12月とは?
|
以下は放送開始前にご案内した過去の情報で、日付・予定などは現在のものではございません。 沢山のお問い合わせを頂いている番組のDVDですが、以下の通り発売されることとなりました。 ※東北ブロックのみ、前編は17日午後3時5分から、後編は同日午後7時30分からとなります。 1985年8月12日、群馬県の地方新聞社・北関東新聞社の遊軍記者・悠木和雅(40歳)は、いつものように翌日の朝刊作りに追われていた。この日、悠木は19:36分発の電車で谷川岳に向かう予定だった。目的は難所中の難所で、過去780人もの死者を出している衝立岩(ついたていわ)へのアタック。パートナーは販売局員の安西耿一郎。安西は趣味の山登りが高じて社内に「登ろう会」という登山サークルを作り、悠木は半ば強引に誘われてその一員となっていた。 県警記者クラブに詰める佐山達哉から連絡が入ってきた。「ジャンボが消えた」という会話を小耳にはさんだというのだ。深く気にも留めず、悠木が出かけようとしたその時、テレビが第一報を伝えた。羽田発大阪行き日航123便が消息を絶ったというのだ。すぐに通信社のニュース速報が続いた。「日航機は墜落した模様、乗客乗員は524人」。事実とすれば世界最大の単独航空機事故、しかも墜落現場は群馬と長野の県境と推定されるという。 現場がもし群馬県側なら、北関東新聞にとって地元で起こった大事件。編集局長の粕谷亘輝は悠木を日航全権デスクに指名する。この事故をどう報道するか、責任は悠木に委ねられた。 群馬か長野か情報が錯綜する中、悠木は見出しを選ぶ。「長野・群馬県境の山中」。長野を先に出すということは群馬ではなく長野側が現場だということを意味していた。 しかし、翌早朝テレビに映った現場は群馬県・上野村の無名の山、御巣鷹の尾根だった。 悠木の敗北続きの日航機事故報道はこうして始まった。部下の信頼を失い、上司から裏切られ、社長からは叱責を受ける。そして、幻の事故原因スクープ。 苦悩に満ちた一週間の先に悠木が見出したものとは、果たして何だったのか。 その映像化が待望久しかった横山秀夫さんの傑作のドラマ化です。ドラマには様々な死と無念が交錯します。天上の星となった520人の乗客と遺族の方々の無念、780の命が死へと誘われた衝立岩、新人記者の事故死、約束を果たせなかった同僚の昏睡・・・。息子と山を登れなかった悠木は燐太郎と登ります。そして宙吊りになったとき奇跡が起きます。「生きるために登りつづける」天にむかって帰還する悠木の姿が「生きることの誇り」を皆さんの胸に刻むことになればと願います。衝立岩の現場に臨んだ佐藤浩市さんの覚悟に制作一同の思いが重なっています。なお、ドラマ化にあたり物語に重要な事実については固有名詞を使用しました。 『演出にあたって』…エグゼクティブ・ディレクター 清水一彦(前編担当) 困難な岩壁や氷壁を登る際に互いをザイルで結び合うこと。それは互いの身の安全を確保することが目的であると同時に、危険を共に負担し合うということでもある。 まだ雪の残る早春からの登山訓練やロケ下見、ご遺族や事故関係者との交渉、20年前の新聞社の再現などなど、このドラマの制作過程そのものが、一歩一歩足場を確かめ手探りしながら進んでいくロッククライミングのような作業でした。日航機事故を背景にしてはいますが、あくまでウェルメイドなフィクションであるこの作品に対し、演出としてはディレクターズ・ハイに陥らぬよう、しかし濃密な緊張感は失わないよう心掛けて立ち向かったつもりです。 『覚悟をもって』―原作者・横山秀夫さんに言われた一言です。立ちすくんだ我々がまず最初にやったのは「山登り」でした。ドラマに屹立する「二つの大きな山」を、スタッフ・キャスト・脚本家・音楽家までもがとにかく自分の足で一歩ずつ何度も登る、そして下りる。「なんで登るんだ?」と各自が自問しながら。そこに逢いたいものが、語りたい何かがあるからだと感じながら。(勿論そこへ行かなければ撮影もできないわけで。)かくして全現場がそんな具合に進みました。愚直なまでのひたむきさを感じ取っていただけたらと思います。なんというか、多くの人々の「願い」がこもった作品です。 NHKドラマホームページ に関するお問い合わせ、ドラマのご感想は、こちらの お問い合わせフォーム からどうぞ。 なお、全てのメールにお返事できない場合がございます。あらかじめご了承下さい。個人情報の保護につきましては、併せて 個人情報保護について をご覧ください。 |
[ 113] NHKドラマ : 「クライマーズ・ハイ」12月10日・17日放送!
[引用サイト] http://www.nhk.or.jp/drama/html_news_high.html
