プレイステーションとは?
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[ 85] PlayStation.com(Japan)|PLAYSTATION®3 情報
[引用サイト] http://www.jp.playstation.com/ps3/
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3Dポリゴンで描かれたフィールドを自由に探索できる面白さや、画期的な戦闘システム、練り込まれたシナリオ、生き生きとしたキャラクターアクションなど、あらゆる面で高い評価をいただいた『グランディア』。セガサターン版ではCESA大賞'97優秀賞、第3回 日本ゲーム・オブ・ザ・イヤー準グランプリを受賞。多くの皆さんからご要望のあったプレイステーション版は、特にグラフィック面を中心に改良しました。 「世界の果て」が見つかり、冒険家が夢見たエンジュール都市は、結局は伝説の中でのみ存在するものになったのだと、世の中の誰もが認めつつあった、そんな頃……。 この物語の主人公ジャスティンは、今日も冒険者ゴッコに余念が無い。彼は亡き父の跡を継ぎ、歴史に残るような大冒険をしてやるのだという志を持った、心の熱い少年である。 ジャスティンの遊び仲間は、幼なじみのスーやガンツ達。彼らはメッシナ大陸(通称、旧大陸)にある港町パームの中を、ところ狭しと駆け巡る。 ときどきジャスティンは、ポケットから父の形見の「精霊石」をとりだして、太陽にかざしてみる。精霊石はキラキラと光りかがやき、新しい世界への冒険の旅にジャスティンを誘っているようだ。 「精霊石」とは、エンジュール神話の中で語られる力の象徴。光の羽を生やした巫女「光翼人」が精霊石を使い、人々を幸せに導いているさまが、あちこちの遺跡にある壁画に描かれている。だがもちろん、ジャスティンの持つ石がその精霊石だとは誰1人として信じてなかった。 そんなある日、ジャスティンは博物館を訪れる。以前博物館の館長にたのんでおいた精霊石の鑑定が終わったのだ。しかし、館長にも精霊石が本物であるかどうかの判断はつかなかった。 神話や古代文明についての話を交わすジャスティンと館長。神話が現実にあったと主張するジャスティンをなだめる館長は、冒険者の使命としてジャスティン自らがそれを証明してくれ、とサルト遺跡見学の紹介状を渡してくれる。サルト遺跡は、現在ガーライル軍が発掘している古代文明の遺跡のひとつだった。古代文明に興味があるジャスティンのために、館長が手配してくれたのだ。 ジャスティンはスーといっしょに、気楽にサルト遺跡の見学に出かけた。これこそが想像もつかないような大きな冒険の始まりであることに、ジャスティンはまだ気がついていない。運命の輪は、静かに、静かに、まわりはじめていた――。 この物語の主人公。古代文明にあこがれを持っていて、いつも冒険の旅に出ることを考えている少年。旧大陸にあるパームの街で、母親のリリィと二人暮らしである。やはり冒険者であった亡き父の形見の「精霊石」を大事にしている。熱血少年で行動力があり、元気で単純で、お人好し。物事を深く考えずに、いきなり行動にうつす欠点がある。 ジャスティンの幼なじみで、隣の家に住んでいる。スーの両親は亡くなっていて、おじさん夫婦に育てられている。ジャスティンを慕っていて、いつもジャスティンのあとをついてくる。おしゃまで元気な女の子。いつも大人ぶっていて、口うるさいのが玉にキズ。スー本人はジャスティンの保護者のつもりである。プーイという不思議な生き物をペットにしている。 ジャスティンの父親が生きていたころ、旅先で見つけてきた謎の動物。スーによくなついているので、現在はスーのペットである。いつもスーの頭に乗っかっている。羽根が生えているものの、人の背丈ぐらいまでしか飛べない。人間の言うことを理解するが、それほど高い知能は持っていない。食欲旺盛で、なんでも食べる。「ぷうぷう」と鳴く。 この物語のヒロイン。新大陸にあるニューパームの街に住んでいる冒険者。新大陸の冒険者協会に所属し、協会で一番の腕前を持つ。かけだしのジャスティンとは違って、経験豊富な一流の冒険者。明るく活発な美少女で、笑顔の似合うみんなの人気者。新大陸に向かう渡航船の上で、ジャスティンと出会うことになる。 また、グラフィックばかりでなく、ロード時間・画面切替時間の短縮、DUAL SHOCKコントローラ対応など、 |
[ 86] プレイステーション用『グランディア』
[引用サイト] http://www.gamearts.co.jp/products/grandia_ps/
