行きとは?

大垣方言で使用されている単語・表現のほとんどは,歴史的にみると京の都(京都)で発生し,それが大垣に伝播したものです。また,大垣方言の特徴的な単語・表現の多くは現在,近畿地方や尾張地方でも使われていて,大垣方言独自のものはあまり見当たりません。そんな中で,現在では近畿・尾張ではまったく姿を消してしまったにもかかわらず,大垣方言だけに「化石」のように残っている表現があります。それが,これからお話する「行きーる」という表現です。
「行きーる」は,大垣方言の中で作者が一番好きなことばです。方言研究を始めて一番最初に取り上げたのもこのテーマですし,取り上げるのはこれで4回目となります。それだけ作者にとっては身近なことば,思いいれのあることばですし,言語学的に大変興味深いことばでもあります。
しかし,この表現は,全国的には(学会レベルでは)あまり知られていません。例えば,『岐阜県のことば』(明治書院、
1997)でも,「行きーる」は以前大垣で使用されていたが,現在では姿を消してしまったとされています。これが現在の定説になっているようです。この見解は大垣人にとっては寂しいかぎりです。「行きーる」は,まだまだ現役で使用されているのです。
亡き祖母(明治42年生)が作者に対して呼びかけるときや注意をするとき,いつもこのことばを使っていました。母(昭和11年生)は今でも使っています。
実際の会話の中での「行きーる」表現は,青野方言談話資料で聞くことができます。文字化テキスト「岐阜県大垣市青野方言の談話資料」における,以下に示す解説番号が「行きーる」表現です。文字化テキストをご覧になりながら,音声をお聞きになると分かりやすいかと思います。
「行きーる」は,女性が,特に子や孫,あるいはごく親しい近所の年下の者に対して,親しみを表わすときに用いる表現です。西日本にみられる身内敬語の一種で,関西方言の「行きはる・行かはる」や尾張方言の「行きゃーす」に近いことばですが,目上に対して使用されない点がこれらのことばと異なっています。
大垣市赤坂方言における「行きーる」の待遇度を,作者の祖母の場合を例に取ってに取りみてみましょう。〈行く〉の待遇表現の中での「行きーる」の位置は表1のようです。
「行きーる」の活用形と,各種の活用タイプの「行きーる」表現をみてみましょう。なお,当サイトでは,「大垣方言概説」と同様,学校文法にしたがって記述していくことにします。
「行きーる」表現は,語幹(動詞連用形)の「行き」に語尾(助動詞第1類)の「ーる」が接続して新しく形成された派生動詞と考えることができます。
しかし,語幹がどの活用タイプかによって,語尾の形式が異なります。「行きーる」表現の各形式をみると,表1のようです。拍は,語幹の拍数を示すものです。なお,作者の祖母と母の使用する形式が異なっているため,併記することにします。
五段・カ変動詞には「ール」,語幹が2拍以上の一段動詞には「イール」が接続します。ただし,語幹が1拍の一段・サ変動詞は祖母と母の形式が異なっています。祖母の場合は「イル」が,母の場合は2拍以上の一段動詞と同様,「イール」が接続します。
「行きーる」の各活用型は,表3のようです。”] ”はアクセント核を示すものです(「大垣方言概説〜アクセント」参照)。
表2より,「行きーる」表現は,ほぼ上一段活用に準じていることがわかります。ただし,連用形と志向形を欠きます。
未然形は,反語表現,禁止表現や疑問詞疑問文に使用されるだけです。否定表現は,打消形が使用されます。
終止形は,主に聞き手に対する疑問文に使用されます。明治・大正生まれの複数の女性にお聞きしたところ,「行きーる」は「行きます?」と相手に尋ねるときに使用する表現と認識されていました。
命令形は,そのままの形式(命令形1)と文末詞「ヤ」を伴う形式(命令形2)の2種類があります。命令形2は,命令型1と異なり,長音「ー」を伴った形式が使用されます。
「行きーる」表現が,大垣市赤坂のどの年齢層で使用されているのでしょうか。祖母(1909生)・母(1936生)より下の年齢では,母の従姉妹(1948生)が話しているのを聞いたことがあります。私の世代(1960生)では,命令型1・2以外は使用しません。終止形を始め,他の活用語は理解語に過ぎません。推移をまとめると,表5のようです。
作者の周辺に限れば,1950年代生まれの人から使用されなくなったかと思われます。詳細な点については,今後の調査が望まれます。

