交流とは?
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単相交流を使うものと、三相交流を使うものがある。さらに単相交流には、商用周波数(50〜60Hz)を使うものと、その2分の1から3分の1の低周波数を使うものがある。現在、主流は商用周波数の単相交流で、電圧は主に25kVを使用する。 同一電力を送電する場合のロスはおおむね電圧の2乗に反比例することから、電圧はできるだけ高くした方が送電には有利である。交流は変圧器を用いて容易に電圧を変えられるため、1500〜3000Vを用いる直流電化の約10倍の高圧が用いられており、送電ロスが少なく変電所間隔を長く取ることができる。さらに、直流電化に必要な整流設備や「き電線」(架線に並行した電力線)も不要であり、全体として地上設備コストの低減が図れる。そのため、直流電化区間には高い鉄塔を造って特別高圧線やき電線等を配備している複雑な電線設備から比較して交流電化区間は一般住宅街並の電柱の高さに留まっており、シンプルな電線設備である。ただし、高電圧ゆえ地上設備の絶縁距離を長めにとらなくてはならない。 抵抗制御を用いた直流車では、主電動機に与える電圧を制御するために、抵抗器を用いて一部を熱として捨てていた。これに対し交流車では、無段階に電圧を制御できるタップ制御やサイリスタ制御が基本となっており、無駄なく電力を利用できる。 交流車は粘着係数が高いという長所を持つ。これは、回転が上がると急激にトルクが下がる交流制御の特性によるものであり、空転を起こしトルクを失った車輪は容易に再粘着する。この特性は、いったん空転すると再粘着しにくい抵抗制御を用いた直流車に対して優位な点の一つであり、一時は交流電気機関車のD級(動軸数4)は直流電気機関車のF級(動軸数6)に匹敵すると評された。しかし近年では、直流車・交流車の区別なくVVVF制御方式が主流となり、再粘着制御が容易に行えることから、交流車としての利点は少なくなっている。 特別高圧を電動機が使用可能な電圧に下げるため、車両には変圧器を搭載しなければならない。また、主電動機は一般に直流を電源として用いるため整流器も必要であるほか、集電設備も高電圧対応である必要がある。したがって、車両の製作費およびメンテナンスコストが高くなり、重量も大きくなりがちである。 以上が交流電化の特徴であり、地上設備と車両のコストに鑑みると、需要が少ない地域の輸送や動力集中方式に適した方式と言える。 電気鉄道は、直流電源を用いる方式ではじまったが、送電コスト等の問題から交流電化を試みるようになった。19世紀末には低電圧の三相交流を用いた方式がスイスの登山鉄道であるユングフラウ鉄道(1125V 50Hz、1894年開業)とゴルナグラート鉄道(750V 50Hz、1896年開業)で採用されている。また、非営業路線ではあるが1903年にはドイツのベルリン郊外で、三相交流による高速運転試験が行われ、電車と電気機関車がそれぞれ鉄道史上初となる200km/h突破(210km/h)を達成している(これは当時人類が搭乗可能な交通機関の最速記録でもあった)。 しかし、三相交流は架線を複数設置しなくてはならないため、イタリア北部(3000V 15Hz、1902〜1917年もしくは3600V 16 2/3Hz、1912〜1976年)などを除き普及しなかった。 一方、交流整流子電動機を直接駆動することも考えられたが、この場合、周波数に比例して発生する変圧器起動力による整流悪化がおきる。これを抑制するために、低周波交流(16 2/3 = 50/3Hz など)を用いる方式が開発された。1904年にジーメンスの手によりドイツ・バイエルン地方のムルナウ〜オーベルアンメルガウで実施したのがはじまりで、1912年にはドイツの幹線鉄道の標準電化仕様として採用された。このときの規格(15000V 16 2/3Hz)は、現在でもドイツ、スイス、オーストリア、スウェーデン、ノルウェーの幹線鉄道で多用されている。独自の送電網を整備する必要があるのがデメリットである。このほか、1905年にはアメリカのペンシルベニア鉄道で、11000V 25Hz電化が実施されている。 