山手線とは?

B「えー、それって怖くない? だって山手線って終点がないから目覚めなかったら終電までぐるぐる乗っちゃってるってわけでしょ」
A「そんな事ないよ。たぶん何周か走ったら車庫に向かうんだよ、きっと」
山手線の話題はそこで途切れたものの、僕の頭の中ではその疑問が続いていた。何周するんだろう?調べてみようかな。どうやって? 実際に乗り続けるしかないな。山手線は一日中ずっと回り続けているのでしょうか? 何周するんでしょう? 調べたい欲求に駆られた僕は早起きして調べてきました。
・基本的にどこから乗ってもいいんですが、とりあえず新宿駅を起点にする事に。
新宿駅で始発を待つ。とりあえず自転車で深夜3時過ぎに新宿に出て、終夜営業をしている新宿コマ前のマクドナルドで始発の時間まで待つ事にした。
現在は新宿近辺に住む僕は、新宿で終電を逃しても頑張れば歩いて帰れるのですが、以前大阪に住んでいた頃に、夜行バスを乗り過ごしてしまって、新宿で始発を待った記憶がある。
土地勘のない場所で途方にくれてうろうろしていたら新宿コマの前のマクドナルドが終夜営業していて、東京って便利だなーと思った。
内回り(反時計回り)のほうが早かったので、それに乗る事に決める。
それでも時間があまったので、始発前の新宿駅を少し探索する事にしました。
JR新宿駅といえば日本屈指の、いや、世界でも指折りの巨大ターミナル駅だ。あらゆる線が乗り入れるこの駅はJR東日本によると一日平均約75万人の乗客数だという。これは島根県の総人口に匹敵します(!)。ひとつの県の人がまるまるひとつの駅に集まってるようなものなのだ。そりゃ混雑しますよね。
そんな新宿駅ですが、深夜4時過ぎに行くと、さすがに誰もいません。新宿で乗り換えるときに普段うんざりしながら歩く通路がガラガラ。人が居ない新宿駅ってすごく新鮮でした。
始発がやってくる時刻に合わせて人が集まってきました。多少疲れた表情の若者やうずくまるサラリーマンなど、終電とあまり変わらない雰囲気です。思うに朝6時ぐらいなら“さわやか組”と“どんより組”が共存する事になるんでしょうが、今はどんより組しか居ません。
時間通り4時42分にやってきました。ガラガラです。こんなに人の乗っていない山手線初めて見たかも。

[ 145] @nifty:デイリーポータルZ:山手線の電車は何周するのか調べてみた。
[引用サイト]  http://portal.nifty.com/special04/10/17/

この項目では東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線である山手線(やまのてせん)について説明しています。
神戸市交通局が運営する神戸市営地下鉄の山手線(やまてせん)については神戸市営地下鉄西神・山手線をご覧ください。
元阪和電気鉄道の鉄道路線で南海鉄道時代に山手線(やまのてせん)と称していた現在の西日本旅客鉄道の鉄道路線については阪和線をご覧ください。
山手線(やまのてせん)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線(幹線)の名称、もしくは同線を含み東京都区内で環状運転する列車の運転系統の呼称である。
路線名称としての「山手線」:東京都港区の品川駅を起点に、渋谷駅、新宿駅、池袋駅を経由して北区の田端駅を結ぶJR東日本が運営する全長20.6kmの路線の名称。東海道本線の支線。
運転系統としての「山手線」:上記1.と東海道本線、東北本線の一部区間を合わせて東京都区内で環状運転を行う近距離列車の運転系統の名称(1周34.5km)。国鉄→JR東日本内部では「東京電車環状線(略称・東京電環、電環)」と呼ばれている。ラインカラーは■ウグイス色(国鉄黄緑6号)。
運賃計算上の「山手線内」:東京駅からの営業キロ程が101〜200kmの範囲に所在する駅に発着する乗車券に表示されることがある運賃計算上の名称。上記2.の区間に加え、環状線内側にある中央本線神田駅〜代々木駅間・総武本線秋葉原駅〜御茶ノ水駅間を含む。東京山手線内を参照。
