巻頭とは?

「企業の森」という和歌山県のプロジェクト。多くの企業が、世界遺産である高野(こうや)・熊野周辺の放置された山を豊かな森へと再生していく森づくり活動に参画している。その活動で緑が増えた分、どれだけの二酸化炭素を吸収したかを数値化し、環境保全に対する貢献度の基準を作っていく「二酸化炭素吸収量認証・評価委員会」も設立した。今日は、その委員就任を快諾してくださった養老孟司(たけし)さんと、環境問題のことやこれから進むべき和歌山の未来について大いに語り合おうと思う。木村良樹
このたびは「二酸化炭素吸収量認証・評価委員会」の委員をお受けいただき、ありがとうございました。ところで今、二酸化炭素排出量についてはいろいろと言われていますが、養老さんはどう思われていますか?
二酸化炭素排出量問題の根本というのは、石油消費の節約と緑を手入れして増やすことなんです。石油はいつか枯渇します。石油に代わる燃料として、木が重要になってくる。たしかに環境問題は経済・政治もからむ非常に複雑なことですが、環境にとって具体的にいいことはやるべきだと思いますよ。
和歌山の「企業の森」で、数ヘクタール植林して世界の二酸化炭素量が変わるわけではないけれど、私もそれが一つのきっかけになっていけばいいと思ってます。企業もそれを理解している。
大企業で余裕のあるところは分かっているでしょうね。たとえば、トヨタが石油の枯渇問題を考えていないわけがない。いつ、どう切り替えるかということを考えているはずです。ある石油会社では、20年先より向こうのことしか考えてはいけない課があるそうです。僕は日本の国でやっているかと聞きたい。
二酸化炭素が温暖化の直接的原因だと言えないとしても、良いことはやるべきですよね、今は。小さなことでも全体で考えないと意味がない。
長い目で見ると、石油がなくなれば、都会はもたなくなる。都会の人も田舎に暮らさざるを得なくなりますよ。
石油がなくなったらどうなるか?要するに運輸が高くなり困難になる。東京なんかは最も生活に必要な一次生産品をほとんど運んできている。もう田舎へ行くしかないんです。戦後の食料難に僕らは田舎に疎開した。物がある地方は非常に大事になるはずですよ。
もう少し短期的に見ても、中国やインドの経済成長で食料の国際価格が上がってくる。すると安い輸入品が入って来なくなってまた近くの海で魚を獲るしかない。ところがその時に、漁師がいないとなると、お手上げですよね。
そういう意味で第一次産業を国として真剣に考えなければいけない時期が来ていますね。林業、農業にしてもそうです。担い手とシステムを育てないといけない。
まさに一次産業がいま一番重要になっていますね。ちょっと日本は遅れているのではないかという気がしています。危ないですよ。
僕らの世代は「戦争は物流に負けた」と言った。実はそこには非常に深い意味があって、一番基本になるところは何だということをついている。いろいろ精神論を言っても、根本を占めているのは物。そこはきちんと押さえていかなければいけない。いわゆるマネーゲームでは、権利をめぐってケンカしているだけです。その間に、資源はどんどん減っていくが、経済統計はきれいに成り立っているんです。物は経済では換算できない。有限の物は少なくなると値(ね)が高騰する。お米の量が食べる人の人数に対して足りなくなったら歴然と分かります。それは実は経済ではなくて、経済外の領域なんです。それは絶えず見ていなければいけない。そうでないと話が宙に浮いてしまう。
「2住居を認めろ」と言っている政治家もいますよ。東京なんて大地震が来たら大変ですよ。やはり地方に本拠がないといけないのです、そういう時は。和歌山なんか気候的にも立地も他県と比べれば有利ですよ。
