対談とは?

プロ・オーケストラの楽団員も愛読している大ブレイク中の“クラシック”コメディ『のだめカンタービレ』の作者・二ノ宮知子さんが、この春常任指揮者に就任したデプリーストに突撃インタヴュー。初めて『のだめ』を手にしたマエストロは「私もぜひ登場させてくれ!」と言ったとか。今回はデプリースト夫人も交えて楽しい歓談に。果たしてこの対談が今後『のだめ』の展開にどう影響するか、まだ読むのはこれからという方も、乞うご期待!
1989年『LONDONダウト・ボーイズ』(角川書店)でデビュー。『平成よっぱらい研究所』『GREEN』などヒット作多数。現在、講談社『Kiss』誌で連載中の『のだめカンタービレ』が大ブレイク。落ちこぼれピアノ科生・のだめ(本名:野田恵)と、指揮者を目指すエリート・千秋真一を中心に繰り広げられる涙と笑いの“クラシック”コメディは、オーケストラ業界からも熱烈な視線を浴びている。
二ノ宮:オーケストラは何十人もいるので楽器を描くのが大変です。でもすごく楽しくて、描きながら勉強しています。マエストロは指揮者になりたいと思ったのはいつですか。
デプリースト:とても遅くて26歳。最初は法律家になりたかったのです。でも法律家は音楽家ほど興味深い職業ではなかった。娘は法律家になりましたが。
デプリースト:ジャズをやりながらもクラシックはやっていたのです。私の叔母は有名なオペラ歌手ですし。オペラをみたり聴いたりするのは好きでしたが、私自身は特別な照明も何もないところで、ただオーケストラの音が純粋に響いているところがより好きなのです。指揮の国際コンクールで優勝したことがプロになりたいと思ったきっかけでした。
二ノ宮:私は漫画で指揮者を描いていますが、総譜を上から下まで全部見ながら指揮しているのが信じられないんですよ。耳もよくなければ。私はまずそれがだめです(笑)。
二ノ宮:作品を描くときには総譜を買うんです。読めないけど見ていると何かわかる。たぶん指揮者を描いた漫画は今までなかったんです。絵に描くとどうしても棒を持って振るだけの絵になってしまいますし。
二ノ宮:ちょうど今、作品では男の子の主人公の“千秋”が指揮の国際コンクールで優勝して、これから国際的な舞台で指揮者の勉強を始めるんです。大御所の指揮者の弟子になってアシスタント・コンダクターをしてついて回っているんですよ。デプリーストさんがバーンスタインのお弟子さんとして回っていらしたときのことも教えていただきたいんです。アシスタントさんがどういう役割で何に忙殺されるのか、資料では見つからないので。
デプリースト:バーンスタインのアシスタントというのは、ディミトリ・ミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝した時の賞のひとつでした。バーンスタインが私を選んだのです。実際は世界中を一緒について回ったのではなく、ニューヨーク・フィルというひと所にいました。ですからチャンスを待っているだけ。先生が病気になるのを待つようなもので(笑)。
デプリースト:こちらは見ているだけです。レコーディングでプレイバックを聴く時に、マエストロがコメントするのを私が書き取って、オーケストラの人たちに指示を出すことはありました。彼の横に座っていて一緒に聴くわけですが、そこでいろいろと学ぶことはあります。彼が何が好きで何が嫌いかとか。ある時、テレビ番組で彼がショスタコーヴィチの「交響曲第9番」を指揮した時のこと、カメラの調子が悪く撮り直しになったのですが、彼はもう指揮を続けるのが嫌になり、私に指揮棒を渡しました。「ジミー、君がやりなさい」と。こうしたことは、そうあるものではありません。ただ、いつそうなってもいいように準備しておくことが大切、ということです。ニューヨーク・フィルをやめてから、自分のエージェントのところに徐々に電話がかかってきて、誰の代役を明日やってくれとか、1週間後にやってくれとか、急な依頼がいろいろありました。自分としてはいつも準備をしてきたので、問題ありませんでしたが。実は、バーンスタインのところを離れてから1年は仕事がなかった。