殺しとは?

浜崎は、長年勤めた会社をリストラされてしまっていたが、娘がアメリカ留学していることも手伝って、その事を未だ妻の和子に打ち明けられないままでいる。毎朝出社するふりをして、実はパチンコ屋で日がな一日を過ごすだけのむなしい日々。そんなある日、突然謎の男が浜崎の前に現れ、殺しやとして彼をスカウトする。「私が私でないような‥」そんな思いを胸に、浜崎は男に言われたとおりに仕事を始めていくが、久しぶりの労働に意欲がわいてきたのか、やがて次々と仕事をこなすようになっていく。しかし、ついに彼自身の知り合いが、仕事の標的になる日がきてしまう。
本作品は、2000年の第53回カンヌ映画祭”監督週間”に正式出品され、上映終了後、熱狂的な声援と拍手喝采で迎えられた。そして、その熱気は第22回モスクワ国際映画祭への正式出品をも果たした。その独特の映像世界は、また新たに国内外の映画ファンを魅了すること必至であろう。
監督、脚本は、注目の最新作となる小林政広。主人公の浜崎には、96年公開のショーン・ペン監督作品『クロッシング・ガード』でジャック・ニコルソンと共演といった国際的活動や、今年の春に公開された『オーディション』が2000年度のロッテルダム映画祭で国際批評家連盟賞を受賞するなど、新境地を開き続けている”表現者”石橋凌。浜崎の妻和子には、映画やCM、テレビドラマと幅広い活躍を続けている大塚寧々。そして浜崎を殺し屋にスカウトする謎の男には、日本映画界が世界に誇る名優・緒形拳が扮している。
もし、リストラされたごく平凡な中年サラリーマンが、ある日突然、愛する家族のため殺し屋としてスカウトされたとしたら? 一見、奇想天外なストーリーラインながらも、その実、現代社会の不毛の中を、もがきながらも生き抜こうとする男の人生を鋭くとらえた問題作。まさに20世紀最後の年を締めくくるにふさわしい作品の登場である。雪深き北の町を舞台に、装飾めいた要素を一切剥ぎ落とすことによって醸し出される、ストイックかつスタイリッシュな世界観と、主人公の朴訥とした心象モノローグなど、映像と音のセンス、そしてテクニックを巧みに駆使して、殺す者と殺される者の悲哀がダークファンタジーのように幻想的に、しかも不思議なリアル観をも伴って描かれることにより、殺伐とした現代の縮図までもが、見事に浮き彫りとなっていく。単にフィルムノワールの秀作としてだけでなく、人生の機微をも静かに見据えた傑作が誕生した。