ええ、大きな企業には、大阪に本社もしくは支社や工場がある。数時間あれば車で和歌山の山村を往き来できます。だから和歌山県は「新ふるさと創り」を提唱しています。たとえば「企業の森」で、親と一緒に植林し、その後何度か村の人と交流があった。そんなことを積み重ねて、新しい自分の故郷を創っておくべきだと思いますね。
日本人に、田舎で暮らすことを義務づければいいんですよ。ここで一生暮らせと言ったら、都会の人は必ず怒る。だから年(ねん)に一、二ヵ月でいい。“現代の参勤交代”みたいなものでいいんです。そしたら、本来の感覚が戻ってくる。かわっていきますよ、人は。
都会は環境が単調で世界が狭い。頭でばかり考えて、感覚が鈍ってしまっている。だから、偉くなってゴルフに行って「気持ちがいい」って。ゴルフがいいのではなくて、実は外に出て、自然を感じながら体を使うことが気持ちいいんです。フランス人のバカンスというのは、たとえば、多忙な医者が長期休暇をとって、ブドウ園でブドウを摘む。農園労働者と同じ労賃をもらって働くわけです。
山村での暮らしは、所得は高くないけれど、都会では味わえない満足感が得られますよ。僕は目に見えない“心の所得”があると思っています。
そうですね。今、日本の都会は能力主義で、テンションの高い社会になってますよ。だから、どこかで緊張を緩めて視野を広げる場所がないと、現代社会がもたなくなると思うんです。逆に田舎は、いいものがあるのに、放置され続けている。都会と地方の格差が広がってきているんですね。これからは都市と地方の人口流動を起こさないといけないと思っています。
で、地元の人も意外に田舎の価値が分からないんですよね。だから「参勤交代したら」と。田舎の人も時に、都市に行ったほうがいいんですよ。
そうですね。やはり都市と地方の交流には価値がある。お互いの価値に気づくチャンスがある。その “気づき”を大切にした「ほんまもん体験」という体験型観光事業を始めたんですが、参加者も受け入れる地元の方もお互いに刺激し合い、ブラッシュアップしていけるんです。
この間初めてアクアラングを背負って、ラムサール条約に登録された串本の海に潜ったんです。観光PRのためといいながら、感動して楽しんでいる。体験しなければ、分からないことがいっぱいありますね。
人が変わるというのは、まさによみがえりだと思いますね。“熊野のよみがえり”といってかつて多くの人が、熊野のご利益として心身の蘇生(そせい )を祈って、熊野古道(こどう)を歩きました。いま、和歌山県では、古道を歩いたり温泉につかったり、たとえば山の仕事体験をするなどして熊野にスローステイしてみましょうという「熊野健康村構想」を進めているんです。医療機関や大学との共同研究で、熊野での体験によって、ストレス軽減・免疫力向上・心理的効果が医学的に実証されたわけです。
とくにこれから定年を迎える団塊の世代の方々が、人生について振り返り、これからの生き方について考え、自己実現できる場になればと思っています。
定年になって「仕事がなくなった」と思う人もいるだろうけれど、生きている限り、世の中の役に立つことは何でもありますよ。
ええ、高野(こうや)・熊野で心身ともによみがえってほしいと思っています。今日はどうもありがとうございました。
今年も和歌山の森に行った。虫取りのためである。湯浅の知人のお宅にお邪魔して、護摩壇山(ごまだんざん)、高野山、奈良県との県境にある安堵山(あんどざん)まで行った。それ以前にも、大塔村まで二度行ったことがある。冬に行ったときは、田辺のタクシーを利用したが、こんな山奥になにをしに行くんですか、と運転手さんに訊(き)かれた。冬場だったし、まさか虫取りの下見とは思わなかったのであろう。
一千万年前、紀伊半島は島だった。紀伊の虫にはその名残りがあって、紀伊半島だけに特産する虫がいくつかある。名前を挙げてもいいが、ほとんどの人は見当もつかないはずである。こうした虫たちを生き延びさせてきたのは、紀伊の森である。でもうっかりすると、一千万年の生きた歴史が、いまでは消えかねない。なぜなら、地元の人がその貴重さを知らないと思うからである。この時代になっても、わずかに残った自然林を、まだ切っているのを見かける。
