祝日とは?

現在の日本の公定休日は15日あります。その基本は太平洋戦争後の昭和23年7月20日に公布、施行された「国民の祝日に関する法律」(略して祝日法)です。
平成になると、それまでの天皇誕生日がみどりの日に、皇太子誕生日が天皇誕生日になり、平成8年(1996)には海の日が加えられました。
さらに平成17年(2005)には、みどりの日を昭和の日に、国民の休日をみどりの日にことが決まり、2007年から実施されました。
日本の古来のお正月は新年を迎えるとともに、年神様や祖先の霊を迎える霊(タマ)祭りの行事でした。やがて仏教の普及により、祖霊を迎えるお祭りは夏のお盆や春秋のお彼岸などが盛んになり、お正月は年神様や氏神・産土神のお祭りとなりました。
陰暦の正月15日は、新年最初の満月の頃で、各地で豊作を願い、また悪霊を払うドンド焼きなどの行事が行われました。新暦の1月15日を成人の日とし、年の初めに人としての豊かな成長を祈る思いが込められています。
神武天皇は九州より東征して5年目に大和に入り、その3年後の「辛酉年の春正月、庚辰の朔(ツイタチ)に、天皇、帝位(アマツヒツギ)を橿原宮に即(シロシメ)す」にいたったとされます。この日付を現在の暦に変換すると2月11日となります。
日本の仏教では、平安時代のころから春秋に彼岸会(ヒガンエ)が催され、悟りの彼岸へ至るための法要が営まれました。また浄土思想の広がりとともに、彼岸の中日(チュウニチ)の夕刻、落日に向かって念仏を唱えれば、西方の極楽浄土に往生出来ると信じられました。
しかし祖霊崇拝の思想は仏教にはなく、日本古来の風習が仏教に結びついたと考えられます。明治以来宮中で行われる春秋の皇霊祭は、祖先供養の風習を仏教色をのぞいて宮中行事化したものにほかなりません。
戦争、敗戦、復興、繁栄と未曽有の歴史をたどった昭和の記念日といえるでしょう。新しく祝日法が制定されるとき、明治天皇の誕生日が文化の日として残された例にならっています。
平成17(2005)年に成立した改正祝日法により、この日は2007年より「みどりの日」から「昭和の日」となりました。
現行の日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布されました。これは先の大日本帝国憲法が、明治22年2月11日の紀元節の佳日に公布された先例にならい、明治節の日が選ばれたものといわれます。そうすると憲法記念日は11月3日でもよかったのです。
ところが当時の人々は明治節への愛着が強く、何とか明治天皇ゆかりの日を残そうとしました。そのため憲法記念日は翌22年の施行のこの日となったのです。
平成17(2005)年成立の改正祝日法により、この日は2007年より、国民の休日から「みどりの日」として正式の祝日となりました。
昭和60年(1985)の暮れ、上のような祝日法の追加条項が加えられました。ところが翌年、翌々年は日曜となったり振替休日となったため、実際この条項が生きて実施されたのは昭和63年の5月4日が最初となりました。そのため暦によってはこの休日が記載されていないものもありました。
ちなみに祝日と日曜日が重なったとき、翌月曜日を休日とする「振替休日制」が公布されたのは昭和48年です。
元来、3月3日と5月5日は、もとの上巳(3月上旬の巳の日)と端午(5月最初の午の日)が3日と5日に固定したものです。正月7日(人日)や7月7日(七夕)、9月9日(重陽)とともに、平安時代頃から五節句とされていました。5月5日は、菖蒲を飾って邪気を払ったのが、尚武や勝負につながり、勇壮な男の子の祝いとされたのです。
平成7年に7月20日として制定された祝日。この日は明治天皇が東北ご巡幸のあと、青森から船に乗り、函館を経由して横浜港に着かれた日といわれます。
昭和38年に「老人の日」と制定された9月15日が、昭和41年国民の祝日となりました。来るべき高齢化社会を先取りしたものと評価されています。
戦前までは「秋季(春季)皇霊祭」と呼ばれました。宮中ではこの日、神武天皇以来の皇室の祖霊を祭る皇霊殿で皇霊祭が行われ、天地・八百万の神々をまつる神殿では神殿祭が執り行われます。多くの日本人もこの頃、祖先の墓参りをします。
春の春分の日とともに、前後3日間を含む1週間を「彼岸」といいます。季節の変わり目で、よく「暑さ寒さも彼岸まで」といわれます。
昭和36年制定のスポーツ振興法に、10月第2土曜日を「スポーツの日」と定めています。秋晴れの候で、昭和39(1964)年の10月10日は東京オリンピックの開会式の日です。2年後の昭和41年、建国記念の日、敬老の日とともに10月10日は体育の日となりました。
天長節の名称は奈良時代に初めてみられ、明治3年に復活したもの。趣旨はやや抽象的ですが、この日は新憲法の公布の日にもあたり、前半はそのスローガンである「自由と平和」をとり、後半は明治時代の近代化政策により、飛躍的に社会の生活・文化が発展したことをふまえています。まさに明治と新生日本を記念する日です。
戦前までの新嘗祭(ニイナメサイ)です。この日宮中では、その年取れた新米を神に献饌し、その後、神より供されたものとして天皇自らが召し上がられます。新嘗祭は本来旧暦の「11月下卯の日」で、新暦では12月下旬前後の冬至に近い頃でした。ところが明治6(1873)年、新たに採用された新暦の、11月の下卯の日であった23日が、以後そのまま固定されて今日に至っています。
昭和64年1月7日、昭和天皇が87歳で崩御されました。同日、皇太子明仁殿下は御年55歳で、神武天皇以来125代目の日本国天皇に即位されました。翌8日には改元が実施され、昭和に変わり「平成」の時代が始まったのです。践祚(センソ)された明仁天皇は、昭和8年12月23日がお誕生日です。
天皇が新しく即位されると、その初めに大嘗祭(ダイジョウサイ・オオニエノマツリ)が盛大に執り行われます。このお祭りは新嘗祭とよく似ていますが、そのための特別の建物が造られるなど、より神秘的なものとなっています。
なお元号は、現代では日本でのみ行われ、明治からは一世一元となりました。昭和54年、元号法として確定しました。