一般に山手線という場合、2.の運転系統としての山手線を指す場合がほとんどである。上記以外に、「鉄道要覧」における「山手線」では国土交通省の意向により中央本線と重複する代々木〜新宿間が除外されているほか、マルスのシステム上の経路表示における「山手線」はさらに異なる区間(品川〜代々木間及び新宿〜日暮里間)を指す。
戦前からの東京市〜東京都の市内交通公営主義政策により、私鉄は山手線の内側に乗り入れることができなかったため、各私鉄は、山手線の各駅に隣接して都心側のターミナル駅を設置した。戦後この規制は廃止されたが、山手線内に新設する路線は全て地下鉄が条件となったため、私鉄の資本力では山手線内を貫通することは現実的に不可能となる。山手線の各駅は、都内交通への乗り継ぎ・中継地となり、やがて各私鉄が自力で都心延伸するよりもターミナルに自社の商業施設を集中した方が利益になると判断し始め、渋谷、新宿、池袋は、新都心として発展を遂げていく。こうした新都心を相互に連結する山手線は、東京の交通網の基本路線として機能しており、戦後、私鉄が営団地下鉄や都営地下鉄と相互直通運転を開始し、郊外から電車が直接都心に乗り入れるようになっても、東京の交通網における山手線の地位は揺るぐことなく、むしろ重要性を増している。一方で、地下鉄網の発達や並行する山手貨物線の旅客化、山手線自身の6ドア車導入による11両化により、以前よりも混雑がかなり緩和されているのも事実である。現在の朝ラッシュ時最混雑区間は外回り上野→御徒町であるが、これも東北縦貫線(東北本線の上野〜東京間列車線延伸)の開業で緩和される見通しである。 また、平均駅間距離はJR東日本管内の路線では最も短い。JR全体でも大阪環状線に次いで2番目に短い。
山手線は首都から放射状に伸びる鉄道網の起終点となる主要ターミナル駅を結ぶJR唯一の首都内完結路線として、通勤・通学時間帯を中心にビジネス需要と生活需要に応える設備・運転体系を採って運行されている。
運転系統の全線に亘って専用の複線を有し、接続・並行する他系統から直接この複線に乗り入れる電車も存在しないため、列車の運行は他線区と完全に隔絶された独立のものとなっている。また、他系統の線路が多数併設されており、実質的に山手線が緩行線、並行する他系統が快速線として機能している。多いところでは、鶯谷〜上野間で山手線も合わせて6複線(12線)が並行するが、田端〜東京〜田町間で京浜東北線と方向別運転になる以外は、線路別の運転である(「複々線」も参照されたい)。純粋な山手線の複線のみの区間は駒込〜田端間のみである。
並行する独立した線路を有する運転系統と区間(区間表記の括弧内の駅は、山手線と並行するものの連絡する駅施設がない駅)
このうち、田端〜田町間は京浜東北線と山手線は方向別配線(各駅で同一ホーム上で同一方向の電車が発着。京浜東北線が外側で、山手線が内側)となっており、両線が緩行運転する時間帯においては同一ホーム上での先発列車乗車が可能で、また京浜東北線が快速運転する時間帯では同一ホーム上での緩急乗り換え(山手線が緩行で京浜東北線が快速)が可能である。なお、品川駅は配線の都合上山手線と京浜東北線のホームがそれぞれ独立しているため、京浜東北線の快速は隣の田町駅にも停車して便宜を図り、また乗り換えの案内も田町と品川の両方でなされる。
1988年3月13日に京浜東北線で日中に快速運転が開始されるまでは、田端〜東京〜田町間(厳密には田端駅南側の渡り線と田町駅北側の渡り線との間)で日中の閑散時間帯に京浜東北線の列車と交互に同一の線路を走行させていた(使っていない側の線路はその時間を利用して保守工事が行なわれていた)。使用する線路は1か月ごとに交代していた。中間の各駅では、例えばホームの路線名案内看板の番線表示が「[3]←|[3]←」「[3]←|→[4]」「→[4]|→[4]」のように矢印付で切替可能(島式ホームの反対側に矢印を向けられる)になっていて、時間帯や月によって表示する番線を変えていた。その後も年に数日程度「リフレッシュ工事」と称してこの区間の保守点検作業を日中10〜16時頃の間に行うことがあり、その間は京浜東北線も各駅停車で運転して、山手線と京浜東北線が同一の線路を走行する。そのために、山手線11両編成化後、この区間では京浜東北線ホームも11両対応に改修された。