紀伊の自然林の新緑の美しさは、世界屈指だと私は思っている。でも新緑を見ようと思ったら、かなりの山奥に行かなければならない。そもそもスギが多すぎる。平安時代からスギを植えた記録があるから、スギの植林自体が悪いわけではない。高野山奥の院あたりのスギは立派で、下には灌木(かんぼく)や草が豊かに生え、杉林の理想型になっている。ところがたいていの場所では、こんなところまで、よくスギを植えたなあ、と感心するしかない。そこまでスギを植えている。一本くらい、他の木を残してないのかと思うが、ない。全山スギ。
南方熊楠(みなかたくまぐす)が出た土地である。森と自然を大切にすべきではないか。金にならないというが、もう少し辛抱すれば、紀伊半島の時代が来る。石油がいずれ切れるからである。そうなれば、木材はきわめて貴重な資源である。一千万年の歴史を刻む生きものにとって、百年なんて束の間ではないか。

[ 138] [巻頭対談]養老孟司×木村良樹
[引用サイト]  http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/ren/web/ren15/taidan.html

発展への起爆剤は「紫檀」、熱い思い断ち切れず文化・教育事業に心血注ぐ大富豪中国随一の私設博物館築き上げる
1941年北京生まれ、62歳。家具修理業従事ののち香港に移り、不動産業に手を染める。北京へ「里帰り」した最初の投資プロジェクトが北京長安倶楽部の開発となった。北京市政治協商会議委員、全国政治協商会議委員。
主要業務は不動産開発、観光、商事、電子、紫檀工芸品および飲食業など。中国香港地区、中国本土のほかオーストラリア各国に多くの関連企業を有する。投資総額は35億元余り。中国本土ではメインの北京のほか、大連、青島、深セン、秦皇島に投資する。うち、長安倶楽部や中国紫檀博物館などを含む北京における固定資産投資総額は20億元超、すでにオープン済み、あるいは着工中、また計画中のプロジェクト総面積は100万平方メートルを上回る。未上場。
中国紫檀博物館が北京市東部にオープンしてからまもなく5年となる。館長を務めるのは香港富華国際集団主席・陳麗華博士。昨年「フォーブス」やルパート・フーゲウェルフ氏が発表した中国大陸富豪番付で、推定資産総額48億元として第五位、女性としてはトップにランクインした、大陸一の女性富豪である。
博物館設立に彼女が投じた資金は2億元。不動産、ホテル等各分野での積極果敢な事業展開で成功を収めた彼女の経営理念の底流には、堅牢ながら独特の輝きと芳香を放つ紫檀の存在がいつもあった。
もと清朝貴族の家系に生まれ、民族の文化をこよなく愛する彼女が心血を注いで設立した紫檀博物館は、富華集団にとっては唯一の「非採算」プロジェクトとなっているが、陳博士にとっては起業から今日に至るまで首尾一貫して持ち続けてきた人生の最大テーマである。
陳麗華氏の投資項目のなかでも最も心血を注ぎ込んでいるのは紫檀文化の発揚である。一九九九年五月、紫檀彫刻芸術に対する貢献が評価され、アメリカ最大の私立スクール、サバンナ・アート・デザイン学院より名誉人文博士号を受けたのに引き続いて、同年九月一九日、中国紫檀博物館がついに設立。その萌芽は先に述べた家具修理ビジネス(七六年に開始)、一九九〇年設立の北京富華家具企業有限公司に見ることができるが、長年のビジネス人生の成果と夢が博物館設立で結実したのである。
館内に展示される作品は、すべて紫檀、黄花梨など名木を原材料に中国伝統工芸を採用している。各地の名工を集め、精魂込めてつくられた明・清時代調の家具の逸品をはじめ約一〇〇〇点が展示されている。かようなテーマ博物館は私設としては世界でも屈指のものと呼んでよく、彼女が「中国紫檀大王」とたたえられる所以となっている。