[ 42] 暦祝日
[引用サイト]  http://www.gekkou.or.jp/k-1/koyo-3.html

教派によっては次の訳語を使うことがある。ただし、多くの西洋諸言語では区別せず、たとえば英語では教派によらずnamesdayである。
聖人崇敬をするキリスト教の教派では、各々の聖人にその聖人を守護聖人とする祝日が割り当てられている。その日は殉教者の場合は命日であることが多いが、統一はされておらず、中には由来が不明な日もある。どの日が割り当てられるかの一覧を聖人録と呼ぶ。原則としてその日付は東西教会とも共通するが、まれに異なる場合もある。また各教会固有の聖人もいる(特に東西分裂以後の人物)。
逆に、各々の日付にどの聖人が割り当てられているかを示したカレンダーを聖人暦という。複数の聖人が同じ日を祝日としていることが多いが、聖人暦に書かれるのは原則として1日1人であり、どの聖人が書かれるかは国や宗派によって大きく異なる。1月1日から12月31日までの365日全てに聖人が割り当てられている。ただし、2月29日には割り当てられない。
ただし、カトリック教会は1962年〜1965年の第2バチカン公会議で、実在を証明できない多数の聖人を廃止したため、カトリック教会の公式の聖人暦にはどの聖人の聖名祝日でもない平日 (feria) が多数現れた。しかし各国の教会では、全ての日付が埋まった昔ながらの聖人暦が使われている。
非キリスト教圏ではなじみが薄いが、聖名祝日は国によっては子供の名前をつける際の重要な要素となる。誕生日の聖人から洗礼名をいただいたくほか、誕生日の聖人を個人の守護聖人としたり、洗礼名をいただいた守護聖人を個人の守護聖人としたり、あるいはその複数をおこなう習慣が広く存在する。自分の洗礼名の聖名祝日や守護聖人の聖名祝日を、自分の誕生日と同等もしくはそれ以上に祝う風習のある国もある(ただし、それらの日付は一致することもある)。
ヨーロッパの君主国では君主の聖名祝日はその誕生日と同じく祝日にするところがある。正教会では自らの守護聖人の祝日はとくに記憶する日とされる。カトリックでも北ドイツ、ポーランドなどでは誕生日より盛大に祝うことがある。プロテスタントでもルター派では聖名祝日の祝いをする。
正教会において、ロシア教会およびその影響が強いところでは生神女マリヤ(カトリック教会での聖母マリア)は直接守護聖人とはしないが、ギリシャ教会では生神女を守護聖人とすることができる。
祭日・祝日にはミサに固有式文 (proprium) を用いるが、記念日では通常式文 (ordinarium) も使える。

[ 43] 聖名祝日 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%90%8D%E7%A5%9D%E6%97%A5



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