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プレイステーション(PlayStation)とは、1994年12月3日に株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)より発売された家庭用の据え置き型テレビゲーム機である。 業務用ビデオゲームの分野でポリゴンによる3Dグラフィックスのゲームタイトルが流行の兆しを見せ、従来の2Dグラフィックスのゲーム機においても一部で3Dを指向したゲームソフトが出始めていた時代に、リアルタイム3DCGを家庭に持ち込んだものとしては初期の世代のゲーム機として人気を博した。 1990年代初頭までワークステーションに搭載されていたMIPSアーキテクチャの32ビットRISC CPU「R3000」を独自にカスタマイズしたものをメインCPUに採用。また3DCGの描画を支える数値演算専用LSI (GPU) を別途搭載するなど、当時としては高性能なポリゴンによる3Dグラフィックスを比較的簡単にプログラミングできることを特徴とする。 ソフトウェア媒体として採用したCD-ROMは従来の家庭用テレビゲームで用いられていたROMカートリッジと比較してデータへのアクセス速度が劣るが、大容量、低価格、量産時間の短縮といった利点があった。コンピュータゲームの表現方法から流通にまで幅広く影響を与えた。 ローンチタイトルである『リッジレーサー』や初期に発売された『闘神伝』といったゲームタイトルが好評を博し、3Dゲームの方向性を示した。また『ファイナルファンタジーVII』を代表とする3DCGムービーを多用した物語性の強いゲームソフトが新しいジャンルとして台頭してきた。 同時期に発売された株式会社セガ・エンタープライゼス(現・株式会社セガ)の「セガサターン」や、「ファミリーコンピュータ」や「スーパーファミコン」で1980年代以降ゲーム機市場を独占していた任天堂株式会社が約1年半後に発売した「NINTENDO64」等と市場競争を繰り広げ、最終的に主導権を握り、後継機のプレイステーション2と共にゲーム市場における主導権を2000年代前半まで保つこととなった。 起動時のサウンドロゴはムーンライダーズのメンバーである岡田徹が担当した。また同機のCMで流れたサウンドロゴもムーンライダーズが関わっており、同グループの手掛けたCMソングなどを収めた「MOONRIDERS CM WORKS 1977-2006」にCM始めとCM終わりの2つのサウンドロゴが収録された。 2000年3月4日には後継機である「プレイステーション2」が、また同年7月7日には本体をスリム化した「PS one」が発売された。 描画が1/60秒を超えた場合に垂直同期を待たずに表示を切り替えることができ、処理落ちを最小限に抑えられる。 GTEの演算誤差(当時の半導体プロセスの制約から浮動小数点演算の実装は困難であり、高速化のために固定小数点演算を用いている)の影響で、ポリゴンの間にPS特有の「継ぎ目」ができる。またパースペクティブ補正処理を省いているため、テクスチャマッピングにも独特の歪みが出る。 テクスチャバッファとして使用できるメモリが少なく、テクスチャ伸長の際にピクセル境界やマッハバンドが露見する部分をカバーするため、後期のゲームでは展開後のテクスチャにディザリングをかける手法が多用された。 後期PSではジオメトリエンジンのアーキテクチャを改良しており、そのためプロセッサも「GTE」ではなく「GTE-2」と呼ばれた。 スーパーファミコンのサウンド用DSP「SPC700」の後継LSIである。スーパーファミコンの「SPC700」はソニー株式会社が開発していた。 表示画素数:256ドット×224ライン(ノンインターレース)〜640ドット×480ライン(インターレース) 外部コネクタ:コントローラ×2、メモリーカード×2、AVマルチ(RGB / S端子 / ビデオ)、S端子、映像・音声端子(RCA) 、通信(シリアル)、外部拡張(パラレル)、電源入力(AC)、DC出力 一般的なCD-ROMメディアとは異なり記録面が黒いことが特徴である(光に透かすとわかるが厳密には濃い青色である)。ソニーによると、子供が誤ってオーディオ機器で再生しないように、通常の音楽CDとプレイステーション専用のCD-ROMを見分けやすくしたという(同様の理由でプレイステーション2用CD-ROMは青色である。同DVD-ROMは通常の銀色)。 通常のCD-ROMメディアでは読み書きを行えない領域に特殊なデータが記録されており、これにより正規のメディアであるかどうかを判別している。