ロシアとは?
|
この項目について、秀逸な記事の再選考にて秀逸の可否について議論されています。 この項目では現代のロシア連邦について記述しています。その他のロシアについてはロシア (曖昧さ回避)をご覧ください。 註1 : 連邦構成主体の各共和国は連邦公用語(ロシア語)とは別に、自らの公用語を定めうることが憲法で認められている。 ロシア連邦(ロシアれんぽう、Росси?йская Федера?ция、Rossiyskaya Federatsiya)、別称ロシア(ロシア語:Росси?я [rossija])は、ヨーロッパとアジアにまたがる世界最大の領土を持つ連邦制の共和国。ロシア連邦およびロシアは双方とも正式名称である[1]。首都はモスクワ。 北西から順にノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、ベラルーシ、リトアニア、ポーランド(ポーランドとの国境はバルト海とリトアニアに囲まれた飛び地領であるカリーニングラード州である)、ウクライナ、グルジア、アゼルバイジャン、カザフスタン、中華人民共和国、モンゴル、朝鮮民主主義人民共和国、アメリカ合衆国、(日本)と国境を接し、北は北極海、東は太平洋に囲まれる。 キリル文字のラテン文字転写、ロシア語のカタカナ表記にはいずれも多数の方式、表記があり、ここにあげたものは一例である(本記事の以下の転写も同じ)。 日本語表記は、ロシア連邦。通称ロシア(まれにロシヤとも。旧ロシア帝国を個別に指す場合は「帝政ロシア」とも)。日本語の漢字表記は露西亜で、略称は露(現在は旧ロシア帝国と区別するためロとも示される事もある)。江戸時代にはをろしやと呼ばれていた。19世紀の江戸時代から明治時代にかけては魯西亜という表記もなされ、1855年に両国間で初めて結ばれた条約は「日本国魯西亜国通好条約」という名称になった。 ロシアの国名は、現在のロシア北西部とウクライナ、ベラルーシにあたるルーシという地域をギリシア語の発音によって生まれた名前である。この名は、ルーシの北東の辺境地に起こったモスクワ大公国が周辺の地域を統合し、“ルーシの遺産の争い”をめぐってリトアニア大公国と対立していた16世紀のイヴァン4世(雷帝)の頃に使われ始め、18世紀初頭のピョートル1世(大帝)がロシア皇帝と称したことにより正式の国名となった。 ロシア帝国期以前は、ルーシのギリシア語風名称としてのロシアという語はかつてのルーシ全域を指し、ロシア北西部を「大ロシア」(大ルーシ)、西ウクライナや中部ウクライナを「小ロシア」(小ルーシ、「ルーシの中心地」という意味)と呼んだ。ベラルーシも「白ロシア」(白ルーシ)と意味の地方名である。しかし、小国の乱立したルーシ地域では早くからウクライナやベラルーシの人々とロシアの人々との間には異なった民族意識が醸成されていった。結果、これらの国々はロシア帝国の崩壊後別々の国家として独立し、再統合されたソ連邦下でも別々の共和国とされ、ソ連邦の解体に際しては別々に独立することとなった。 ロシアとウクライナ・ベラルーシの原型である中世のルーシ地域は、862年にノルマン人リューリクがノヴゴロドの公となり、その一族が東スラヴ人の居住地域に支配を広げていく過程で形成されたと年代記に記録される。当初のルーシの中心は、現在はウクライナの首都であるキエフであり、現在のロシアの中心である北東ルーシはむしろ辺境で、モスクワの街もまだ歴史には登場していなかった。支配者層を含めてスラヴ化したキエフ大公国は、9世紀に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)から東西教会分裂以後に正教会となる東方のキリスト教とギリシャ=ビザンツ文化を受容し、独特の文化を育んだが、13世紀初頭にモンゴルによって征服され、キプチャク・ハン国の支配下に入った。 数多くいるルーシ諸公のひとりに過ぎなかったモスクワ公は、モンゴル支配下でルーシ諸公がハンに納める貢納を取りまとめる役を請け負うことで次第に実力をつけ、15世紀にキプチャク・ハン国の支配を実質的に脱してルーシの統一を押し進めた。モスクワ大公はイヴァン3世のときツァーリ(皇帝)の称号を名乗り、その支配領域はロシア帝国へと発展してゆく。ただし、国内の生産力は低く、西欧諸国からは異質の存在と見られていた。16世紀にイヴァン4世(雷帝)が近代化と皇帝集権化、シベリア進出などの領土拡大を進めたが、彼の死後は大貴族の抗争で国内が大混乱に陥り、ポーランドによるモスクワ占領まで起こった。 1613年にロマノフ朝が成立すると、大貴族と農奴制に支えられ、封建色の強い帝国の発展が始まった。18世紀、ピョートル1世(大帝)は急速な西欧化・近代化政策を強行し、新首都サンクトペテルブルクの建設(1703)、大北方戦争(1700〜1721)での勝利を経てロシア帝国の基盤を築いた。彼の時から正式に皇帝の称号を使用し、西欧諸国からも認められた。エカチェリーナ2世はオスマン帝国との露土戦争(1768年-1774年、1787年-1792年)に勝利すると共に、ポーランド分割に参加し、欧州での影響力を増加させた。大黒屋光太夫が彼女に謁見したことにより、アダム・ラクスマンが日本に派遣され日露関係史が実質的に始まった。 19世紀になるとロシアはナポレオン戦争に参戦し、1812年にはナポレオン・ボナパルト指揮のフランス軍に侵攻されたが、大損害を負いながらこれを撃退し、戦後はフィンランドやポーランド立憲王国を支配して、神聖同盟の一員としてウィーン体制を維持する欧州の大国となった。国内でのデカブリストの乱やポーランド反乱などの自由主義・民族主義運動は厳しく弾圧された。 19世紀後半からは不凍港を悲願として南下政策を推し進めていき、これによってトルコ等周辺国と戦争を引き起こし、イギリスとの対立が激化していく。しかしクリミア戦争ではイギリス・フランスに惜敗し、帝国の後進性が明確になった。1861年に皇帝アレクサンドル2世は農奴解放令を発布し、近代的改革への道を開いたが、農村改革や工業化のテンポは遅く、ナロードニキによる農村啓蒙運動も政府の弾圧を受けた。政治的自由化の遅れへの不満は無政府主義者による皇帝暗殺まで発展した。この時期、極東ではアロー戦争の仲介料として沿海州を清から獲得しウラジオストクを建設した。 19世紀末には、ロシアはそれまでのドイツ・オーストリアとの三帝同盟からフランスとの露仏同盟に外交の軸足を移し、汎スラヴ主義によるバルカン半島での南下を極東での南下政策と平行させた。フランス資本の参加によりシベリア鉄道の建設が行われている。1905年に血の日曜日事件 (1905年)が発生し、日露戦争で敗れると、ロシアはイギリスと英露協商、日本と日露協約を締結し、三国協商に立ってドイツやオーストリアと対立した。国内ではドゥーマ(国会)の開設やピョートル・ストルイピンによる改革が行われたが、皇帝ニコライ2世の消極的姿勢もあって改革は頓挫し、帝国の弱体化は急速に進行した。その中で、都市部の労働者を中心に社会主義運動が高揚した。 第一次世界大戦では連合国の一員としてドイツ・オーストリアと開戦したが、敗北を重ねて領土深くまで侵攻された。第一次世界大戦中の1917年に起こったロシア革命でロマノフ王朝は倒された。革命後、ウラジーミル・レーニンはポーランド・バルト三国・フィンランドの独立承認で帝国の西方領土の一部を手放した後、ボリシェヴィキ(共産党)を率いて内戦に勝利し、1922年にボリシェヴィキの一党独裁による全体主義体制を国是とするソビエト連邦を建国した。旧ロシア帝国領の大部分を引き継いだソ連を構成する4共和国(その後15まで増加)のうち、ロシア人が多数派を占める大部分の地域はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国となった。ソビエト連邦とロシア共和国の首都はレニングラードと改称されたサンクトペテルブルクからモスクワへと約200年ぶりに戻された。ロシア共和国内に居住する少数民族については、その人口数などに応じて自治共和国、自治州、民族管区などが設定され、事実上ロシア共和国とは異なる統治体制をとった。 ソビエト体制でのロシア共和国は他の連邦加盟共和国と同格とされたが、面積・人口とも他の共和国を圧倒していたロシアでは事実上連邦政府と一体となった統治が行われた。ソビエト連邦共産党内に「ロシア共産党」は創設されず、第二次世界大戦後の国際連合でもウクライナや白ロシア(現在のベラルーシ)と異なり単独での加盟が認められなかった。 1930年代に大恐慌により多くの資本主義国が不況に苦しむ中、ソビエト連邦はその影響を受けずに高い経済成長を達成したが、その経済成長は政治犯や思想犯を中心とした強制労働による事実上の奴隷制度に支えられたものであり、その富は共産党の上層部に集中して配分された。 