[ 66] KOROSHI
[引用サイト]  http://members.aol.com/sarumachi/koroshi/koroshi.html

昴創立40年を迎えた昨年は、現代ブルガリアの劇作家ネジャルコ・ヨルダノフの『ゴンザーゴ殺し』で幕を開けました。この作品と、秋に上演した『ナイチンゲールではなく』が高い評価を得て、第三回朝日舞台劇術賞を受賞。今回は異例の早さでの再演となります。
この物語はシェイクスピアの『ハムレット』の土台にした、いわゆるバックステージもの。1991年〜92年にかけロシア各地で上演され好評を得た舞台です。
登場するのは、どさ回りを余儀なくされている劇団の座長や劇団員の面々、ベースになっている『ハムレット』にも登場するポローニアス、オフィーリア、ホレイショー・・・
劇団の内部事情や役者の生活も物語の中に織り込まれており、今日の演劇人の生活も彷彿させるような箇所がたくさん見え隠れしています。その意味も含め、二重の“バックステージもの”になるのかもしれません―――
デンマークの首都で活躍していた劇団が、なぜかいまは都会で芝居が打てず、その日ぐらしのドサ回り。
そんな一行をまとめる座長チャールズのもとに、ある日ふって沸いたような儲け話が転がり込む。それは「気違い」と言われているデンマーク王子ハムレットからの依頼で『ゴンザーゴ殺し』をエルシノア城内で上演することだった。足りない台詞はハムレット自身が書き足すという。ギャラは法外、一座は首都に自分達の常設小屋を持つ夢を膨らませる。
しかし政治的陰謀が渦巻く宮廷。チャールズらは次第にその渦の中に引き込まれゆく。一座はハムレットの原作どおりの芝居をするが、王の激昂を買い途中で中止、国家反逆罪で極刑を受けることとなる……。
1940年生まれ。1962年ブルガリアのソフィア大学を卒業し、一年間ブルガリア文学の教師を務めた後、1990年までブルガス国立劇団アドアーナ・ブデスカの芸術監督と演出家を、その後の9年間はソフィアにある劇団バズラズダネ(=復活)の演出家を務めている。
そんなヨルダノフの描いたこの作品は、1991年〜92年の間モスクワのマールイ劇場やサンクトペテルブルグの公開劇場などロシア各地で上演され好評を博した舞台である。
ブルガリアの演劇は教訓を盛った対話劇が始まりであったが、1856年になって初めて、教師ドブロニクが書いた喜劇『ミハイル』が地方で上演された。
この時主役を演じた俳優ドゥルメフは、シェクスピア、プーシュキン、ゴーゴリの影響を受け、『アセン二世の暗殺』等、数々の芸術性の高い作品を上演しブルガリア演劇の水準を高めた。それを受け継いだヴァ−ゾフは、1870年代から1910年代にかけ、史劇、風刺劇、喜劇、ロマンチック・ドラマを数多く書き、ブルガリア演劇界でのリアリズム路線の基を作った。1889年と1892年には、プロブジフと首都ソフィアに国立劇場が建てられ、国の文化政策の下に、俳優ポポフ、ストマトフらが西欧の戯曲も演じて活躍した。
1920〜30年代のファシズム政権下、50年代後半のスターリン批判の時期、90年代の社会主義政権崩壊による混乱等、幾多の低迷期があったが、それらを乗りこえ、多くの演劇集団が生まれた。現在ではヨルダノフの他、ラジチコフ、ストラチエフ、ヴァリスキらの手により、喜劇や風刺劇等、国の内外で演じて好評を博している。
「外題は?」とポローニアスが聞きます。『ゴンザーゴ殺し』――タイトルは分っているのに、その内容が分らない。知っているのは、それを書いた作者だけ。それが一体何の為に書かれたのか、何を現そうとしているのか……こう考えると、芝居の稽古というものは、まさに推理劇のようなもの。
未知の国「ブルガリア」から来た戯曲が、我が脳髄を刺激し、新たな興奮を呼び起す――とはいっても、この脳味噌の中には、ブルガリアといえばヨーグルト位の知識しかないときている。それともう一つ『ゴンザーゴ殺し』が『ハムレット』の中で演じられる劇中劇であるということ……これらをひっくるめて考えると、なんとまあ、色々と仕掛けに富んだ作品ではありませんか。
だが、ここにも罠がひとつ。『ハムレット』というタイトルで、その内容がわかる人が何人いるか。勿論これを読んでくださっている方々は別ですよ。
そこで戒めの為の格言がひとつ。「劇というものは、いわば、自然に向かって鏡をかかげ、その真の姿を抉りだし、時代の様相を浮かびあがらせる……」自分の前に『ゴンザーゴ殺し』という鏡をかかげ、自分の姿を覗いて見ると、おやおや、ぬるま湯に浸かってふやけ切った日本人の顔があるじゃありませんか。
確かに、あたりをじっくり見てみると、薄手の絹と見紛う化学繊維に隠されていたものが、世界のいたるところで顔を出し始めている。
芝居だったら、その結末は見えているのに……でも、芝居だって数ページの脚本で人の運命が変わる。
と申してもこの芝居、ファルスでもあり、悲劇でもあり、推理劇、恋愛劇、不条理劇にも見えて、艶笑コメディーにも、バック・ステージもの、政治劇、田園劇的喜劇、歴史劇的田園劇――これは言い過ぎ。
兎にも角にも、新春の巻頭を飾る作品、しかも劇団創立四十周年記念のプレ公演、「われら一座のため、寛大なる御見物のみなさまがた、なにとぞ多少の不出来は……」お許しくださいませぬようお願い申し上げます。
創作・脚色・演出と多彩なジャンルで意欲的に活躍中。最近の作品に2001年夏に再演された『アルジャーノンに花束を』、続けて秋に上演した『嘆きの天使』(両作品共、脚本・演出)がある。
昴以外では『ミラクル』(演出/フォーリーズ)、『山神様のおくりもの』(脚本・演出/わらび座)、『ファニー・マネー』(演出/俳優座劇場)などがある。また各地での演劇ワークショップなどにも積極的に参加、指導にあたっている。