しかしその部分の読み込みが可能なソフトを利用することによりプレイステーションでは正規メディアか違法コピー品かを判別できないメディアを作成可能であるため、CD-Rが普及したこともあり世界規模で違法コピーの温床となっている。 プレイステーションにCPUとして採用された当時のMIPSアーキテクチャは、組み込みやゲームコンソールにはメモリ効率が悪く、CPU自体の処理能力も同クロックの「80386」程度の速度であった。また搭載メモリ容量およびアクセス速度も競合機と比較すると厳しいものがある等の制約があり、メモリとCPUパワーに物を言わせる「力技」は困難であった。 ハードウェアの性能としては3Dポリゴン描画に特化したアーキテクチャが最大の特徴である。ポリゴンの頂点演算や座標変換を行うジオメトリエンジンを搭載し、さらにフレームバッファにポリゴンやテクスチャマップドポリゴンを転送する機能をハードウェアで備えるため、これらの演算を全てソフトウェア処理させる(CPUに膨大な量の演算を強いる)ことが多かった当時のパソコンやゲーム機と比較して格段に高い性能を引き出すことができた。3Dポリゴン処理に特化したハードウェアと言える。 一方、2Dグラフィックスの処理能力(旧来のスプライトおよびBG機能)についてはそもそもこれらの機能を搭載しておらず、フレームバッファおよびポリゴンを擬似的に平面的に並べるような代替手段によりある程度の2D処理が可能である。2Dグラフィックスを直接フレームバッファに描画する「疑似スプライト機能」を備えるが、BG画面やラスタ割り込みなどの機能を備えていないため、既存の2次元的なゲーム作品で多用された表現の再現性に関しては決して高いとはいえない。他にも音声制御用プロセッサ(SPU)のメモリ容量やテスクチャに使用可能なテクスチャバッファの容量などでもハードウェア上の制約が多かった。 BGプレーンを持たないために2Dの処理では背景を含む全てを擬似スプライトで表現しなければならないプレイステーションは、スタートタイトルの極上パロディウスの多重スクロールで極端な処理落ちも見られた。その後は雷電プロジェクトなど疑念を払拭するようなソフトが幾つか発売された一方で、将来的な互換性を維持するために一部の大手サードパーティーを除いて禁止されていたハードウェアへの直接的なアクセスや標準ライブラリの利用義務といった制約を解禁するなどした結果、本質的な解決ではないが後期にはソフトウェア次第である程度まで改善され、アーケード版の怒首領蜂の高レベルな移植が出来るまでにはなった。ファイナルファンタジーシリーズのようなスーパーファミコン版からのベタ移植もほぼ忠実に実現している。これとは別にメモリ容量の問題でアーケード版からの移植時にアニメーションパターンが省略されるケースも見られた。一方で半透明処理を比較的自由に施せる強みもあった。 また高速なJPEGデコーダを内蔵しており、この機能を活用して当時の水準としては高画質なMotion JPEGによる動画(ムービー)の再生が可能であった点も特筆される(ただし処理速度の限界によりムービーのフレームレートは全画面の場合で15fps前後である)。『ファイナルファンタジーVII』をはじめとするこの機能を活用したコンテンツの登場により、プリレンダリングされた3DCGムービーとネイティブの3Dゲーム操作シーンを連結して多用することで場面と時間を繋ぎ物語性を補完する表現手法が確立された。 またゲーム導入時のデモムービーやエンディングムービーなど、ゲームをプレイするための動機付けとしても広く活用されるようになった。 大変素晴らしい開発環境であったと一般的に思われる傾向があるが、当初は十分に整備されていたとはいえず、またCPUのスクラッチパッドRAM(SPR)やアーキテクチャ的な癖のある特色を積極的に活用しなければ十分なパフォーマンスを引き出すことができないにも関わらずこうした知識が開発者の間で広く共有されず、特に小規模なサードパーティーや下請け開発会社では他のゲーム機と比較して明確な強みを享受できなかった。 のちにサードパーティー(株式会社ナムコ?)が独自に開発した統合開発環境をソニー・コンピュータエンタテインメントが他のサードパーティへとフィードバックし、1997年初夏に「パフォーマンスアナライザ for プレイステーション」として他のサードパーティーに提供したことなどにより、それ以降は比較的快適な開発環境の元でゲームソフトを開発できる体制が整えられた。 主要な半導体は自社で独自設計ないしカスタム化したものを用いていたため製品発売後もこれらを改良できた。