ベルリンとは?
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この項目ではドイツの都市について記述しています。その他の用例についてはベルリン (曖昧さ回避)をご覧ください。 ベルリンは、1871年のドイツ帝国成立から1945年の第二次世界大戦の終結まで、ドイツ国の首都であった。戦後の冷戦時代には東西に分断され、東ベルリンは旧東ドイツの首都、西ベルリンは事実上旧西ドイツの州の一つ(名目上は米英仏共同管理区域)であった。1990年の統一以降は、再び統一ドイツの首都となった。ドイツ最大の都市であり政治の中心地であるが経済の中心地はフランクフルトとされる。 ベルリンは、ドイツ東部の平原(北緯52度31分、東経13度24分)に位置し、周りをブランデンブルク州に囲まれている。面積は約890平方キロメートル、人口は約340万人(2005年11月)である。市の中央を東西にシュプレー川が流れており、テーゲル湖などの湖を擁している。 ベルリン・ミッテ区 (Berlin-Mitte) 「ミッテ」は「中央」の意味で、日本風に言うと「中央区」に当たる。 ベルリンという名称が歴史的文書で最も古く遡れるのが1244年である。1448年にはブランデンブルク辺境伯がブランデンブルクからベルリンに宮殿を移した。1701年にプロイセン王国の首都となった。 1871年にプロイセン王国の王都かつドイツ帝国の首都となった。ビスマルクの外交手腕とオーストリア・ハンガリー帝国の凋落とによって、ベルリンはヨーロッパにおける国際政治の中軸となる。1880年代には日本の文豪森?外が留学したことでも知られている[1]。 第一次世界大戦でドイツ帝国は崩壊し、戦後はヴァイマル共和国の首都となった。ベルリンはなおもヨーロッパの芸術・学問の中心として栄えた。その一方でベルリンは政治的に「赤いベルリン」の異名を持つ共産主義の牙城であり、ヒトラー政権成立直前の1932年11月の選挙ではドイツ共産党がベルリンで投票総数の31%を獲得して単独第一党となった。1933年にナチスが政権を奪取し、ベルリンはそのゆがめられた政策によって文化が衰退する。そして第二次世界大戦ではアドルフ・ヒトラーの最後の戦場となり徹底的に破壊された(ベルリンの戦い)。 第二次世界大戦後、ベルリンの周辺地域はソ連の占領地域となったが、ベルリンはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連によって周辺地域とは別に分割占領され、西側3か国占領地域はソ連占領地域の中に位置する飛地西ベルリンとなった。1948年にはソ連が西ベルリン封鎖を行ったが、西側は空輸作戦でこれに対抗した。 1949年に東西ドイツが分裂して独立し、ソ連占領地区はドイツ民主共和国の首都東ベルリンとなり、西側3か国占領地域はドイツ民主共和国の中の飛び地のまま、形式的には米・英・仏の共同信託統治領ながら、実質的にはドイツ連邦共和国が主権をもって実効的に統治する西ドイツ領となった。西ドイツ本土と西ベルリンは空路または直通専用道路で往来が可能だったが、形式的には西側三カ国の管理下に置かれたため、テーゲル空港など西ベルリンの空港への乗り入れは米・英・仏の航空会社のみが認められ、ルフトハンザの乗り入れは禁止されていた。 スターリンの死から3か月後の1953年6月、東ベルリンで、直接的にはノルマ引き上げなどを理由とする大規模な反政府デモが起きたが、人民警察とソ連軍によって鎮圧された(ベルリン暴動)。西ベルリンの主要な道路であるシャルロッテンブルク通りはこの事件を機会に「6月17日通り」と改名された(6月17日は暴動鎮圧の日で、旧西独はこの日を「ドイツ統一の日」とした)[2]。 東西ドイツの国境が封鎖された後も東西ベルリンの間だけは往来が自由であったため、ベルリン経由で東ドイツから西ドイツへ脱出する人が続出した。労働人口の流出を恐れた東ドイツ政府は1961年8月13日に東西ベルリンの境界線を封鎖。後には西側占領地区と東ドイツとの境界線上にベルリンの壁を建設した。この時代のベルリンは、東西冷戦の最前線であった。1989年11月9日、東ドイツ政府は東西ベルリンの境界線を解放し、ベルリンの壁は崩壊した。 1990年10月3日には東西ドイツが統一し、1991年には東西統一ドイツの首都と定められた。