以前とは?

などを総称し、ソクラテス以前の哲学者(そくらてすいぜんのてつがくしゃ、フォアゾクラティカーとも)と呼ぶ。ソフィストはソクラテスと同時代人であるが、慣例としてソクラテス以前の哲学者に含める。
ソクラテス以前の哲学者たちの思想は難解をもって知られ、またその範囲についても議論の余地がつねに残る(哲学者という概念はソクラテス以後のものであり、ソクラテス以前の哲学者という分類が哲学史のなかに確立したのは18世紀の後半である)。これにはいくつかの理由が考えられる。
彼らのほとんどが膨大な量のテキストを書いたと推測されるが、直接伝わっているものはひとつもない。現在存在するテキストの全ては、それらの部分部分、また後世の哲学者、歴史家からに引用された断片である。したがってそれらのテキストの精確な文脈は、推測によって補うほかない。ピュタゴラスのように、その発言が一切伝わっていない思想家すらいる。
彼らのまとまった伝記が同時代にあったわけではなく、現在利用可能な資料は、後世の人の記述である。それらは断片的で、また時には相互に矛盾している。たとえば、タレスはしばしば最初の哲学者と呼ばれ、その弟子にアナクシマンドロスがいるとされるが、研究者のなかには、アナクシマンドロスがタレスに先行すると考えるものもいる。
他の思想家の言説との関係や属していた文化や社会との関係が不明であるということは、それぞれの言述内容の解釈に、あいまいさを残す要因となりえる。
プラトン以前のギリシアの思想家たちは、みな散文によってでなく詩の形式を用いた。表現は短く凝縮されていて、そこから多様な解釈が可能になる。また彼らの多くは、それまで問題にされたことのない事柄について語ったため、新しい概念の枠組みを自ら発明しなければならなかった。既存の思想を準拠枠として彼らが使わない、使いえないことで、彼らが何を語っているかを読み解くには、しばしば大きな困難が生じる。
ソクラテス以前の哲学者の多くは、自然と宇宙を自ら思索の対象とした。そのため彼らの思想は、宇宙論あるいは自然学としばしば呼ばれる。彼らは外界の現象について、それまでの擬人的な神話による説明を排除し、より一般化された非擬人的な説明を求めた。たとえば雷は、ゼウスが怒り雷撃を投げているのではなく、雨雲が空気の裂け目を生じその裂け目目から嵐が吹き出し光がみえているのだと説明される。
イオニアの自然哲学は宇宙生成論から出発し(宇宙はなにから生じるのか)、次第に身の回りの現象を説明する方向へと向かった。個々の現象についてなぜそのような現象が生起するのかが問われ、さらに、そのような現象すべてを統御する原理が求められた。「ロゴス」と呼ばれたその統制原理は、火や数という具体的なもののなかに求められた。ここから数の性質を問い、派生的な諸概念、たとえば無限についての探求が行われた。また自然現象への問いは、宇宙の究極的構成原理としての原子を仮定し、原子の機械論的運動で世界を描像する原子論にゆきついた。こうした原理への問いはまた、既存の社会、都市国家のありようを反省し、そこでのふるまいを慣習によってではなく論理によって再び規定しようとするソフィストたちの登場にもつながっていく。あるいはまた、アナクサゴラスのように、擬人的な神の描写に対する懐疑と拒否にもつながっていった。
彼らの提案した現象記述は、観察にもとづくとはいえ、思弁的で、後世の自然科学からは否定される。後世の学者たちは、ソクラテス以前の哲学者たちが提示した答えのほとんどを真実とは受け取らなかったが、彼らが答えを求めようとした質問、さらに問いを立て探求するという態度はそのまま受け継がれた。
しかし、近代に入っての多くの自然学上の発見によって、原子論のように、その論理が再評価されたものもある。
哲学史の上では、ソクラテスを知るのには、ソクラテス以前の哲学者を研究する必要があると、18世紀の後半から唱えられるようになった。ドイツの古典学者ディールスは、彼らのテキストの断片を集めた『ソクラテス以前の哲学者』を刊行し、研究の土台を作った。のちにはクランツがこの作業を受け継いだ。この断片集は彼らについての言及の断片と彼らに帰せられる断片を収録したもので、現在これらソクラテス以前の哲学者のテキストに言及する場合には、出典指示のためディールス=クランツの断片集にある断片の整理番号(略称DK)を用いるのが普通である。