誰も私に興味をもってくれなかったのです。しかしそれが時間を有効に使えた1年でした。レパートリーを広げて暗譜もたくさんできた年だったからです。オランダのコンセルトヘボウ管からベートーヴェン《第9》の演奏会の話がきた時、エージェントには「私はやったことがない」と言わず、「もちろん、できます」と答えました。実際、1週間で暗譜で指揮したのです。その後、やはりバーンスタインのアシスタントであった友人のエド・デ・ワールトが、ロッテルダムで指揮できるよう私を招いてくれました。そのデビューがとても成功して、その後ヨーロッパでたくさん指揮する機会ができ、ワシントンにも戻って指揮しました。チャンスが回ってきて自分の夢が達成できたのです。後はひとつひとつの演奏会の中で成長することを心がけてきました。
デプリースト:例えば、ヴァイオリン協奏曲を弾いているヴァイオリニストが曲を途中で忘れてしまうと、お客さんにも指揮者にもオーケストラにもわかってしまいますが、指揮者というのは間違えても楽団員にしかわかりません(笑)。実際にはコントロールできないこともありますが。ある奏者が1小節早く入ってしまったとき、今度は次の奏者が前の奏者のタイミングが正しいと思って入ってこようとする時があります。指揮者がそこでコントロールできないと、すべてがだめになってしまうことがあるのです。
デプリースト:怒っているとき以外は、おだやかですよ(笑)。ある奏者にもっときちんと弾いてもらいたいときは、その人をおとしめないような言い方をするべきです。いい成果をだすことが肝心で、間違いを指摘することが目的ではないのです。
二ノ宮:私の描いている主人公の指揮者は、よく失礼なことをいって相手を怒らせるんです。しょっちゅうオケとは上手くいかなくて。でもだんだん大人に成長していくんですが。
デプリースト:典型的な指揮者のイメージかもしれません。過去にはそういう指揮者も多かったでしょう。
デプリースト:指揮台に立っている時と降りている時が同じ人物であるということ。指揮台に上がっているのは、オリンピックで優勝した人のような感覚ではなくて、単に弾いている人から見えやすいようにそこにいる、というだけです。あとは、オーケストラの人たちがいつもベストな成果を出せるような雰囲気を作るということ。文楽の人形遣いは人形を操るだけで言葉をしゃべりませんね。棒をもって指揮するときは、実際棒から音が出てくるわけではないので、指揮者が偉ぶる理由はありません。
デプリースト:私は都響というオーケストラがとても好きですし、都響とのこれからをとても楽しみにしています。
デプリースト:それは、それは……(深々と敬礼)。私が出した詩集は3000部ですよ。40ページの詩集を書くのに4年かかりました。あなたの本がそんなにたくさんあるなんて素晴らしい! 日本中、どこでも読めますね。
二ノ宮:クラシック音楽のおかげです。表紙カバーに楽器をもった主人公を描いているので、その楽器をやっている人が絵に惹かれてその巻を買うこともあるようです。
デプリースト夫人:私の位置づけというのは普通の方とは違っています。なぜかというと、いつも彼と一緒に回っているからですが。彼はとてもきさくなマエストロだと思います。
デプリースト夫人:音楽家は家族の中にひとりいればもう十分(笑)。指揮者の9割方がひとりで各地を回っていると思いますが、私は25年間、彼の公演に付き添って動いてきました。とても上手くいっていますけれど。
デプリースト:あなたの作品の中で主人公の指揮者の人はどれですか。その絵に似た20代の俳優を連れてきて、その人に都響で振らせたらどうでしょう。客席は20代の女性でいっぱいになるでしょう。アメリカの俳優はそういうこともできますよ(笑)。
二ノ宮:マエストロがパリ場所ですか!? 今度漫画の中で、ある伝統的なオーケストラを描くのですが、そこの音楽監督になっていただくというのはどうですか。それで私の主人公の上司になるというのでは。
デプリースト:主人公の千秋さんが、私がいないといってコンセルヴァトワールやリハーサル室をいろいろ探しまくるけれど、どこにいたかといえば相撲観戦、というのがいいね!
