白いとは?
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カレーというのは様々な種類のスパイスが入ることで、茶色かったり黄色かったりするのではなかったか。それが白いとは、一体どういうことなんだろう。 そんな白いカレーのルウを購入し、さっそく作って食べてみた。比較のために買ったシチューと一緒に食べているうちに、ちょっとワケが分からなくなった。 おもわず「なぜカレーを白くする必要があったのか」と根本を覆すような疑問を抱いてしまうほどに、商品パッケージに使われている写真のカレーは白い。 「えーと、カレーが白くて、シチューも白いんだな。世の中には茶色いシチュー(ビーフシチュー)もあるというのに、このカレーはあくまで白いんだな」 と、考えなくてもいいことまで考えてしまい、思わず調理の手が止まる。まだ脳味噌が「カレーが白い」という事実に対応出来ていないのかもしれない。 なにしろこっちは30年以上「カレーといえば黄色」と思っているのだ。いきなり「今日から白もあります」と言われたって、そうそう迅速な対応など出来るハズもない。 玉ネギやジャガイモや鶏肉など、通常のカレーに使用する材料の他に、今回はカブとマッシュルームも入れることにした。白いものは、より白く。あくまで白いカレーに敬意を表しての食材選択である。 さて。カレー作りは、最初に玉ネギを飴色になるまでじっくり炒めるのが肝要だと言われているが、今回に限っていえばその行為はNGだ。玉ネギもさっと火が通った状態で水を加え、さっそく煮込みの態勢に突入。 パッケージでは両方とも同じような白さだったが、ルウとなると、ちょっと事情が違っていた。カレーの方は白というよりベージュがかっており、小さなスパイスのツブツブが見えている。 「だよな、キミ、カレーだもんな!」と、なんとなくホッとする一瞬であった。まだカレーといえば黄色、という思いが頭を占めているのであろう。 パッケージの裏に書かれている通り、ルウが溶けた後に牛乳をドバドバと入れた。それによって、どんどん白くなるカレー。「え、そんなに白くなって大丈夫なの?」というくらい白い。 ああ、台所に充満する匂いはカレーなのに、なんで見た目はシチューなんだろう。そりゃ“白いカレー”だから当たり前なんだけど、それにしたって、ここまで白いのか。 当サイトでは、食べ物と色の関連性について、過去に何度か取り上げている。青い実験しかり、単色弁当しかり。 だった。どうにもビビるではないか。しかしシチューだって白い。だからカレーが白くったって、それが一体どうだっていうんだ!…と思いながら食べ始めたのですが。 …なんだろう。いや、おいしい。すごくおいしい。味はちゃんとした普通のカレーだ。スパイスが効いていて、ごはんも進む。しかし、頭のどこかがムズムズする。 黄色が入ったことで視覚的にメリハリがついたせいだろうか。なんとなくホッとして、2皿目にもかかわらずワシワシと食べ進めることができた。味はまったく変わらないというのに、なんだろう、この安心感は。 しかし、白いカレーの後に食べたせいだろうか、さっきから頭が少し混乱している。食べながら「これはシチューだよな。間違えないようにニンジンを入れたから、これはシチューなんだよな」と、いちいち頭で確認してしまう。 シチューかけごはん、初めて食べたが、それほど奇異な感じがしない。うん、これはこれでウマイじゃないか。子どもが喜びそうな味だ。ドリアみたいだし。 それにしても。さっき白いカレーを食べた時のムズムズはなんだったんだろう。やはり、食べ物の色というのは、想像以上に心理的作用が大きいのだろうか。 カボチャのフレークを加えたことで、シチューが一気に黄色くなった。見た目は“甘口のカレー”といったところか。しかし、味はあくまでシチュー。カボチャの甘みが加わって、ものすごくおいしい。 カボチャのフレークを加えたことで、シチューが一気に黄色くなった。見た目は“甘口のカレー”といったところか。しかし、味はあくまでシチュー。カボチャの甘みが加わって、ものすごくおいしい。 えー、正解はカレーです。別鍋に普通のカレーも作っておいたのです。でも正直、もうどっちがどっちでもいい。 いったい何皿食べたことだろう。腹が一杯なことに加え、「えーと、これはカレーだったかな」とか「いやいや、これはシチューだよ」と自問自答に忙しく、非常に疲れた。 いまだに白いカレーの鍋から匂うスパイスの香りにとまどう自分がいる。「一生カレーは黄色や茶色のままだろう」と思っていたところに、いきなり白だもの。そりゃ脳もビックリしますって。 でもまぁ、要は慣れなのだろう。白いカレーも黄色いシチューも、どちらもおいしかった。あとは固定観念さえ取り払うことができたら、言うことはありません。 それにしても、脳っていうのは厄介ですなぁ。次に白いカレーを食べでもモヤモヤしないように、今からしっかりイメージトレーニングに励みたいと思います。 |