ピュタゴラス教団 : ピュタゴラス - アルクマイオン - フィロラオス - アルキタス - ティメオ
エフェソス学校 : ヘラクレイトス ? エレア派 : クセノパネス - パルメニデス - ゼノン

[ 182] ソクラテス以前の哲学者 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85

哲学の歴史のはじまりを画定する用語に「ソクラテス以前」という言葉がある。ここでも目次を見てもらえばわかるように、この分類をひとまずは採用している。意味は読んで字のごとし――と言いたいところだが少し注意が必要だ。ここではまず、この「ソクラテス以前」という概念について検討しておこう。また、この検討を通じてわたしたちが「ソクラテス以前」について考えるための資料についても触れる。
「ソクラテス以前」(【英】Presocratic; 【独】Vorsokratiker)。文字どおりに受け取れば、時間的(時代的)にソクラテス(Sokrates, 0470/0469BC - 0339BC)に先立っている、という意味であろう。ところがやっかいなことに必ずしもそうではないらしい。どういうことだろうか。
今日わたしたちがソクラテス以前の思索に触れようという場合に欠かせない書物がある。書名を『ソクラテス以前の人々の断片集』(Die Fragmente der Vorsokratiker)という[★001]。邦訳書ではもう一歩踏みこんで『ソクラテス以前哲学者断片集』と訳している[★002]。これはどのような書物か。
H.ディールス+W.クランツ編『ソクラテス以前哲学者断片集』(内山勝利編、全5巻+別巻1、岩波書店、1996-1998) また、「初期ギリシア哲学の分野から代表的な自然哲学者」を選び出して編集されたダイジェスト版として、日下部吉信編訳『初期ギリシア自然哲学者断片集』(3分冊、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2000-2001)もある。
編者はドイツの古典文献学者ヘルマン・ディールス(Hermann Diels, 1848-1922)。後に弟子のヴァルター・クランツ(Walther Kranz, 1884-1960)が加わる。「断片集」というがどのような断片が集めてあるのか。この書物に集成されているのは、古典ギリシア時代の100人近い思索家(とりあえずここではそう呼んでおく)について後世の人間が書き記した資料や引用、本人が書いたと推定される著作の断片だ。ディールスとクランツはこれらの断片を膨大な資料から取りだし、通覧に供す「ハンドブック」(ein Handbuch)としてこの書物を編んだ。この労作のおかげでわたしたちは「ソクラテス以前」の思索家――たとえばタレスやアナクシマンドロス――に関するギリシア、ローマの著述家たちの記述や引用を読むために、あれやこれやの資料とくびっぴきにならなくて済むのだ。以下、わたしたちも同書を大いに使わせていただく。
ディールスとクランツの書物は「ソクラテス以前」と題しているものの、デモクリトス(Demokritos, c0460BC-c0370BC)やクリティアス(Kritias, c0460BC-0403BC)など、時代的に見ればソクラテスと同時代あるいはソクラテス以後の人物も扱っている。これはどうしたことか。なぜディールスとクランツは同書を「ソクラテス以前以後」とせずに「ソクラテス以前」と題したのか。同書第5版にクランツが寄せた「まえがき」に説明がある。
「……『ソクラテス以前』とは、厳密に解するならば、『ソクラテス派』以前の人たちのことであり、文字通りに『ソクラテス』以前の人たちを指すのではないのである。(中略)さらにしかし、本書にはソクラテスの同時代人が多数登場するし、またそれ以上に多くソクラテスより長生きした人たちが登場する。にもかかわらず、この著作は一つの統一性を保持している。ここにあるのは一つの哲学だということ、すなわちソクラテス(ないしプラトン)の考え方をとる学派、したがって『ソクラテス以前』でもなければ『非ソクラテス的』でもない古代哲学を経由していない哲学だということに、その統一性は由来している」