半導体プロセス技術の進歩などにより再集積化(複数の半導体を一枚のシリコンにまとめる)やシュリンク化(LSI面積を縮小し、一枚のシリコンウェハーからより多くのLSIを生産する)や、さらなるカスタム化などを行った。結果的に数度にわたるコストダウンを実現し、プレイステーションの販売価格は最終的には発売開始時の半分以下まで下がった。一方で後期PSは当初の半導体と違う半導体が用いられたため、互換性が完全に維持されず初期に発売されたゲームソフトが後期のハードウェアできちんと動作しないという問題が生じ、サードパーティーは型番毎に動作チェックすることを余儀なくされた。 サードパーティーの参入条件を低くするなどの総合的な戦略が功を奏し、新規参入にも関わらず発売初期から多くのゲームソフトを発売できた。代表的な例として開発機材の販売価格を最低限のキットで1台150万円で販売したことが挙げられる。他社の場合、開発機材は1キット数百万円から一千万円以上に及ぶのが通例であり、初期投資に最低数千万円もの多額の準備金が必要で参入障壁が高かった。ソニー・コンピュータエンタテインメントは開発機材の価格を従来の10分の1程度にまで抑え、最低限の開発環境であれば500万円ほどで済ませられることをウリにサードパーティーを募った。その結果、多数のサードパーティーが参入して数多くのゲームソフトが開発され、ゲーム業界の主導権を握った。 仕事で使うコンピュータを「ワークステーション」と呼ぶことに対して、遊びで使うコンピュータという意味で「プレイステーション」に決めたというのが名前の由来とされている。ユーザー間では「プレステ」と略されることが多いが、CMや自社製品内での記載では一貫して「PS(ピーエス)」と略されている。週刊ファミ通の記事によると盛田昭夫がプレステの「ステ」が「捨て」に通じることを避けさせたようだ。 ソニーがプレイステーションを開発する前である1989〜1991年頃にソニーは任天堂とスーパーファミコン専用のCD-ROMドライブ拡張機器の共同開発を行っていた。その開発コードネームもまた「プレイステーション」であった。 開発当初はCD-ROMの技術を提供したソニー側がCD-ROMソフトのライセンスの権利を有していたが、当時のコンシュマー機はゲーム・ソフトをROMカセットで提供する事が主体であり、CD-ROMは付属的な立場のメディアとして認識されていた為、最初、任天堂はCD-ROMの権利を重視していなかった。しかし開発が進んだ時期、一般社会に於けるCD-ROMの重要性が上がって来た為、認識を改めた任天堂は[要出典]、1991年6月のシカゴでのコンシュマー・エレクトロニクス・ショーにおいて、ソニーとの契約を破棄してフィリップスと契約を結ぶというプレスリリースを発表、さらに1992年1月10日付けの日本経済新聞において、1年後にスーパー・ファミコンのCD-ROMアダプタを発売すると発表した。 この任天堂の動きに対して、この時点でのソニーは(少なくとも表面的には)任天堂との互換路線の実現を目指しており、同日の同新聞において「スーパー・ファミコンのCD-ROMソフトと互換性のあるCD-ROMゲーム機であるプレイ・ステーションを同年後半に発売する」と発表しているが、当時会長であった大賀典雄は1992年6月24日のソニーの取締役会にてソニー単独でのゲーム事業を承認、1992年11月10日付けの日本経済新聞で互換機路線が再検討される事が伝わり、ソニーが独自に設計・開発を始めた事が知らされた。 1993年初頭から正式に「PS-X」プロジェクトが立ち上がり、1993年11月16日にソニーの技術者と株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントのコンピュータゲーム製作部門のスタッフら65人で構成される株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントが設立されて、1994年12月3日の「プレイステーション」の発売に至った。 同時期に発売された他社のゲーム機と販売競争が繰り広げられた。それはマスメディアによって「次世代ゲーム機戦争」などと呼ばれ、それによって人気に拍車がかかり、ゲーマーだけでなくライトユーザーと呼ばれる一般消費者からも大いに注目を集めるようになった。 従来よりもリアルな表現が可能になり、また大人の鑑賞にも堪えるゲームソフトも発売され、ゲーム機を子供のおもちゃという印象から脱却させる事にも繋がって、広範な支持を得ることにも成功した。 上記のリッジレーサーを初め、参入当初の大々的なサードパーティー獲得戦略が実施され、ゲームソフトの圧倒的な数によってゲーム市場の主導権を握った。