[ 243] @nifty:デイリーポータルZ:白いカレー・黄色いシチュー
[引用サイト] http://portal.nifty.com/2006/10/16/b/
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白い巨塔(しろいきょとう)は、フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ(フジテレビ開局45周年記念ドラマ)。 山崎豊子原作の同名小説4度めのテレビドラマ化。近年のゴールデン枠の連続ドラマとしては珍しい半年間放送の大河シリーズで、2003年10月9日から12月11日まで第一部が放送され、2004年1月8日から3月18日までは第二部が放送された。全21回(第一部全10回、第二部全11回)。本編総時間は約18時間45分。全21話収録のDVD全8巻(VHS版も)が発売されている。 最終回の翌週の3月25日には特別編として、これまでのダイジェストと柳原弘のその後が描かれた。また12月17日、12月24日、12月30日には3週連続で白い巨塔アンコール(総集編)が放送された。 その後BSフジでは本来の姿といえるハイビジョンで放送されている。また、フジテレビ721でも16:9レターボックス(画角情報は4:3)で再放送されている。 また、フジテレビドラマとしては初めてアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(原作ではダッハウ強制収容所。1978年版では省略されている)でロケが行われた。このため、国際外科学会の開催地は原作のハイデルベルクからワルシャワに変更された。また、原作では財前はダッハウにちょっと立ち寄っただけに過ぎず、その後一度も言及がないのに対し、このドラマでは死の直前に財前がアウシュヴィッツを回想する、というシーンが登場する。 番組放送枠「木曜劇場」のスポンサーである大正製薬は、製薬会社であることを理由に、白い巨塔が放送されている期間はスポンサーから撤退した(白い巨塔終了後に復帰)。 その間、大正製薬は「HEY!HEY!HEY!」を半年間各社扱いとして提供。LIONと味の素はこの作品のみ30秒増して90秒提供に。 ライオンの90秒提供としてはこの年の7月から3ヶ月間番組提供をした「トリビアの泉」から移行。この作品が終了した後はライオンの90秒提供を金曜夜8時枠に移行し「ザ・ジャッジ! 〜得する法律ファイル」(現在は「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」)へ移行した。 また味の素は30秒提供枠である「世界ゴリッパですね!!」終了後は「白い巨塔」を放送している間は暫く土曜夜7時枠の提供をせず、作品終了後は土曜夜7時枠に戻り「脳内エステ IQサプリ」の番組提供をしている。また隔月にAGFが提供している場合はAGFを60秒・味の素を30秒の割合で番組提供をした。 スポンサーの一つである三菱自動車工業は本作においてプラウディアを財前教授などのショーファードリブンカーとして登場させているが、同車はすでに2001年に生産が打ち切られている。 各回、軒並み20%を超える高視聴率を記録し、最終回の視聴率は多くの地域で30%を超えるなど大反響を呼んだドラマであった。 背景として、放送開始の数年前より次々と表沙汰となった医療ミス問題を取り扱っていることもあり、そこに対する視聴者の関心があったと思われる。 山崎自身も、執筆当時はフィクションとして書いたことが、現実として起こっている状況に驚きをもっていた(但し執筆当時、山崎は医療ミスよりも大学病院医局内の封建制にも似た師弟関係や権力闘争に主眼を置いていた)。 構成では、一般のドラマで主流の邦楽のエンディングではなく「アメイジング・グレイス」であった点も好評を博したと言われる。 また製作面からは癌の転移を巡る論点や、実際の裁判進行などは、医療・司法関係者からみても近年の日本のドラマにはない忠実な再現であるという指摘がある[要出典]。ただ医局長レベルで手術を一人で十分に行えないという点など非現実的な描写があるという批判もある[要出典]。 また、原作に即して大阪を舞台にしているが、大阪でのロケは初回のわずかなシーンだけで、大阪弁をしゃべる登場人物もわずかである。 従来、大学医学部の医局というものにおいて、教授は統括責任者として直接医局の人事権が与えられているため、通常一般の会社で言えば部署とは独立した「人事部」が取り仕切る人事・昇給・処分・任命権というものがすべて教授にあり、強大な権力となっていた。 国立大学は国立大学法人と変わり、本作品でもさりげなくこのことが触れられている。