少し回りくどい言い方がされているが、要するにこういうことだ。ここで「ソクラテス以前」というのは単に時期の前後を意味するのではない。そうではなくて、ソクラテス=プラトン(と並べる訳は後々あきらかになる)的な哲学を経験していない哲学という意味で「ソクラテス以前」という統一性がある。クランツはそう言っている。この表現にはソクラテスをひとつの画期とみなす価値観が表明されている。とはいえ、ただちにソクラテスを○としてそれ以前を×とするという意味ではない。仮にソクラテスの哲学をよしとする人物がいたとすれば彼/彼女は「ソクラテス以前」の思索者たちをいまだソクラテスの境地に達しないものと位置付けるかもしれない。逆にF.ニーチェやM.ハイデガーのように、ソクラテス以前の哲学にこそソクラテス以後失われてしまった思索があるのだと価値づける論者もいるだろう。
では、わたしたちはどう考えるのか? さしあたってはいずれの立場にも立たない。そのような位置付けをする前に、まずはこの「ソクラテス以前」という分類の指標がどの程度妥当するものなのか、両者に差異があるのだとしたらそれはどのような差異なのか、またそれはなんらかの意義をもつ線引きなのか――こうした問題意識をたずさえて個々の思索をみてゆくことにする。だから本章のタイトルを「ソクラテス以前」としてはいるものの、事と次第によっては後で破棄することになるかもしれない。いまはひとまず、わたしたちが参照する資料の編者らがなにゆえその資料に「ソクラテス以前」と冠したのか、このことを確認するにとどめておこう。
それにしてもなぜ哲学史はいつもタレスからはじまるのだろうか? またもや脱線に見えるかもしれないが、これは存外重要な問題だ。なぜ重要か。ごたごた言わずにすぱっと「哲学史はタレスからはじまる」と言って先に進めばよさそうなものではある。しかし、それは「哲学」という営みがなにか明白な営為であるという前提がある場合の話だ。なるほど誰にとっても哲学が紛れのない明確な輪郭や対象を備えた営為であるなら、わたしたちも淀みなく哲学史を開始することができる。しかし「哲学とは何か?」 これは存外面倒な問題だ。いやいや、「とは何か」などと規定しようとするからいけないのであって、生き方を教える知恵やそれについて考えることを哲学と言えばいいじゃないか、そう言う向きもあるだろう。ビジネス書などに見られる「人生哲学」というやつだ。
しかしもし哲学がそれだけのことなら、わざわざ哲学などという言葉を使う必要もない。「人生論」とか「人生談義」とでも言えばことは済む。とはいえ有りうべき誤解を避けるために言えば、わたしたちは哲学をなにか有り難いものであるとか、高尚ななにかであるとか、そういう風に思っているわけではない。わたしたちが生まれた時代には、すでに諸々の学問や作品が膨大にあった。そのひとつに哲学があった。――と言っても日本の中学高校には哲学の授業はない。あるのはしばしば「政経」とセットになった「倫理」だが、これは修身のなれの果てのようなもので哲学と題していないように哲学ではないのだが――他の諸学が対象や方法の点でわりと直感的にわかりやすい(わかった気分になれる)のに較べて、哲学とは得体の知れないものだ。
そんなわけで、わたしたちは早くも躓く。なぜ哲学はタレスからはじまるのか? そしてその場合「哲学」とはなにを意味しているのか。
タレス自身が「わたしこそは哲学をはじめた最初の哲学者である」と言ったわけではない。そもそもわたしたちが知る限り、タレスの著作は現存していない。誰がタレスを哲学者の鼻祖に据えたのか? それはアリストテレス(Αριστοτελησ/Aristoteles, 0384BC-0322BC)だ [★001]。ためしにアリストテレスの『形而上学』 [★002]をひもといてみよう。冒頭にアリストテレス以前の「哲学者」たちの仕事を吟味するくだりがある。そこでアリストテレスはタレスを「哲学の創始者」と呼んでいるのだ [★003]。
「ところで、最初に哲学した人たちの大部分は質料の意味におけるそれのみを万物の原理であると考えた。(中略)そういった原理の数や種類についてはすべての人が同じことをいっているわけではなく、タレスはこういった哲学の開祖であるが、水がそれであるという(それゆえ大地は水の上に浮かんでいると彼は主張した)。」