単純に商用周波数の交流電源を用いる方式も20世紀初等には既に考えられ、車内で直流電気を発電して直流電動機を駆動する方式などが考え出された。だが、機器類が大きくなり車両重量が増大する、誘導電動機(=交流)の特性上、一定周波数駆動での起動トルクが低いなどのデメリットが大きい。スイス(1904年)、アメリカ(1904〜1945年)では、実用化したものの結局、普及することなく終わった。 一方、ハンガリーは、同国のカンド技師が開発した、15,000V 50Hzの方式を1923年から試用、1933年から実用化した。機関車に単相から三相に変換する回転機と、連続で周波数変換を行なう回転機を搭載し、三相交流誘導電動機を駆動するものである。重量等の問題が大きかったが、1948年頃には、極数切替による段階的な周波数変換をし、二次抵抗制御を行なう方式が開発され、軽量化が進められた。 ドイツでも、1936年からドイツ南部のヘレンタール線で、この方式(25,000V 50Hz)が試行されていた。車両の方式は この技術は第二次世界大戦でドイツが敗戦した後に、この地を占領統治したフランスが接収する。その後、1950年頃から自国領内のヴァランジエンヌとティオンブルの間を電化し、試験を続行。1954年には4種類の機関車を作成し実用化した。 これは である。この結果、BB12000形が最も良い結果を納め148輌が製造された。 またCC形は、重量貨物機として設計されたものでCC14100が20輌なのに対し、CC14100が102輌製造されている。 日本の普通鉄道では新幹線、JR線およびJRから経営分離された第三セクター鉄道の一部(北海道、東北、九州の電化区間の大半と常磐線の藤代〜岩沼、水戸線、北陸本線の敦賀〜糸魚川)、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の守谷〜つくば、阿武隈急行線、仙台空港鉄道仙台空港線で採用されている。このうち、新幹線は電圧25,000V、ほかは20,000V(いずれも単相)が用いられる。 なお、日本国内の商用電源の周波数は、本州中央部を境に西側(北陸電力・中部電力・関西電力 以西)が60Hz、東側(東京電力・東北電力以東)が50Hzとなっている(商用電源周波数を参照)。これに従い、交流電化も地域により60Hzまたは50Hzの2種類が存在する。 一方、新交通システムの一部では低電圧の三相交流が採用され、電圧は600V(ゆりかもめ・埼玉新都市交通伊奈線・ニュートラム・ポートライナー・六甲ライナー)・750V(西武山口線)となっている。 日本では、戦後全国的に電化を進める際に、路線の電化費用を抑えられる商用周波数による交流電化についての研究が1953年頃から開始された。当初、商用周波数による交流電化が進んでいたフランスから電気機関車などを輸入する計画であったが、日本側は重電メーカが政府に国産を働きかけ、電動機開発成功を機に輸入台数を大幅に減らしテスト機として数両の購入としたのに対し、フランス側は当初の引き合い通り継続的な車両輸入を要求して破談となり、重電業界の求める自力開発が通ったといわれている。 1955年に仙山線で試験を実施。その後、1957年10月に北陸本線田村-敦賀間で実用化された。この後、旧・日本国有鉄道の新規電化区間のうち、北海道、東北、九州の各地方および茨城県内と北陸本線で交流電化(一部区間を除く)が採用された。この時の電圧20kVは、当時の直流変電所への標準的な供給電圧であり、日本の特別高圧送電網末端の電圧規格に基いたものである。新幹線の25kVは送電損失低減からなるべく高い電圧を求めて「国際標準」としてフランスなどヨーロッパ系の供給電圧を採用したものである。 一方で私鉄では、必要な路線は殆どが1965年頃までに電化されたがすべて直流電化であった。その後も既存区間との直通や、設備投資のコスト等が要因で、交流電化は実施されなかった。 現在でも国鉄またはJRから分離された路線を除くと、首都圏新都市鉄道の守谷〜つくばと仙台空港鉄道で実施されているのみである。なお、阿武隈急行は元の国鉄丸森線だが、経営分離後の1988年に電化された。そのため、同社が私鉄における交流電化採用の最初の事例となる。 