各駅には乗車位置の案内が掲示されている。東京の路線の乗車位置案内は東京メトロ・都営地下鉄では駅に多数掲示されているが、JR東日本では珍しい例となった(その後にドア幅より長い乗車位置テープが設置され、京浜東北線など他路線でも色違いの同型が採用された)。
また、時刻表が掲示されているが、深夜やラッシュ後に運行される池袋・大崎・品川止まりの列車以外はすべて内回りか外回り列車の到着時刻が掲載されている。また、早朝や深夜以外は運転間隔が短いので電光掲示板による発車案内はホーム以外に設置されていないことが多い。
都心を走るため、運転頻度は非常に高く、平日は朝が約2分30秒間隔、日中が約4分間隔、夕方が約3分間隔である。土曜・休日は終日約3分間隔に次々に電車が来る。これだけ多くの電車が走ってはいるが、平日朝の本数は実は中央快速線よりも少ない。山手線が1時間24本(※1)に対して、中央快速線(10両編成)は6本多い1時間30本(※2)である。これは新宿駅での乗降に時間がかかるため、運転間隔を詰められない為である。なお、中央快速線でも新宿駅では乗降に時間がかかっているが、一方向に2本のホームを設け、先行列車の乗降に時間がかかっても、後続の列車がもう一方のホームに入ってこられるようにしてあるため、1時間に30本の運転ができる。
一度運用に就いた電車は、終日同方向への環状運転をし続け、途中駅止まりの電車は朝ラッシュ終了後(平日のみ)と夕方ラッシュ終了後から終電にかけて(毎日)のみ、また途中駅始発の電車は初電からラッシュ開始前にかけて(毎日)と夕方ラッシュ前(平日のみ)となっている。
山手線は独自の列車種別設定もなく、すべての電車において停車駅パターンは一定である。総合的に見て非常に単調な運転を行なっている。なお、1周34.5kmにかかる時間は日中(b速)の場合は丁度1時間である(つまり、山手線の表定速度は約34km/hである)。
なお、前述のリフレッシュ工事の日で田端〜田町間を京浜東北線と線路を共有する時間帯については、同区間の本数を削減するために池袋と大崎の間を往復する電車が5本に1本程度設定される。このため大崎〜田町間および池袋〜田端間は運転間隔が少し長くなる。余談だが、この区間はちょうど並行する路線もない区間である。
同様に環状運転を行う大阪環状線のように、直接他線区から乗り入れ種別が変わったり、途中駅で折り返して反対方向に運転される列車は現存しない。なお、昭和30年代の一時期、車庫の収容能力が不足したために、一部の電車を京浜東北線の蒲田電車区や下十条電車区に留置させる必要が生じた。この際、京浜東北線へ乗り入れる蒲田行や東十条行として運転した上で入庫させたことがあった。
列車番号は、ダイヤ上の分界駅である大崎を基準とし、「大崎駅発時(24時間)」+「当該編成の当日の運用番号」で振られる。従って、山手線を約1時間かけて一周した列車は、大崎駅終着でなければ同駅で列車番号の「大崎駅発時」部分を更新し、引き続き運転される。なお、他の駅始発列車で大崎駅を00分以前に発車する列車については、「始発駅発時(24時間)」を-1する。
京浜東北線が快速運転する時間帯は、田端〜上野〜秋葉原〜東京〜浜松町間は山手線が緩行の役割となって、緩急運転が実施される。快速停車駅間、特に田端〜上野以遠間、上野〜東京以遠間、秋葉原〜浜松町以遠間、東京〜浜松町以遠間の各区間乗車の場合、概ね京浜東北線快速を利用した方が早い。
また、毎年10月の体育の日には、大崎駅から内回りを1周して大崎駅に戻ってくる途中無停車の臨時列車が日中時間帯に走る。