『形而上学』の上記引用につづく部分はアリストテレスによるギリシア哲学史とでもいうべき記述で、その筆頭にタレスがおかれているのだ。アリストテレス以後に書かれた哲学史がタレスからはじめられるのは、主としてこのアリストテレスの主張を手本にしてのことである。ではいかなる意味において、タレスは哲学の鼻祖であるというのか? タレスについて検討してみよう。
アリストテレスのギリシア語表記における語末の「シグマ」は、本来なら形を変えるところだがフォントの都合で語中と同様に「σ」を使う。以下も同様。
わたしたちがタレスの生涯について知る手がかりは、後世の著述家らが伝える伝聞だけが頼りだ。個々の証言の真偽はひとまず問わないことにして、証言に基づいてその生涯を構成してみよう [★001]。タレスはどのような人物であったのか。
タレス(Θαλησ/Thales)は、ミレトス(Miletos)で生まれた。ミレトスというのは小アジア(現在のトルコ)西岸部、イオニア地方にあったポリスだ。伝承では紀元前11世紀に建設されたというが定かではない。前8から前6世紀にかけての最盛期には多数の植民地を持っていた。タレスの生歿年は不明である。一説によると第35オリュンピア祭期に生まれたと云われる。オリュンピア祭期というのは、古代ギリシアのオリュンピアで神ゼウスにささげる祭典競技として4年に一度催された競技大会の回数を基準とする数え方だ。記録に残る最古のオリュンピア祭典は前776年といわれ、これを第1回と数える。つまり、先ほどの第39回オリュンピア祭期とは西暦に換算すれば、前640-637年ということになる。同様に彼の没年は第58オリュンピア祭期つまり前548-545年であるといわれる。
ただし、この推定は前2世紀の人アポロドロス(Apollodoros, 生没不詳)が『年代記』で述べていたことらしいのだが、アポロドロスは対象人物のアクメー(ακμη)、つまり「盛年」と訳される考え方に基づいて生没年を「算出」しているとのこと。この辺、伝聞形で歯切れが悪いのは、ディオゲネス・ラエルティオスが伝えるアポロドロスの資料に付けられた註釈などに基づいて受け売りをしているため。それはともかく、アクメーは40歳に設定され、ある人物が生きていたと考えられる同時代の年代がわかっている出来事に結び付けられる。たとえばタレスなら、彼が予言したとされる前585年の日食をタレスのアクメー(40歳)として、そこから40引いた年つまり先ほど確認したが生年という按配だ。この推定がどれほどの確度であるかは推して知るべしである。
余談が長くなったが、タレスは父エクサミュエスと母クレオブゥリネの間に生まれた。父と母の名がしっかり伝わっているのは、ある人物の出自を述べる際に両親の名を記す習慣のためだろう。彼が生まれた一族はテレウス一族といい名家だった。
タレスの著作は伝存していない。わたしたちは万物の原因を水に求めるタレスの説を知っているけれども、そのような主張をしたタレス自身の書物が残っているわけではない。すべては後世の著述家たちによる引用や伝聞に基づいている。一冊の書物も残さなかったという説もあれば、『太陽の回帰について』『春分・秋分について』『航海用天文学』『元のもの(始源)について』(『原理について』とも)といった書物をタレスの名に帰す者もある。いずれにしてもどの書物も残っていない。

[ 183] 哲学の劇場 > 哲学史研究会 > 01.ソクラテス以前
[引用サイト]  http://www.logico-philosophicus.net/history/wp001.htm

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[ 184] [228487]Contribute 3 と以前のバージョンの互換性について
[引用サイト]  http://support.adobe.co.jp/faq/faq/qadoc.sv?228487+002



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