[ 38] 行きーる
[引用サイト]  http://www.k3.dion.ne.jp/~hougen/hougensi/ikiiru.htm

  ソウル大・黄禹錫(ファン・ウソク)教授が女性研究員を直接病院に連れて行き卵子を採取したことが確認された。また、黄教授チームに2000個を上回る卵子が提供されていた事実も分かった。
  02年11月28日から昨年11月8日まで、黄教授チームに卵子を提供した病院は、これまでミズメディ病院(1423個)とハンナ産婦人科(509個)だけとされていた。しかし、漢陽(ハンヤン)大病院産婦人科(121個)と三星第一(サムスン・チェイル)病院(8個)も卵子を提供していた、という事実が明らかになった。
  提供されていた卵子が、どのように使われたのかは明らかでない。病院と黄教授チームのやり取りした記録の内容が、それぞれ異なった。各病院は、▽最初の核移植日である04年9月17日以前には631個▽核移植から05年の論文提出日まで638個▽それ以降324個−など計1638個を提供した、と記録している。
  しかし、黄教授チームには、核移植日以前の卵子使用記録が全くなかった。それ以降はそれぞれ529個、421個を使用した、と記録されてある。黄教授は昨年11月23日の記者会見で「04年5月、英科学雑誌『ネーチャー』の記者が取材する当時、研究員2人が卵子を提供した、という事実を知った」と話した。
  しかし、黄教授は03年3月、P研究員を自身の車に乗せて、江南(カンナム)ミズメディ病院に連れていった。ミズメディ病院・盧聖一(ノ・ソンイル)理事長が直接卵子を採取しており、研究員はその後、黄教授の車に乗って実験室に帰ってきて、再び実験台の前に座った。
  同年5月には、女性研究員らに「卵子が必要とされる場合には寄贈の意向がある」という内容を盛り込んだ「卵子寄贈同意書」を配った。報告書は「現在の研究員のうち7人、前職研究員のうち1人が、それに署名したと供述した」と明らかにした。
「黄教授の非協調でクローン牛は検証できなかった」…調査委員長の一問一答
「これ以上頭を上げられないほど申し訳なく思う」黄教授謝罪会見
2006-01-12 03:08:23   事を忘れてはならない。在日の小泉には気をつけるべき。奴はなんとかして北に経済援助を日本の金でおこなうつもりである。又韓国人のビザ免除もまだ諦めていない。
2006-01-12 03:05:36   日本人は昨年からこの事件と漫画嫌韓流で多くの事を理解できただろう。韓国について今まで知らなかった事を学習したのではないか?しかし今ここで述べるがこれは日本で行われている犯罪の一部にすぎないヒューザーの小嶋にしてもこの他に犯罪をおこなっている在日はワンサカいるのだ。ただ我々の父や祖父が政治に在日に無関心であった為今この様に大きくなってしまった。若い人は今年は在日の犯罪や韓国の不合理例えば不法滞在などに大きな声を出し政治に反映させてほしい。なぜなら団塊の世代や老年は年金のことで在日の犯罪には関心がないからだ。ダラシがないのだ。ここでも対馬に多くの韓国人が来ているが対馬も韓国人は住み着き占領するつもりである。戦後韓国は対馬は韓国領と言い張り米に戻すように抗議したこ?
2006-01-12 00:47:17   卵子採取施術には16パーセント位の人に、後遺症が出るそうで、この女性研究員も後遺症がでたそうです。具体的にどういう症状かはわかりませんが。KBSのニュースで年初に言ってました。

[ 39] 「黄教授が研究員連れて行き卵子採取」
[引用サイト]  http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71597&servcode=400§code=400



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