また、音楽CDの流通販売で多大なノウハウを有していたEPIC・ソニーレコード仕込みの流通改革が実施され、問屋側の意思決定に依存せず、また、いわゆる『抱き合わせ商法』が横行しない様な安定的なソフトの供給が進んだとされている。 特に日本を代表するRPGシリーズである『ファイナルファンタジー』シリーズおよび『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』がプレイステーション陣営に移行し、これがプレイステーションの寡占市場を作り上げる起爆剤となった(両シリーズ共にそれまではファミリーコンピュータやスーパーファミコンといった任天堂陣営のタイトルだった)。 プレイステーションの絶頂期は1996年から1999年であり、ゲーマーの間ではこの4年間をPSブームと呼ぶ。CMには「プレステマン」、「クラッシュ・バンディクー」、「パラッパラッパー」、「ピポサル」等のキャラクターを使用した。1997年のクリスマス商戦期には多数のゲームソフトの体験版を収録した2種類の体験版を一部の店舗にて100万枚無料配布するなど派手な広告展開を行った。 一般向けの開発環境「ネットやろうぜ!」を販売し、またこれとは別に「ゲームやろうぜ!」というゲームクリエイター志望の素人を一般から募集したりした。 CD-ROMのコピープロテクトを解除するための非合法な半導体「MODチップ」が世界規模で出回り、それに「レッドハンドプロテクト」で対抗した。また日本国外で作られたエミュレータをソニー・コンピュータエンタテインメントは告訴したが、判決はソニー側の敗訴に終わった。 1998年1月20日、公正取引委員会より「プレイステーション用ソフトウェアの販売について、小売業者に対し希望小売価格で販売するように、圧力を加えた」として独占禁止法に基づく排除勧告を受けた。しかしソニー・コンピュータエンタテインメントは一貫して容疑を否認。2001年8月1日、ソニー・コンピュータエンタテインメントが圧力を加えていた事実を認定する審決が下され[1]、2001年11月20日に排除勧告を受諾した[2]が、排除勧告の対象はプレイステーション用ソフトウェアにまつわるものであり、この当時既に販売戦略の中心はプレイステーション2へとシフトしていたため、ソニー・コンピュータエンタテインメントにとってこの排除勧告の受諾は経営的にもプレイステーションやプレイステーション2市場にも何ら影響を与えなかった。 日本でのハードウェアの生産出荷台数は約1740万台、PS oneは約419万台であり、合計は2159万台、全世界では1億249万台(2005年3月31日現在)。 日本でのソフトウェアの累計生産出荷本数は約2億8600万本であり、全世界では9億6200万本(2006年12月31日現在)。 プレイステーション規格の新作タイトルはプレイステーション2発売以降も登場し、日本では2004年まで発売され続けた。公式サイトのソフトウェア製品情報に登録された日本国内のタイトルは2005年11月現在4324タイトルである(廉価版、初回限定版などによる重複も含む)。 1996年2月9日 - 株式会社スクウェア(現・株式会社スクウェア・エニックス)が『ファイナルファンタジーVII』をプレイステーションで発売することを発表。 1997年1月14日 - 株式会社エニックス(現・株式会社スクウェア・エニックス)が『ドラゴンクエストVII』をプレイステーションで発売することを発表。 1997年1月31日 - スクウェア(現スクウェア・エニックス)が『ファイナルファンタジーVII』を発売。 1998年1月20日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、公正取引委員会から「プレイステーション用ソフトウェアの販売について、小売業者に対し希望小売価格で販売するように、圧力を加えた」として独占禁止法に基づく排除勧告。 2002年 - アメリカイマージョン社がプレイステーション、およびプレイステーション2のコントローラー振動技術(バイブレーション機能デュアルショック)の特許権をめぐる訴訟を起こす 2005年3月24日 - イマージョン社との訴訟で、カリフォルニア州オークランド連邦地裁がソニー・コンピュータエンタテインメントなどに対し、アメリカでのプレイステーションおよびプレイステーション2の販売差し止めと約9,070万ドル(日本円で約96億円)の損害賠償を命じる判決。ソニー・コンピュータエンタテインメントは再審理を請求。 