初めて日本に来て相撲を観た時、大関から昇進してきたのが貴乃花。今なら魁皇が好きです。
デプリースト:どうぞ、仕切っているのはあなたですから。描く人が一番のボスです(笑)。
事務局:ぜひ、“千秋”に都響に客演してもらえるように。あるいは都響で誰かマエストロが突然倒れて、急に“千秋”が日本に呼ばれて客演してくれるという設定でも。

[ 38] 都響 // 特別対談 二ノ宮知子 vs デプリースト
[引用サイト]  http://www.tmso.or.jp/conversation.html

いよいよ男がファッションを愉しめる季節が来た。For Mとしておすすめのブーツは、気品+色気が漂う一足。足元を美しく演出する“大人のブーツ”を見つけてほしい。
ーダー不在の時代だという。時代をリードするような人材がいつになっても台頭してこないという。だが、果たしてそれは本当のことなのだろうか。どんな時代であってもそこにはあえて激流に身を投じ、己の生命を燃焼すべく社会に挑戦する人間がいる。
第1回目のゲストは平成のジャパニーズ・ドリームを実現したサイバーエージェント藤田晋社長。リクルート・アバウトドットコム・ジャパン社長・江幡哲也が成功の秘密に迫った。
1973年福井県生まれ。97年青山学院大学経営学部卒業後、インテリジェンスに入社。98年3月に同社を退社し、サイバーエージェントを設立、代表取締役に就任。インターネットビジネスの営業代行からスタートし、クリック保証型のバナ−広告事業で急成長。その後もインターネット広告代理事業だけでなく、メルマガや懸賞サイトといったメディアコンテンツ事業を展開。2000年3月東証マザーズに株式上場を果たす。
入社1年が経過した頃に社内の別の人間に独立を誘われ、その話を当時の社長にしたところ、自分では足りない分を出資してもらえることになったから。
リスクを考えるより先にリターンに目がくらんでいた(笑)。と同時に、必死になって働いていれば、失敗してもそれがキャリアになり、次につながると思いました。
勤務していた会社の社長に700万円を出してもらい、あとの200万円は私が、100万円は友人が出し、株式会社にしました。
営業する中で売れる商品を探し見つけていった。結果的には、「クリック保証型のバナー広告事業」が大きく成長するきっかけとなりました。
入ったばかりの新人営業部員でも、「クリック保証型のバナー広告事業」という商品は易々と売ってこれたので、これだと思いました。
韓国への進出。提携先のパートナーとの関係に苦しんだ。その結果、早期に見切りをつけ、日本の事業に集中する結果となりました。
江幡 藤田社長がサイバーエージェントを立ち上げられたのは24歳のとき。「クリック保証型のバナー広告事業」という新しいインターネット広告ビジネスで急成長を遂げ、2年後には瞬く間に東証マザーズに上場したのだから凄いですよね。
藤田 僕は小さな頃から事業家になりたいと思っていましたけど、これまでは順調に進んでこれたものだと思っています。そうはいっても、本当の正念場はこれから。気を引き締め直し、現場に檄を飛ばしていますよ(笑)。
藤田 ええ。漠然とながらも、大きなことを成し遂げたい、という思いがありましたから。だから一時は、ミュージシャンになることも夢見たのですけど、才能がね(笑)。それで、東京の大学に進もうと猛勉強したはいいんですが、大学に入学してからは逆に気がゆるんでしまって麻雀三昧。さすがに3年次にそれが原因で留年してしまってからは生活を改めなければと思って、事業家になる夢を思い出し、それには「スーツを着てする仕事だ」と、広告代理店でアルバイトを始めました。
藤田 リクルート出身の方が起業された会社で、リクルートのライバル会社のようなことをしていました(笑)。この会社はバイトといえども、仕事の中身は社員と何ら変わりなかったのです。真夏に1日に100件もの飛び込み営業もやりました。仲間はそのきつさに耐えかね、どんどんやめていきましたが、僕は「こんな程度でへこたれていたのじゃ」と。だって、自分でいずれ事業をやろうと思っているのに、そんなに軟弱じゃ仕方ないでしょう。同時に、その会社は小さな会社だっただけに、経営をするということが身近に感じられたのはとってもよかったことです。
江幡 なるほど。リクルート出身者の会社で働いておられたのですか。それで、その後はどういった企業に就職されたんですか?