第二次世界大戦では一時、西部の広大な地域をドイツに占領され、大きな被害を受けたが、最終的には大戦に勝利し、バルト三国を併合してソ連を構成する共和国に加え、更に、ポーランド東半、ドイツ、ルーマニア、フィンランド、チェコスロバキアの一部などを併合して、西に大きく領土を広げた。アジアでは、終戦直前に日本との不可侵条約を一方的に破棄し参戦し、満州やサハリン南部、千島、朝鮮北部を占領した。戦後は上記の新領土内の非ロシア人の住民を追放して、ロシア人などを入植させる国内移住政策が進められた。特にエストニアやラトヴィアなどではロシア人の比率が急増し、ソビエト連邦解体後の民族問題の原因となった。旧ドイツ領のカリーニングラード州でもロシア人の比率が急増して8割以上を占めるようになったが、ほとんど全ての旧住民を追放したため大きな民族問題は起きていない。1946年には旧ドイツ領の東プロイセンの北部をカリーニングラード州、日本に侵攻して占領したサハリン島南部(南樺太)とクリル列島(千島列島、歯舞諸島・色丹島を含む)全域をサハリン州として編入した。一方、1954年には黒海沿岸のクリミア半島(クリミア州)がウクライナに割譲され、現在のロシア連邦にあたる領域になった。 日本政府はサハリン州のうち、千島列島南部の北方領土について返還を要求し、それ以外の千島列島および南樺太はロシア領土ではなく帰属未定地としている。詳細は北方領土の項目を参照。 戦後、ソ連は、強大なソ連軍の軍事力を背景に、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどの東欧諸国を衛星国として勢力範囲に収めて、自国と同様の一党独裁の全体主義体制を強要し、世界の二大超大国の一つとしてアメリカ合衆国と冷戦を繰り広げたが、計画経済の破綻等から次第に共産主義の矛盾を露呈した。1985年にソ連の指導者となったミハイル・ゴルバチョフは冷戦を終結させる一方、ペレストロイカ、グラスノスチを掲げてソ連を延命させるため改革に取り組むが、かえって各地で民族主義が噴出し、共産党内の対立が激化した。 党内抗争に敗れた改革派のボリス・エリツィンはソ連体制内で機能が形骸化していたロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を自らの権力基盤として活用し、1990年に最高会議議長となると、同年6月12日にロシア共和国と改称して主権宣言を行い、自らを大統領とした。1991年のソ連8月クーデターではエリツィンが鎮圧に活躍し、同年12月26日にソ連は崩壊した。ロシアは旧ソ連構成国の連合体である独立国家共同体(СНГ)加盟国のひとつとなった。ロシアは旧ソ連が有していた国際的な権利(国連の常任理事国など)や国際法上の関係を基本的に継承し、大国としての影響力を保持し続けている。 国名は1992年5月、ロシア連邦条約により、国名が現在のロシア連邦(ロシア)と最終確定した(ロシア連邦への国名変更は、ゴルバチョフ・ソ連大統領辞任の当日である1991年12月25日、当時のロシア最高会議決議による)。 1999年12月8日には、当時のエリツィン大統領と、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領との間で、将来の両国の政治・経済・軍事などの各分野での統合を目指すロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約が調印された。しかし、その後、後継大統領に就任したプーチンが、ベラルーシのロシアへの事実上の吸収合併を示唆する発言を繰り返すようになってからは、これに反発するベラルーシ側との対立により、両国の統合は、事実上、停滞状態となっている。 この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。 国制は連邦制を取るが、国家元首である大統領(任期4年)が行政の中心として強い指導力を発揮する。大統領は、首相(議会の信任を要する)を含む政府の要職の指名権・任命権と、議会の同意を得ないで政令(大統領令)を発布する権限を持ち、軍隊と国家安全保障会議の長を兼ねる。 近年豊富な原油や天然ガスをなどエネルギー資源をてこに、特に欧州と中央アジアに対し、急速に影響力を拡大している。 ソ連崩壊後の弱体ぶりから比べると相当影響力を取り戻したといえ、豊富な資金力を背景に軍備の更新を進めており、ロシアとの協議無しに東ヨーロッパへのミサイル基地の展開を進めているアメリカや、NATOとの緊張状態は高まりつつある。 ロシアは、85の連邦構成主体と呼ばれる地方行政体からなる連邦国家である。連邦構成主体のうちには、非ロシア系民族が住民の主体を占める地域にある21の共和国が含まれるが、これらの共和国には連邦からの分離独立権がなく、連邦中央政府の強いコントロール下に置かれているため、実質的には民族自治区と異ならない。 ウラジーミル・プーチン政権は、中央政府の各連邦構成主体への影響力拡大を図り、2000年5月13日に全土を7つに分けた連邦管区を設置した。 さらに、2004年12月に地方自治体の首長を選挙制で選ぶ方式から、大統領が指名し地方議会が承認するという方式に転換した。 ロシアには人口100万人を超える都市が13(以下、2002年時点)ある。最大の都市は首都モスクワ(1012万6000人)。ウラル山脈東山麓のエカテリンブルク、チェリャビンスク、シベリアのオムスク、ノヴォシビルスクを除く都市はすべてウラル山脈よりも西側、すなわちヨーロッパ・ロシアに位置する。 世界最大の面積を持つロシアは、ユーラシア大陸の北部にバルト海沿岸から太平洋まで東西に伸びる広大な国土を持つ。国土の北辺は北極圏に入り人口も希薄だが、南辺に近づくと地理的に多様となり人口も多くなる。ヨーロッパ部とアジア部(シベリア)の大部分は広大な平原で、南部のステップから北は広大なタイガがその大部分を占めており、さらに高緯度になると、樹木の生育しないツンドラ地帯となる。黒海とカスピ海の間の南の国境にはヨーロッパ最高峰のエルブルス山を含むカフカース山脈があり、ヨーロッパとアジアの境界にはウラル山脈がある。 国土を囲む海域には北極海の一部であるバレンツ海、白海、カラ海、ラプテフ海、東シベリア海と、太平洋の一部であるベーリング海、オホーツク海、日本海、そして西のバルト海と西南の黒海があり、海岸線は37,000kmに及ぶ。これらの海に浮かぶロシア領の主要な島には、ゼムリャフランツァヨシファ、ノヴァヤゼムリャ(米国を越える史上最大規模の核実験が行われた)、セヴェルナヤ・ゼムリャ諸島、ノヴォシビルスク諸島、ウランゲル島、サハリン(樺太)、そして日本との領土問題を抱えるクリル諸島(千島列島)がある。 特に北極海に面した地域をはじめ、冬季は北極寒波の影響が強いため厳寒であり、氷点下を下回る日が長く続く。 ロシア領内の主要な川にはヨーロッパ部のドン川、大型で良質のチョウザメが多数生息するヴォルガ川、カマ川、オカ川、アジア部のオビ川、エニセイ川、レナ川、サケ類の漁獲で有名なアムール川などの大河があげられる。これらの下流域は日本で大河とされる最上川、北上川や四万十川よりも川幅が広く、いずれもセントローレンス川下流域に近い川幅がある。 ブリヤート共和国のバイカル湖は世界一古く水深の深い湖として有名な構造湖である。 ロシアには基本的に大陸性の気候が卓越する。すなわち気温の年較差が大きい。ケッペンの気候区分に従うと、亜寒帯(冷帯) (D) に分類される地域が大半を占める。西部は大西洋の影響を受けるものの、東に進むにしたがって大陸性気候の特徴がはっきりしてくる。東シベリアには冬にシベリア高気圧が発達し、放射冷却のために気温が下がる。北半球でもっとも寒くなり、寒極と呼ばれる。例えば-71.2度(オイミャコン)、-66.7度(ベルホヤンスク)。しかしながら夏季には最高気温が30度を超える。 典型的な植生は北極海沿岸がツンドラ、南に下るにしたがって針葉樹林のタイガ、混交林、プレーリー、ステップに移行していく。 下図はロシアを中心とした地域にケッペンの気候区分を適応したものである。以下、気候区分にしたがって特徴と地域区分を示す。 Dfa 亜寒帯湿潤気候のうち、最暖月が22度以上の地域。地図では明るい空色で描かれている。黒海とカスピ海に挟まれた狭い地域に広がる。 Dfb 亜寒帯湿潤気候のうち、最暖月が10度以上22度未満であり、月平均気温10度以上の月が4カ月以上ある地域。地図では空色(シアン)で描かれている。ポーランドやハンガリーなどの中東欧諸国と共通の気候区分でもある。