付け替えとは?
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ハイウェイカード(ハイカ)の付け替えには、事前に「ハイカ・前払」残高管理サービスへのご登録が必要です。ご登録はこちらから可能です ※すでにETC前払割引サービスにご登録されていたお客様は、本サービスをご利用いただけますので、再度「ハイカ・前払」残高管理サービスにご登録いただく必要はありません。 「ハイウェイカード残数ETC付替申込書」(ハイカ付替申込書)に所定の事項をご記入のうえ、「書留郵便」にハイカを同封して「ハイウェイカード共同受付センター」宛てに送付してください。 ハイカ付替申込書は、こちらの会員用ログイン画面よりログイン後印刷が可能です。必要事項の一部が自動で記載されていますので、是非ご利用ください。(印刷にはプリンターが必要です。) 料金所及びサービスエリア・パーキングエリアのインフォメーションに備え付けの専用封筒(料金受取人払)をご利用いただき、必ず郵便局の窓口でお手続きください。 ※専用封筒がお手元にない場合は、こちらから「料金受取人払表示」を印刷し、お手持ちの封筒に貼り付けて、必ず郵便局の窓口でお手続きください。(本来、当社で印刷した用紙をお渡しするものですが、お客様に印刷をお願いするものです。大切な郵便物ですので、破れにくい紙に印刷のうえ、しっかりとした封筒にきちんと糊付してくださいますよう、お願いいたします。) お客様連絡先(お名前、日中の連絡先電話番号)および「ハイカ・前払」残高管理サービス登録情報(ユーザーID、お名前、ご住所、電話番号)をご記入ください。 「ハイカ・前払」残高管理サービス登録情報が自動で記載された付替申込書の印刷を希望される方はこちらから可能です。(ユーザーIDとパスワードが必要です。) ハイカ付替申込書の受付後、ハイウェイカード残数をお客様のユーザーIDに付替いたします。付替が完了しますとETCプラザより付替完了のお知らせ(「付替完了通知書」)を郵送でお届けいたします。 高速国道等のご利用にあたっては、あらかじめ付替が完了していることをご確認のうえご利用ください。付替完了は、付替結果通知書または残高照会により確認可能です。 受付から付替完了まで3週間程度(申込が集中した場合は1ヶ月程度)かかりますのでご了承下さい。 付替実施後の前払金(残高)が1,000万円以上になる場合、ハイウェイカード残数の付替を行うことができませんのでご注意ください。 |
[ 11] 「ハイカ・前払」残高管理サービス
[引用サイト] http://www.etc-plaza.jp/change.html
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かつて、大和川は、柏原村で南から流れてくる石川と合流し、ここから西北へ折れ、久宝寺川(長瀬川)と玉串川(玉櫛川)に分かれて流れて、各川や池と合流しながら最後はそれぞれ淀川へと注いでいました。 大和川が流れていた河内平野は、川が運ぶ肥沃な土砂のおがけで、古代から田畑が開かれ、人々が生活を営んでいたのですが、常に洪水の危険がつきまとっていました。川の流れで運ばれた土砂が河底にたまり、まわりの田畑よりも河底が高い天井川となっていたことや、河口にも土砂が堆積していくことで大雨時などに川の水が排水されにくくなっていたためでした。 古くは651年の水害から、832年の大雨に河内・摂津の被害、1563年の畿内大洪水等の記録が残されています。 788年、摂津大夫であった和気清麻呂(わけのきよまろ)は、平野川、石川と合流した大和川の一部を、今の天王寺公園の南側に通して(北側という説もあります)、大阪湾へ流そうと計画しました。多くの予算と人夫約23万人を使ったにもかかわらず、完成には至りませんでした。 また、江戸時代に入ってからは、河村瑞賢(かわむらずいけん)が安治川の改修・大和川の浚渫(しゅんせつ)・川中のヨシの刈り取りを行うことで洪水を防ごうと計画、3年がかりで改修工事を行いました。しかし、瑞賢の死後、2年連続で大洪水が起こり、年貢を納めることができない村が出るまでに至る事態が起こったのでした。 江戸時代、元和(1615〜1624)から元禄(1688〜1704)にいたる間に、十数回に及び堤防の決壊などによる大水害が起こりました。今米村(現在の東大阪市)の中甚兵衛ら、河内・讃良(ささら)・若江・茨田(まんだ)など各郡の代表者たちは、自分たちの土地を洪水から守るため、大和川の流れを柏原の大和川と石川の合流点から西へ向け、住吉・堺方面へ流す案を何度も幕府に嘆願しました。嘆願の理由は、この付替えによって、15万石以上にもおよぶ村々が水害の被害をまぬがれ、旧河床には新田が開けて作物の増収が期待できるから、というものでした。 しかし、大和川の付替え予定地にあたる村々では、新しい川によって、先祖伝来の家や田畑がつぶされるため、激しい反対運動が起こりました。 一、以前からお願い致しておりますように、大和川の流れを船橋村前より堺の北の海へと川違えしていただければ、水害に苦しんでいる十五万石余の百姓が永久に助かることになりますので、恐れ乍ら川違えのお願いを申し上げます。 一、これまでに、大坂あたりで所々川普請をしていただきましたけれども、大和川が運ぶ土砂で、新開池・深野池や川々は大坂河口までことごとく埋まってしまい、洪水で堤ははち切れるし、一円悪水も落とせません。一年の内にも度々家まで水につかり、何とも渡世を送る場もなく、食べるものもなくなって困りきっております。(中略)とにかく川違えの実施が延び延びになって、非常に迷惑しております。 今後もこれまで通りにお助けがなければ、十五万石余の百姓は何の為すべもなく餓死に及び、何ともなげかわしい次第です。 恐れ乍らご慈悲をいただき、お願いの通りの川違えをしていただければ、私ども一同、末代までのお助けと有難く存じ奉ります。 去る十五日にお奉行様衆がご検分された通りに、川違えを指示されますと、川底になってしまう村々は言うまでもないことですが、新川筋の南側は、南の山方より多くの悪水が流れてきていますので、数多くの井路川が溢れて田地一面に水がつかり、人馬も通れないことが一年の内には度々ございます。そんな所を、北は新川に遮られ、西は地形が高くなっていますので、四五万石も水場になってしまいます。とりわけ、十ヵ村余は水底となり、住むことも出来ず路頭に迷うことになります。 とにかく、川違えの実施は摂州河州数郡の百姓の命にかかわりますので、ご慈悲の上、これ迄のように中止して下されば有難いことでございます。以上。 |
[ 12] 大和川付替え300周年|大和川の付替え
[引用サイト] http://www.yamato300.jp/tukekae/tukekae.html