沿革に記したように、当初フランスから交流電気車(BB12000とBB13000相当)の輸入を考えてしたが、諸般の事情により欧州の技術情報を基に独自開発となった。メーカー側は、日本の鉄道事情を考慮して、重量級で大型とならざるを得ない回転式変換機ではなく、交流整流子電動機を用いた直接式、または静止形整流器+直流直巻電動機の組み合わせを整流式を試作した。 1955年に、前者の方式のED44形(のちのED90形 日立製作所製)と後者の方式のED45形(のちのED91形 三菱電機・新三菱重工製)がつくられ、仙山線で試験が行われた。この結果、所期の成果を発揮した整流式の採用が決まった。なお、保守面で問題の多い水銀整流器に代わって、1961年製のEF70形からシリコン整流器が採用され、既存形式も順次載せ替えが行われた。 交流電化当初は交流専用車(ED70形、ED71形電気機関車)が開発され、使用された。 しかし、国鉄の運用に対する考え方から、交流・直流双方の電化区間を交直両区間を直通できる車両が求められた。そのため、交流電化区間を走る大半の車両(特に電車)が交直流両用車(EF80形電気機関車、401/421系電車など)となった。交直流両用車は高価である上に、直流車の構造を基本にしていることから、粘着係数が高い等の利点を有しておらず、結果として交流電化のデメリットのみが残った形となった。 なお、当初は電源周波数に応じて異なる形式の車両を準備した(ED70形電気機関車、421系電車が60Hz、ED71形電気機関車、401系電車が50Hz)が、後に、両方の周波数に対応できる車両が開発された。(EF81形電気機関車、485系電車など) 駅構内の電気要員の指示で直流と交流を随時切り替える方式。直流専用車または交流専用車を使用することができるが、地上設備が複雑になる。 日本では、直流・交流電化区間の接続第一号である仙山線作並駅と、東北本線黒磯駅、奥羽本線(福島〜庭坂間の福島第二機関区付近の本線上)で採用された。作並駅と奥羽本線の切換設備は仙山線および奥羽本線の全線交流化により消滅したため、2007年現在黒磯駅1箇所のみである。 交直デッドセクション(無電流区間)を挟んで接続する方式。地上切換方式に比べ地上設備が大幅に簡略化できる。無停車通過を前提とするため、列車自体の到達時間も短縮する。電気車両の直通は、直流専用車両に整流器を搭載した交流直流両用車を用いるが、車両価格が高価となるうえ、当高粘着性などの交流専用車のメリットは発揮できない。 交直両用車は交流車としてのメリットのみならず、直流用車両が早期に実現していた高度な制御技術や回生ブレーキ化なども阻んだ。交直両用電車の主制御器は国鉄分割民営化まで、当時国鉄の中でももっとも旧態としたCS12形と改良型のCS15形のみだった。651系(スーパーひたち)において界磁添加励磁制御を採用し、粘着特性の改善、交直両用回生ブレーキの導入が行われたが、これも交流電化ならではのメリットではなく、交流化でも直流車両としての性能を発揮できるようにしただけで、両用車のデメリットの本質は現在に至るまでまったく変わっていない。 日本においては、両電化区間の列車直通を前提とする常磐線取手〜勝田間の電化にあたり取手〜藤代間で採用された。その後、交流と直流の電化区間を接続する標準的な方法として普及する。デッドセクションの通過時は、モーターに電流を流すのを一時停止し、惰性で走行することにより両区間を渡る。設置場所はデッドセクションを参照。 東海道新幹線と北陸新幹線(長野新幹線)は、2つの周波数地域を跨ぐ路線を持つ。このうち東海道新幹線は、東京駅から静岡県内に至る50Hz地域でも、綱島、西相模の変電所に横軸型同期周波数変換機を備えて、60Hz電源に統一した。1964年開業の時点では、複周波数対応のATCがなく、車上変圧器周辺の冷却装置などが開発途上であったことによる。なお、開業後に浜松町変電所にも周波数変換機を設けたため、現在は3箇所に周波数変換変電所が存在する。 一方、北陸新幹線(長野新幹線)は東京〜高崎で50Hzを採用する東北新幹線・上越新幹線に乗り入れるため、複周波数対応の新幹線車両を使用し、軽井沢駅〜佐久平駅で50Hz/60Hzを切り替える。なお、異周波接続の方式に関しては、デッドセクションを参照。 