首都モスクワを含み、ロシア西部からモンゴル国境西端まで広く分布する。沿海州北部やサハリン北部にも見られる。モスクワの年平均気温は5.3度、1月の平均気温は-7.5度、7月は18.4度、年平均降水量は705.3mmである。 Dfc 亜寒帯湿潤気候のうち、以下の3条件を満たす地域、すなわち最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3カ月以下、最寒月が-38度以上-3度未満。地図ではDfbの北に広がる暗緑色で描かれている。北欧諸国と共通の気候区分であり、ロシア領土に占める面積ではもっとも広い。中央シベリア高原からカムチャツカ半島にかけて一部Dfdに移行している部分以外は、全国にまたがっている。植生はタイガ中心。 Dfd 亜寒帯湿潤気候のうち、3つの条件、すなわち最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3カ月以下、最寒月が-38度未満を満たす地域。中央シベリア高原から東に延びるさらに暗い緑色で描かれている。(内部にDwcの領域を含む) Dwb 亜寒帯冬季少雨気候のうち、最暖月が10度以上22度未満、加えて月平均気温10度以上の月が4カ月以上ある地域。地図では青紫色で描かれている。モンゴル国境から北にかけて広がる。 Dwa 亜寒帯冬季少雨気候のうち、最暖月が22度以上ある地域。地図では薄紫色で描かれている。Dwbと隣接し沿海州に向かって広がる Dsb 高地地中海性気候のうち、最暖月が10度以上22度未満、加えて月平均気温10度以上の月が4カ月以上ある地域。地図では赤紫色で描かれている。カムチャッカ半島西岸などに見られる。 Dsd 高地地中海性気候のうち、3つの条件を満たす地域。すなわち、最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3カ月以下、最寒月が-38度未満。地図では薄赤紫色で描かれている。Dsbに隣接したごく狭い範囲に見られる。地球上でこの地点にのみ見られる気候区である。 BSk ステップ気候のうち、年平均気温が18度未満の地域。地図では黄土色で描かれている。モンゴル西端から北に伸びるたごく狭い範囲に加え、カスピ海沿岸に見られる。 BWk 砂漠気候のうち、年平均気温が18度未満の地域。地図ではサーモン色で描かれている。BSkに隣接したごくわずかな範囲に見られる。 ソビエト連邦解体後、ボリス・エリツィン大統領の主導のもと市場経済化が進められたが、このためにかえって急速なインフレーションを招き、1990年代半ばには経済的に落ち込んだ。その後、成長に転じつつあったが1997年のアジア経済危機の影響を受けて1998年に財政危機を招き、再び落ち込んだ。 しかし、ロシアはサウジアラビア、米国に次ぐ世界第3位の原油生産国であり、サウジアラビアに次ぐ世界第2位の原油輸出国である。2003年以来の原油価格上昇によって貿易収支が改善し、石油産業を中心とする成長が続く。このためロシアの経済は市場経済転換後の長い経済停滞を脱し、急速な景気回復が見られた。2000年にはGDP成長率が10%を越える一方インフレーションも抑制され、好調が続いている。このためロシアはブラジル・中国・インドと共に「BRICs」と呼ばれる新興経済国群の1つに挙げられるまでになっている。 しかしながら自由化の恩恵に与った者(オリガルヒ、新ロシア人、ニュー・リッチに代表される)とそうでない者の貧富の格差の拡大、チェチェン人によるテロのリスクなど、不安定要因が多いのもまた事実である。 ロシアは最も鉱物資源が豊富な国の一つである。産出量が世界シェア10位以内となる資源だけで20種類に及ぶ(以下の統計数値は「鉱業便覧 平成14年版 経済産業調査会」による2002年時点のものである)。 有機鉱物資源では、天然ガス(21807千兆ジュール、21.9%、2位)、原油(3.5億トン、10.3%、2位)、燃料に用いられる亜炭(8668万トン、9.5%、4位)、石炭(1.6億トン、シェア4.4%、6位)の採掘量が多い。原油と天然ガスの産出量は1位の国(サウジアラビア、アメリカ合衆国)との差が小さく、いずれも2ポイント未満の差にとどまる。このため、統計年度によっては1位となることもある。 これらの有機鉱物資源のうち、国内で消費される比率が高いのが石炭と亜炭 (88%) と天然ガス (69%) である。一方、原油の国内消費比率は29%と低く、主に輸出されている。ロシアの原油輸出量は世界第2位(1億6211万トン、2001年)である。 ロシア経済に占める貿易の割合は急拡大している。1992年時点では、国民総生産3978億ドルに対し、輸出が381億ドル、輸入が350億ドルであった。2003年に至ると、国民総生産4885億ドルに対し、輸出は1260億ドル、輸入524億ドルに増加している。輸出の伸びが著しい。これは原油及び、石油関連の生産・輸出拡大によるものだ。ロシアの貿易構造は1992年から2003年に到る10年間で大きく変化してきた。1992年時点では旧ソ連を構成していた諸国に対する貿易が、輸出で7割、輸入で5割を占め経済ブロックを形成していた。品目では機械と原油、化学工業製品を輸出し、建設機械と軽工業品、食料を輸入していた。ところが、2003年時点では輸出入とも相手国が分散する。原油、石油製品を輸出し、機械、自動車を輸入している。つまり、機械工業の落ち込みと原油輸出の大幅な伸びが特徴と言える。 日本との貿易は順調に拡大している。日本からの輸入額は15億ドルから45億ドルへ、輸出額は28億ドルから62億ドルに伸びている。品目は輸入を中心に変化した。日本への輸出の変化を見ると、1992年時点は魚介類、木材の2品目で50%弱を占め、アルミニウム(アルミニウム合金を含む)、石炭、白金が次いだ。これが2003年になるとアルミニウム(アルミニウム合金を含む、22.4%)、魚介類、石炭、木材、原油となった。輸入は、機械類 (26.7%)、鉄鋼、電気機械、自動車、プラスチックであったものが、乗用車 (62.1%)、建設機械 (6.4%)、映像機器、通信機器、バスに変わった。品目が自動車に集中したことになる。 国民の80%以上はロシア人である。ロシア人以外の主要な民族には、ウクライナ人、チェチェン人、イングーシ人、オセット人、カルムィク人、タタール人、バシキール人、チュヴァシ人、トゥヴァ人、サハ人、エヴェンキ人、タイミル人、マリ人、モルドヴィン人、カレリア人、イヌイット、ドイツ人、ユダヤ人、高麗人など、100を越える多くの非スラブ系民族がいるが、公用語であるロシア語が民族共和国を含め全域でほぼ完全に通用し、ロシア化が進んでいる。極東を中心に漢民族の移住が増えており、沿海地方では将来的には人口でロシア人を上回るといわれている。 ロシア人を含めた多くの民族がロシア正教会の信徒であるが、カトリック、プロテスタントやイスラム教、ユダヤ教、仏教などの信徒も少なくない。 1992年以降人口減少が続いている。原因には、出生率が著しく低下していること、男性の平均寿命が極めて短くなっていることがある。現在のロシアの男性の平均寿命は1987年以降短くなる傾向にあり、58歳11ヶ月16日となっている。対照的に、女性は72歳4ヶ月4日であり、男女格差が極めて大きい。 ロシアは、旧ソビエト連邦時代からスポーツ大国を誇り、オリンピックや各競技の世界的大会でその実力を示してきた。1980年のモスクワオリンピックを始め、国際スポーツ競技大会の開催も数多い。2014年には黒海沿岸のソチで冬季オリンピックを開催することが決定している。 ロシア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が12件、自然遺産が7件ある。さらにモンゴルとにまたがって1件の自然遺産が、リトアニアとにまたがって1件の文化遺産が登録されている。 クリスマスが1月7日なのは、キリスト教の宗教行事はロシア正教が公認しているユリウス暦に基づいて行われていることによる。現在の暦であるグレゴリオ暦は歴史的にはカトリック側が作った暦であるためである。すなわちグレゴリオ暦(新暦)1月7日がユリウス暦の12月25日に相当する。2100年2月28日まではグレゴリオ暦とユリウス暦のずれは13日である。「旧正月」も同様である。 アメリカ合衆国 | イギリス | 中華人民共和国(かつては中華民国) | フランス | ロシア(かつてはソ連) アイルランド | アンドラ | イギリス | オランダ | フランス | ベルギー | リヒテンシュタイン | ルクセンブルク アルバニア | ウクライナ | クロアチア | スロベニア | セルビア | ブルガリア | ベラルーシ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | モルドバ | モンテネグロ | ルーマニア | ロシア イタリア | ギリシャ | サンマリノ | スペイン | バチカン | ポルトガル | マルタ | モナコ バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、又は無い国であり、国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。 アメリカ合衆国 | イギリス | イタリア | カナダ | ドイツ | 日本 | フランス | ロシア アゼルバイジャン | アルメニア | ウクライナ | ウズベキスタン | カザフスタン | キルギス | グルジア | タジキスタン | ベラルーシ | モルドバ | ロシア |