藤田 ベンチャーで、しかも伸び盛りのところでさらに経験を積みたいと、当時目覚しい成長をしていたインテリジェンスに決めました。ここでも、本当に必死に働いた。朝は始発で会社に来て、皆が会社に出社する頃にはすでに営業先に向かっていましたから。
江幡 始発で会社に来る。それは相当気合が入っていないと続かないものですよね。なぜそんなに頑張れたのでしょう?
藤田 僕はそんなに口がうまいほうではないので、営業も数で勝負するしかない。しかも、どうせ起業するからには少しでも早く、と思っていたので、そのチャンスをつかむためにもやれることはやっておきたい、自分への先行投資だと思ってがむしゃらに働いていました。
江幡 そのあたりのがむしゃらに働かなければ、という思いは、もしかしたら僕とも共通しているかもしれない。実は僕の家はとても小さいんだけど、会社を経営していましてね。計算してみたら、僕が35歳のときに親父は60歳になる。それで、もしも自分が会社を継ぐなんてことになったら、その時点で僕の会社員生活はジ・エンド。22歳で就職したとしても、13年しか会社員経験は積めない。だったら、年齢にとらわれず、分不相応な仕事ができる会社がいい、と思って、僕の場合、「起業」ということが最初から頭にあったわけではないんだけど、どうせなら世の中の仕組みを変えられるような大きなことをやってみたいと思って、リクルートを選びました。
江幡 僕は、ちょうどリクルートが通信自由化に伴って通信事業に力を入れ出したときに「理系枠」で採用されたんです。リクルートでは、その少し前からすでに「回線リセール」という商売をやっていたのですが、それはつまり、NTTから回線を買ってきて、小口で売るというだけのビジネスだった。
それでもリクルートには営業力があったので、売ることはできていたのだけれど、ビジネスを根本か ら見直さなければ、ということで企画されたのが「企業内内線電話サービスWATTS」。
このサービスは、企業の本支店・営業所があたかもひとつもビルの中にいるように電話ができると同時に、通信コストを大幅に削減できると言うもの。各社の社内ネットワークを共有で構築・活用していただくようなイメージです。大規模かつ重要なネットワークでしたが、立ち上げから携わり、ネットワーク設計を任されました。
江幡 新規事業でしたし、会社としても初めての分野でしたので、仕事には新人も先輩もなく、そのころはほとんど会社に寝泊りしてましたよ。
藤田 そうやって、仕事に力を注ぎ、結果を出していくと、徐々に大きな仕事が任されるようになりますからね。だから、早い時点で「できる奴だ」という認識をもってもらえたらしめたもの。僕は初年度で粗利5000万円という額を稼ぎ出し、それが結果的に次のステージを作るきっかけにつながりましたから。「社外の方に誘われ、新しい会社を始めようと思っている」ということを当時、インテリジェンスの社長だった宇野さんに告げたら、「それなら、お前が社長をやれよ」ってね。「金は俺が出してやるから」と。
江幡 自分の働いていた会社の社長にお金を出してもらえる、というのは本当に仕事ぶりが認められたということなんでしょうね。
藤田 引き止めても、聞かないと思ったから、逆に協力しようと思われたのでしょう。普通であれば、独立したいと思ったって、資金がなく、それを貯めるだけでも10年といった年月が必要なわけでしょう。それを僕の働きを認めてくれて、援助してくれるというのだからやっぱり嬉しかった。それも会社のためというより、僕が自分のために精一杯時間と労力を注いできた結果だと思うんですよね。