以降、東西に分断されていた道路網や地下鉄も含む鉄道網といった、交通網の東西直結工事が行われ、インフラ整備や再開発が旧東ベルリン地区を中心に進行した。また、再度首都と定められて以降、ボンからの連邦政府諸機関の移転も漸次進められた。首都機能移転は2001年5月2日に完了し、現在では再度、名実ともにドイツの首都となっている。 ベルリンの壁が撤去され市内中心部には広大な空き地が出現した。その一つであるポツダム広場は再開発され、巨大なビジネス・商業エリアになっている。ベルリン東西分断まで最も賑わっていたウンター・デン・リンデン通りの代わりを自然に担わされたクーダム通りは、ベルリン統合・再開発後、皮肉にもその座を追われ、東京で言うところの銀座の様なポジションに落ち着いている。 空港は旧西ベルリン地域のベルリン・テーゲル国際空港とテンペルホーフ空港、旧東ベルリン地域のシェーネフェルト空港がある。シェーネフェルト空港はかつてのインターフルクの拠点であるが、拡張されてベルリン・ブランデンブルク国際空港となる予定で、その際にテーゲル国際空港は閉鎖される見込みである。 鉄道は、ベルリン地下鉄のUバーン(ウーバーン)、都市近郊電車のSバーン(エスバーン)、旧東ベルリン地域の路面電車(トラム)が運行されている。長距離列車は、ドイツ国内各地へのICEやインターシティ、パリ、ウィーン、東欧各国への列車が運行されている。東西分断時代は、西側がツォー(Zoo.動物園)駅、東側は東(Ost)駅がターミナルとなっており、2つのターミナルが併用されていた。2006年5月、東西のターミナルを統合した新しいベルリン中央駅が完成し、営業を開始している。 ベルリン・オリンピアシュタディオン(Olympiastadion Berlin)(オリンピックスタジアム、ブンデスリーガ1部・ヘルタ・ベルリンのホームスタジアム) フリードリヒ・エーベルト(息子) (Friedrich Ebert (Sohn)) (1948年 ? 1967年)ヴァイマル共和国初代大統領フリードリヒ・エーベルトの息子。 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めとする、幾つものオーケストラや歌劇場を抱えている。欧州では、ウィーンなどと並ぶクラシック音楽の中心都市ともなっている。 ベルリンの特徴の一つがナイトクラブを核としたアンダーグラウンド・シーンである。壁の崩壊後から、欧州各地から若手アーティストが続々とベルリンへ集まってきており、今日ではロンドンに対等するヨーロッパ随一のクラブシーンとなっている。市内には220を超えるナイトクラブがあり、交通機関が24時間運行する週末の夜にはクラブからクラブへ渡り歩く多くの若者を目にすることが出来る。その形態は豪華な内装がほどこされたポッシュなものから、倉庫跡地を利用したものまで様々である。入場料はほとんどのクラブが10ユーロ以下で、日本や他の欧州都市と比べても安い。また、営業時間も多くが23時前後から朝の9時ごろまでオープンしている。 特にテクノミュージック(現地ではElectro,House music 等に分類されるが、ここでは総称してテクノとする)においてはは世界のテクノミュージックシーンの牽引役となっている。人気のテクノクラブとしてWatergate, Berghain/Panorama bar, Weekend club,そして2年間の休止を経て2007年春に再オープンした圧倒的人気のTresorがある。 また近年サルサダンスも根強い人気を見せている。多くのサルサクラブで無料または格安の初心者レッスンが開かれ、サルサ人口の増加を促進している。 日本と比べても、その規模は"夜遊び"の枠を超えており、ナイトクラブはベルリン文化の重要な一役を担っている。 ベルリン・ブランデンブルク放送(RBB) - 旧名「自由ベルリン放送(SFB)」。2003年より改名。 2006年ドイツ FIFAワールドカップの開催都市の一つであり、オリンピアシュタディオンにて決勝戦が行われた。 ^ なお、この通りはちょうど東西ベルリンの境界となったブランデンブルク門を境に、名前が変わる。東ベルリン側にあたるのが有名なウンター・デン・リンデン通り。 ザクセン | ザクセン=アンハルト | ザールラント | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン | テューリンゲン | ニーダーザクセン | ノルトライン=ヴェストファーレン | バイエルン | バーデン=ヴュルテンベルク | ハンブルク | ブランデンブルク | ブレーメン | ヘッセン | ベルリン | メクレンブルク=フォアポンメルン | ラインラント=プファルツ カテゴリ: ドイツの主要都市 | ヨーロッパの首都 | 夏季オリンピックの開催都市 | ベルリン |
