラシック作曲家の伝記をひもとけば、自分の思いで作られた曲とパトロンの歓心を得るための曲が明白な場合が少なくない。
現代のようにマネジメント等を専門に引き受ける会社がなかった時代、上記口減らし的なものも含め基本的には師匠に弟子入りし、師の元で研鑽に励む事で芸を受け継ぎ、自分のものにしてゆくのが典型的な方式であったが、世阿弥の例に見られるように時の将軍の覚えめでたく、破格の待遇をもって当時最高峰の知識人であった一流の貴族から直接教養を授かるチャンスに恵まれた事を生かして、自らの技を高めその奥義を記す迄に至った場合もある。また、猿楽、田楽といった庶民的なものも含め活動の場はもっぱら舞台しかなく、他者と技を競うといった機会も限られることから自らが必死に研鑽に努めたとしても何ら生活の保障などは期待できなかった。つまりは「農工商で生計を立てられない半端者」が生き残る為にやむなく選ぶ職業であったのだ。
しかしこれが映画や、ラジオ、テレビの出現で、また資本主義の急速な進展により大きく変化した。芸能人の活動の場がマスメディアに移っていったのである。従来の舞台の場合はその興業場所に芸能人、観客双方が足を運ばなければ成立しなかった。現代においては映画の発達やテレビ放送のネットワーク確立に伴い、フィルムやその他映像記録媒体に収録されたものとしてより広く多くの観客へ一度に提供するものとなったのである。まず映画によって同時に多数の場所で視聴可能となり、ラジオやテレビに至っては受信できる環境にありさえすれば自宅でも楽しむことが出来る。このような非常に簡易に享受できるメディアの急速な普及が既存の芸能と芸能人のあり方を根本的に変えてしまったと言える。収入面から言っても知名度を考えても、メディアへの露出はもはや芸能人にとって、成功するための必須とも言える条件になってしまった。が、これと同時に本来の芸を見せるのではなく、話術や容姿またはキャラクターなどが求められる傾向が強くなった。このような状況から、本来ラジオやテレビの職業的出演者を指す「タレント」との個人毎の区別は次第に消え、多くの芸能人がラジオやテレビに活動を依存しているのが現状である。
前述のように定義や区分に曖昧さの多くなった「芸能人」というカテゴリに含まれるものの内部において、境界性の強いジャンルとして声優・お菓子系アイドル・地下アイドルがあげられる。
アニメ・吹き替えなど声の仕事を専門に行う専業声優は芸能人に含まれるが、境界性が強いため区別されることが多い。これとは異なるケースとして、話題作りのため有名な歌手・タレント・俳優・文化人を声優に起用することがあり、有名芸能人という意味で芸能人と呼んでいることがある。そのためアニメファン・声優ファンは日頃より歌手や俳優等を「芸能人」と呼ぶことが多い。
いわゆるお菓子系アイドルも声優同様、境界性が強い。メジャーとされるアイドル雑誌にはあまり登場せず、クリームやホイップ等の「お菓子系雑誌」を中心に活躍している事が理由に挙げられる。近年ではお菓子系出身のAV女優や、お菓子系のテイストを持ったAV女優も多く登場しており、アイドルファンよりもアダルトビデオファンから支持を集めている。これらの理由から、お菓子系アイドルが歌手・タレント・俳優と区別される、と考えられる。
地下アイドルも声優・お菓子系アイドル同様、境界性が強いと考えられている。マスメディアには登場せず、ライヴ活動や撮影会等を中心に活躍しているため、有名芸能人と区別されることが多い。
境界性の強いジャンルで活躍している人物を一括する傾向は近年ますます拡散・進展しており、本来の活動場所の如何を問わず、テレビ等で取り上げられる芸能をもって収入を得る者すべてを「芸能人」と一括りにする一般人さえ見られる。つまり、噺家であろうが舞台役者であろうが元スポーツ選手であろうが、テレビ出演において自らの技や体験談などを披露するすべてを、「タレント活動をする」という理由によって「芸能人」に括ってしまう、極めて大雑把な捉え方である。そのような捉え方について、特に日本に於いては文化の退廃と見る向きもある。同様に、作曲家やバンドプレーヤ等の演奏家を目指している立場においては、「この人は芸能人を目指している」と紹介される事に強く拒絶感を覚える事も多い。
芸能リポーターの梨元勝は「日経エンタテインメント!」(日経BP社)で芸能人が起す犯罪について、「覚醒剤の再犯率は、一般だと5割くらいだが、芸能界は7割と高い。」と語っている。また梨元は謹慎に至る芸能人の罪状は、
罪を犯したタレントが、大手芸能事務に所属している場合「容疑者」や「被告」ではなく、名前の後に「所属タレント」か「タレント」と表記され、犯罪者として表現される。(例:島田紳助、稲垣吾郎など)。
不祥事に対する処分は所属事務所に委ねられるが、テレビ局側の判断になる事もある。タレントの謹慎期間は1年未満が大半で、警察沙汰になっても3~5ヶ月でテレビ番組に戻ってくる。一般なら不祥事を起せば、同じ会社には働けず、社会復帰も危ぶまれるが、芸能界は復帰が早い。その為、タレントは反省せず犯罪を繰り返してしまう。
完全にテレビから姿を消した芸能人がいないわけではなく、田代まさしの様に何度も不祥事を起し芸能界から永久追放されたタレントもいる。だが逆に言えば、田代の様に何度も犯罪を繰り返さなければ、芸能界から消える事は無いという事になる。その為芸能関係者や芸能リポーターは芸能人の意識の低さと、不祥事を起したタレントを異常なまでにフォローする芸能界の甘さを指摘し、一般への影響を懸念している。
復帰後、目覚しい活動をすれば、それなりに評価される。だが、これもファッション観察家のノブ山田は覚醒剤騒動があったケイト・モスを例に上げ「不祥事で才能が評価される風潮には疑問」と苦言を呈している。

[ 39] 芸能人 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%83%BD%E4%BA%BA



お気に入り



  • track feed
    • seo