軍団とは?

たけし軍団(たけしぐんだん)は、日本の芸人グループ。ビートたけしの弟子及び弟子志願者の一群を指す総称。1983年に結成。
ただし、『スポーツ大将』(テレビ朝日)での助っ人をはじめ、番組でビートたけし側に関わったメンバーをも含むケースがある。
基本的にはビートたけしの許で芸人修行する者の集団。関わってはいつの間にか消える者も居る為に定数は不定である。
そのまんま東(現・宮崎県知事 東国原英夫)からはじまり、松尾伴内・大森うたえもん・ダンカン・柳ユーレイと弟子が増え、元相棒ビートきよしの代わりのような存在として何かとひとまとめで『テレビに出たいヤツみんな来い』(日本テレビ)・『アイドルパンチ』(テレビ朝日)等に出演したのが始まりである。尚、たけし軍団の名称は『アイドルパンチ』に出演した際にディレクターだった森昌行(現:オフィス北野社長)に付けられたもので、当初「たけしアーミー」とトレーナーに書かれていた。
『アイドルパンチ』では不評であったが、たけし司会の『スーパージョッキー』(日本テレビ)の企画「ガンバルマンズ」に出演し、苦痛を伴うさまざまなゲーム等に身体を張って挑む姿が笑いを呼び人気を得た。必死の体技で笑いを取る路線は、後の『お笑いウルトラクイズ』(日本テレビ)まで一貫している。また、当時の軍団員は殆どが20代であったこともあり、「Duet」などの雑誌に取り上げられるなど一部でアイドル的な人気を持っていた。
その後も弟子志願者が増加したことから、グレート義太夫までの世代とを区別するために、当時人気の路上パフォーマンス集団一世風靡セピアをもじって、サード長嶋までの若手の一団を「たけし軍団セピア」、それ以降を「浅草キッドブラザース」と呼んでいた。現在は、そのような呼称を付けることはなくなっている。
1985年からスタートした『風雲たけし城』(TBS)、『スポーツ大将』(テレビ朝日)に出演する中でたけし軍団の人気は最盛期を迎える。1986年1月には冠番組『たけし軍団!ヒット&ビート』(テレビ朝日)を持つに至る。しかし、同年の12月の「フライデー襲撃事件」により打ち切りとなる。
謹慎が解けて以降は、一時期の人気も無くなり、たけしも映画監督へ情熱を注ぐ中、たけし軍団としての活躍の場は『お笑いウルトラクイズ』『スーパージョッキー』ぐらいとなった。たけし軍団セピアは、水島新太郎が本格的な俳優を志向し太田プロへ移籍。サード長嶋は劇団活動、古田古(ふるたふる)・誰なんだ吉武は破門、大阪百万円・キドカラー大道は別活動を志向し離脱。浅草キッドブラザースは、フランス座での修行で淘汰される中から浅草キッドが誕生した。
2004年10月の『朝までたけし軍団』(テレビ朝日)にて解散を発表。同時に「たけし後援会」にそのまま移行した。2005年1月には『朝まで元たけし軍団』(テレビ朝日)が放送された。
2006年1月、『朝まで元たけし軍団ファイナル』において、たけし軍団2代目リーダーをガダルカナル・タカが襲名(2006年5月19日放送のテレビ東京「たけしの誰でもピカソ」では、たけし自ら「総裁になった」と話した)。
しかし、個々の芸人の集まりで定義もないたけし軍団で解散・移行・リーダー変更などの話題は全てシャレで行われていると思われる。
野球好きのたけしの発案により、たけしと軍団員で構成する草野球チームを結成。チーム名は同じく「たけし軍団」。当初、神宮草野球場での「茜リーグ」に所属して早朝野球に参加していた。『スポーツ大将』では、アマチュア最強とも噂される強豪でノンプロ選手が参加する「東京ファイターズ」や、業界最強と言われたアパレルブランドNICOLEのチームに勝利するなど強い相手ほど勝負強くなる特性を見せた。その反面決して「茜リーグ」で強豪とはいえない水島新司率いる「ボッツ」には相性が悪く負け越す事が多かった。スクウェア製作のゲーム「日米間プロ野球」では、たけしが監督として登場し、軍団員(井手らっきょ・つまみ枝豆など)も選手として登場する。
1987年、そのまんま東・大森うたえもん・つまみ枝豆・ガダルカナル・タカの4人で「たけし軍団COUNTDOWN」というユニットを組みレコードを出していたこともある。
尚、その他のメンバーは音源リリースは見送られたものの、松尾伴内・ダンカン・柳ユーレイ・ラッシャー板前・井手らっきょで「たけし軍団IMAGEDOWN」が存在していた。
水島新太郎とサード長嶋は「おぼっちゃま」として思わしい結果ではないが本格的な歌手活動を行い、コンサート専用ユニットとして、キドカラー大道・誰なんだ吉武の「ザ・ボーヤ」、大阪百万円・古田古・グレート義太夫の「The KITANAI」があった。
タレントなど(特にお笑い系)による不祥事が起きると「"たけし軍団”入りで再出発か」というネタのような話がよく出てくるのも特徴である。こういった話が出るようになったきっかけは、素人時代のなべやかんが明治大学替え玉受験事件で騒がれた後、1991年にたけしが半ば引き取る形で軍団に加えたことだと見られる(一説には、やかんの父親なべおさみの依頼と言われる)。体育会系的な上下関係の厳しさなどから、不祥事を起こした者の根性を叩き直すのにもってこい、というイメージも存在すると見られる。
田代まさしが不祥事を起こした際も軍団入りの噂が出た(たけしも田代を軍団に入れようかと考えていたらしい)。だが、彼に判決で実刑が下された為、「あんな野郎に関わりたくはない」とたけしがコメント、田代の軍団入りは実現していない。山本圭一が不祥事を起こした際には東京スポーツ紙にて「みそぎを済ませたらウチへ来い」とたけしが発言。芸名まで提案をしていた。また、議員との不倫で騒がれた山本モナが、たけしの事務所であるオフィス北野に所属をしている縁で『お笑いウルトラクイズ』で芸能活動を再開した例があり、この時も「山本モナ、たけし軍団入りか?」などとマスコミを賑わせたことがある。
それ以前には水島新太郎(漫画家・水島新司の息子)が芸能界を志向した際に「軍団で修行したらどうか」と提案したのが始まりである。
たけしに弟子入りしてまず任される仕事は、たけしの付き人兼運転手だとされる。この役目は大変な重労働だったといわれており、正式に軍団入りした人物のほとんどが経験した。特にたけしがピン芸人としてのピークを迎えていた1980年代は多忙さから過酷を極めたといい、当時の付き人たちから複数の関連証言がある。特に松尾伴内が2日間(一説には3日間)にわたり不眠不休でたけしの送迎を務めた際、帰宅後疲労のあまり「テレビや冷蔵庫などの家電製品から話しかけられ、慰められた」というエピソードは有名である。
軍団内の上下関係は厳しいが、師弟や軍団員の連帯感は非常に強く、「フライデー襲撃事件」ではたけしと行動を共にし、たけしがバイク事故で重傷を負った際にはメンバーの外出先まで押しかけていき連絡リレーを行った。
フライデー襲撃事件の謹慎期間中に軍団員が書いた作品集。ダンカンはバイク小説、義太夫はロック小説、東は幻想小説、参加しなかったラッシャーはその理由となった痔の手術の体験談を執筆した。

[ 172] たけし軍団 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97%E8%BB%8D%E5%9B%A3



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