[ 26] ベルリン - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3
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250名のベルリン在住の子供たち/ロイストン・マルドゥーム(ダンス・ユナイティッド振付師)/スザンナ・ブロウトン(共同振付)/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)/ サー・サイモン・ラトル(指揮) 監督:トマス・グルベ+エンリケ・サンチェス・ランチ/撮影:レネ・ダメ+マルクス・ウインターバウアー/録音:パスカル・キャピトラン+ミヒャエル・ラウベ/編集:ディリク・グラウ+マーティン・ホフマン/音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー≪春の祭典≫/タイトル曲:ウィキッズ「Versteck dich nicht」/製作:ウヴェ・ディレクス+トマス・グルベ+アンドレア・ティロ《スタッフ》 2004年ドイツ映画/カラー/1:1.85/ドルビーSRD/全6巻(2,894m)/上映時間:1時間45分/日本語字幕:石田 泰子/C2004BOOMTOWNMEDIA/文部科学省選定(少年・青年・成人・家庭向)/提供:セテラ・インターナショナル+ジャパンケーブルキャスト/協賛:ドイツ銀行グループ/後援:ドイツ連邦共和国大使館/配給:セテラ “子供たちに、もっとクラシックの楽しさを感じてもらいたい”それはサー・サイモン・ラトルの呼び掛けから始まった。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者そして芸術監督に就任したラトルは新たな活動として「教育プロジェクト」を発足し、その一環で子供たちがバレエ曲を踊る「ダンスプロジェクト」を始動させる。 出身国や文化の異なる250名の子供たちが6週間に及ぶ猛練習を経て、ベルリン・アリーナの大舞台に挑んだ!それまでクラシックに全く縁がなく練習にも身が入らなかった子どもたちが、振付師ロイストン・マルドゥームの熱い指導のもと、20世紀を代表するバレエ音楽《春の祭典》の強烈なリズムと一体になり、舞台の上で今まで探せなかった「自分」を見つけて行く--! 2004年2月ベルリン映画祭のワールドプレミアで、観客を熱狂と感動の渦に巻き込んだドキュメンタリー『ベルリン・フィルと子どもたち』が遂に日本上陸! 財団法人児童健全育成推進財団より「児童福祉文化賞推薦作品」に選定され、5月13日(金)に授賞式が行われました。 サイモン・ラトルとロイストン・マルドゥームの二人に、教育プロジェクトの≪春の祭典≫を行ったことに対して、ドイツの教育・カルチャーとしては最も権威のあるシラー賞が授与されることが決まりました。 サイモン・ラトルは教育者に対し贈られるコメニウス賞を受賞しました。受賞理由は、『若者に対しての模範的で情熱的な文化と芸術の仲介者となったこと、その業績に対して』です。賞金2万5千ユーロが授与され、ラトルは授賞式において、この賞金をヴェネズエラの二人の男性、ジョゼ・アントニオ・アベロ氏とウィルフリード・メール氏に贈呈することを発表しました。この二人は、祖国ヴェネズエラにおいて、何十年も音楽の社会的プロジェクトに携わり、若者の音楽教育に携わっている方々です。 |
[ 27] ベルリン・フィルと子どもたち:セテラ・インターナショナル
[引用サイト] http://www.cetera.co.jp/library/bp.html