最混雑区間は、外回りの上野→御徒町間でこの区間の朝ラッシュ時間帯の混雑率は216%に達する。これは日本の鉄道路線としては最高の数字である。この区間が最も混雑する背景として、栃木・群馬・埼玉・千葉北部・茨城と都心を結ぶ路線である宇都宮線・高崎線・常磐線の終点が上野駅となっており、これらの路線利用者が、東京駅方面へ向かうJR路線である山手線外回り(及び京浜東北線南行)に集中すること、などが挙げられる。 現在、JR東日本はこの状況を重く見て、宇都宮・高崎・常磐各線の東京駅延伸構想を計画中である(東北縦貫線計画)。
2005年4月18日から運用車両はすべてE231系500番台(東京総合車両センター所属)11両編成で統一されており、そのうち7・10号車は片側が6ドアの車両で、平日の始発から朝10時までは混雑緩和のため座席が収納されていて使用できない。朝10時を過ぎた時点で座席を使用することができるようになる。
2002年4月21日〜 E231系500番台(205系に比べてやや黄緑の発色が強く車体幅やドア窓が大きい)
山手線では環状運転を行うため、旅客案内上上り・下りではなく外回り・内回りという表現が用いられる。複線のうち、環状線の外側の線路を時計回り(品川→渋谷→新宿→池袋→上野→東京→品川)に運行するものが外回り(列車番号は奇数+「G」)、内側の線路を反時計回りに運行するものが内回り(列車番号は偶数+「G」)である。かつては配線の関係上途中で逆周り(外→内もしくは内→外)となる運用(列車番号の記号は「P」)があったが、現在は原則としてその日のうちに逆周りとなる運用は入庫後も含めて存在しない。また、2日続けて同じ方向の運用に就くことはない。
また、アナウンスや駅の発車案内では外回り・内回りではなく、至近の大きな駅2つを用いた「○○・××方面」という案内をすることが多い。○○や××に入る駅名は、東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川の6つである。例えば、上野駅では外回り電車を「東京・品川方面」、内回り電車を「池袋・新宿方面」と案内する。余談であるが、駅の発車案内の肉声放送では「山手線」と言わず「山手」(やまのて)と呼んでいることも多い。
なお、205系までは循環列車については「山手」・「山手 YAMATE」・「山手線 YAMANOTE LINE」と行先票・方向幕で表現していたが、LEDによる行先表示器を採用したE231系500番台では、区間に応じて主要駅の表示を切替え、日本語と英語を交互に表示している。但し、「大崎」行き・「池袋」行きなど1周しないで終着(入庫)となる場合はE231系でもその列車の終着駅の表示のみがなされる。また車庫内では地点の区別ができないので現在も旧来の「山手線」のみの表示で留置されていることが多い。そのため、池袋や大崎始発列車がホームに据え付けられた時点でも「山手線」表示である。
田端・東京の2つについては線路名称としての山手線の終着駅、および東北本線・東海道本線の終着駅として行先表示が用意されているが、事故による行先変更などを除き、通常は使用されていない。
なお、E231系に搭載されている列車情報管理システムTIMSでのキロ程表示が田端駅で切り替わるのも、線路的に路線が切り替わった証拠である。
E231系は、各ドア上部に2つずつ液晶モニタが搭載されていて、右側の画面は、次の駅の案内や所要時間(半周分のみ、目安30分以内)、近隣自社路線および一部他社局の遅延状況、工事予告などが表示される(右の画像を参照)。なお、遅延状況が複数件ある場合は表組みで、件数が多い場合は複数ページにわたって表示される。以前は駅に近づいた時(駅名表示に変わる時)はページ番号がリセットされて次はまた1ページ目から表示されていたが、台風などで広範囲にダイヤが乱れたときは後ろのページが全く表示されない(表示する前に駅に近づいてページ番号がリセットされてしまう)という問題があった。2006年頃にプログラムが改善され、現在はページ番号がリセットされないようになっている。 このモニタで表示されるの駅名は漢字→英字→ひらがなの順である(例、次は上野→NextUeno→つぎはうえの)。 (LED表示機ではひらがなでなくカタカナだった。ちなみに現在JR東日本の他路線のLED表示機がある車両ではカタカナで表示される)。
