過ごすとは?

ヨーロッパやアメリカなどでは、ナチュリスムあるいはヌーディズムと言って、海や森などではだかで過ごすレジャー、レクリエーションが定着しています。そのための海岸(いわゆるヌーディストビーチ)やキャンプ場(いわゆるヌーディスト村)などもたくさんあります。
ヨーロッパ、アメリカ在住の方、あるいは海外旅行される方、一度体験してみませんか? 服を着ていては味わえない自然との一体感と解放感を感じることができますし、ストレス解消にもなります。
9、10月は新年度の始まりで、あわただしく、裸どころではありませんでした。8月にEURONATに行って以来、ヌーディストキャンプとは御縁がありません。そろそろキャンプ場のサウナに行きたいなと思っているところです。
まあそれでもたまに天気がいい時は、寒かろうが庭で全裸になることもあります。といっても、ほんの2〜3分の間ですが。家の中は暖房が効いているとはいえ、裸で過ごすことはほとんどなくなりました。でも寝る時は全裸です。
フランスのヌーディストリゾートといえば何よりまず地中海岸の Cap d'Agde(キャプ・ダグド)が有名で、大西洋岸にある EURONAT(ユーロナ)は日本ではほとんど知られていないと思います。キャプ・ダグドが誰でも入れ、大人向きのやや刺激の強いところであるのに対して、こちらはリゾートと言うよりもキャンプ場で、家族連れが中心の落ち着いた休暇村といった趣きで、全く対照的です。
ワインで名高いボルドーの北約80kmのところに、東西約2km、南北約1,5km、335haという広大な敷地に、フランス・ドイツ・オランダ・ベルギーといったヨーロッパ各地から、数千人のヌーディストがヴァカンスを過ごしに来ていました。
キャンプ場の中心には2軒のスーパーマーケットを始め、パン屋、酒屋、総菜屋など各種食材店、雑貨屋、各種レストランなどがそろい、キャンプ場の外に買い物に行く必要が全くありません。
また、室内・屋外プールはもちろんの事、テニス、ビーチバレーはもとより、空手、柔道に至るまで各種のスポーツを楽しむ事ができ、またいろいろなダンス、絵画・陶芸教室、チェス・碁に至るまでありとあらゆる娯楽が用意されていて、長期滞在しても退屈しないよう徹底的に工夫されています。サーカスまでやって来ます。
海岸はどこまでも美しい砂浜が続き、何しろ人里離れたところなので外部の者がやって来る事も無く、ヌーディストだけでのびのびと過ごす事ができます。
私はテントを持ち込んで、5泊6日間滞在して来ましたが、ほとんどの人は最低でも1週間、長い人では2週間も3週間も滞在して、のんびりとヴァカンスを楽しんでいます。たくさんのヌーディストが集まっている事よりも、ヨーロッパ人のヴァカンスに懸ける意気込みに触れていささかのカルチャーショックを受けた次第です。
天気が悪く、ヌーディストキャンプも行かずに、つまらないことをぐちゃぐちゃ言っているうちに、10万ヒットになりました。
前にもどこかに書いたことがあるはずなのですが、旧約聖書にはアダムとイヴは「二人とも裸であったが恥ずかしいとは思わなかった」(創世記第二章、25節)とあり、善悪を知る木の実を食べたために「二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」(第三章、7節)とあります。
ヨーロッパやアメリカでヌーディズムが成り立っているのは、どこかにこの「元々人は裸を恥ずかしいとは思わなかった」というユダヤ教・キリスト教の教えが支えになっていると感じてしまうのです。まあ簡単に言うと、アダムとイヴこそ元祖ヌーディストという訳です。
ヌーディストキャンプで裸の人々を見ていると、「この人たちは自分たちがアダムとイヴになって、楽園を演出しているのではないか」と思うことがあります。
もしこの考えが正しいならヨーロッパやアメリカなどユダヤ教・キリスト教の国以外でヌーディズムが広まらないのも仕方ないことと思えて来ますが、いかがでしょうか?
日本はヌーディズム後進国と言われることがありますが、ヌーディズムが浸透していないのは別に日本に限ったことではなく、ヨーロッパ人の住む国以外はすべてそうです。国際ナチュリスト連盟に加盟している国は、ヨーロッパのほとんどの国の他には、アメリカ合衆国、カナダ、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエルと南アフリカ共和国だけです。すべてキリスト教とユダヤ教の国であって、ヌーディズムはそれらの宗教と何らかの関係があるのかもしれません。
日本でヌーディズムが浸透しないことを人権問題と結びつけたりするのはどうも筋違いだと思うのですが、いかがでしょうか? 少なくともいろんな方面から考えないと、問題の本質は見えて来ないと思うのです。
時に、ヨーロッパやアメリカなどのナチュリスムが、何か崇高な目的や思想のもとに実践されている、すばらしい、称賛すべきものと信じているような議論にお目にかかることがありますが、それは誤解だと私は思います。
実際に裸になっている人は、ただ気持ちいいからそうしているだけで、その点、日本人もヨーロッパ人もアメリカ人もその他の人々も、何も変わるところはありません。
ただヨーロッパやアメリカなど、キリスト教の伝統の長い地域では基本的に裸に対して非寛容なので、裸になるのにいろいろと言い訳する必要があるので、健康にいいとか、自然との調和だとか、自然や他者の尊重だとか、いろいろな主張を考え出さなければならない訳です。実際のところ、それらは裸であるかどうかとあまり関係ありません。
日曜日にヌーディストキャンプに行って来ましたが、ふと思ったのは、ちょっと裸になるのに車で一時間もかけていかなければならないなんて、何て不便なんだということです。
男女一緒か別かということを除けば、日本にはちょっと出掛ければ裸になれるところがいっぱいある。どの国、民族にもそれぞれの裸の文化があってその現れ方が少しずつ違うのだと思います。
確かに日本には裸でバレーボールをやるような西洋的なヌーディズムはまだほとんど普及していないかも知れないけど、銭湯も温泉も無数にあるし、全体的な裸の文化は西洋よりよほど豊かなんではないかと思います。
日本を「ヌーディズム後進国」という人もいますが、全体的な視点から日本、あるいはアジアの裸の文化を捉えてみるべきではないでしょうか?
まだちらっと見ただけですが、ヌーディストや裸族の人たちの交流には役立っているようですね。確かに無制限に誰でも閲覧可能な一般のインターネットでは、裸という微妙で繊細な話題を扱うのは難しいかも知れません。

[ 67] 裸で過ごす ヨーロッパ
[引用サイト]  http://sea.ap.teacup.com/hadaka/



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