しかし、旧体質は依然としてそのまま残っているという観点に基づいて、本作品の前半のメインである「教授選」というストーリーが、現在においてもそのリアル性を与えている。 また、今回の「第一外科学教室」は、一応総合的に外科学すべてを扱う講座であるが、財前助教授が食道外科、東教授が呼吸器外科、対立候補の菊川教授が心臓血管外科の専門という設定がなされており、「胸部外科学講座」であったことがうかがえる。 なお、浪速大学医学部のモデルは、「大阪大学医学部」である(ちなみに東京大学は東都大学として、京都大学は洛北大学として、金沢大学は石川大学として出てくる)。浪速大学病院のロケ地は、入り口玄関部は富士通川崎工場、内部及び屋上のシーンは川崎市立川崎病院が使用されている。 本作品に対する批判として最も頻繁に指摘されるのは、医局長のレベルがあまりにも低く描写されていることである[要出典]。一般に大学病院での医局長クラスは40代前の中堅であり、手術などを含めて診療技術に関して、学会や研究等で多忙な教授や助教授等に代わって若手医師の教育の最前線に携わっているような立場である。手術等は一般に一人でこなせて当然である。 また前作とは異なりキャストが若く設定されていることに批判的な意見もあるが、近年日本の各大学病院でも50代未満の若手の教授というのは少なくなく[要出典]、本作品でもそんな時代の流れを汲んだ描写となっているのだろう。 今回の財前は、前作の「腹部外科(消化器外科)医」と異なり、専門が「食道外科医」である。前作においては当時癌として死因のトップであった胃癌を取り扱っていた。 しかし現在ではボールマンの分類(Borrmann classification)における4型(スキルス胃癌)等を除いて、胃癌の転移を見逃すような手術を行うということは一般にありえないことで、訴訟として争われることの対象にすらならない当たり前のこととなっている。そこで今回の作品では、転移や進行の早い食道癌に、テーマが変更されている点が最も注目される。 今回の作品でもう一つ注目されているのが、訴訟の進行であり、実際に弁護士がどう証拠を押さえ、どう資料論理を立てていくかなどは忠実な再現といわれる。その一方、実際の裁判では一つ一つの事件に裁判所がそれほど注力できないこともあり、実際の医療訴訟の現実のモデルとしてそのまま鵜呑みにはできないとの指摘もある[要出典]。 田宮二郎出演の1978年版(全31回)と比較して、ストーリー展開をシンプルに設定し、原作にあるエピソードや設定を大幅に変更した上、登場人物(財前の子供、里見の兄など)がカットされている。特に最終回近くの展開(柳原の処遇など)は78年版とは正反対であった。 後半にあった、里見が下野し、早期癌の老婆を救う話がカットされ、逆に前半、製薬会社の若い女性MR(医薬情報担当者、製薬会社営業)が末期癌で里見の診療による看取りを希望するも、大学病院であるために許可されず、転院後に死亡するというエピソードがオリジナルで追加されている。このエピソードが里見の下野(一旦辞職願預りとなった原作第二部当初と違い、全くためらわず大学を去る。その際自分を財前が直接見ていたことに気づき逆に驚くシーンまである)を決断させるきっかけになったことを伺わせる台詞を、本版の後日談で里見が述懐している。 今作の里見のキャラクターについても、患者に正面から向き合う、これまでのどの版よりも人間的な強さが前面に出た正統主人公然としたキャラクターに変更されており、第二審の証言シーン・後述する終盤の財前への告知シーンへの効果的な伏線とはなったが、財前から堂々と煽られるなどこれまでのどの版にもなかった災難シーンも追加された。かつて友人だった財前と里見が本当に目指していた理想とその現実を描くという、ドラマ演出のトレンドの変化に対応した変更である。 第一審の判決後、原作や78年度版では、財前が学者としての最高峰学術会議会員選に立候補するというエピソードがあったが、今回は浪速大学付属高度がん医療センターの設立にセンター長として関わっていく設定になっている。その分、前半から中盤の浪速大学病院新館設立のエピソードはなくなっている。 控訴審の決定的な証拠として、原作では第一外科の抄録会の記録(財前自身が佐々木庸平の手術を完全治癒組と語ったことが、転移を見逃した証拠として採用された)であったが、本作品では、亀山君子による看護師としての記録(柳原が転移を疑う意見を述べたことを否定し、不見識を罵倒した財前の発言が残されていた)が採用されている。 財前にとって妻より重要な存在である花森ケイ子だが、田宮版では、幾人かの同僚や部下にその存在が知られ、財前の母と接触する以外は最後まで影の女であり(息子を養子に出した財前の母もまた影の女)、財前の死に当たっても唯一バラの花束と手紙を里見に託したのみであったのが、本作では本妻の知る存在となり、見舞いにも訪れ、財前と二人で過ごす時間を許されるまでになっている。 