左側の画面は、ニュースや天気予報、CM、ナイター速報、エンターテインメント情報が流れる。→トレインチャンネル参照。
元は、東北線と東海道線を短絡する貨物主体の路線で山中に線路を敷設したわけであったが、東京市街地の拡大に伴い市街を巡る大都市の基幹交通路線に性格を変えていった。電車が運行を開始したのは1909年であるが、現在のように環状運転が実施されるようになったのは1925年のことである。
品川線と呼ばれたこの路線は、当時上野駅止まりだった日本鉄道東北本線と、新橋駅止まりだった官設鉄道の東海道本線とを連絡するために建設された。上野駅〜新橋駅間を結べば距離は短いが、既にその区間は住宅密集地域だったので建設を断念し、遠回りになるが山の手(武蔵野台地)側で建設をすることになった(当時、この周辺山の手は民家がほとんどなく、林と草原が広がっていた)。区間は赤羽駅〜品川駅である。
その後、同じ日本鉄道の路線である海岸線(現在の常磐線)との連絡線の建設も行うことになった。常磐線は当時、田端駅〜三河島駅が本線だった(そのため、現在も日暮里駅〜三河島駅間には急カーブが残っている)ので、池袋駅(新設)から田端駅までの路線(豊島線)の建設を行った。ちなみに、当時は分岐点を池袋駅ではなく目白駅にする予定だったが、目白駅周辺で十分な用地の確保が困難だったため、新設の池袋駅へ変更した。駒込駅〜巣鴨駅間で、線路が南西を向いているのは、駒込からそのまま目白駅に向かう予定だったからである。なお、常磐線との連絡線は戦後すぐに瓦礫の捨て場として使われ、埋められてしまい現存しない。
国鉄に買収後、烏森駅(現在の新橋駅)〜新宿駅〜上野駅間が電化され、電車の運転が開始された。この時、品川駅〜烏森駅間は、京浜線(現京浜東北線)に乗り入れる形を採っていた。東海道線が東京駅まで延伸開業し、中央線も同駅まで延伸されると、中央線と山手線を接続し、中野駅〜新宿駅〜東京駅〜品川駅〜新宿駅〜田端駅〜上野駅の、「の」の字運転が開始されたが、1925年に東北線の上野駅〜神田駅間が完成すると、中央線への乗り入れは中止され、環状運転が開始された。この時に同じ線路を走る京浜線も東京駅から上野駅まで延伸され、東北線田端駅〜赤羽駅間が電化された1928年には、京浜線が東北線に乗り入れて赤羽駅まで延伸され「京浜・東北線」と呼ばれるようになった。1956年には山手線と京浜東北線が分離された。
1972年に、赤羽〜池袋間が赤羽線として分離した。元々山手線と同一路線だったため池袋駅では、10両編成化に伴う新ホーム設置(2007年現行3・4番線)までは、山手線外回り始発列車ホーム(2007年現行8番線)で発着していた。ラインカラーも当時山手線で使われていた「カナリア」が、山手線が「ウグイス」に塗装変更された後も使われ続けた。
その後、新型車両の導入や、6扉車の導入などがあったが、路線自体は特に大きな改造などはなされていない。昭和の終わりから平成の初めにかけてのいわゆるバブルの時代に、駅周辺施設の再開発に絡んで、JR東日本の幹部の見解として、今後少なくとも100年くらいは山手線が線路として活用され続けることが想定でき、列車の運行の妨げにならないということを優先して考えると、線路の上の空間を直接に高度利用することは考えにくい、ということが語られたことがある。
1903年(明治36年)4月1日 - 日本鉄道豊島線 池袋〜田端間(3.3M≒5.31km)開業。池袋信号所を駅に格上げし池袋駅開業。大塚駅、巣鴨駅開業。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、赤羽〜品川間、池袋〜田端間、貨物支線 大崎〜大井聯絡所間が山手線(東北線の部)となる。