最初の幹線電化事例である北陸本線については、前後区間や既に直流電化されていた2006年に富山ライトレールに譲渡された富山港線はもとより、接続する七尾線、小浜線でも直流電化が採用され孤立した存在となっており、列車直通におけるデメリットばかりが目立つようになっていた。そのため1991年には日本における直流転換はこれが初の事例となる、田村〜長浜間が直流電化に切り替えられ、さらに2006年9月24日からは長浜〜敦賀間と、これに接続する湖西線近江塩津〜永原間も直流電化に切り替えられた。最終的には全区間を直流電化する計画がある。しかし、北陸本線は北陸新幹線の並行在来線となっており、新幹線が開業した区間から並行在来線は廃止ないしは、JR西日本から第三セクター鉄道へ移管予定であることなどから、まだ具体的なものにはなっていない。 同様に、九州との関係が密な山口県西部で、交流電車が標準系列となった九州旅客鉄道(JR九州)との直通列車設定を容易にするために、山陽本線を交流電化にすべきという意見がある[要出典]。ちなみに、国鉄時代に山陽本線が電化されたとき、広島以西については当初交流電化とする予定であったとされる。2005年には九州から直通する普通列車は西日本旅客鉄道(JR西日本)との境界となる下関駅止まりになったことから、将来は下関〜門司間の交流化の可能性が考えられるが、直流電化に比べ架線電圧の高い交流電化は絶縁距離をより多く取る必要があり、この区間の大半を占める関門トンネルにおいてはトンネルの高さを拡張する大工事となることから実質的に不可能であると考えられる。 常磐線(取手駅以北)・水戸線(小山〜小田林間の一部を除く)・首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線(守谷駅以北)は、交流電化である。これは茨城県石岡市柿岡に気象庁地磁気観測所があり、直流電流を流すと地磁気観測に影響を与える可能性がある為、「電気事業法」、「電気設備に関する技術基準を定める省令」の各法令によって半径約30km〜40km以内では直流電化を採用できないためである。 ただし方法によっては直流電化も不可能ではなく、1920〜30年代において水戸電気鉄道(ただし電化は計画のみに終わる)や常南電気鉄道では、当時の路面電車が多用した複式架線方式で上記の問題を解決しているが、この場合、帰線架線(使用後の電流を変電所に返す回線。本来はレールに流し、信号回路として利用する)を張るという特性上、トロリーポール集電以外不可能となり、高速運転には不向きである。 また1980年代に通勤輸送需要が急増した関東鉄道常総線では、気象庁立会いのもとで直直デッドセクション方式(通電区間を数km単位に細分化し、それぞれの通電区間に1変電所を設置。通電区間毎に絶縁する方式)の試験を行い、この方式ならば直流電化でも地磁気観測に影響がないことを確認した。しかし非常に多くの変電所を建設しなければならないため、コスト的に見合わず、結局電化を断念している(千葉県内を走る内房線は、同様に地磁気への影響が問題となる鹿野山測地観測所近辺の区間を、この方法で直流電化している)。 羽越本線では、村上駅〜間島駅間に交直のデッドセクションが存在するが、管轄の東日本旅客鉄道(JR東日本)新潟支社は普通列車用の交直流電車を保有していない為に、デッドセクションを通過する特急列車(寝台特急も含む)・貨物列車は電車もしくは電気機関車による牽引であるが、普通列車は気動車を使用している。かつては電気機関車牽引の客車列車もあったが、電気機関車・客車を削減する方針によりすべて気動車に置き換えられた。 国鉄時代には電化区間のみを走行する「架線下DC」列車が数多く存在し非合理といわれたが、これも非電化区間との車両共用、既存の気動車の活用(高価な交直両用電車新製の抑制)が主な理由であった。上述の羽越本線の他、江差線(五稜郭駅〜木古内駅間)も同様に普通列車を全列車気動車で運行しているが、これらのような「電化区間の普通列車がすべて気動車」という例は、かつては湖西線北部、田沢湖線などにも見られ、客車のみ電気機関車牽引という例は各地に見られたが、現在では非常に少なく、他の区間では非電化区間に隣接した電化区間で気動車を間合い運用・送り込み運用する程度の細々としたものになっている。 