内田とは?
|
今回はありものタイトルを使ってみようと思って、「村上春樹でつかまえて」とか「村上春樹が止まらない」とか「村上春樹はまた昇る」とかいろいろ考えたのですが、これになりました。 『冬ソナ』が実は複式夢幻能の構成になっていて、それが実は『羊をめぐる冒険』と説話論的に同型であるというような、ふつうの文芸評論家があんまり書かないような話ばかりです。 甲南麻雀連盟総長と例会フルエントリーの"炎の雀士"が麻雀のあいまに合気道とラグビーについてワインを飲みながら語った、おっとこれはびっくりそうきたか対談。『私の身体は頭がいい』(文春からボーナストラック付きで文庫化)と併せて読むと、あなたは私がワンツースリーと言ったら、もう合気道をやらずにはいられなくなるいられなくなるいられなくなる・・・ 思えばこの本がヤマちゃんとの長いご縁の始まりでありました。今読むと「何言ってやがんの」的暴言失言が怒濤のごとくあふれていますけど。銀色夏生さんのほっこり解説付き。銀色夏生さんとグリルみやこでビーフカツレツを食べた話が出て来ます。 文庫化にあたって岩波書店の「身体をめぐるレッスン」に寄稿した「複素的身体論」ほか、単行本刊行以後の身体論をまとめてボーナストラックとして収録しました。平尾剛さんの「熱い」解説付き。単行本持っている人も買わなくちゃね。 鈴木晶先生との「インターネット往復書簡」。これを書いているころはまだけっこうのんびりしていたし、お相手が人生を楽しむ達人鈴木先生なので、ゆるやかな「大人気分」が横溢している。今ではこういう穏やかな文章はもう書けない(泣)。 土曜日は武者小路千家の若宗匠である千宗屋さんをお迎えして、「茶道・武術・舞踊−身体性の教育を探る」が本学講堂において開催された。 学内外で数日前から「チケットないですか」という悲痛な声が行きかうプラチナチケット状態になったのである(入れなかったみなさん、ごめんなさい)。 最初は2004年の4月に鎌倉の鈴木晶先生のお宅で「鈴木先生のお家を、歩いて二分のところにお住まいの高橋源一郎さんと一緒に急襲して、鈴木先生の手作りのごちそうを食べ散らして、ワインセラーのワインを飲み倒す」会(略称「飲み倒す会」)をしたときのことである。 高橋さんがシャンペンのマグナムボトルを持って登場されたときにBBQに飛び入り参加されたのが高橋家に仕事の打ち合わせに来ていた加藤典洋さんと、たまたま遊びに来ていたお嬢さんの橋本麻里さんと、そのお友だちの千宗屋さんであった。 鈴木晶・灰島かりご夫妻に高橋源一郎、加藤典洋、橋本麻里、千宗屋そして私という今にして思うともう一度全員のスケジュールを合わせることのまことに困難なメンバーによる一期一会的BBQであったが、そのときはそんなこととはつゆ知らず、鈴木先生の作る美味しい料理を貪り喰い散らし、「ここだけの話だけどさ」「え・・・!そうなんですか、あの人って・・・」というような文壇論壇「ここだけの話シリーズ」に深更まで打ち興じたのである(おもしろかったなあ)。 このときの企画者は橋本麻里さんで、比叡山が地元(天台宗の僧侶でもある)の千さんに根本中堂をご案内いただいた。 ご一緒したのは、茂木健一郎さん、杉本博司画伯、ギャラリー小柳の小柳敦子さん、上智大学の黒川由紀子さん、デザイナーの原研哉さんと私。 半年ほど前にトークセッションのゲストを探しているんですよという話をしたときに足立さんから「千宗屋さんはどう?」と言われたのである。 言われてみて「おお、それはグッドアイディア」と膝を叩いて、すぐに橋本さんから千さんのアドレスを伺ってメールを送ったところ、ご快諾いただいたのである。 ご快諾の理由には、千さんのお姉さんが本学人間科学部の卒業生、お父さんが評議員をされていたという因縁もあったのである(昨日千さんから教えていただくまで知らなかった)。 