訳詞とは?
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オペラでもオペレッタでも外国の劇作品を日本語で演奏するなら、当然どこかの誰かが「日本語訳詞」なるものを製作し、歌手はそれを演奏する。拙者が研究していることは、簡単に言えば「いい日本語訳詞の作り方」であり、まさにどこかの誰かの仕事をしているというわけだ。まあ、どこかの誰かでは面白くないので、今回はこの場をお借りして、訳詞者(拙者の場合)の切なる思いを披露したく存ずる。 劇を外国語で見て聴いて、スッと芝居の中に入っていけますか?字幕を見ながら観劇し、それで満足できますか?役者の一挙手一投足に見入るように、役者の一声にわれらの言語でもってそのつど感動したい、させたい、そんな思いが日本語訳詞上演の存在意義かと存ずる次第である。簡単に言えば「直接意味が分かったほうが、やる方も観る方も面白いだろうが」てな具合。 拙者は「日本語訳詞上演賛成派」であるが、同時にそれを反対したい心も持ち合わせている。なぜなら台本はその作品の理由であるからだ。 ある台本を手にした作曲家が「おおっ、これはオモロイ!!ワシが作曲しちゃる!!」と作曲に取り掛かる。そこで出来るものは、その台本でなかったら決して生まれ得なかったであろう音楽作品となる。 ということは訳詞とは、その理由である部分を変換する作業とも言える。しかも作品名を変えない以上、結果は同じでなくてはならぬ。ここが難しい。反対派の多くは、「コトバそのものに旋律の理由があるのだから、その理由を変えるのは言語道断」と訴える。 日本語訳詞上演の現場でよく耳にしてきたのは「訳詞が良くない」という言葉だった。そのつど理由を聞いてきたが、それはそれはつまらないものだった。いくつか披露するとともに、そのご意見に対する拙者の回答も記す。 回答→どの母音でもすべての音域で美しく歌える訓練を行うべし。外国語で最高音をIやU母音で歌うことは珍しいことにあらず。お手前はプロ也。恥ずべき発言は慎まれるが良かろう。 回答→全く意味が分からない場合は致し方ありませぬが、もともと言語台本も韻文であることが多く、訳詞者が語調を整えるべく文語的にしている場合も少なくありませぬ。その辺りの見極めを今一度なされることをおすすめ致したく候。またお客様方の常識を軽んじてはなりませぬ。我々声楽家が分からぬ言い回しでも、お客様方がご理解されることは良くあること也。 回答→アクセントが合う合わないを見つける前に、アクセント(この場合、日本語の高低アクセント)の真の効能を学ぶべし。確かに日本語は音節数が少ないゆえ同音異義語が多うござる。そのためアクセントにて意味を判別する必要があるのも事実。「端」「箸」の例はそれでござるな。しかし例えば「箸」も「箸置き」となれば高低が変化するように、アクセントの効能は意味限定のためのみとは言いがたし。ポピュラー・ソングによくある例でござるが、アクセントが滅茶苦茶でもきちんと言葉が伝わる良い曲は数多(あまた)ござろう。その理由を知らずして、軽々しくアクセントを語る事なかれ。お手前はプロ也。 優れた訳詞とは何か、簡単に述べるなれば、台本の求むるテーマが死んでないこと、音楽の変容を異な方向へ促すようなコトバとなっていないこと、これに尽きる。 実は訳詞を生かすも殺すも演奏者次第である。音符を音ではなく、人の心揺さぶる音楽へと変えるのが音楽家なれば、声楽家は文字をコトバとし、言霊とし、万人へと届けるもの也。 「外国語が分からぬ客のため…」と、客をなめる、客に媚びる、そのような結果に陥る事なかれ。日本人の我々が、外国の作品を真摯に紐解くために、日本語という我々のツールを用いることで事を円滑に進め、なおかつお客様の参加を得、初めて作品としての生命を得ると心得るべし。 声楽家。訳詞家。東京藝術大学卒業、同大学院博士課程修了。オペラやコンサートでのバリトン歌手として多忙な活動の傍ら、オペラの訳詞や字幕、訳詞に関する研究論文などを発表している。日本声楽アカデミー会員。二期会会員。 |
[ 55] 拙者、日本語訳詞者でござる
[引用サイト] http://www.operetta.jp/guest1.html