[ 28] ロシア - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2
|
日本の隣国ロシアは不思議な国で、ある人にとっては神秘的な魅力に満ち溢れた国であるのに、別の人にとっては得体の知れぬ近寄り難い国のようです。実際、数多くのお客を彼の地へ案内している旅行会社の社員に聞くと、一度ロシアへ行った人の多くは両極端に別れる傾向があるそうです。一方は、その魅力にとりつかれてその後も繰り返し足を運ぶ人、そして他方は「ロシアだけはもう金輪際行きたくない」という人。 私はどういうわけか前者の部類らしく、1979年の暮れにバレエを見に荒れる冬の日本海をナホトカまで渡ってモスクワとレニングラード(当時)に行ったのを皮切りに、以来今日までかれこれ40回以上にわたって旧ソ連邦とロシアの各地を旅行してきました。 幸か不幸か、私がソ連・ロシアを旅行した時期は、いわゆる「停滞の時代」からペレストロイカを経て“粗野な資本主義”の時代まで、社会と人々の価値観とが大きく変っていった時で、その激変の様子を目の当たりにした二十年余でもありました。ここでは、一旅行者の目で見たその時期のソ連・ロシアの都市と自然、そしてそこに住む人々の表情を何回かにわけてご紹介しようと思います。Copyright(c):石川顯法 1997-2007 一部のHTMLファイルで、<IMG>タグ中の画像の大きさを指定していません。そのため、目次で指定したページと画面に表示されるページが一致しない場合があります。その際は下方へスクロールしていただくと目次で指定したページが見つかります。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。 第1章 サンクト・ぺテルブルクとその郊外 (1997.3掲載/1998.4更新/2006.12一部修正) モスクワよりはるかに新しい町でありながら、心の故郷へ帰ってきたような不思議な印象を与える美しい町、サンクト・ペテルブルク。 300年の間に、文学,演劇,音楽,美術,建築,科学などの巨大な花を開かせた町。 そして同じその間に、建設と破壊,栄華と困窮,蜂起と弾圧,包囲と解放,革命とその崩壊,..と歴史の多様な試練をくぐりぬけてきた町でもあります。 ■■サンクト・ぺテルブルク点描 → 運河のある風景/青銅の騎士像/ネフスキー大通り/ペトロパヴロフスク要塞/要塞監獄/要塞の中の教会/エルミタージュ/聖イサク寺院/カザン寺院/スパース・ナ・クラヴィー聖堂/アレクサンドル・ネフスキー修道院/ゴスチヌィ・ドヴォール/夏の庭園/デカブリスト広場/宮殿広場/芸術広場/ロシア美術館/カザンスカヤ広場/ネヴァ河畔の並木道/水路/フィンランド湾/アストリア・ホテル/アニチコフ橋/トロイツキー橋/エカテリーナII世像/アレサンドリンスキー劇場/ロッシ通り,他/スフィンクス/旧海軍省/中央郵便局/モスクワ駅/地下鉄駅/マリインスキー劇場/シチェドリン図書館/キーロフ・スタジアム/街角/ネヴァ川/ドストエフスキーの墓/チャイコフスキーの墓/グリンカの墓/ボロディンとムソルグスキーの墓/R・コルサコフの墓/ルビンシュテインの墓/ボルトニャンスキーの墓/クラムスコイの墓/シーシキンの墓/プティパの墓/ツルゲーネフの墓/プレハーノフの墓/ワガノワの墓/ニコライII世の墓/日露戦争戦没将兵の慰霊碑/動物学博物館 ■■十月社会主義革命の足跡 → 巡洋艦“オーロラ”/スモーリヌィ/幼時のレーニン/レーニン博物館の展示品/旧レーニン博物館前の装甲車/フィンランド駅/ケレンスキーの閣僚が逮捕された部屋/ラズリフ湖畔“緑の書斎”/レーニンの母と姉の墓 ■■900日の包囲に耐えて → ピスカリョフ墓地/ターニャの日記/「通りのこちら側は危ない」の標識/道路脇のトーチカ跡/勝利の広場 ■■サンクト・ペテルブルク郊外 → 郊外の民家/レーピノ/ペトロドヴォレツ/プーシキン/パブロフスク 子どもは世界のどこの国でも可愛いのでしょうが、ロシアを旅行すると特に子どもたちの可愛さが印象に残ります。もっとも、口の悪い人達は「その分、大人が憎らしい」などと言ったりしますけれど.... イルクーツク/サンクト・ペテルブルク/バツーミ/ナリチク/エニセイスク/プーシキン/フィンランド湾/エレワン/ミンスク/ハバロフスク/キエフ/キシニョフ/レニングラード/ペテルゴフ/セヴェロバイカリスク/マリ(トルクメニスタン)/モスクワ/ティンダ/シカチアリヤン(アムール河畔)/ムルマンスク/ユルマラ(ラトビア)/ナガリク(サハ)/ヴォログダ/ノブゴロド/オデッサ/ヤールツェボ(エニセイ河畔)/ビリニュス/オルジョニキッゼ/ペトロザボーツク/シーダ(バイカル湖畔)/コムソモリスク・ナ・アムーレ/ウラジヴォストク/タリン/テラビ(グルジア)/ヤルタ/ドゥヂンカ/ストールビィ(クラスノヤルスク郊外)/エニセイ最下流域/カムチャッカ/シベリア鉄道/ボルガ河/北コーカサス/グルジア軍用道路/ブハラ/シャフリサブス/ヒワ/アシハバード/トロイツコエ(アムール河畔)/ユジノサハリンスク/アルハンゲリスク/キジ島/オリホン島/ブラワ(アムール河畔)/ボゴロツコエ(アムール河畔)/マンドロギ/スヴィリストロイ/ヤロスラブリ/ザポロージェ/ヘルソン郊外/ゴリツィ(ボルガ・バルト運河)/サラトフ/クリン/クラスノヤルスク 川崎市にある「日本民家園」のように各地の古い木造家屋を集めて展示した施設が、あちらにも各地にあります。旅に出るようになるまで、私はロシアというのは建物を石で作るとばかり思っていましたが、じつは民間は木造家屋が主流だったのですね。何と言っても森の国ですし。こうして集められた古い民家や教会を見ていると、何か日本の家々と共通するものがあるような気がしてなりません。 スズダリ/コローメンスコエ(モスクワ)/漁業コルホーズ「ウズバラ」(ラトビア)/ロッカ・アリ・マレ(エストニア)/キジ島/コズモデミャンスク(マリ)/コストロマ/アルハンゲリスク/ノブゴロド/窓飾り/軒下の飾り ロシアといえば冬の“トロイカ”ですが、車輪のついた馬車も健在。むしろ、馬橇は観光用のものしか見たことがありません。たぶん、私が観光地ばかりを歩いていて人々の地道な生活の場をきちんと見ない、そんな旅行をしているせいでしょうね。 シベリアの大地を1週間かけて走り抜ける鉄道の旅。誰でも一度は憧れる旅ではないでしょうか。それとも「『憧れる』なんてとんでもない!1週間も乗りっぱなしでは退屈この上ないじゃない。」と思ってらっしゃいますか?それが不思議なことに何度乗っても退屈することなんか全然ないのですよ。 ウラジオストク /ハバロフスク/車窓の風景(枯れた草原)/ウラン・ウデ/イルクーツク /バイカル湖/旅は道連れ/エニセイ川/クラスノヤルスク/ノボシビルスク/車窓の風景(オビ河畔の農地)/ペルミ/ヤロスラブリ/セルギエフ・パッサート/モスクワ 黒海に突き出たクリミア半島、とりわけその南岸は変化に富んだ地形と温暖な気候で古くからロシアの人々によって保養地として利用されてきました。厳しい寒さと単調な大森林や大平原の中に住むロシア人にとってここが憧れの地であろうことは双方の土地を比べてみるとよくわかる気がします。今でも、モスクワっ子にとって、夏の休みにクリミアなど黒海沿岸に行って肌をちょっと黒めに焼いて帰ってくるのはステイタスを自慢することになるんだそうです。 ヤルタ(燕の巣,リバディア宮殿,アルプカ宮殿,チェーホフの家,裏通り,ヤルタ港,海岸通り,公園,教会の塔,黒海を望む,葡萄畑と黒海,薄暮と夜景,森と湖)/フォロス/セワストーポリ(入り江,モニュメント,海に面したゲート,海港,軍港,大通り,裏通り,ナヒーモフ像,レーニン像,入り江を望む,ウラヂーミル教会,黒海艦隊博物館,臨海公園,堡塁跡,ジオラマ館,遺跡)/バフチサライ/シンフェローポリ郊外 ロシアとヨーロッパのはざまに位置し、歴史の過酷な試練にさらされ続けてきた小国ベラルーシ。