この裁判の影響によりプレイステーションおよびプレイステーション2がアメリカで販売出来なくなる危機に陥る可能性があった。 プレイステーションは製造時期、販売地域によって異なる型番が付けられている。型番によって仕様が異なる。その違いは主に入出力端子の有無によるものだが、ハードウェアの内部が変更されたことによるものもある。ソニー・コンピュータエンタテインメントは、型番による動作の違いはないとしているが、実際には1996年以降のバージョン「SCPH-5000」以降、グラフィックスの処理能力が向上したり、バグが改善されたり、逆に新たなバグが発生したり、動作しないゲームソフトが発生したりしている。そのため、古いハードウェアでは正常にプレイできないゲームソフトが数百タイトル存在する。 ビデオ端子、S端子、外部電源端子、パラレルI/O端子が装備され、ビデオ端子ケーブルとS端子ケーブルが同梱。 ディスクが純正品かつ、日本市場用であるかどうかのCDチェックが1回しかなく、ある方法で海外のゲームソフトやCD-Rにバックアップ(コピー)したソフトが簡単に起動した。 描画に使用される画像処理プロセッサ「GTE」がバージョンアップ。エフェクト(フォグ)のかかり具合が違う。 この型番以降は基板が変更されBIOSの仕様も変更された。CDチェックの回数が2回に増え、海外用のソフトやコピーソフトが起動しづらくなった。(ただし、一部ロットにはSCPH-1000と同等の基板のものが混じっており、それに当たるとSCPH-1000と同様の方法で起動するものがあった。)その結果、闇市場において「MODチップ」が開発され、日本国内でも出回ることとなった。 ナムコの『鉄拳2』の発売に合わせ、「ファイティングボックス」と銘打ってコントローラー2個が付属(通常は1個)。 5000番以降はバグをなくすとして、さまざまな目立った改良が施されているため、この型番の登場以降のゲームソフトは、その弊害で3500番台以前のハードウェアでは不具合を起こすゲームソフトがまれにある。 「PU-20」という基板になり、画像処理プロセッサなどがバージョンアップされ、画質と性能が若干向上。発熱も殆どなくなった。 なお、ここまでのプレイステーションはCD-ROMドライブの読み取り(ピックアップレンズ)部分の設計の欠陥により、ピックアップレンズが随時動くことによるレールの磨耗によりピックが沈み込み、データをきちんと読み取れなくなってしまうという欠陥があった。そのため、5500番台以前のハードウェアを重用するユーザーは、本体を縦に立てて置く、裏返して置く、斜めに傾けるなどの延命策を講じていた。 画像処理プロセッサ「GTE」が「GTE-2」にバージョンアップ。ポリゴン描画性能が向上する(ただし、ソニー・コンピュータエンタテインメントの公称では変わっていないとされる)。 音楽CD再生機能が更新され、新たに『サウンドスコープ』というアプリケーションがハードウェアに搭載される。これは1997年6月20日に発売されたゲームソフト『BABY UNIVERSE』の一部機能を取り込んだものである。 外観はSCPH-1000と変わらないが、このぐらいの型番になると、内部の基板はSCPH-1000の半分程度の大きさにまでシュリングされている。 パラレルI/Oが削除される。日本では最後までこの端子を利用した周辺機器が開発されなかったためであるが、非公認メーカーによるゲームのデータを改造するツール、または違法コピーCDを動作させるツールの接続端子として用いられる例が多かったため、そういった非公認ツールに対処するためとも言われる。 しかし、削除されたのが端子だけで、機能自体は基板に残ったままであったため、配線を施せば使用可能であった。 SCPH-1000では大量に端子がついて登場したものの、結局最後は電源入力と映像出力のみになってしまったのである。 登場時期が「プレイステーション2」の発売と前後していたこともあり、ユーザー間にはプレイステーション2に搭載されているいわゆる『ワンチップPS』を使用しているのではないかという憶測があったが、(文字通り)蓋を開けてみればほとんどSCPH-9000そのものであった。 以前までハードウェア内部に搭載されていた電源部分は内部から除外され、ACアダプタによる駆動に変更された。ACアダプタ駆動となったため、自動車の電源で駆動するためのカーアダプタも発売された。 ゲームソフトを開発するときに用いられるプレイステーションは、通称「デバッギングステーション」と呼ばれ、市販されているプレイステーションとは機能が大きく異なる。 1997年発売。