[ 67] ゴンザーゴ殺し2005
[引用サイト]  http://www.bekkoame.ne.jp/~darts/gonza/2005/gonza2005.html

   2006年8月18日付け日経新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載された、直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイが、ネット上を騒然とさせている。「私は子猫を殺している」というのである。坂東さんの掲示板では、06年8月19日にエッセイのコピーが書き込まれてからコメントが突如急増し始め、坂東さんへの批判が怒号のごとく続いている。
   騒ぎになっているのは「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」という文章ではじまる「子猫殺し」と題されたエッセイ。
   タヒチに住んでいる坂東さんは、家の隣の崖の下の空き地に、子猫が生れ落ちるやいなや放り投げているという。
   猫に言葉が話せるなら、避妊手術など望むはずがないし、避妊手術を施すのが飼い主の責任だといっても、それも飼い主の都合。「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずに済む」。そもそも、「愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然のなかで生きることだ」。人間は、避妊手術をする権利もないし、子猫を殺す権利もないが、「飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない」。
「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」
   坂東さんの「どんなに糾弾されるかわかっている」という予想通り、エッセイへの批判や怒りがネット上で噴出している。
   「坂東眞砂子・掲示板」では、06年8月19日のエッセイのコピーのカキコミがされてからというもの、批判や罵詈雑言で溢れ、その数は50近くになる。掲示板のなかで、坂東さんのファンだったという人も、
「どう考えても産まれて来てから理不尽に殺されるより始めから産まれてこない方が不幸ではないと思うんですが…」
「これじゃあ、人間が、避妊してセックスするのも、避妊しないでセックスして、できちゃった子供を人工中絶するのも『同じこと』って言ってるワケじゃん。それどころか、こいつのやってることは、生まれて来た赤ちゃんを殺してるワケだから、人工中絶よりもタチが悪い」
   J-CASTニュースでは、エッセイを掲載した日経新聞の担当部署に電話で取材を申し込んだ。しかし、同社社長室・広報グループから書面で「エッセーは7月7日から毎週1回連載している。タヒチでの身辺雑記を中心に書いていただいている。該当のエッセーについてはメールで数十件の反響があった」という返答がきただけで、それ以外は答えてもらえなかった。
女子中高生はなぜためらいもなく 自分のわいせつ画像を投稿するのか「小島よしお」海外で異常人気 「ユーチューブ」で第5位「Xbox360」が「PS3」抜いた 有力ソフト離れが響く電話番号覚えられない!携帯は「バカ量産」の主犯か「エロい」キスCM 大騒動の真相わいせつ中傷飛び交う 中高生利用携帯サイト 小倉智昭に「髪の毛」発言 爆笑・太田のKY感覚「柔道・卓球・陸上部はブス子」 ブログで「ショック」告白続々任天堂「DSテレビ」予約で回線パンク 「購入したい」人が400万人近い?興毅謝罪会見のテレ朝リポーター 「不愉快」とネットで批判

[ 68] J-CASTニュース : 女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然
[引用サイト]  http://www.j-cast.com/2006/08/21002622.html



お気に入り



  • track feed
    • seo