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ベルリンはドイツ国内の他の都市と異なり、行政区分上ベルリン市そのものが単独で一つの州を構成している。町の成立は古く、13世紀半ばまでさかのぼる。元々はドイツの一地方都市だったが、19世紀後半にドイツ帝国の首都となって以後ドイツを代表する都市へと成長し 、その後もワイマール共和国(20世紀はじめ)ナチスの第三帝国(同)の時代を経て第二次大戦終結に至るまで、ベルリンはドイツを代表する都市として、一貫して首都でありつづけてきた。 第2次大戦後、一旦はソ連が全域を占領したが、その後アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国による分割占領となり、1949年に東西ドイツが分裂してからは、東側のソ連占領地区が旧東ドイツの首都「東ベルリン」に、また西ベルリンは西ドイツの飛び地として存続するという、極めて変則的な統治形態を取ることとなった。1948年のベルリン封鎖の折には、ソ連の西ベルリンへの包囲網に対抗して西側諸国が空輸作戦を展開し、これは東西冷戦が生んだ歴史上の有名なエピソードの一つとして今でも広く知られている。東西ドイツの国境封鎖後もしばらくは東西ベルリン間の往来が自由に行えたため、西ベルリン経由で西ドイツへと亡命する人が後を絶たず、このため東ドイツ政府は労働人口流出を食い止める目的から1961年に東西ベルリンの境界線を封鎖、西ベルリンと東ドイツとの境界線上に壁を建設して物理的な分断を図った(いわゆる「ベルリンの壁」)。 その後も長い間東西分断の時代が続いてきたが、1989年11月に民主化運動に伴う一連の動きからもはや従来の統治形態を維持できないと悟った東ドイツ政府により、東西ベルリンの境界線が解放され、ベルリンの壁が崩壊、そして1990年10月に東西ドイツは遂に統一を果たし翌年ベルリンが再び東西統一ドイツの首都となった。 ※気象庁の世界の気象統計データや『理科年表』(国立天文台編、丸善刊)、他国の気象局などのデータをもとに作成。 日本からベルリンへの直行便はないので、フランクフルトやアムステルダムなど、日本からの国際線が就航しているヨーロッパのハブ空港から乗り換え便を利用することとなる。市内及び近郊には以下3つの国際空港があり、いずれも郊外電車 (Sバーン) や地下鉄 (Uバーン) で市の中心部と結ばれている。 ヨーロッパ各地やドイツ国内の主要都市からの飛行機の大半がここに到着する。空港から市内中心部のツォー (Zoologischer Garten) 駅へX9番(直通)と109番(クーダム経由)のバスが接続しており、20分?30分で駅まで行くことができる。タクシーを利用する場合は市の中心部まで約20分、料金は15?程度。 近隣諸国の主要都市や国内主要都市とICE (インターシティ・エクスプレス) で結ばれている。ICEはすべてベルリン中央駅 (Hauptbahnhof) から発着している。中央駅の地下階にICEやREなどの中長距離路線が到着し、上層階にSバーンが到着する。タクシー乗り場は地上階の駅出口にある。駅構内には多数の飲食店やショップがあり、ちょっとしたショッピングモールに近いので便利。公衆トイレは有料で、0.80ユーロかかる。 交通の要衝であるので、国内外多くのバス会社がバス便を出している。ヨーロッパの350以上の町からベルリンへ向かうバスがある。長距離バスは、シャーロッテンブルクにあるセントラルバスターミナルに到着する。 ベルリン市は公共交通機関が非常に発達しており、見所のほとんどすべてがこれでカバーできる。公共交通機関の利用にあたっては、「ベルリン・ウェルカムカード」 (右の画像) が便利 (各駅の窓口などで購入可能)。利用開始時に刻印した時刻から48時間有効のもの (16?) と72時間有効のもの (22?) があり、有効期間中ベルリン市内と隣のポツダム市内の公共交通機関が全て乗り放題になる。乗車時にいちいち切符を購入・改札する手間が省けるほか、小刻みな移動にも非常に便利であり、利用の仕方によっては半日くらいで十分元が取れてしまう。また、カード購入時に一部の博物館やレストランなどの割引クーポンが付いた小冊子をもらえるので、こちらもうまく利用するとさらにお得になる。なお、利用にあたっては最初に改札機で利用開始時刻を刻印する必要がある (時刻の刻印がないと、持っていても不正乗車扱いになるので注意)。 近郊型電車のことで、東京で言ったらさしずめ山手線や京浜東北線、総武線といったところ。