12月16日 - 東海道本線 品川〜烏森(現在の新橋)間開業。山手線 田端〜池袋間、赤羽〜品川間電化。上野〜新宿〜品川〜烏森、赤羽〜池袋間に電車運転開始。代々木駅停車開始(中央本線の駅として1906年に既に開業)。
1914年(大正3年)5月24日 - 葬場殿仮停車場を開設、原宿〜葬場殿間(0.4M≒0.64km)開業(5月26日廃止)。代々木公園で昭憲皇太后の大葬が行われた。
1919年(大正8年)3月1日 - 中央本線と接続し中野〜東京〜品川〜池袋〜上野間で「『の』の字運転」開始。
1956年(昭和31年)11月19日 - 田端〜田町間線増完成。京浜東北線と分離運転開始(ただし早朝・深夜と日中は同一線路を共用)。
1971年(昭和46年)3月7日 - 路線名の読みを「やまてせん」から「やまのてせん」に統一(後述)。
1972年(昭和47年)7月15日 - 山手線を東北線の部から東海道線の部に移し、区間表示を品川〜新宿〜田端間(20.6km)に変更。池袋〜赤羽間(5.5km)は赤羽線として分離。
1988年(昭和63年)3月13日 - 京浜東北線で日中の快速運転を開始。京浜東北線と終日分離運転となる。
6月26日 - 205系増備完了に従い、103系が山手線から引退。さよならイベントが品川電車区で実施された。
1989年(平成元年)3月10日 - 6扉車サハ204形900番台試作車を1編成に2ヶ所連結。6扉車は平日の朝10時まで座席を収納。
この年、山手線で初めて車内広告が1社で統一されるADトレイン運転開始(先頭車の正面にヘッドマークを掲出)。1995年に2編成あるうちの1編成のヘッドマークを変更(後に再変更)。205系のADトレインの歴代ヘッドマーク4個はすべて消滅。
10月20日 - 国際鉄道安全会議を記念して、「TECH TRAIN」を11月4日までの土・日曜日に運転。1日3往復で、運転終了後は池袋駅で展示された。使用車両は103系で、先頭車は京浜東北線から、中間車は埼京線からの車両を組み込んだ編成で運転された。車内にはJR東日本の安全への取り組みや鉄道に関する資料や模型などが展示された。なお、この時は山手線はすべて205系で運転していたため、2年4ヶ月ぶりに山手線に103系が運転されることになる。
1991年(平成3年)12月1日 - 6扉車サハ204形量産車の0番台を全編成の10号車に連結し、11両編成となる。同時に全編成の先頭車前面に「11CARS」のステッカーが貼り付けられたが、ステッカーは1997年までに全編成から取り外された。
2000年(平成12年)12月31日 - 20世紀から21世紀へのカウントダウンとして臨時列車「21GO」を翌年1月1日まで運転。使用車両は列車名にちなみ215系。
2001年(平成13年)3月21日 - みんなの地球をみんなで考えるエコロジーキャンペーンの一環として「エコトレイン2001」を通常はADトレインで使用されている48番編成で4月20日まで運転。両端の車両全面にステッカーが貼り付けられた。
2007年(平成19年)3月18日 - D-ATC化後初のダイヤ改正で、1周最速59分(日中は60分)に所要時間短縮。朝ラッシュピークに外回りを1本増発。平日日中の本数を4分おきに間引くなど、全体的に運転間隔を見直し。また、この日のダイヤ改正から、山手線各駅ホーム上の時刻表フォーマットが、4〜6時台と23〜1時台のみの表記になり、それ以外の時間帯(7〜22時台)の部分は全面的に省略された。余った部分は、列車停車・乗り換え位置などの案内になった。
山手線の読み方は、元来は「やまのてせん」であったが、戦後GHQの命令に従い、各路線名にローマ字を併記した際に、山手線に「YAMATE」とローマ字を振ってしまったため、「やまてせん」という読み方が一般に定着し、「やまのてせん」という読み方は死語と化していた。
戦前は「やまのてせん」と読んでいたという事実は戦後も雑学知識としては知られていたが、実際に日常会話で「やまのてせん」と言うと冷やかしの対象になる程であった。