しかし、ソ連崩壊に先立つこと40年も前から国連に議席を占めていた誇り高い国でもあります。 ミンスク(旅客駅,駅前広場,勝利の広場,街角,教会,アフガン戦争戦没兵士慰霊碑,バレエ・オペラ劇場,トロエツカヤ旧市街区,ロシア社会民主労働党第1回大会会議場)/ハティニ/チェルノグラディ/ゴメリ/ブレスト(要塞,ブレスト講和締結地,中央駅,ドラマ劇場,教会,市場,子どもたちの像,街角) ロシアの首都モスクワは、その名が初めて文献上に現れて以来1997年で850年になるということで、その年の9月に850年祭を盛大に祝いました。そのモスクワの名所を「観光案内」風にご紹介してみます。 赤の広場/レーニン廟/片山潜の墓/グム/ワシーリー寺院/歴史博物館/ホテル「ロシア」/クレムリン/クレムリン内の教会群/武器庫/鐘の王様/大砲の王様/中心部鳥瞰/道路元標/アレクサンドロフスキー庭園/マネージナヤ広場/勝利の公園/凱旋門/バリケード型のモニュメント/ゴーリキー公園/コローメンスコエ/郊外の団地/オスタンキノ/ВДНХ/動物園/植物園/モスフィルム/製菓工場/トヴェリ通り/カリーニン通り/アルバート通り/寒暖計のネオンサイン/ペレストロイカの風/レーニン像/マルクス像/ユーリー・ドルゴルーキー像/チャイコフスキー像/ゾルゲ像/ジューコフ像/ノヴォヂビチ修道院/ダニーロフ修道院/カザン聖母聖堂/救世主キリスト大聖堂/プーシキン美術館/トレチャコフ美術館/露天彫刻美術館/ボリショイ劇場/モスクワ芸術座/高等音楽院/チャイコフスキー・コンサートホール/動物劇場/サーカス/レーニン図書館/モスクワ大学新館/モスクワ大学旧館/モスクワ川/セブ/ホワイトハウス/シャンペン工場/石細工の工場/「クロコヂール」編集部/日本人学校/星の街/地下鉄駅/鉄道駅/河港/空港 ブレジネフのソ連時代、我々外国人旅行者がまず驚いたのは、パン屋といい肉屋といい、どこでも必ずと言っていいほど長い行列があることでした。そんな時代にあってほとんど唯一供給が需要を上回っていたのが年賀はがきだったのです。いえ、私がそう言っているわけではありません。当時ソ連大使館広報部から発行されていた「今日のソ連邦」という雑誌にそう書いてあったのです。でも、図柄の素敵なのも少なくなく、何よりも価格が安かったので私は現地で大量に買い込んでは、日本へ帰ってから子ども達への年賀状として使ったものです。 モスクワ・クレムリン/グジェリ陶器/平和を訴える/冬の森/小鳥とチョウザメ/子ども達のために/おとな達にも/ザルービン氏作品集/森の動物たち/封書用ニューイヤー・カード/クリスマスカード兼用/新生ロシアの官製年賀はがき/官製クリスマスカード/封書用私製クリスマスカード/バースデーカード/グリーティングカード モスクワの北西のバルダイ丘陵に源を発し、はるか南のカスピ海まで3500km以上を流れる大河ボルガは、その位置と豊かな水量と全体を通じての緩やかな勾配から、古くからロシアの人々にとって、農業・漁業・交通・エネルギーをはじめ美術や音楽に至るまで、それこそ文字通り「母なる川」だったのです。そのボルガに沿って岸辺の町々をご紹介してみようと思います。 トヴェリ/モスクワ/モスクワ運河/ドゥブナ/ウグリチ/岸辺の教会/リビンスク貯水池/リビンスク/ヤロスラブリ/コストロマ/ニジニ・ノブゴロド/コズモデミャンスク/カザン/サマーラ/水門/川岸の風景/「緑の休息」/サラトフ/ボルゴグラード/アストラハン 高校生のときに誰もが習った元素の周期表で知られるD・I・メンデレーエフは、日本の高校化学の教科書に登場する唯一のロシア人でしょう。このメンデレーエフが生きた足跡がサンクト・ペテルブルクに残されています。 メンデレーエフ像/建物の壁に書かれた周期表/ペテルブルク大学/メンデレーエフ博物館/手書きの周期表/墓 第12章 バルト三国今昔(いまむかし) (1998.1掲載/1999.2更新/2002.11一部修正) ずいぶん以前、まだソ連に行き始めの頃のことですが、あるときロシア人のガイドと話していてバルト諸国のことが話題になりました。すると彼は「あそこは、反ソ感情が強いから」と言うのです。私は「おいおい待てよ。『反ソ』って言ったってあそこはソ連じゃないか?」と思ったものです。ゴルバチョフのペレストロイカがやってくると15の連邦構成共和国の中で最も早く独立の声を上げたバルト三国、それには私たちのはかり知ることのできないような厳しい歴史の背景があったはずです。今から約20年ほど前のソ連時代のものと、独立後しばらく経ってから撮影した写真とをご覧いただきます。 ■■ソ連時代のバルト三国 → ビリニュス/トラカイ城/沿道の農村/国境/リガ/サラスピルス/ユルマラ海岸/漁業コルホーズ/タリン/ロッカ・アリ・マレ ■■独立後のバルト三国 → ビリニュス(ゲディミナス塔,国会議事堂,バリケード,積み石,慰霊碑群,アンタカルニス墓地,ソ連兵の像, 自動車道路,郊外の団地,鉄道駅,オペラ・バレエ劇場,大学,教会,通り)/カウナス(カウナス城,旧日本領事館,通り,広場)/国境/リガ(自由記念碑,石碑,広場,教会,石畳の道,城壁と塔,街角,ユーゲントシュティール建築)/タリン(街並,通り,太っちょマルガレータ,市役所,大聖堂,タリン港,日本大使館) ソ連邦崩壊の直後に書かれた日本のある新聞記事によると前章のバルト諸国とは逆に「連邦構成15共和国中、最も“不本意な”独立を遂げた」とされる中央アジアですが、古来よりシルクロードの要衝として幾多の興亡を繰り広げてきた深い歴史を持つ国々としてよく知られています。ほんとうに“不本意”だったのかどうかは知りませんが、その中央アジア諸国のうち旧ソ連邦の南側の国境に近い地域を私が訪ねた1991年暮れには既に独立国としての確かな一歩が踏み出されている気がしました。この章ではさまざまな古い遺跡を中心にご紹介します。 ■■ウズベキスタン → タシケント /サマルカンド/シャフリサブス/テルメズ/ウルゲンチ/ブハラ/ヒワ ■■タジキスタン → ペンジケント ■■トルクメニスタン → アシハバード/ニサ/アナウ/メルブ 函館からの飛行機がオホーツク海に出て数十分後にはもうサハリン島の上空で着陸態勢に入ります。ドア1枚隔てた隣のお宅のような土地サハリンの春と夏の表情です。 ■■春のサハリン → ユジノ・サハリンスク(市街,劇場,郷土博物館,戦没者慰霊碑,教会,日本製車両,花屋,物売り)/コルサコフ(港,駅,コルサコフ像) ■■夏のサハリン → ユジノ・サハリンスク(街角,サハリン鉄道本社,鉄道駅,郷土博物館,美術館,チェーホフ像,樺太神社跡,市場,公園,戦勝記念碑,教会,幼稚園)/コルサコフ(市役所,街角,丘の上の住宅群,市内俯瞰,港)/ブズモーリエ(鉄道駅,海沿いの集落,神社跡) 黒海からカスピ海にかけて5000mにも及ぶ高さの山々が連なるコーカサス。それは果てしのない平原と起伏のない森ばかりを見ているロシア人にとって、きっと別世界のようだったでしょう。プーシキン、レールモントフ、トルストイ、イッポリート・イワーノフなど多くの作家や音楽家、画家などがコーカサスに魅了されていることからもそのことが想像できます。 また、このあたりは多くの民族が入り混じっていて、古くから交易も盛んなかわりに紛争も絶えない地域でした。「片手に剣、片手に盃」というのはこの地方の人々にとってまさに実感だったのでしょう。 ■■ロシア → ピャチゴルスク/山麓の青空市場/ナリチク/渓谷/コーカサスの山々/オルジョニキッゼ ■■グルジア → カズベキ/グルジア軍用道路/アナヌリ/ムツヘタ/トビリシ(メテヒ教会,ナリカラ城趾,市街,ルスタヴェリ広場,ルスタヴェリ大通り,自由広場,街角,バルコニーのある家,鉄道駅,クラ川,城壁の跡,シオニ教会,ジナゴーグ,オペラ・バレエ劇場,動物園,サーカス,トビリシ貯水池)/テラビ/ゴリ/ツハルトボ/クタイシ/バツーミ(市街,イルカ,植物園,ツィヒス・ジリ遺跡,黒海) ■■アルメニア → アルメニア北部地方/ハフパット修道院/セヴァン湖/ガルニ/ゲガルト/エレワン(共和国広場,国立美術館,大虐殺のモニュメント,サハロフ像,芸術家の像,マテナダラン,黄昏)/リプシマ/エチミアジン/ガイヤネ/ズワルトノツ/エレヴァン郊外の修道院跡 ■■アゼルバイジャン → バクー(市街と高台,乙女の塔,城壁,キャラバンサライ,拝火教の寺院) ロシア民謡にも歌われてあまりにも有名なシベリアの湖バイカル。