ベルリン市内とポツダムなどの近郊をカバーする。駅間は地下鉄 (Uバーン) に比べるとやや長いが、基本的に地上を走るので、周りの景色を楽しめるし、土地勘もつかみやすい。路線が市内に縦横に張り巡らされており、他の線への乗り換えポイントも多数設けられているので使い勝手もものすごくよい。なお、旅行者にはあまり縁がないかもしれないが、Sバーンには一部の車両に自転車をそのまま持ち込める専用スペースが付いており、サイクリングの目的地までのちょっとした移動にも使うことができる。 市内を中心に路線が発達している。Sバーンに比べて駅間が短い分、より目的地に近い所での乗降が可能。切符はゾーン制になっており、移動する駅数によって料金が異なってくる。 バスも移動には便利な手段。主なバス停留所には、次に来る路線と待ち時間が電光掲示板で表示されている。どの路線でもほぼかならずSバーンやUバーンの駅と結節しており、乗車券もそれら他の公共交通機関との共通券となっている。鉄道機関の代替手段として使えるほか、それら鉄道がカバーされていない地域の移動にも使える。 深夜の移動や荷物の多いとき、また目的地まで時間をかけずに移動したいときなどはタクシーがお勧め。初乗りは2.5?。ベルリンの中心部は比較的コンパクトにまとまっているので、市内での移動であれば4?~20?くらいで足りる。 ベルリンには、ミッテ (Mitte) の東側、シュプレー川の中洲の一部に「博物館島 (Museumsinsel)」と呼ばれる地区があり、そこに旧博物館 (Altes Museum)、新博物館 (Neues Museum)、旧ナショナルギャラリー (Alte Nationalgalerie)、ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)、ボーデ美術館 (Bode Museum)といった、ベルリンを代表する5つの博物館・美術館がまとまって建っている。また、それらの博物館・美術館を観て回るための共通入場券も発売されている。 かつてベルリンが城郭都市だった頃に作られた18の門のうち現存する唯一のもの。ベルリンが東西に分断されていたころは門の西側のすぐ脇をベルリンの壁が通り、西側からの通り抜けはできなかった。かつて「分断の象徴」として語られていた門も、壁が崩壊し、自由に通り抜けのできる今では「統一の象徴」として市民に親しまれている。このように歴史の流れとともにときに正反対の顔を見せてきた門であるが、ベルリンを代表する象徴的な建築物でありつづけていることに変わりはない。 所在 Sバーン・フリードリッヒ通駅、ウンター・デン・リンデン駅などから徒歩で。また、近くを100番のバスが通っている。 博物館島の入り口に建つプロテスタント系の大聖堂。ごく普通に現役の教会として使われており、中で結婚式やミサなどの式典が行われていれば(そしてもちろん運がよければ、ではあるが)、内部でパイプオルガンの荘厳な音色を楽しむこともできる。起源は16世紀はじめに建てられたゴシック様式の建築物だが、これまでに3度ほど建て替えが行われており、その度に姿を変えてきた。現在のような形になったのは1905年。これまでの建物の変遷の様子を2階の資料展示室にある模型で追うことができる。また、細い階段を上ってドームのてっぺんに登ることもでき、上からはベルリン市内を一望できる。 かってのプロイセン帝国時代の議事堂であり、現在は(東西統一後の)ドイツ連邦共和国の議会議事堂である。英国人建築家のデザインによる透明ドームが追設され、新たな観光スポットになった。世界で最も見学者が訪れる議事堂であり、1時間待ち覚悟の行列になっている。ただし、高齢者や乳児連れなどは行列待ちしなくて済むように係員が別途誘導してくれる。正面入口で(空港と同様な)セキュリティチェックを受けて、エレベータで見学階に案内される。入構時に貰うパンフレット(ドイツ語または英語)に屋上からのベルリン展望が写真で説明(ドイツ語と英語で併記)されている。晴れの日には絶景であり、記念の写真撮影にはぴったり。トイレやカフェもあり。警察もいるが緊迫感は無いので、リラックスして観光できる。。また、透明ドーム内には帝国議会から今日の連邦議会までの歴史がパネルで説明されている。透明ドームには螺旋状の階段(上りと下りは別)で上っていくが、傾斜がきつくないので意外と楽。