文化大革命の頃、陳氏の祖母と母親は自らの族譜を焼き捨て、家のなかの紫檀家具を一部は捨て去り、一部を家畜場の土中に埋めたという。やがて文革が終わり、掘り出してみた紫檀家具は十分修理が可能な状態であり、彼女は一つひとつ手をかけて復元、修復を試みた。今日の中国紫檀之王の第一歩はこうして踏み出されたのだった。
「マニアチック」という言葉が妥当か分からないが、彼女の紫檀へのこだわりは凄まじく、熱帯林地区に自ら足を運び、紫檀の成長の環境調査を行うとともに、原材料の収集をする。摂氏四〇度の高温下、野獣の出没も恐れず、時には自転車の後部座席に、時にはロバに乗ることもいとわない。天を覆うようなハチの大群に追われ、かろうじて近くの掩(えん)体に身を隠し、災難を免れたこともあったという。
彼女が心血を注ぐ紫檀博物館の一ヵ月の売り上げはせいぜい数万元程度。館内の水道、電気代を補うこともできない。一方で、館内の収蔵品を高値で買い取りたいというオファーにも応じず、この博物館の運営がビジネス的成功をもたらすことを彼女は一切期待していないかのようだ。
「民族の矜(きょう)持である紫檀文化を後世に、そして海外の人たちにも知ってもらいたい」(陳氏)----。同館を訪れる人たちが紫檀を用いた秀作に目を細める姿に触れることこそ、中国紫檀之王である彼女の本望といえよう。
したがって、「中国大陸一の女性富豪」という栄誉は陳氏にとって、それほど重要なことではない。毎年発表される富豪ランキングは改めて中国大陸の著しい経済成長と富の集積を実証することになったが、他の富豪らに先んじて、慈善活動や文化活動への貢献に惜しみない努力を傾ける点で、陳氏は異色の女性投資家として輝きを放っているといえよう。「今度はインターナショナルスクールをつくってみたい。北京大学に並び称されるすばらしいものを」(陳氏)。彼女の次なる夢は、教育を通じた中国文化の発揚の実現といえそうだ。
  「私設」博物館という形態ですが、外国の要人等の訪問を受けることが多いようですね。
アメリカ、ロシア等の欧米、東南アジア、国家などが多数を占めていましょうか。先日は一八ヵ国の駐在武官夫人(大使館領事夫人)の団体訪問を受けています。日本人の訪問者は比較的少ないのですが、三菱社長夫人を何度か接待させていただいたことがあります。
  紫檀をこよなく愛しているようですが、どのような想いでこの博物館を築き上げたのでしょうか。
私は満州族の出身で、幼い頃から独特な家具に囲まれて育ってきました。とくに紫檀とは生まれながらにして切っても切れない関係で結ばれていたといえるでしょうね。
満州族として生まれ、身近には清朝時代の紫檀の家具がいつもありました。不注意に紫檀の家具に頭をぶつけ、たんこぶをつくったことも鮮やかな記憶として残っています。
かつての北京市内の風情にもとても愛着がありました。東直門に馬車で出向いては時を過ごすのが好きでしたが、西直門、哈徳門、崇文門など街中にあった城門はいまや跡形もなくなっているのがとても残念です。
紫檀を用いて作られた家具はその堅牢さといい、つや、香りといい、まさしく「木頭之王」の名に相ふさわしいものです。紫檀が発する酸素は美容によく、補血、歯の美白にも効果があり、吹き出物なども取り去り、皮膚を柔らかく弾力あるものにするなど、最高級の薬材と見ることもできましょう。疲労を感じたとき、この館内を歩いていただければすがすがしい気分になってもらえるものと思います。
この博物館事業によって営利を追求することは期待しておりません。むしろ、企業と文化は不可分の関係であるというのが私の考えです。祖国の伝統的文化の発揚こそが私の願いです。
