信じるとは?

「信じる」というのは楽なことです。疑うのは大変なことです。例えば、人を疑えば、その人の言動が何か別のものを含んでいないかといちいち考えるようになりますし、行動の裏をとったりとろうとしたりするようになります。これって、とても面倒です。対象が一人でも大変ですが、多くの相手を疑うとすれば、自分が他人を疑うことで支払うコストは考えたくないものになります。
そのコストをカットするにはどうするか? 対象を信じることです。疑わないことです。たとえ心の底からは完全に信じられずとも、対象を探る努力を止めることです。
よく人は「信じていたのに裏切られた」と泣き言をいいますが、その多くは疑うコストを放棄して楽をしようとした結果に過ぎないのではないでしょうか?
けれども……、僕は疑うコストを支払うのが面倒で、多くのことをまるのみにして暮らしています。けれども、人をきちんと疑えず、騙されてしまったときに、世の多くの人と同じように、いえ、もっと情けない泣き言を言うでしょう。これまで、人には言わずとも心の中でぐちぐちと愚痴りながら、生きてきました。これからも、きっとそう生きるのでしょうが……。
最近、実生活において「信じる」って楽な言葉だよなと思わずにはいられないことが少々ありましたので、ちょっと愚痴を。
ちなみに何もかも疑いながら生きるのは不可能だと思います。そんなことをやっていたら疑っているだけで生きる力の大半が失われますから、なんぼか丸呑みはしゃあないよねとも思っています。丸呑みしすぎるのがまずいだけで……。
ちなみに疑って探ってし続けて、最後に信じるようになるのは素晴らしいことだと思います。僕が「信じる」って楽だよね〜って言ってるのは、世に満ちる軽い「信じる」に対してです。
2006/06/29 23:24 まいど!がうがうです信じるか疑うか…難しい問題です。何かあったようですが、もし信じて裏切られたとしたら鵜呑みに信じてしまった方も反省すべき点があったのでは?と失礼ですが少し考えてしまいます。例えば言ってもやってもいないことに対して「やってくれるだろう」と過度な期待をして信じる…危険なことです。一度だけ疑うコストをかけてみるというのも一つの手だと思います。その人とじっくり話し合ってみるのも手ですし…(コミュニケーションが足りないのかな?)いつもいつも疑ってたら、仰る通りになりますが…同じようなことが最近あったので、非常に考えてしまいます…
2006/07/01 00:44 がうがうさん、どもです。僕自身が裏切られて痛い目にあったというのじゃなくて、周りを見ていて、「信じる」って言葉は楽だね……とか思ったのです。ただ、がうがうさんのコメントの中に、思っているけれどもできていないことがあって、考えさせられます。自分自身、無精して疑うのを止めているところがありますから(そのために失敗していることが実生活上で色々と……)、もっと疑うことにコストをかけにゃあいかんなあと思います。
2006/07/04 16:44 人間の主観的価値からちゃんと離れるならば「悲惨」という価値判断すら行ってはいけないと思います。
2006/07/04 21:57 はじめまして、bluesy-kさん。僕の書き方がわかりにくいわけですが、「まあ、人の観点から」と最初の文の最後に書いたように、人間の価値判断から考えています。完全に人の価値観から離れると書きにくいのと、日記でそこまで厳密に書く必要もないかと思ったので、「まあ、人の観点から」と但し書きしてから、上の日記を書きました。
2006/07/06 23:34 私は、大切な人達(家族とか親友とか)は無条件で信用して、それ以外の人はほとんど信じないし疑わないでいることを今回のエントリで気づかせてもらいました。信擬を問わずに、そこにある事実だけで客観的に考えるようにしているみたいです。だから裏切られたと感じることもないしかといって疑うコストも負担していない感じです。けして交流が狭いわけではないですけど。考えさせられるエントリをありがとうございます。
2006/07/07 00:47 はじめまして。上の書き込みでは挨拶を忘れていましたね。失礼しました。確かに「まあ、人の観点から。」と書かれていますね。僕はその言葉が「ときに善、ときに悪というだけだと思いますが、」に倒置法的に掛かっていると読んでいました。
2006/07/08 23:11 mmoさん、はじめまして。楽するために安易に何かを信じて、あとでもうちょっときちんとやっておけばと思うことしきりな人生を、僕は送っちゃってるのですが、まあ、疑いすぎると奇天烈なものが見え始める人がいるようなので……。バランスが大事なんだと思いますが、それが難しいというかなんというか。
2006/07/08 23:14 bluesy-kさん、こんばんは。「まあ、人の観点から。」のあたりは、きちんと書くのが面倒で書き飛ばしてしまったところだったりします。一所懸命書いても伝わらないことは多いのに、人に伝える努力をカットしてしまったら、まあ、間違って伝わってもしょうがないよな……なんて思います。
エロネタ、シモネタ、マジメなネタと色々書いております。シモネタやエロネタがお嫌いな方は、ご注意をば。

[ 172] 信じる=コストの節約 - ほしみんの日記
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/hoshimin/20060629/1151587883

病気になると弱気になりがちです。自分の周囲にある全てのことがマイナスな感じに思えたり、生きていくことに対して希望を持てなくなる人もいます。人生の中では、どのような方でも数々の難関を乗り越えて生きていくわけですが、病気は特にストレスを招き重大な問題といえるでしょう。
宗教からくる信念や瞑想からくるリラクぜーションなども"信じること"の一つの例であると思います。家族や愛する人がいた場合、"あの人のために頑張る"という考えも"信じること"であると考えられます。病気になった場合は、そのような、"信じる要素"が見えにくくなり目標を見失うのではないでしょうか?
信じる事が医療に利用されている例を挙げてみたいと思います。癌の患者様が瞑想をしたり絵を書いたりして、自分の癌が徐々に小さくなると考える療法があります。他の例は、痛みを痛くないと信じると、痛みの閾値がさがる研究結果も出ています。医療から離れた例を挙げると、宇宙飛行士を選ぶ際に結婚していて子供がいる人を優先して選んでいた事がありますが、これは家族がいた方が困難なことが起こっても家族のために何が何でも地球に帰還しようと試みる傾向があるためだと言われています。"信じること"とは、自分のため家族のため愛する人のために努力することだともいえるでしょう。
現在の医療は患者様自身が治療を選ぶ時代となっています。医師は検査結果や問診から得た情報を考察し治療内容を患者様に伝えます。10年前の医療では、患者様は医師の言われた通りの治療をそのまま行っていましたが、現在はセカンドオピニオンなど患者様が医師の治療内容を考え選択しています。患者様の"信じる治療"を行い病気を治療していくのが現在の医療であると考えられてきていますし、患者様も御自分の責任で治療内容を選択していく必要性が出てきています。このような医療の中で、やはり"信じること"は重要であり、信頼の置ける医師、家族、愛する人を信じ、また自分自身で選択した治療を信じて最大限の治療結果を引き出せることができれば良いのではないでしょうか。
中には″信じていたがダメだった"と言われる方がおりますが、これも良くなるための一つのステップであると信じる事ができたら良いのにと思います。期待通りの結果が得られない場合には、信じることに個人責任もあることが必要かと思われます。さらに医師は患者様の信じる心を踏まえ、最大限の努力を患者様にすることが重要であります。"信じること"が医療の中で良い意味で活用され、現代の医療を促進して行けば良いと考えました。

[ 173] 信じる力
[引用サイト]  http://www.kishi.or.jp/shinjiru.htm



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