最上層ではベンチが有るので休息可能。ガラス張りの透明ドームに加えて、ドームの中心部の鏡張りの建築構造も素晴らしい。 まだベルリンが壁で東西に分断されていたころ、東西の往来のために用意されていた数少ない検問所のひとつ。当時は東側に入るのには煩雑な手続きが必要で、東西ベルリン間の移動自体が(ややマニアックな)旅行のアイテムとして成立し、紹介もされていた。今は当時を偲ばせるような検問の小屋と標識が立っているだけで、もちろんのことまったく自由に往来が可能。検問小屋の近くでは東西の軍服を着た2人のお姉さんが観光客の求めに応じて写真に入ったり、当時使われていた出入境スタンプをノートに押したり、といったような商売が行われており、まさに隔世の感がある。 冷戦当時、それ自体が壁によって分断されていた建物(おそらく)を改装し、壁の形成から崩壊まで、共産主義国の民主化の動き、壁を越えて西側に脱出するためにどのような手段を用いたか、など、壁にまつわるさまざまな出来事を、当時の写真や実際に脱出に用いた道具などを用いて解説している資料館。東側の人々が、自動車のエンジンルーム、旅行トランク、アクアラング、モーターグライダー、サーフボード、地下トンネル・・・など、ありとあらゆる手段を用いて西側への脱出を図ったことが展示物から伺える。また、脱出途中で命を落とした人を説明したパネルもある。まず間違いなく、ベルリンの観光スポットでは一番おすすめできるスポットの一つ。展示物を見ながら、共産主義社会の逼塞した状況の中で、人々がいかに貪欲に自由というものを求めていたのかということについて深く考えさせられる。 博物館島の中にある、古代バビロニアやイスラム文化、古代ギリシャなどのテーマを中心に扱った博物館。巨大な建物の中に古代バビロニアの城門とそれに続く道、古代ギリシャの神殿などが再現されている。そのスケールや展示内容からしても一見の価値あり。日本語のオーディオガイドがあるので是非利用したい。 博物館島内にある美術館。「旧」と付いているのは、新ナショナルギャラリーがポツダム広場付近に開館したため。新館が企画展中心なのに対して、こちらは常設展が中心となっている。主にドイツ出身の画家の作品が多いが、印象派などポピュラーな作品も一部展示されている。なお余談だが、この美術館内でよく社会科の教科書や参考書に載っている、哲学者ヘーゲルの肖像画を見ることができる。 ツォー駅近く、クーダムの入り口付近にある教会。ドイツ初代皇帝ヴィルヘルム1世を記念して19世紀末に建てられたもので、ベルリンが東西に分断されていた当時は、西側の象徴的な建物だった。戦争の悲惨さを訴えるため、(広島の原爆ドームと同じように)第二次世界大戦中の空爆で屋根が破壊されたままの状態で保存されている。旧教会の隣には、八角形の独特な形をした新教会が建っている。 大学など教育機関への本格的な留学をはじめ、語学留学など、ベルリンでは当地で「学ぶ」ための多彩なコースが用意されている。語学留学は、短期集中、長期、学生向け、ビジネスマン向け、試験対策などからドイツ語学習&ダンスレッスンといったようなものまで、実にさまざま。また、日本の斡旋機関では、語学学校の紹介と共に宿泊施設の斡旋なども行っている。詳細についてはこちらのページなどを参照。 ドイツでは日本との間でワーキングホリデーの協定を結んでいるので、働きながら最長で1年間、ドイツ国内に滞在することができる。この制度を利用して、ベルリンで就労することも可能。ただし、具体的な就労場所をどのような形で斡旋しているかなど、詳細については不明。 かつてベルリンが東西に分断されていた頃の東側の目抜き通り。ブランデンブルク門から東に向かってのびる1.5kmほどの菩提樹 (Linden Baum) の並木道であり、通りの名前はそれに由来する (ただし現在の菩提樹は戦災で焼けたものを戦後植え替えたもので、通りを覆うような巨木の並木を期待して行くと多少がっかりするかもしれない) 。通りに沿って歴史的な建造物が多く並んでおり、観光客も多く訪れる。また統一後はおしゃれなブティックやカフェ、ショッピングモールなどが作られ、名実ともにベルリン一の目抜き通りとなっている。 こちらはかつての西ベルリンを代表する目抜き通りであり、通称は「クーダム」。