肥薩おれんじ鉄道では、路線そのものはJR九州から引き継いで20,000Vの交流電化である。しかし、自社の列車運行は維持経費を削減するため気動車を採用している。電化設備を残しているのは第3種鉄道事業者として日本貨物鉄道(JR貨物)、JR九州の列車を通過させるためで、日常電気運転を行っているのは貨物列車のみである。 20世紀初頭より低周波交流(15,000V 16 2/3Hz)が採用され、幹線鉄道の電化区間の大半がこの方式を採用している。 ドイツの超高速鉄道、ICEもこの方式を採用。一方、都市圏の通勤電車であるSバーンも、大半がこの方式を採用し、都市の地下鉄道での数少ない交流電化区間を持つ。 ナローゲージでも、オーストリア国鉄のマリアツェル線(6500V 25Hz)ように、交流電化の事例がある。 第二次世界大戦前は、直流1500Vによる電化が行われていたが、1952年に商用周波数による交流電化(25,000V 50Hz)が実現し、以降の電化区間ではこの方式を採用している。超高速鉄道のTGVも同様である。現在、北部・東部地域の在来線と、LGV全線(TGV用の高速新線)が交流電化である。パリ基準に言えば、北駅・東駅から出る列車が向かう地域が交流電化である。なお、現在のフランス国鉄の機関車およびTGVは交直両用車で設計されており、交流専用機はBB15000形を最後に開発されていない。 一方、20世紀初等にアメリカ各地で発達したインターアーバンでも、交流電化された路線が存在した。 これは、1904年にウェスティングハウス・エレクトリック社が開発したもので、商用周波数(60Hz 3300V)を用いた単相交流電化システムである。その後、6600V、11,000Vに発展するが、導入コスト・メンテナンスコスト双方の面で直流電化より悪いため、1910年以降このシステムの採用はなくなる。導入した会社も直流化、ディーゼル化、廃止の方向をたどり、1945年を最後にこの方式の商用周波数交流電化は消滅した。 1960年代後半、ヨーロッパ(おもにフランス)の技術協力により幹線鉄道の電化が実現した。25,000V 60Hzを採用している。ソウルと東海岸を結ぶ山岳路線で実施されたが、その後はソウル首都圏の通勤路線(首都圏電鉄→広域電鉄)でおこなわれている。一方で長距離鉄道は、変電所への攻撃を避けるという軍事的理由により、ほとんどの幹線鉄道が非電化のままだった。その後京釜線の一部と湖南線が高速鉄道KTXの乗り入れのため電化され、他の区間でも電化を進めている。 なお、広域電鉄のうち果川線と盆唐線は、世界的にも珍しい商用周波数方式の交流電化を採用した地下鉄である。 1970年代後半、イギリスの技術協力により電化が実現した(25,000V 60Hz)。長らく西部幹線の基隆〜台北〜高雄のみであったが、1990年代以降に延伸。現在は西部幹線の基隆〜屏東、東部幹線の八堵〜花蓮が電化され、全路線の約2/3が交流電化となった。また、台湾高速鉄道も同様の電圧・周波数で電化されている。 高電圧の交流電化では架線の半径約1m以内に近寄るだけで感電する危険がある。夜間留置中の車両の屋根にふざけてよじ登って交流架線に近づき感電する事故が九州地区で1998年と2002年に合わせて2件発生した。 これは交流電化に限らず、直流電化であっても高圧架線に近づくと感電する危険があるので留置中の車両の屋根には絶対によじ登らないよう注意を呼びかけているほか、電化されている路線の踏切や車両基地でも「高圧注意」と書かれた標識など感電する危険がある注意標識が各所にある。 また、七尾線は1991年の電化の際、接続する北陸本線が交流電化されているにも関わらず直流が選択された。これは、宝達駅付近にある天井川をくぐる既存トンネルにおいて、高電圧から来る絶縁破壊対策などの費用問題があったためである。このため、北陸本線との接続地点になる津幡駅付近にデッドセクションが設けられ、運行上の起点駅である金沢駅からの交直流電車による運転となっている。 |
[ 20] 交流電化 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%B5%81%E9%9B%BB%E5%8C%96