「やまのてせん」という読み方を復活させたのは、意外にも群馬県内の吾妻線(あがつません)開通に起因する。吾妻線が「あづません」と読まれないようにするため、国鉄では全路線の線路名称にふりがなを付することを決定し、山手線には「やまのてせん」というふりがなを振り、吾妻線開通の1971年3月7日から実施した。
国鉄当局が「やまてせん」ではなく「やまのてせん」を選択した理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいこと、もう一つの理由として、根岸線に山手駅(やまてえき。1964年5月開業)が存在しており混同を避けるためである。
これに伴い、その趣旨を徹底させるため、電車に掲出される方向幕の行先表示は、漢字表記は「山手」を「山手線」に、ローマ字表記は「YAMATE」を「YAMANOTE LINE」に改めることとなった。
これに関連したこととして、ヨドバシカメラのCM曲は1990年代初めまで「やまてせん」の歌詞であったが、客から「やまのてせんでないのはなぜか?」と指摘があり、その部分を差し替えたことがあった。現在テレビCMや店内放送で流れているのは「やまのてせん」バージョンである。
日本語入力システムの一部には「やまのてせん」と入力すると「山の手線」とだけ変換され、「山手線」と変換するためには「やまてせん」と入力しなければならないものが比較的最近まで存在した。
正式名称の山手線の起点である品川駅から終点方向に田端駅まで並べ、その後そのままの方向に運転系統上の山手線の区間を品川駅まで記した。運転系統上の起終点は大崎駅である。
東京地下鉄:○千代田線(明治神宮前駅:C-03)、○副都心線(明治神宮前駅)(2008年6月開業予定)
東日本旅客鉄道:東北新幹線、上越新幹線、長野新幹線、中央線(快速)、東海道線、総武線(快速)、横須賀線、京葉線
田端駅・上野駅・秋葉原駅・東京駅・浜松町駅・田町駅・品川駅は日中運行される京浜東北線快速の停車駅であり、快速通過駅ではこれらの駅での乗り換えを促すアナウンスが流れる。
山手線の品川駅〜田端駅間を並行して走る複線の通称である。略称は山貨(やまか)。旅客輸送の増大から大正期に主に電車線を増設する形で複々線化が行われて成立した。田端では東北本線の貨物線、大崎では品鶴線(大崎支線)とつながっている。各線から流入する貨物を別の線に中継する役目を果たした。1960年代に輸送力が限界に近づいた上、新宿駅で米軍のジェット燃料を積載したタンク車が脱線、炎上する事故が発生し(米軍燃料輸送列車事故)、都市部にそのような貨物列車を通すのは危険だという意見もありバイパスとして東京外環状線の建設が計画された。1973年にその外環状線の大部分を占める武蔵野線が開業するとその役割は薄らぎ始め、特に湘南新宿ライン・埼京線運転開始以後は日中のほとんどの列車が湘南新宿ラインや埼京線で占められてしまい、貨物線としての役割はかなり低くなっている。
現在運行されている貨物列車は、新鶴見信号場を発着し田端操駅を通り東北本線などへ直通するもの、田端操駅から隅田川駅へ向かうもののみである。高速貨物列車は下り列車(田端操方面)が1日6本(うち隅田川行きが3本)、上り列車(大崎方面)が4本、専用貨物列車は下り列車が2本、上り列車が1本運行されている。高速貨物列車の上下1本を除き、深夜または旅客列車の本数が少ない時間帯に運行されている。
東武線直通特急 日光・きぬがわ・スぺーシアきぬがわ 新宿〜田端(繁忙期は一部の臨時列車が大崎〜新宿を走行する)
1925年(大正14年)3月28日 - 巣鴨〜田端間開業。同時に駒込〜田端間貨物線を中里トンネル経由に付け替え。元々の本線は廃棄された。
踏切は、田端駅〜駒込駅間の「第二中里踏切」が現在では唯一のものである。2005年1月12日までは池袋駅〜目白駅間に「長崎道踏切」が、さらにその前には「第一中里踏切」が第二中里踏切の田端寄りに存在した。