藤田 気持ち的には(笑)。時間的には、独立当時よりは余裕ができてきましたね。というのも、独立当初、僕は事業の根幹に何を据えるかを決めない状態で、見切り発車してしまったんです。そんな状況だからこそ、その時、一つだけ決めたことがあった。それは、「週110時間労働」。これは平日18時間、土日は12時間働くと達成できるのですが、何も仕事がない中、これだけ働くのは、本当にきつい。昼は外に出て営業、営業。そして戻ってきてもまだまだ時間がある。だから、その当時の役員1人とアルバイト2人で、ああだこうだと話し合って戦略を練っていました。そうやって足を動かし、頭を働かし……、大きな時間的な先行投資があったからこそ、今があるのじゃないかと思うのです。
1965年神奈川県生まれ。87年武蔵工業大学工学部卒業後、リクルートに入社。大規模企業内通信ネットワークサービスの立ち上げに参加した後、96年にインターネット上のone to oneマーケティングメディア“キーマンズネット”を立ち上げるほか、社内でいくつかの事業を具現化した後、2000年米国About.Inc社とのジョイントベンチャーを立ち上げる。現在リクルート・アバウトドットコム・ジャパン代表取締役社長。
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今後、より良いFor Mを作っていくためにモニター調査を実施する予定です。ご協力いただける方は下のボタンをクリックして応募フォームよりご自身についてご登録下さい。

[ 39] 経営者対談・All About [For M]
[引用サイト]  http://allabout.co.jp/M/20020901/d/

オススメ >>星野ジャパンvs豪州|五輪予選・日本vsサウジ|大相撲|J1|J2|ジャパンC
8日後に迫ったW杯開幕。日本代表の決定力不足は改善されたのか、日本はどうすればいいのか、そして強豪国の調整状況は。W杯取材経験が豊富な金子達仁氏(40)と二宮清純氏(45)が熱く語り合った。
【二宮】98年フランス大会のとき、中盤で回るだけのパスが、駄目になる会社の稟議(りんぎ)書に見えた。決断できない国民性。“失われた10年”の縮図だ。
【二宮】パスサッカーは機能的に映るが一方でパスは責任回避。パスを回しても点は取れない。王手をかけ続けることより詰め将棋を覚えることだ。
【金子】逆に僕は決定力不足と言われるようになったことに喜びを覚える。それはチャンスの数が増えたからです。
【二宮】ジーコも言っていた。これほどチャンスをつくれる国はないと。でも分母がどんどん大きくなっても分子が大きくなる保証はない。日本は2度W杯に出場したが、FWの得点は1大会1点。ここが改善されないと上には行けない。
【金子】日本の選手が決定力不足を痛感するのは今度のW杯が初めてだと思う。前2大会はチャンスそのものが少なかった。それがブルガリア戦(5月9日)は頭をかきむしりたくなるほどチャンスで外している。こういうことを本大会で敗因として受け止めてようやくこのままじゃいけないと…。だから悔しい負け方をしてほしい。ドーハで予選レベルの足りないところを知ってジョホールバルにつなげた。W杯本大会におけるドーハをまだ経験していない。
【二宮】NHKの「プロジェクトX」は、駄目になってはい上がる物語だ。日本人は焼け跡からはい上がることはできる。でも本当のたくましさとは失うものがあるうちに組織を改革することだ。
【金子】それに傷をなめあっている限りいいストライカーは出てこない。日本のFWでここに出せというのは佐藤寿人だけ。彼は高さも強さもないのに点が取れる。日本のFWには珍しく自分が点を取るために逆算をしている。だから選ばれなかったのは残念。
【二宮】中盤の選手に聞くと柳沢の評判がいい。米国大会の準決勝ブルガリア戦でR・バッジオは足をケガしてほとんど動けなかったが2点取った。極端に言えば89分間動かなくても、点を取ればいい。逆に柳沢は89分間貢献するのがFWだと言っている。僕は疑問に思うが、ここまできた以上は信念を貫いてほしい。