その深さは世界一で、地球上の淡水の5分の1がこの一つの湖に貯えられているといわれます。透明度もおそらく世界一。固有種の藻や小海老が水を浄化する働きをしているそうです。広さも琵琶湖の50倍近く、私が訪ねたのはその広大な湖のほんの隅っこにすぎません。 ロシアに比べたら穏やかな気候と肥沃な黒土とに恵まれて旧ソ連の穀倉の役割を果たしたウクライナ、そしてそれに隣接するモルダヴィア(モルドヴァ)の風景です。 キエフ(シンボル,祖国の母の像,キエフ市創始者の像,ウラヂーミル大公像,黄金の門,独立広場,道路元標,外務省ビル,街角,フレシャチク大通り,大祖国戦争のモニュメント,アフガン戦没者慰霊碑,キエフ大学,オペラ・バレエ劇場,鉄道駅,民族楽器,市内の公園,シェフチェンコ像,フメリニツキー像,歩行者天国,並木道,植物園,広場,レーニン像,農業集団化犠牲者慰霊碑,ロシアとウクライナの友好の碑,ケーブルカー,公園の石像,地下街,ペチェルスカ修道院,ソフィア寺院,アンドレイ教会,ミハイロフスキー修道院,ウラヂーミル教会,教会跡,イコン)/ドニエプル川/道路/オデッサ(オデッサ港,ポチョムキンの階段,オペラ・バレエ劇場,街角,裏通り,鉄道駅,並木道,広場,シェフチェンコ公園,通りの風景,戦艦ポチョムキンの碑,永遠の炎,チェルノブィリ犠牲者慰霊碑)/ザポロージェ/ヘルソン/ドニエプロペトロフスク/農村/向日葵畑/葡萄畑/ワイナリ−/キシニョフ(通り,商店街,物売り,噴水) 「黄金の輪」と呼ばれる古都群をはじめ、モスクワ周辺の有名無名の町や村を紹介します。モスクワの町を一歩離れると、そこには話に聞いていたロシアの原風景が広がります。 郊外への道/ウラヂーミル/スーズダリ/ヤロスラブリ/セルギエフ・パッサート/トヴェリ/クリン/トゥーラ/オリョール/ヤースナヤ・ポリャーナ ロシアといえば北の地という印象なのに、その中でもまた北の地域。冬には昼間がほんの数時間しかないとか気温が零下30度にも下がるという所です。しかし豊かな森林資源や漁業資源を背景に古い時代から人々の営みがありました。 ボルガ・バルト水路/ゴリツィ/キリーロフ/ベーロエ湖/コヴジャ川/オネガ湖/キジ島/マンドロガ/スヴィリストロイ/スヴィリ川/スヴィリ川河口/ヴァラアム島/ネヴァ川/ペトロザボーツク/ムルマンスク/鉄道沿線の村々/アルハンゲリスク さきの大戦で戦勝国側の一員だったとは言え、ソ連は他の国々とは比べものにならないほどの戦争被害を受けました。ことに戦争で亡くなった人の数は2千万ともそれ以上とも言われています。戦後の復興も敗戦国の日本以上に困難だったという面もあります。それだけに、為政者の思惑がどうであれ、人々の中には平和を心から願う気持ちが強いのです。 モニュメント(ボルゴグラード,レニングラード,コーカサス北麓,サラトフ)/陣地跡(オデッサ郊外)/要塞跡(ブレスト)/収容所跡(サラスピルス)/工場跡(ボルゴグラード)/埋葬記録(レニングラード)/永遠の炎を守る(オデッサ,キエフ,イルクーツク,ハバロフスク,ブレスト)/戦没兵士の記憶(コムソモリスク・ナ・アムーレ)/横断幕(キエフ)/ポスター(ハバロフスク)/街頭活動(ハバロフスク)/日本人墓地(ハバロフスク,イルクーツク)/戦没者慰霊碑(ナリチク,ヴォログダ,ミンスク) ロシアに幾度も行くようになって、どうしてロシアばかりにそう度々行くのかとよく聞かれます。自分でも一言では答えにくいのですけれど、はっきり言えるのは旅先で出会った人々との関係で不愉快な思いをしたことが殆ど無いことです。無類のお客好き、おせっかいとも言えるほどの親切、そして日本ではもう3-40年も前に失われてしまったような純朴さ、..そんなものにひかれてつい何度も足を運んでしまうのかもしれません。 歓迎/ガイド/通訳/運転手/車掌/ウェイトレス/客室係/船員/船長/船の受付係/歌舞団員/バラライカ弾き/踊り手/船客/読書する女性/鍵番/売り場係/堂守/聖職者/祈る人/祝福を受ける人/鐘撞き/デザイナー/製パン職人/露天商/ワイン醸造家/左官/花に水をやる人/コルホーズ長/工場長/仕立屋/ピロシキ売り/売り子/農婦/猟師/老闘士/生物学者/ロシア語教師/大学教師/音楽教師/幼稚園長/編集長/学芸員/自然公園管理人/調理員/旅行会社社員/ペンション・オーナー/音楽家/兵士/警官/小荷物係/青年/カップル/カップル風/新婚の夫妻/民族衣裳を着た娘さん/犬を連れた奥さん/父親/父と子/学生/師弟/生徒/少女/ハイカー/店番/別れ ロシアというとモスクワとかあちらを頭に浮かべがちですからずいぶん遠い所とつい思ってしまいますけれど、サハリンは別にしても、日本海のすぐ向こう岸がロシアなのです。飛行機でならほんの2時間、船でも一昼夜もあれば着いてしまう文字通りの隣国です。その中でも日本から「片道5時間」以内の極東と東シベリアの表情をお伝えします。 ナホトカ/ウラジオストク(港 ,鉄道駅 ,湾内,街角 )/ハバロフスク(広場,ハバーロフ像,通り,坂道,街角,人工池,内戦のモニュメント,教会,建物,木立ち,アムール川,スタジアム,日本人墓地,慰霊公苑)/イルクーツク(図書館と博物館,自由市場,冬景色,オベリスク,永遠の炎,アンガラ川,鉄道駅,キーロフ公園,金沢通り,デカブリストの家,ドラマ劇場,日本人墓地,修道院,朝,並木道,教会,民家,郊外のタイガ) ロシアやその他の旧ソ連各地で買ったり贈っていただいたりしたお土産の数々です。「モスクワ饅頭」とか「キエフ羊羹」とかはありませんけど、その土地土地の風土が育んだ素朴なものが多いのが特徴です。もちろん写真は現地で撮ったものではなく、デジタル・カメラを使って我が家で撮影したものです。 人形(マトリョーシカ,ロシア,ウクライナ,ウズベキスタン,グルジア,カムチャッカ,北方地方,リトアニア,ロシア[壁掛人形],ロシア[布製の人形],ベラルーシ)/藁製品(帽子,トレー,小箱)/サモワール/木の製品(鶴,小熊,寄木の小箱,白樺細工の小箱,壁掛け,匙,柄杓,木製のトレー,書見台)/塗りもの(ホフロマ塗り,パレフ塗り風の絵,ブローチ,木馬のミニチュア,復活祭の卵,台所用の木板)/石の加工品(孔雀石,ネフリート,琥珀)/焼きもの(小皿,グジェリ陶器,素焼きの人形,素焼きの鶏,料理用の壺,笛,飾り皿,小さな壺)/ガラス製品(白鳥,花瓶,愛の形,泡の芸術)/金属製品(鋳物,チェカンカ[銅の打ち出し細工],真鍮製のトレー,花柄のトレー,飾り匙,国旗をデザインした匙,灰皿)/布製品(プラトーク,民族模様の刺繍,ヴォログダ・レース,中央アジアの帽子,ぬいぐるみ,壁掛け,国旗のミニチュア)/動物製の品々(皮革製表紙の手帳,壁掛け,先住民の工芸品,牙細工,角製の置物,根付風のキーホルダー,マンモスのキーホルダー)/遺跡の木片/キーホルダー/バッジ/絵(小さな油絵,砂で描いた絵,小石を貼った絵,壁掛け,自筆の絵)/写真/蓮の実/石/ロウソク 観光でよその土地を訪れたとき、その土地の人々の生活のにおいをいちばん感じることができるのはきっと市場でしょう。だから外国へ行くと市場に寄るのが好きという人は多いはずです。私もその一人ですが、あちらの人々には写真を撮る時はきちんと身なりを整えてという考えが強くあるようで、作業着や普段着で写真を撮られることをあまり好みません。そのため、ちょっと腰の引けた写真になってしまっているのが残念です。 リガ/タリン/サマルカンド/ヒワ/ウラジヴォストーク/イルクーツク/エニセイスク/ドゥヂンカ/バクサン渓谷(北コーカサス)/コストロマ/エレヴァン/カヘチア/テラビ(グルジア)/ユジノサハリンスク/ブズモーリエ/ニコリスコエ(ボルガ河畔)/モスクワ/ハバロフスク/スズダリ/ヴォログダ/エリゾヴォ(カムチャッカ) 「クレムリン」という語はもともと“城砦”の意味で、その町々の聖俗の権力機関・行政機関の置かれた中心地でもありました。ですから、モスクワだけでなく中世以来のロシアの都市には、クレムリンそのものやあるいはその跡が今でも残されているところが少なくないのです。 モスクワ/ノブゴロド/ニジニ・ノブゴロド/カザン/アストラハン/プスコフ/ヴォログダ/コストロマ/ウグリチ 街の通りやその他の場所で見る看板や広告の写真を意識的に撮ってきたわけではありませんが、今になって手元にあるネガの中からこうして並べてみるとこの十年余の社会の変化が垣間見える気もします。 屋上のスローガン/大会準備/劇場の広告/演奏会案内/オペラの広告/商店の看板/西側のチェーン店/野球試合のポスター/地震被災者の救援/独立運動/チェルノブィリ子ども基金/大統領選挙/大統領/新しい市名/古い市名/ペレストロイカ/政党の看板/消されたレーニンら/制限時間/モスクワ850年祭/赤十字の看板/日本文化への関心/日本料理店の宣伝/遺跡案内/車窓の注意書き/エコマーク/有朋自遠方來/落下物注意 ロシアの人々の生活と歌や音楽とは切っても切り離せません。