エニックスとは?

株式会社エニックス(ENIX Corporation)とはかつて存在したゲームソフトウェア制作会社、出版社。1975年9月22日設立。2002年3月31日当時の資本金は69億4,080万400円。
1975年、福嶋康博が住宅情報誌等を発行する出版社、株式会社営団社募集サービスセンターを設立。その子会社としてソフトウェア制作会社、エニックスを設立。『ドラゴンクエストシリーズ』を発売して成功し、以後家庭用ゲーム機向けのソフトメーカーとして名を馳せた。パソコン向けにもゲームを発売している。
社名の由来は世界初のデジタルコンピュータと言われている「ENIAC(エニアック)」と不死鳥「PHOENIX」を足したものである。
1983年10月 - 小西六写真工業(現コニカミノルタホールディングス)との合弁により株式会社小西六エニックスを設立。
1989年4月 - エニックス、コニカエニックス、エニックスプロダクツを営団社募集サービスセンターに吸収合併し、商号を株式会社エニックスに変更。
1996年8月 - 東京都渋谷区代々木四丁目31番8号に本社ビル(現スクウェア・エニックス初台ビル)を建設。
2003年4月 - 株式会社エニックスが、株式会社スクウェアを吸収合併し、商号を株式会社スクウェア・エニックスに変更。(存続会社は、株式会社エニックス。)
自社開発が主流であった日本のゲームソフト業界に新しい風を持ち込んだのが、1982年に実施した第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストである。賞金総額300万円(最優秀賞100万円)を用意したこのイベントには後のゲーム界を担う人材が参加している。
最優秀プログラム賞は森田和郎(後に「森田和郎の将棋」で著名になっている)の『森田のバトルフィールド』、優秀プログラム賞の2人のうち一人は中村光一で『ドアドア』で入賞。入選プログラム賞の中に『ラブマッチテニス』で受賞した堀井雄二の名前もあった。コンテスト受賞作から前記3作の他『マリちゃん危機一髪』『宇宙の戦士』など当時のヒット作が続々生まれている。
この後エニックスは、ファミコンに参入し、『ドラゴンクエスト』のヒットでゲーム企業として地位を固め、『ドラゴンクエスト』シリーズをドル箱ゲームシリーズとして発展していった。
なお、エニックスは自社にプログラマを持たず、外部への委託開発を行うゲームパブリッシャーの立場となっていた。現スクウェア・エニックスにおいても、旧エニックス系の流れを汲むゲームシリーズの開発においては、現在も外部への委託となっている。
また、エニックス社内には、ドラクエシリーズ専門の部署である『ドラクエ課』(現・スクウェア・エニックス 第9開発事業部)が存在した。
いただきストリート2 ?ネオンサインはバラ色に?(1994年2月26日、9,800円、ボードゲーム)
スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…(1996年12月6日、8,700円、RPG)
ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 ルカの旅立ち(2001年3月9日、6,400円、RPG)
ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 イルの冒険(2001年4月12日、6,400円、RPG)
ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット(1996年11月22日、9,800円、アドベンチャー)
2001年6月に、エニックスのコミック部門の生みの親であり当時の出版事業部長保坂嘉弘を始めとする、一部の『月刊少年ガンガン』編集部員(主に本誌・姉妹誌での編集長・副編集長経験者)がエニックスから独立し、株式会社マッグガーデンを設立。当時の主力専属作家を引き抜き、『月刊コミックブレイド』創刊を計画する。
その際『月刊少年ガンガン』や『月刊ガンガンWING』等において連載中だった作品の名を冠する続編なども存在したため、エニックスは編集者のコネクションを利用した不当な引き抜き行為とし、2001年10月にマッグガーデンによるコミック誌の発行の差し止めを主な内容とする仮処分命令を東京地方裁判所に申し立てた。そのため、引き抜かれた漫画家の作品で中途半端な連載終了が相次ぎ、特に移籍が著しかったガンガンWINGでは連載作品の8割が終了した。移籍作品のほとんどが、主力作品であったため、ファンから存続が危ぶまれた[1]。
2003年3月には和解を締結し、マッグガーデンの業務に干渉しないこと、マッグガーデンの非常勤取締役2名の指名権を得ること、マッグガーデンの発行済み株式の50%を譲り受けること、エニックスの雑誌で連載されていた作品に「企画・プロデュース エニックス」と記載すること、マッグガーデンが上場・店頭登録するまで前記の作品の小売価格の1割をエニックスが得ること等を条件に和解した。現在は、マッグガーデンが東京証券取引所が開設した新興株式市場マザーズに上場したことにより、上記の和解条件は終了している。
さらにエニックスとマッグガーデン両社の係争中に、当時の『月刊Gファンタジー』編集長・杉野庸介が峰倉かずや、遠藤海成、高河ゆんら同誌看板・主力作家陣を連れて独立(一賽社を設立)した。しかし、あっさりと独立が認められたうえ、独立に対するエニックス系読者の反発も少なかったという。このことから、この独立劇は保坂と比べ杉野の判断と手際の良さが目立ったものだったと言えよう。
浅野りん(少年ガンガン・WING)、東まゆみ(少年ガンガン)、天野こずえ(ステンシル)、木下さくら(少年ガンガン)、黒乃奈々絵(ガンガン)、久保聡美(WING)、桜野みねね(少年ガンガン・WING)、箱田真紀(WING)、よしむらなつき(少年ガンガン)藤野もやむ
^ 少年ガンガンの『まもって守護月天!』、ガンガンWINGの『ワールドエンド・フェアリーテイル』、月刊ステンシルの『AQUA』など。また、月刊Gファンタジーの『最遊記』や『LOVELESS』などは、後述のとおり一賽舎の『コミックZERO-SUM』に移籍。
カテゴリ: ゲームメーカー・ブランドの歴史 | 出版社の歴史 | スクウェア・エニックス | かつて存在した日本の企業

[ 152] エニックス - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9



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