【金子】彼のようなFWが生きるためにはエゴイストがパートナーとしていなければ駄目。柳沢はしもべの中のしもべ。これ、褒めているんです。
【二宮】僕はゼロトップでもいいと思っている。アウエーのバーレーン戦は柳沢の1トップだったが実際は中村俊輔や小笠原満男と入れ替わって連動していた。3トップというよりゼロトップに見えた。3シャドーなんて手もある。
【金子】ジーコもその考えはあると思う。でも依然厳しい。僕が一番疑問に思うのは、この2カ月間23人のW杯メンバー選考に気を取られてトップチームの熟成を放置したこと。事情があるにせよ、中田も中村もキリン杯の時に日本にいた。彼らもコンビネーションを熟成させないとやばいと思っている。ところが選手のテストに試合を使った。しかも中1日で出た選手もいた。それなら海外組を使うべきでしょう。
【二宮】オーストラリアのヒディンクは1メートル94のケネディを秘密兵器に使う意向を示した。あれは日本をかく乱するメッセージ。警戒はしなければならないが、過剰に反応するのはよくない。それと日本のFWには軸がいない。日本が上位に進出するにはスキラッチみたいなラッキーボーイが必要になる。ドーハの時のゴン(中山)のような。
【二宮】僕はあえてイタリアを推す。今回の八百長問題が逆バネになりそうだ。カルチョを守るためには勝つしかない。82年はロッシが出場停止明けで、汚名返上のために奮闘した。今回はみんながロッシになっている。
【金子】僕は全く同じ理由でイタリアは消えたと思う。ロッシはいかさまなんかやっていないことを証明したかった。今回選手たちは自分がどうなるかでW杯どころじゃない。それで、僕の本命はフランス。ジダンの引退宣言が大きい。フランスは有色人種のチーム、彼は自分たちの立場を高めてくれた英雄。ジダンのためにと思っている選手がいっぱいいる。
【二宮】僕も今回のフランスは前回とは違うと思う。優勝は分からないけど移民問題や若者の雇用問題が原因で暴動が起きたりしている。移民は迫害され、98年に優勝したときにも国民戦線のルペンが「フランス国歌を歌えないやつはフランス人とは認めない」と発言した。それに反論したのがジダン。彼もアルジェリア系だ。でも移民問題はフランスのみならず欧州すべてが抱えている。失業が深刻な旧東独ではネオナチが台頭している。スペインに至っては、各州が独立国家なみの権利を主張し始めた。そんな中、ジダンはEUが掲げる多民族の融和の象徴になる可能性がある。
【二宮】ブラジルは欧州で勝ったのは1度だけ。94年は負けないサッカーで優勝したが、監督のパレイラは犯罪者扱いだった。今回はドリームチーム。ブラジルらしいサッカーで優勝を果たすというミッションがある。全く違うスタイルの2つのチームを優勝させたら本物の名将だ。
1960年(昭35)、愛媛県生まれ。W杯は90年から4大会連続取材。著書に「スポーツ名勝負物語」「スポーツを『視る』技術」「ワールドカップを読む」などがある。日本サッカーミュージアムアドバイザリーボード委員。4月に携帯サイト「二宮清純.com」を立ち上げた。http://ninomiyaseijun.com
1966年(昭41)、神奈川県生まれ。サッカー専門誌の記者を経て独立。独特のサッカー観は高く評価されている。近著に「すべては、あの日から。」(新潮社、本体1300円)。公式サイトも連日更新中。
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[ 40] スポニチ Sponichi Annex サッカー 二宮清純氏と対談
[引用サイト]  http://www.sponichi.co.jp/soccer/special/2006world_cup/kaneko_wide_18/kijilist.html



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