音楽はしっかりと生活の一部になりきっているのです。あちらの音楽で私がいちばん気に入っているのはロシア正教の教会音楽。聖堂の中でそれを聞いていると自分が地上にいるのか天上にいるのか判然としなくなるというのもあながち作り話とは思えなくなります。ロシアの人々の豊かな音楽性は教会で培われたに違いありません。でも、神聖な場所での撮影はためらわれて教会音楽の写真は1枚もなく、ここでは世俗的な写真ばかりです。 キエフ/オデッサ/セワストーポリ/ザポロージェ/コラ/エレヴァン/ゲガルト/コムソコリスク・ナ・アムーレ/スズダリ郊外/モスクワ郊外/ナガリク/カムチャッカ/ヴォルガ川/エニセイ川/ネヴァ川/ハバロフスク/レニングラード/サンクト・ペテルブルク/ペテルゴフ/ヤロスラブリ/モスクワ/セヴェロバイカリスク/ティンダ/ブラワ/シカチアリヤン/黒海/アルハンゲリスク/イルクーツク 広いロシアを縦横に走る交通機関。その乗り物の写真をと思ったのですが、ソ連時代には飛行機からの俯瞰は言うに及ばず、飛行場も鉄道の分岐点もみな撮影禁止だったので、手元のネガの中にも乗り物の写真は意外に少ないのです。 飛行機/海洋フェリー/河川用の客船/列車/列車の室内 /地下鉄/地下鉄の車内/市電/バス/トロリーバス/山岳用バス/系統タクシー/都市交通の切符/水中翼船/ヘリコプター どの町や村にも無数にある「通り」。人と同じでその表情はなかなか個性的です。ぜひ見比べてみてください。 旧市街の路地(ビリニュス,リガ,タリン)/路地裏(タリン)/石畳の道(タリン)/城壁の間(タリン)/城門の向こう(タリン)/城壁の外(アストラハン)/落書きのされた歩道(サンクト・ペテルブルク)/幅の広い歩道(キエフ)/幅の広い中央分離帯(ドニエプロペトロフスク)/幅の広い階段(オデッサ)/幅の広いプロムナード (ヤルタ)/ビルの谷間(リガ)/建物脇の歩道(モスクワ)/朝の通り(モスクワ)/歩行者天国(モスクワ)/古都の通り(ブハラ)/石畳の坂道(ヤルタ)/冬の夜道(レニングラード)/雨の歩道(レニングラード)/並木のある歩道(ユジノサハリンスク)/明るい歩道(ペトロパヴロフスク・カムチャツキー)/繁華街(サラトフ)/運河沿いの道(レニングラード)/川岸の通り(ハバロフスク,ボルゴグラード,プスコフ)/緩やかな坂道(ペトロパヴロフスク・カムチャツキー)/並木道(ボルゴグラード)/樹木に囲まれた階段(キエフ)/分離帯を兼ねた並木道(キエフ)/色づき始めた並木道(キエフ)/街路樹のトンネル(トビリシ)/樹氷のある通り(レニングラード)/バスの走る通り(レニングラード)/トロリーバスの走る通り(イルクーツク)/大学の見える道(モスクワ)/墓地の小径(サンクト・ペテルブルク) /山の見える道(カムチャッカ)/雪の降る道(ハバロフスク)/水溜まりのある道(ドゥヂンカ)/村の道(スズダリ)/村の「大通り」(トゥルハンスク)/曲がった道(トゥルハンスク)/タイガを貫く道(イルクーツク郊外)/森の小道(クラスノヤルスク郊外)/雪原に延びる道(シャフリサブス〜サマルカンド間) /樹氷のある街道(サマルカンド〜タシケント間) ソビエト連邦の崩壊、そしてその後のロシア経済の混乱のために、国内で流通する紙幣や貨幣はここ10年ほどの間にずいぶん変わってきました。その変化を振り返ってみます。デジタルカメラでいい加減に撮ったものですから、向きがまっすぐでなく、几帳面な方には気になるとは思いますがどうぞお許しください。 ソ連の通貨(5ルーブル紙幣,25ルーブル紙幣,硬貨,記念硬貨)/新生ロシアの通貨(100ルーブル紙幣,500ルーブル紙幣,1000ルーブル紙幣,ルーブル硬貨,新しい1000ルーブル紙幣/10000ルーブル紙幣)/デノミネーション後の通貨(10ルーブル紙幣,50ルーブル紙幣,100ルーブル紙幣,硬貨,ルーブル硬貨,記念硬貨)/ベラルーシの紙幣/ウクライナの貨幣/バルト三国の通貨(エストニアの貨幣,ラトビアの貨幣,リトアニアの貨幣) お札や硬貨のことに触れると、それよりもずっとコレクターの数の多い郵趣関係者から切手もという声が出そうですが、旧ソ連では切手で外貨を稼ごうとしたのではないかと思うほど多くの種類の切手が発行されていて、切手だけ取り上げても一つのWWWサイトには到底収まりきれません。実際、旧ソ連の切手を扱った日本語のサイトもありますし、ここでは私の手元にあるごく限られたもののご紹介に留めます。 ソ連の切手(特殊切手の例,「諸国民の祝日」,小型シート,年賀切手,アルメニア地震救援,日ソ共同宇宙飛行記念)/臨時切手(ウクライナ,ロシア)/加刷切手(アゼルバイジャン,ロシア)/ロシア以外の国の切手(ウクライナ,ベラルーシ,ウズベキスタン,リトアニア,ラトビア,エストニア) ロシアの子どもたちと仲良しになって手紙がくるようになると、そこに必ず書かれているのが家族のこと。パパやママのことは言うまでもなく、おばあちゃんやらお姉ちゃん、それに飼い犬のことまでことこまかに書かれていて家族の絆がともて強いことを感じさせられます。対する私の返事はと言えば、妻子についてなど一度も触れたことはないのにです。 イルクーツク/アルハンゲリスク/サンクト・ペテルブルク/シベリア鉄道/ボルガ川/モスクワ/エヴパトーリア/トビリシ/サマルカンド/タシケント/ラトビア/バトゥーミ沖/ヴォログダ/コムソモリスク・ナ・アムーレ/ハバロフスク/エニセイ最下流域 シベリアを東西に分かつ大河エニセイは流域に住む人々にとって文字通り命綱の役割を果たしています。ここでは中流のクラスノヤルスクから北極圏までの流域の町や集落、そしてそれらを包む豊かな自然の表情をご紹介します。 クラスノヤルスク/ストールビィ/タシキノ/カサチンスキー早瀬/川の表情/アンガラ河口/川岸の風景/レソシビルスク/エニセイスク/ヤールツェヴォ/浮き桟橋/ヴォローゴヴォ/タイガ(コムサ)/レーベジ/トゥルハンスク/イガルカ/川の上の空/鴎/ドゥヂンカ/ツンドラ/トナカイ放牧地/ウスチ・ポルト/エニセイ川 ソ連時代は表向きにはクリスマスを大々的に祝う習慣がありませんでしたから、そのかわりという訳でもないでしょうけれど、新年を迎えるお祝いは盛大でした。ソ連が崩壊してクリスマスが祝われるようになった現在でもその習慣は生き続けています。 モスクワ/キエフ/レニングラード,他/サンクト・ペテルブルク/ムルマンスク/ヴォログダ/年頭の挨拶/カレンダー 私がソ連に行き始めた今から20年ほど前は「インターネット」という言葉すら知りませんでしたから自分が撮った写真を他人に見せる機会があるなどとは思ってもみませんでした。旅に出ても風景を写真に撮ったりするよりも絵はがきを買ったほうがずっと良いと考えて、写真を撮るかわりに絵はがきを買ったものです。ただ、その絵はがきをここに掲載すると著作権の問題に触れますので、ここでは絵はがきセットの表紙だけをご紹介することにします。いわば絵はがきのカタログです。お気に入りのものが見つかりましたらどうぞ現地にいらしてお買い求めください。 モスクワ/セルギエフ・パッサート/スズダリ/カリーニン/ノブゴロド/プスコフ/レニングラード/ラズリフ/ペトロドヴォレツ/プーシキン/パブロフスク/キリロフ/ヴァラアム島/キジ島/ペトロザボーツク/ソロヴェツキー諸島/ムルマンスク/アルハンゲリスク/ヴォログダ/ヤースナヤ・ポリャーナ/ボルヂノ/リガ/リトアニア/ミンスク/キシニョフ/キエフ/カネフ/ザポロージェ/ヘルソン/ニコラエフ/オデッサ/セワストーポリ/バフチサライ/ヤルタ/リバディア/ゲラチ/コルヒーダの洞窟/トビリシ/アルメニア/バクー/エルブルス近傍/オルジョニキッゼ/カルバジノ・バルカル/ミネラリヌィ・ヴァディ/アストラハン/ボルゴグラード/サラトフ/カザン/チェボクサリ/コズモデミャンスク/ニジニ・ノブゴロド/プリョス/コストロマ/ヤロスラブリ/リビンスク/ムィシュキン/ウグリチ/エラブガ/ペルミ/シベリア鉄道/アシハバード/ウズベキスタン/ブハラ/サマルカンド/ヒワ/タシケント/クラスノヤルスク/ノリリスク/タイムィル/ブラーツク海/イルクーツク/バイカル湖/ハバロフスク/ハバロフスク地方/コムソモリスク・ナ・アムーレ/ウラジヴォストーク/沿海州/サハリン島/ユジノ・サハリンスク/カムチャッカ/ペトロパブロフスク・カムチャツキィ キエフが日本の京都にあたる古都だとすれば、鎌倉あたりに相当する古い町々がレニングラード州の周囲の地域にあります。町の中をどちら向きに歩いても古い教会に出会い、教会の中に町があるかのような錯覚すら覚える町々です。