企業は努力奮闘の舞台です。そして追求する利益は個人にとっての健康と同じです。健康であることは人の生存に必要なことですが、これを目的に生きるというのは人生ではありません。より高い目標を追求しなければなりません。社会の進歩と文明の向上によって、利益こそが企業の唯一の目的であるという考え方はしなくなるでしょう。「理智が金銭をコントロールできるとき、最大の快楽が享受できる」という人もいますが、息子たちには金銭の奴隷になるなと説いています。
  企業メセナとか社会貢献(フィランソロピー)といった言葉が以前、日本でももてはやされましたが、不況下
企業があらゆる手段を使って生存を図ろうと思えば、規模を大きくしなければなりません。成長が必要です。また、ときには屈辱、戯言、背徳、侮蔑、嘲笑、嫉妬といった苦痛に直面しても極力耐え忍び、苦難に立ち向かう勇気と気迫が企業の競争力強化には必要です。
企業人であるからには、損得の観念にとらわれて感情を左右されることなく、平常心を忘れずに不断に進取の精神を貫いていかねばならないでしょう。
「人である」ことを大事にし、信用あるビジネスを心がけ、事を成そうと思えば全身全霊を傾ける気迫で取り組んできました。
金銭が必要となればやはり友に頼り、私はかつて三年で返却することを条件に七〇〇万米ドルを友人から借りたことがあります。結局、二年経たずして、しかも利息付きで返却したので、友達はさらに私にお金を援助しようとするわけです。私はこの社会で多くの友人を作り、多くの資金を友人の援助に頼ってきたわけです。
成功にはチャンスとの邂逅(かいこう)が必要であります。たとえば、外資企業に対する中国の優遇政策を見てみると、一〇万元ほどで企業開設ができるなど、とても有利に事業展開ができる環境にあり、大きなチャンスが転がっているかと思います。
私は不動産事業において大きなチャンスをものにしました。これは国が私たちにくれたチャンスでありました。ですから、それで得た利益はやはり中国で運用していく。中国で投資を続けていくつもりです。
「木頭之王」(材木の王)と称され、「唐木(からき)」のなかでも最高級の名木として知られる紫檀は、すでに中国大陸に蓄積はなく、主な産地ミャンマーなど東南アジア地区でも厳しく伐採制限がされている。
紫色が強く、黒色の縞を持ち、中心には空洞がある。成長が遅く、百年以上の歳月を経て初めて成木となる。さらに原料として使用できるのはそのうち十数%程度であるという。
バラの花に似た芳しい香りを漂わせるのも特長だ。釘を一切用いない中国の伝統的工法にしたがってつくられた紫檀家具は重厚で、加工後も狂わない。
記載によれば、中国明代、紫檀は皇室の喜愛を受け、大規模に伐採が行われ、すぐに国内の紫檀は切りつくされ、南洋にその供給を求めたという。明末期、清初頭になると南洋各地も大方伐り尽くされ、清朝末期に円明園と宮内太上皇宮殿の内装や光緒帝の婚礼に用いられるや、瞬く間に紫檀木の供給は底をつき、袁世凱が復辟する頃には全てが使い尽くされてしまったといわれる。
香港富華国際集団有限公司主席の陳麗華博士は1941年、北京に生まれた。本姓那拉氏。満州族では貴族を意味する八旗のうちのひとつ正黄旗の家柄という。高校中退も余儀なくされたが、76年に開いた家具修理ビジネスがあたるや、その後、生来備えていた才能が開花。81年に香港に移住して手がけた国際ビジネス、不動産ビジネスでめきめきと頭角を現していった。いちはやく市場経済の動向をつかみ確かな判断をもって財を積み上げ、これに多元的な運用を実践し、赫々(かくかく)たる成果を示している。昨年発表されたフォーブスやフーゲウェルフ氏による大陸富豪番付では総資産額48億元(5.6億米ドル)で5位にランクされている。
不動産、旅行、貿易、飲食など傘下の子会社は大陸、香港地区、オーストラリアをはじめ広く分布する。中国大陸では主として北京地区での投資項目が多く、目抜き通り王府井地区に建設した長安倶楽部、麗苑公寓などを筆頭に北京地区で大型投資を行っている。