アジア圏では「ビデオCD」の文化が栄えており、東アジアや東南アジア市場で展開するため、それに対応しビデオCDも見られるようにしたもの。本体は白色で、本体の右上に「Video CD」の表記がある。ソフトウェア再生ではなく、専用のMPEGデコーダを搭載している。ビデオ端子がAVマルチ端子に一元化されたSCPH-5500が発売された後の機種ではあるが、本機種のビデオ端子はSCPH-5000以前と同じく、RCAピン端子を装備する。 ソニー・コンピュータエンタテインメントとプレイステーション専用ソフトウェア開発におけるライセンス契約した法人(「ライセンシー」。サードパーティーやゲーム開発会社などが該当)[4]のみが同社から直接提供されるものであり、門外不出。本体裏に通し番号があり、売り払ったりすると誰が売ったか分かる仕組みになっている。開発用なだけあり、CD-Rにコピーしたソフトを動かす事が可能。本体の色が一般の灰色と違い、青色だったため「青ステ」と呼ばれることもある。 通称「リビジョン-C」と呼ばれ、ライセンシー(ライセンス契約した法人)は前記のDTLH-1000と、両方で正常に動作することを確認させられる。本体が緑色だったため、「緑ステ」(読み方は"みどすて")と呼ばれることもある。 「ネットやろうぜ!」とは、ソニー・コンピュータエンタテインメントが一般人に向けてソフトウェア開発環境を提供するシステムで、12万円で通信販売された。国籍プロテクトがかかっていないため、日本国内のゲームソフトだけでなく、日本以外で販売されたゲームソフトも動作する。募集締め切りの後、現在は学校関係者にのみ8万円で販売されている。黒い外観から「黒ステ」と呼ばれることがある。 プレイステーションのアーキテクチャは家庭用のみならず、アーケードゲーム機としても活用された。プレイステーション互換及びプレイステーション上位互換の業務用システム基板は大手ゲームメーカー各社で採用され、業務用ゲームの家庭用への移植に貢献した。 ゲームのセーブデータを保存しておくための補助記憶装置。記憶媒体として1メガビット(128キロバイト)のフラッシュメモリを採用している。保存領域は15ブロックだが、PS2のメモリーカード管理画面では消費容量が1ブロック辺り8キロバイトで表示されている。それによると8キロバイト(1ブロック相当)が未使用と言うことになるが、これはメモリーカード自身のデータ管理用の領域で1ブロック消費しているためであり、それも含めて16ブロック、128Kバイトの記録領域がある。 フライトシューティングゲーム向けにスティックが2本ある大型のジョイスティック。1996年4月26日発売(SCPH-1110)。 のちに発売された「デュアルショック」と形状はほぼ同じだが、コントローラの振動機能に強弱の区別がない。 振動機能に強弱の区別がついたアナログコントローラ。1997年11月13日に発売されたプレイステーション「SCPH-7000」では本体に標準同梱されるようになった。 「SCPH-1060」は一部の機種のみに対応、「SCPH-1120」以降はプレイステーション2、プレイステーション3を含め、ほぼ全機種に対応している共通規格である。 他社発売の周辺機器も大半はソニー・コンピュータエンタテインメントの品番が付けられており、型番はSLPHで始まっている。 型番はSLPH-00051だが、以降発売の色替えバージョン及びワンハンドルタイプ等はSLPHはついていない(TCPP-200XX等の品番となっている)。 型番はそれぞれRU017(本体のみ・初期版)/RU023(マット内蔵のデラックス版)/RU026(ハンドコントローラ)/RU031(ディズニー版)/RU039(本体のみ・後期版)と、どれもSLPHはついていない。 ^ 2001年ソニー・コンピュータエンタテインメント「テレビゲーム機用ソフト(公正取引委員会の審決に基づくお知らせ)」 ^ プレイステーション(初代PSおよびPS one)家庭用ゲーム機で、史上初の全世界生産出荷累計1億台を達成 ^ 「ライセンシー」。サードパーティーやゲーム開発会社などが該当。対義語にはライセンスを許諾したメーカーを指す「ライセンサー」があり、ソニー・コンピュータエンタテインメントのことを指す。 プレイステーション(ソフト) - プレイステーション2(ソフト) - プレイステーション3(ソフト) カテゴリ: 出典を必要とする記事 | プレイステーション | 1994年のコンピュータゲーム |
[ 87] プレイステーション - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
