霊感とは?
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霊感(れいかん)は、近年の靈ブームなどで、「霊能力」の意味に用いられることもある。辞書には「神仏の霊妙、不可思議な感応」などと説明されていることが多いが、これは決して死者の霊(幽霊)や「守護霊」などの怪しげな「霊」と交信できたり、「前世」や「来世」が見える抔という意味ではない。霊が見えたり、話せたりすることも霊感に入る。これはもともと強い人と、訓練して霊感がついた人もいる(高僧など)。もともと霊感が強い人は、心霊スポットに行くと霊にとり憑かれたり、生理的嫌悪を感じたりする。霊感がかなり強い人は、定期的にお祓いをしてもらったり、逆にお祓いを自分で出来るようにするなど、霊などから自分の身を守れるようにすると良いだろう。霊感は、霊感商法に見られるような、人を欺したり、蠱ったり、脅迫して金銭を騙り取るための手段ではない。高僧が悟りの結果として得られたもののことである。それから転じて、インスピレーションinspirationのことを指し、芸術家や哲学者、科学者などが得た、いわゆる「ひらめき」のことを言うようになった。 「啓示」とは、人が理性的な追求によっては知り得ない神に関する真理、永遠に関する真理、救いに関する真理などを、神はその預言者や使徒を通して、人に語られた(マタイ16:17)神の行為、また、その結果を指す。真理の「内容」に関わっている。「啓示」における「啓」とは「開く」の意である。 「霊感」とは、神によって開明され、示された真理を「記述」するに当たって、記者に対して与えられた聖霊の干渉のことである。人は誤ちを犯す者であるが、そのような人間が、神の真理を書き記し、伝達するにあたって、神は、霊感を記者に与え、彼らが正確、また十分に啓示内容を書き記すことができるようにした(テモテへの第二の手紙3:16、17、ペテロの第二の手紙1:20、21)。これが聖霊による霊感の働きである。テモテへの第二の手紙3章16節によれば、 ・ 更に「聖書は、、、」(“γραφη”)とは、霊感が、記者のみか、記述された文献にまで及んでいることを語っている。 ・ 「神の霊感によるもので、、、」(“θεοπνυστο?”)とは、ギリシャ語では、神によって「息吹きだされた」との意味で、人間的な著作に神が霊感を加えたというよりも、聖書自体、すなわち、その真理内容が、神によって与えられたことを主張するものである。 「正典」とは、そのようにして神の「霊感」を受けたと判断された書の収集をさす。「霊感」という物指し(カノン)によって測られ、その基準に合ったので、キリスト者の「信仰と実践との唯一の規範(物指し)」とされたことを意味する。 聖書は、このように「啓示」の書、「霊感」の書、そして、「正典」的な書であるので、初代教会以来、特に、宗教改革以後、プロテスタント諸教会では、キリスト教信仰と実践の唯一の規範、すなわち「神のことば」として権威あるものと受け留めてきた。このような聖書観に立つ教会・教派、また、クリスチャンを「福音主義」と言い、20世紀初頭、これと異なる聖書観をもって、聖書に批判的な神学、聖書学の展開を見せたのが「自由主義」陣営である。後者は、啓示、霊感と言った超自然的な概念は一切否定して受け入れない立場である。 科学の発展は、地道な研究と実験の繰り返しによると言われているが、「コロンブスの卵」のようなひらめきが、科学史をしばしば塗り替えてきた。科学者の霊感として一番有名なのは、アイザック・ニュートンがりんごの実が落ちるのを見て、万有引力を発見したというエピソードだろう。不思議なことに、常識を覆すような霊感は、あまり高等教育を受けていない人によってなされていることが多い。 文学では、ある作品からひらめき(霊感)を受けて、創作すると言うことがしばしばある。英語のinspireで、「(人を)〜する気にさせる」と言う意味である。純文学では、太宰治の影響が一番大きいと言われているが、推理小説などでは、外国作品によるインスパイアが多い。中上健次の一連の作品は、北條民雄にインスパイアされて書かれたと言われている。 調和の霊感: L'estro Armonico) ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集。作品3.12のコンツェルトからなる。 |
[ 132] 霊感 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E6%84%9F