ここでは、ノブゴロド州,プスコフ州,ヴォログダ州のそれぞれ同名の州都の様子をご紹介します。 ■■ノブゴロド → クレムリン,ロシア1000年記念碑/ソフィア寺院/ゴスチヌィ・ドヴォール/ユーリエフ修道院/教会 ■■プスコフ → クレムリン/ヴェリカヤ川/教会/鐘楼/広場/修道院/塔/解放記念碑/大通り/天然の冷蔵庫/鉄道駅 ■■ヴォログダ → 夕暮れ/クレムリン/教会/記念碑/公園/木造の宮殿/アパート/民家/鉄道駅/大通り/レース/シャラーモフ博物館/スパソ・プリルツキー修道院/郊外の道 ロシアの人々は「森の民」で、森からたくさんの恩恵を受けて生きています。また、花々も大好きで、野草を摘んでよく人にあげたり窓辺を飾ったりします。この章に置いたのは旅先でふと立ち止まって撮った木々や草花の写真です。 荒れ野と林/林の入口/野の花/露の花/茸/エーデルワイス/紫陽花/白樺/湿地の花/バラ園/赤い実/赤い実のなる木/青い実/赤い葉/自然公園の植物/路傍の草花/森の花/公園の花/庭の花/玄関先の花/樹氷 /路傍の樹木 ソ連時代の旅行では三度の食事はそれほど楽しみではありませんでした。なにしろホテルもレストランも国営。つまり役所が食事を出してくれるようなものだったからです。ところが庶民の家庭でごちそうになる料理の味はぜんぜん別。いや、家庭まで行かなくても通りのピロシキ屋さんでさえ「えっ、外国人にはあんなもの食べさせて、自分たちはこんな美味しいもの食べてるの!」という感じでした。写真では味は伝わりませんから、料理の写真も手元にほとんど無いのですけれど、その数少ないものをお見せします。 宴の前/船の料理/レストランの料理/アイスクリーム/山小屋の料理/家庭でのおもてなし/調味料/シャシリクを焼く/ブリヌィ/機内食/車内食/日本食 日本列島と同じく環太平洋火山列を構成するカムチャッカ。タイガや平原が延々と続く大陸のロシアとは全く違う景観だけでなく、変化に富んだ手つかずの自然がふんだんに残されているという点でも私たちをひきつけます。 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー/アヴァチャ湾/ハラクチル海岸/エリゾヴォ/パラトゥンカ/アヴァチャ山麓/コリャク火山/ナリチェヴォ自然公園 ドストエフスキーの代表作の一つ『罪と罰』は、サンクト・ペテルブルクのごく狭い区域の中で物語りが展開していきます。そのあたりを訪ねてみました。ただ、小説は夏のペテルブルクが舞台なのに、写真のほうは冬景色ばかりなのでちょっと違和感がありますけれど、いずれ夏に訪れる機会があったら撮り直すことにして、しばらくはこれらの写真でご容赦ください。 S横町/K橋/ラスコーリニコフの下宿/センナヤ広場/中庭/金貸し老婆の家/ドストエフスキーの家/V通り/T橋/ペトロフスキー島/ユスーポフ公園/エカテリーナ運河/ニコラエフスキー橋/鉤の手になった短い横町/ソーニャ・マルメラードワの家/小メシチェンスカヤ通り/ヴォズネセンスキー橋/K横町/ドストエフスキー博物館/ドストエフスキー像/ドストエフスキーの墓 タイガに覆われたシベリアの山中を太平洋に向かって走るBAM(バイカル・アムール)鉄道。ソ連邦の一大国家プロジェクトとして建設が進められてきましたが、2001年春の「セヴェロ・ムィスキイ」トンネルの貫通で、まもなくその大工事も終わろうとしています。真冬には気温が氷点下60℃にも下がって、寒さのために空を飛んでいる鳥が突然落ちてくるとも言われるあたり、列車に乗って旅をしていても、鉄道建設がどんなに過酷な労働だったのかを思わず想像してしまいます。 コムソモリスク・ナ・アムーレ/ノーヴィ・ウルガル/イサ/フェブラリスク/ティンダ/ノーヴァヤ・チャラ/コダール山系/タクシモ/セヴェロムィスキイ山地/キュヘリベクスカヤ/ノーヴィイ・ウオヤン/セヴェロバイカリスク/コルシューニハ・アンガルスカヤ/ブラーツク/ヴィホレフカ/チュナ 中露両国の間を流れてきたアムールは、極東の中心都市ハバロフスクから北東に向かい、オホーツク海に流れ出ます。ヨーロッパ部の大河ボルガが母なる河と呼ばれるのに対し、極東最大のこの川はロシア人に「父なるアムール」と呼ばれるのだそうです。ここではハバロフスクから500kmほど下流のボゴロツコエまでの間を往復する船旅の折りに撮った写真の一部をお見せしようと思います。 ハバロフスク/アムール川/川岸の風景/シカチアリャン/「緑の休息」/トロイツコエ/船内でのエンタテイメント/コムソモリスク・ナ・アムーレ/タンボフカ/ブラワ/航路標識/ボゴロツコエ/川を行き交う船/船旅の魅力 日本でも、どんな寒村へ行ってもお寺も神社も見あたらないということはありません。ロシアも同じ。いたるところに教会や修道院、あるいはその跡を見ることができます。この章には由緒ある建物だけでなく、通りがかりにちょっと見かけた、言ってみれば田舎の実家が檀家になっている小さなお寺に相当するような教会の写真も置きました。 モスクワ/サンクト・ペテルブルク/クリン/ノブゴロド/キジ島/アルハンゲリスク/ヴォログダ/ブレスト/エニセイスク/オデッサ/ハバロフスク/キエフ/コストロマ/アストラハン 旧ソ連の時代、大きな河には遊覧船が配置されて、川が凍結していない夏の季節には、大人たちはもとよりピオネールの子ども達まで、いく日もかけてゆったりとしたクルーズを楽しんだものです。そんな川船の中で、ほとんど唯一海にまで漕ぎ出すのがこのドニエプル川のコースです。ウクライナの首都キエフから黒海までの「ウォーター・フロント」の表情をご覧ください。 キエフ/川岸の風景/航路標識/クレメンチュク閘門/鴎/クレメンチュク/川岸の風景/ヨット/川岸の小さな家/可動橋/驟雨/教会/夕焼け/ドニエプロペトロフスク/パイプライン/電線/ザポロージェ/川の風景/ヘルソン/ドニエプロ・デルタ/オデッサ/セワストーポリ/ドニエプル航路の客船/黒海の夕陽 ロシアの誇る世界的な美術館“エルミタージュ”。その膨大な所蔵品については、それらを紹介する書物もTV番組も数え切れないほどありますから、あらためてその写真をここに載せるのはほとんどやめて、美術館の雰囲気をお伝えすることを試みようと思います。 外観/階段/玉座のある広間/居間のような部屋/書斎/いろいろな部屋/天井/天井近くの壁/玉座/回廊/展示室/絵画/彫塑/陶磁器/ステンドグラス/織物/参観者/子供たち ロシアでも、人々はあるときには動物たちに心を慰められ、あるときには動物たちに生活を支えられてきました。人々と動物たちの間には深い絆があります。ところで、ロシアをテーマにしたサイトに「動物たち」の章を置くのなら、どうしても熊の写真を載せたかったのですが、幸か不幸か野山で熊に出会ったことはまだ一度もないものですから....。 私がロシアやウクライナの川・湖・海を旅したときの記録です。テキストだけで、写真はありません。 (1997.9掲載/2005.9追加) ロシアや旧ソ連に関係のある内容の日本語によるサイトのうち個人によって作られたものをできるだけ収録したいという希望を持っています。そのようなページをお持ちの方で、ここのリンク集に掲載しても良いとお考えになってくださる場合はメールでご連絡くださいませんでしょうか。よろしくお願いいたします。 左上にある黄色地に青文字の標題プレートをクリックすればリンク集に入ることができます。 このWEBサイトについてのご意見・ご感想だけでなく、ロシアや旧ソ連に関することなら何でも書き込んでいただける掲示板を用意しました。様々なご質問も含めてお気軽にご利用ください。 左上にある黄色地に青文字の標題プレートをクリックすれば掲示板に入ることができます。 ご覧になってくださってお気づきの点などがございましたらぜひお聞かせください。お待ちしています。 なお、ご質問にもできる限りお答えしたいと思っておりますが、なにぶんにも私はロシアについての専門家ではなく単なる旅人にすぎませんので、私がお答えできることは極めて限られます。ご質問は、私個人宛のメールではなく、上の『掲示板』に書き込んでいただいたほうが、ご期待にそうお答えの得られる可能性が多少とも高くなると思われます。 メール・アドレスに誤りがあるとご返事が差し上げられませんので、お手数でももう一度ご記入ください。 憲法9条「改正」に反対します。石川顯法 ・上のロゴ・マークは (株)音楽センター が著作権を有するものです。 ・ロゴ・マークのリンク先は「九条の会」です。 |
[ 29] RUSSIA & USSR (写真で見るロシアと旧ソ連の国々)
[引用サイト] http://www.asahi-net.or.jp/~ri8a-iskw/