カイザー・ヴィルヘルム教会から西に向かってのびるポプラの並木道であり、通りに沿っておしゃれなブティックやカフェ、レストランなどが立ち並ぶ。周囲の見所の多さではウンター・デン・リンデンのほうが勝っており、「ベルリン一」の地位はあちらに奪われてしまったような感があるが、ベルリンを代表するショッピング街であることに変わりはない。なお、Zoo駅始発の109番バスを使うと移動に便利。Zoo駅周辺が最も賑やかで、西に向かうと真ん中辺りはさびれた感じになる。さらに西に進むと静寂な雰囲気になるが、そこは高級ブランド店が集結しているのがクーダムの概要。 最近の観光ガイドではクーダムに代わって高級店が並ぶベルリン随一の繁華街と書かれているが、まだまだクーダムの方が勝っている印象。とはいえ、フリードリッヒ通りには高級ブランド店も続々と進出しており、ショッピングモール(あまり大したものではない)も営業開始したことから商業開発の目玉であることは事実。クーダムと違って狭い通りなのが玉に疵か?ミッテ地区の華。 複数の建物の中庭 (Hof, ホーフ) からなるショッピングゾーン。中庭が有機的につながったプランは迷路のようで楽しい。中には小さなアパレルショップやレストラン、映画館などが入っている。"小さな個性的な店" が集まるのがウリだが、現在は若干観光向けな気もする。旧東ベルリンで使われている信号機のキャラクターショップアンペルマン・ショップもこの中。 世界最大級の百貨店。欧州ではハロッズ(イギリス/ロンドン)と双璧をなす規模と内容。フロアガイドには日本語版の冊子が有るので参照すればいい。基本的には日本の大型百貨店と同じ。免税手続きもできるので、観光旅行で多額のショッピングをする向きにはパスポートを持参するといい。6階の食品売場ではカウンターが多くあり、その場で食事ができる。7階にはビュッフェ形式のレストランがあるがかなり高価。 フランス系百貨店がフリードリッヒ通りに進出。高級百貨店と名乗る割には(パリと同様に)やや枯れた雰囲気。地元客がブランド服を買うのに便利な程度。地下に食品売場があり、イートインも一部可能。 屋上のベンツのマークが目印。東西冷戦時代に資本主義を誇示するための高層ビルだったそうだが、いまや役目は終えてさびれたショッピングモール。東南アジア的なごちゃごちゃした雰囲気。なお"日本"料理店の「大都会」があるが鉄板焼きであり、寿司・刺身や懐石などの日本料理ではない。 ベルリンにはいろいろな種類の食べ物が揃っており、まず食べるのに困ることはない。レベルも街角のフードストール(屋台)から高級レストランまでいろいろ。歴史的にトルコや中東からの出稼ぎ労働者を受け入れてきたため、トルコ料理や中東料理の店も街中に多くあり、それらのエスニックフードを手軽に楽しむことができる。アジア系では世界の定番である中華料理やインド料理などの店に加え、最近では「Sushi Bar」の看板も目立つようになっている(ベルリン中央駅には回転寿司の店も出店している)。 ベルリンで安くておいしいものを食べようと思ったら、Sバーンなどの鉄道駅(とその周辺)を利用するのも手である。ツォー駅、フリードリッヒ通駅、ベルリン中央駅などの主要駅をはじめ、各駅にちょっとしたフードコートがあり、地元のスナック類やサンドイッチなどの軽食を3~5?程度の手軽な値段で楽しめる。値段の割にこれが結構うまい(当然多少のあたりはずれはあるが)。 焼きソーセージにケチャップベースのソースとカレー粉をかけたもの。多くの場合ソーセージは一口大に刻んである(ソーセージを刻む専用の機械まである)。ドイツ全土でポピュラーなファーストフードだが本場はベルリン。 フィッシュ&チップスというとイギリスとかアイルランド、といったところがすぐ思い浮かぶが、ベルリンで食べるそれもクセになりそうなくらいとてもうまい。イギリスなどと異なり、こちらはフィッシュがナゲット状の一口タイプになっており、それにタルタルソースなどをからませて食べる。チップスもフレンチフライのように細長くなく、皮付きのザックリ切ったポテト。サイズにもよるが、値段は大体3~5?といったところ。 ベルリンの郷土料理の代表格。豚のすね肉を塩漬けでハーブとともにじっくりと煮込んだもの。あっさりした塩味にトロトロにやわらかく煮込んだ肉が美味。骨付きなので見かけの大きさに比べて、さほど実際に食べるボリュームは多くはない。塩味がビールと絶妙にかみ合って美味。 