99年9月19日に開設。3階建て総面積9569平方メートルの建物は古風な外観を見せており、清朝貴族出身の陳麗華女史の中国文化への熱い思いを形にした1000点もの作品が展示されている。紫檀を用いた家具や天壇・四合院などの模型、清朝・明代式の客室、清朝皇帝の寝室を復元した展示室などを巡りながら、時空を越えた雰囲気を等身大で味わえる。
模型の四合院・王府四合院はそれぞれ実物の5分の1、8分の1。室内の家具までが精密に復元されている。

[ 139] ウォーカービジネスオンライン | 巻頭インタビュー
[引用サイト]  http://www.shwalker.com/china/report/200405/

中国大陸への正式輸入販売開始  「シルクロードのナポレオン」になる日を夢見て
■事業内容    1979 年に発売した麦焼酎「いいちこ」をはじめ、清酒・ワイン・ブランデー・リキュールなどを幅広く手がける総合醸造企業。
○麦焼酎  「いいちこ」「いいちこシルエット」「いいちこスーパー」「いいちこフラスコ」「西の星」
1975年に家業に就き、以来25年間、本格焼酎「いいちこ」の育成に第一線で取り組んできた。97年に社長に就任。「おかげさま」という感謝の気持ちを大切にものづくりに取り組むことを経営哲学としている。泳ぐことがストレス発散の方法という。
麦焼酎ナンバーワンブランドである「いいちこ」は九州の宇佐市を本拠とする三和酒類(株)によって丹精こめて製造されている。焼酎を「いやし」「やさしさ」のアルコールというイメージへとかえていった先駆者でもある。日本食レストランを中心に中国でも人気の「いいちこ」の中国大陸への正式輸入販売がスタートすることとなった。正式輸入販売発表会のために来海した熊埜御堂社長に独占インタビューをさせていただいた。
●「いいちこ」が誕生した背景について教えてください。一九七九年に「本格麦焼酎」の販売を本格的にスタートさせるにあたって、実は名前を一般公募しました。約一五〇〇人の応募があったわけですが、「いいちこ」と「下町のナポレオン」を選ばせていただきました。「いいちこ」は私ども三和酒類(株)の所在地である大分県宇佐地域でよくつかわれる方言で「いいですよ(良いですよ)」という意味です。音感といい、ひらがな表現といい「やさしさ」、現在風のことばでいう「いやし」なのかもしれませんが、こういった響きをもっていることが気に入り採用させていただきました。また、サブタイトルとして「下町のナポレオン」も同時に採用させていただきましたが、これは蒸留酒の中で最高級の「ナポレオン」を目指したいという気持ちからでした。今思えば、「いいちこ」とひらがな表現をしたのは大変運命的だったのかもしれません。
すべてのTPOが味方をしてくれたのだと思います。一九七九年当時、本格焼酎は一部の地域のみで愛飲されているに過ぎない状況でした。また、焼酎といえば、労働
者の飲む安いお酒というイメージが定着していました。麦焼酎は水でも、お湯でも割ることができ、軽く、やさしく飲める性質を本質的にもっています。麦焼酎の本来的なすばらしさを味わっていただければ、広く多くの人に親しまれるアルコールになる可能性があるのではと考えておりました。
三和酒類が「いいちこ」をつくりだしたというようには思っておりません。三和酒類は「いいちこ」に引きずられ「いいちこ」とともに成長してきたと考えております。麦焼酎のもつ本来的な「いやし、やさしさ」のお酒のすばらしさを追求し、「お客様にうそをつかない」本格麦焼酎をつくろうと、品質の強化、管理をしてまいりました。この私達の思いが消費者につたわったのだろうと思いますが、「いいちこ」は麦焼酎に対しての消費者のイメージを変えてしまいました。私どもは「いいちこ」に引きずられるようにしてお客様の需要にみあうように生産を増やしていき、今日に至ったわけです。