財前の妻杏子も、田宮版ではただ夫を愛し子供を育てるお嬢様育ちの妻であったのが、本作では子供はなく、自ら挑発的に愛人に接触したり、その存在を許し、教授夫人会の活動に熱心になるなど、家庭外での活動を優先する女性になっている。 鵜飼医学部長は原作では里見への異動の告知、対する里見の辞職願に驚き一旦辞職願を預かる、また臨終の財前の言葉に衝撃を受けるなど、行動に若干の気弱さと板挟みの立場になったとき自らの保身を第一とする国家公務員の悲哀を描かれたキャラクターであったが、今作では「権謀術数に長け最後まで生き残った悪役」と明確に設定されている。財前がまだ死んでいない段階で「財前君亡き後の(後任のセンター長云々)」という表現を執拗に繰り返すことで、敗訴=原告の主張する「大学の医療放棄」を確定させた財前に対する不快感と報復人事を示唆している(78年版でも同種の場面で鵜飼は後任教授候補を東に提示している)。臨終の財前の言葉にも一瞬無言で薄く笑い、心中で全く同じ言葉を財前に投げつけていることを伺わせるシーンが追加されており、野心的な財前も組織の歯車に過ぎなかったことを強調する演出となっている。 東佐枝子は、原作では里見との別れを自身の胸の内でつけて以後、登場しないが、本作品では財前の臨終後にまで登場している。 財前が生前にしたためた「遺書」は、原作では大河内教授に宛てたものであったが、1978年版および今作では親友の里見に宛てたもので、自らの運命を受け入れ、今後の生き方を記したものである。なお、最後の「癌治療の最前線にある者が、自らの癌を早期発見できず、治療不能の癌に死すことを心から恥じる」はいずれにも共通。 原作は胃癌(噴門部癌)を取り扱っていたが、今回の作品では、転移や進行の早い食道癌にテーマが変更されている。 柳原医局員の処遇は、前回は即刻除籍(退学よりも厳しい)というものであったが、今回は財前の死後新しく綿貫教授が就任というエピソードが特別編として付け加えられ、財前の忠臣だった安西医局長、佃講師が飛ばされる中で、金井助教授ともども、最後まで大学病院に残っている。前教授の下風を嫌ったものの、一連の騒動の一方の中心人物である柳原を学内に留めたもの、と見る向きもある。 原作・78年版では財前の死因は胃癌とされていたが、財前は喫煙者である設定で、今日では喫煙と肺癌の関係が明らかになっていることから、死因は肺癌と播種、ならびに脳への転移とされている。ただ、喫煙をめぐる環境の変化もあり、喫煙シーンはかなり抑えられている(むしろ78年版のほうが多く見られた)。 後半、財前は進行癌で手術不能であったことを周囲に隠され、前回では最後まで里見を含めて皆から癌を告げられることはなかった。今回は周囲に隠し通され真実を告げられず一人孤独を感じる財前が、うすうすは自身の病状を判断していながら、最後に里見を頼り、里見の病院で検査し里見は隠すことなく検査結果を財前に見せ「余命3ヶ月だ」と告げている(財前も、自身の診断結果が同じであることを彼に臆することなく告げている)。癌の告知というものに対する社会の捉え方の変化が伺える。 昼ドラを多く手がけた井上由美子の得意分野である女性世界の描写が多く、教授夫人会の見栄と虚栄心に満ちた女達の様子が詳しく描かれている(但し、今日、各大学医学部において教授夫人会なるものが存在することはない)。 最終回で財前が解剖に供される際のストレッチャーに載せられた遺体役は78年度版の田宮と同じく、代役を用いず唐沢本人が演じた。ちなみに死化粧された際、ネクタイと白衣姿に着替えられていた。 田宮版のプロデューサーだった小林俊一は本作にも企画段階で関わっていて、企画の和田行は監修という形で小林をクレジットに入れようとしたが、小林は断った。「田宮版にかかわった多くの人が亡くなっているのに、自分だけ名を連ねるわけにはいかない」というのがその理由である。 なお、フジテレビがアメリカのケーブルTVで同番組を放送した際には、版権の都合でオルゴール調のインストゥルメンタルに差し替えられた。 カテゴリ: 出典を必要とする記事 | フジテレビ木曜10時枠の連続ドラマ | 医療ドラマ | リメイクドラマ | 2003年のテレビドラマ | 2004年のテレビドラマ | 白い巨塔 | 共同テレビのテレビドラマ | ハイビジョン制作のテレビドラマ |
[ 244] 白い巨塔 (テレビドラマ 2003年) - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E3%81%84%E5%B7%A8%E5%A1%94_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E_2003%E5%B9%B4)