ベルリン大聖堂裏のショッピングモールに入っている中華料理のファーストフード店。麺類、ご飯類を中心に、豊富なメニューから選ぶことができる。セットメニューもあり、番号で選ぶことも可能。安い値段でそこそこの中華を楽しめる。パン食に飽きたらたまにはいかが? 牛肉麺をはじめ麺類が手軽に食べられる台湾小吃の店。辛味の牛肉麺をはじめとする麺類の他にも、サイドメニュ?で点心が食べられる。店内は狭いが手軽に食事を済ませることが出来るので便利。 ポツダム広場のダイムラークライスラー・アリアールのArkadenの正面入口の横にある。100種類の世界の地ビールが飲める。ベルリンの地ビールはもちろん、日本のキリン・ラガーなどの銘柄が選べる。アイスバインや農民風オムレツなど、料理も結構美味しい。量は多いので、一人一皿を目安に注文するといいかも。日本語メニューがあって料理内容を把握するのに好都合なので、店員に頼めばいい。ビア・ホールの雰囲気も楽しめる。20時以降は満席に近くなるので、早めに行った方がいい。ちなみ禁煙席は無い。 香港並みの本格的な中華料理。地元客の入りもよく、日本語メニューあり。とにかく料理が豊富な一方で、(中国人コックが多いためか)調理も早い。青島ビールも飲めるし、鮑、鰻や中国野菜に加えて、季節ならば上海蟹すら食べれるほどに食材は豊富。Sバーンのサヴィニー広場駅で下車して、Zoo駅方面とは反対側の階段を下り、右折すれば目の前の交差点の角にある。 ベルリンのローカルビールで通常シロップで割って飲む。ジュース感覚で昼間からカフェで飲む場合が多い。シロップには赤 (Rot) と緑 (Grun) の2種類があり、赤はラズベリー (Himbeer)、緑はヴァルトマイスター (Waldmeister) というハーブのシロップである。甘い。 テーゲル空港の7番出口付近にホテルのインフォメーションボードがある。最初に地域であたりをつけてから、予算などの情報を元にホテルを選び、ボードの受話器を取ると自動的にホテルのフロントにつながる。無料。選択したホテルの情報は印字可能(あとでタクシーの運転手とかに行きたいホテルの位置を説明するのに便利である)。 Sバーン、シャルロッテンブルグ駅から歩いて1分ほどのところにある小さなホテル。「アート」を冠に付けるだけあって、ホテル内にピカソやカデンスキーといった作家の複製(ポスター)がたくさん飾られている。Sバーンの駅から至近距離にあるため、どこに出るにも便利。部屋は狭いが、それさえ我慢できれば清潔でとても快適である。スタッフもフレンドリーで、とてもいい感じのホテル。部屋のタイプに禁煙と喫煙があり、チェックインの際にどちらかをリクエストする。 市内のインターネットカフェは40分1?程度。日本語システムや日本語の表示は使用可能とは限らず、可能であっても、現地のキーボード配列がドイツ仕様であり、アルファベットの配列やキーから打ち込める文字が日本のものとは微妙に異なっている。このため、「@」や「|」など、普段よく使う記号が見つからなかったり、あっても探すのに多少手間取ったりする(それになによりウィンドーズのタグが全てドイツ語なのには面食らう(考えてみれば当然の話なのだが)。 ベルリン市内の鉄道駅内のトイレは基本的に有料。料金は小が0.6?、大が2.1?。また、ツォー駅など大きな駅には、シャワー施設も併設されており、7?ほどでシャワーを浴びることもできる。 ベルリン中心部からポツダムへは郊外電車のSバーン (S7) で約30分。ベルリンから手軽に行ける上、市内の公共交通機関はすべてベルリン・ウェルカムカードでカバーされている。それに何よりもサンスーシ宮殿やそれを取り巻く広大(かつとても綺麗)なサンスーシ公園、ポツダム会議の舞台となったツェツィーリエンホーフ宮殿など、市内に見所が多く、ベルリンからの日帰り旅行としてぜひお勧めの場所。 ICEを利用すればライプツィヒへは片道約1時間15分で着くので、日帰り旅行が十分可能である。見所は市の中心部にかたまっているので、短時間で効率よく回ることができる。旧市庁舎内2階のライプツィヒ市歴史博物館がお勧め。 |
[ 28] ベルリン - Wikitravel
[引用サイト] http://wikitravel.org/ja/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3