トンネルは、貨物線の駒込駅〜田端操駅間にある中里トンネルが現在では唯一のものである。ただし、駒込駅〜田端駅間はかつて現在の富士見橋の下を掘割ではなく、トンネルで通過していたが、電車線増設と貨物線の中里トンネルへの移設により廃棄され、戦後に瓦礫で埋め立てられたという。トンネルの東側出口のポータルの角が埋めきれずに富士見橋の東側の現内回り線の更に内側に飛び出している。
駅間距離は、日暮里駅と西日暮里駅との間が山手線では最も短く、およそ500mである。例えば、日暮里駅から西日暮里駅のホームを確認することができる。
戦前、東京市渋谷区に在住していた紀行作家の宮脇俊三は、子供時代に友達とともに以下のようにして、山手線原宿〜品川間の駅名を覚えたといわれている。
腹空く(原宿)、渋茶(渋谷)、ビール(恵比寿)、マグロ(目黒)、ご飯だ(五反田)、お酒(大崎)だ、品切れ(品川)だ。
上野から内回りで山手線の駅名を織り込んだ話。後に小林旭の歌の元ネタとなっている。当初は開業前の西日暮里は含まれていなかったが、開業後に追加して完成させた。
山手線の駅名(上野から内回り。当時未開業だった西日暮里と、新大久保・浜松町は入っていない)を歌詞に折り込んでいる。後にモダンチョキチョキズもカバーしている。
山手線の車内放送、駅の情景など(秋葉原から外回りで、秋葉原に戻って来た後、大崎駅で終点となるまで)をラップ調に歌ったアルバム。全18曲。
各駅の発車メロディのアレンジを中心に車内放送などをラジオ番組風に歌った曲。アルバム『MOTOR MAN Vol.8』内に「〜Go・Go! R」(大崎〜東京〜田端)と「〜Go・Go! L」(駒込〜新宿〜大崎)の2曲が通しで収録されている。
宮川彬良演じる謎のピアニスト兼コンサートマスターのアキラのピアノで奏でる鉄道唱歌のメロディーに乗せて4人のパペット人形が東京駅からそれぞれ内回りまたは外回りの順番で歌う。詳細は番組のページを参照のこと。
グレゴリオ暦300X年の地球が舞台だというのに、時代背景が現代であり、舞台のほとんどが東京で、しかも、山手線沿線とその周辺地帯が舞台となっている。
この他にも、山手線の駅にまつわるエピソードをモチーフにした小説も存在している。内容は、29駅あるはずの山手線に、30駅目が在るという噂を巡るミステリー小説である。
初代GO!は渋谷〜東京間の内回り。ATCでなくATSで運転していて、さらに駅間距離が本来より短い(駅間平均で1キロほど)。
電車でGO!2高速編 3000番台では、東京〜新宿間の外回りが運転できる。初代GO!と同様に駅間距離が短い。
電車でGO!プロフェッショナル仕様では渋谷〜上野間の内回りをATCで運転できる。この商品でも駅間距離は短い。
最終作のFINALでは内・外回りそれぞれ全線のプレイが可能。ラッシュ時や早朝・深夜の閑散時のダイヤも選択できる。詳しくは同項を参照のこと。
当時の主力である205系電車で大崎を発車し、外回りを一周して再び大崎に戻って来るまでをプレイできる。
Train Simulatorシリーズで初めてのプレイステーション2用ソフトで、専用車両で撮影された実写映像を使用している。
また、抑止・延発整理や防護無線などといったイベント、これらに伴う東鉄指令(輸送指令)との交信、ATOSの動作などを再現している。
東海道本線(湘南電車)・横須賀線・湘南新宿ライン・山手線・埼京線(赤羽線)・南武線・鶴見線・武蔵野線・横浜線・京浜東北線・根岸線・相模線・中央本線(快速・各駅停車)・青梅線・五日市線・八高線・宇都宮線(東北本線)・常磐線(快速・各駅停車)・川越線・高崎線・上越線・両毛線・水戸線・総武本線(快速・各駅停車)・京葉線・外房線・内房線・成田線・東金線・伊東線
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[ 146] 山手線 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E7%B7%9A



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