まず、千さんにキーノート・スピーチをしていただいてから、後半は四人でのトーク・セッションという構成。 私は茶道についてはまるで素人であるが、この伝統文化もまた「共−身体」を構築するための高深度のコミュニケーション技術であるということを知って驚嘆したのである。 そのことは千宗屋という人物自身がそこにいることで座の親密性と緊張感が同時に高まってゆくという事実によって聴衆全員にはっきりとご理解いただけたのではないかと思う。 朝日新聞社ならびに裏方の職員ご一同さま、お手伝いしてくれた学生諸君、懇親会を盛り上げてくれた甲南合気会の諸君、そしてフレンドリーなオーディエンスのみなさまに主催者を代表して(私に代表権はないのであるが)心よりお礼を申し上げたい。 学生相手に笑い話をしているうちに基礎ゼミはあっというまに終わり、専攻ゼミのためのご案内のあとは、入試委員会、学務委員会、人事委員会、合否判定教授会、教授会、人事教授会、ヒミツの会議と7連荘。 帰り道でイカリに寄って鶏肉と野菜と豆腐としらたきを買って、池上先生からいただいたきりたんぽを鍋に仕立てて食べる。 少子化による大学淘汰を生き延びるための仕事や文科省や大学基準協会の課すペーパーワークは外的理由である。 会議の80%(もっとかもしれない)の時間は「大学が組織体として何をしようとしているのか」についての学内合意を形成するために費やされている。 その会議で新しいアイディアや有用なアイディアが「生まれる」という意味で生産的なのは構成員4人以下の会議までである。 5人以上の会議では「すでに存在しているアイディア」を周知させ、合意形成させるための「手続き」に参加者の時間とエネルギーの過半を取られて、そこで新しい星雲状態のアイディアが生まれるということはほとんど期待できない。 そして、「生産的な会議は4人まで」の原則に従って、この案の起案作業にかかわったのはどのような規模の組織の場合でも、あまりたくさんはいない。 「そこではじめて話を聞いた人間」は「そんな話、ぜんぜんきいてない」ところで根回しが済んでいるという事態に不快感を覚える。 でも、自分は「シャンシャン大会」で挙手をさせられただけだという印象を持っているから、そこで決定された事業に主体的にコミットしてゆこうという意欲は希薄である。 だから、「意見聞かれてないし・・・」と思っている人の数は、ざっくり言えば、「組織構成員数マイナス4」という公式で得ることができる。 全学的な事業が機関決定されながら、なかなか前に進まないのは「自分に責任がない」と思っている人間たちの数が多いせいである。 この事態を回避するためには、起案部門では会議に先立って「ひろく意見を聞く」という仕事をしなければならない。 実際には、起案に要する時間と会議に要する時間以上に、このヒアリングに時間とエネルギーは割かれている。 だが、それをここで公開してしまうと、学内における合意形成がさらに困難になるので、書くわけにはゆかないのである。 昨日の教授会の議論を徴する限りでは、「同僚の数が増えることによって仕事の負荷が軽減する」ということを自明としている方が多かったようである。 現に私たちの心身をすりへらしているのは教育活動でも研究活動でもなく、同僚とのコミュニケーションの不調である。 大きくしようと思うなら、上意下達システムにするか、学部を「分社化」するか、いずれかの方法を採るしかないだろうと思う。 さしあたり、現在の制度を維持する限り、教員数を増やすことで仕事の負荷が減るだろうという予測は推論の仕方を誤っていると私は思う。 現にこのようなことを書いて、同僚諸君の心理的負荷を過重にしているのが他ならぬ諸君の同僚であるという当の事実が説の正しさを論証しているとは思われぬであろうか。 |
[ 40] 内田樹の研究室
[引用サイト] http://blog.tatsuru.com/