七九年に「いいちこ」を売り出した時に大分県で「一村一品運動」というものを展開しており、県をあげていろいろな地域にご紹介していただきました。このことは弊社にとって大変なフォローの風となりました。「一村一品運動」を展開された平松守彦前知事(当時副知事)には大変感謝しております。
●「いいちこ」のイメージをうみだした広告戦略ということについて教えていただけますか。「いいちこ」の広告は一人の個人のかたにすべて依ってきました。このかたは河北秀也さんとおっしゃられ、東京に住んでいらっしゃいます。たまたまこの方のお姉さんがわたくしどもの会社に働いていたという関係で、広告の製作を全面的にお願いしました。現在は東京芸大の教授になられたわけですが、デザイン原論が専門です。
容器デザインも含めてかれのアイデアです。「いいちこ」のもつ「いやし」「やさしさ」を独特の世界で表現していただきました。「やさしい酔いです。すこし酔いました。」というコピーを使用したこともありますし、ビリーバンバンの「白いブランコ」の曲を流しつづけたりしたこともありましたが、いやしのお酒、コミュニケーションの手段としてのお酒などのイメージにぴったりだったのだと思います。今までの広告の中から〔
iichiko design 2004 〕というデザイン集を作成しておりますが、河北さんの感性がそこには集まっております。
焼酎は食中酒として飲める大変めずらしい蒸留酒です。西洋の蒸留酒もふくめ、多くは食後酒です。日本の清酒はメインに飲むお酒ですが、それに比べ焼酎はお食事がメインであり、それをサポートするお酒なのです。現在は食生活が豊かになってきましたから逆にお食事をひきたてる、従としてのお酒、焼酎の人気がでてきたのかと思います。
また、焼酎は割ってよし、冷やしてよしということで人にやさしいお酒だと思います。清酒だと薄めることができないわけですが、焼酎の持つそういう「かるさ」も受けている一因だと思います。さらに言うならば、酔い覚めのさわやかさということ、値段的に安いということもあげられると思います。好みによっていろいろな飲み方ができるという柔軟性もあげられると思います。
大分名産のカボスを入れられたり、梅干を入れられたり、レモンを入れられたり、お湯で割られたり、ロックで飲まれたりと好みに応じて飲まれております。どのようにして飲むのが美味しいですかと聞かれることも多いのですが、「町の空気で割って飲んでください」と冗談で言っています。
約二五年前に私が家業にもどってきたころに私どもは焼酎を本格的に売り出し始めたわけですが、当時は造り酒屋が焼酎をやることに対して白い目でみられるというような世の中でしたから、隔世の感がします。現在は大変多くの醸造会社が清酒と焼酎の兼業をやるようになりました。
私どもはこれまでもそうですが、「求められた時にそれにきちんとおこたえできるように準備をする」という考え方でやってきました。「いいちこ」は現在すでに中国国内に並行輸入され、多くのレストラン、バーで取り扱われております。在留されている日本人をはじめとして大変多くの方に飲まれている状況にございます。こういった状況であるならばきちんと関税を自ら納め、正規の輸出、販売ルートを作るべきだと考えたわけです。
また、中国への輸入販売はプロの商社さんにお任せすることとしました。中国の流通機構は複雑でありますし、プロの方にお任せするのがいちばんだと考えております。「いいちこ」の中国名は「亦竹」と命名しましたが、日本語と併記する予定です。中国にまだ入っていない「いいちこスーパー」も含めて五品種を展開する予定であ
まずは日本食市場を中心に展開していこうと思いますが、最終的には「いいちこ」が中華料理にマッチして多くの中国の方にも飲んでいただきたいと考えております。しかしながらあまり慌てることなく、中国の人から求められる時期がくるまで待とうと思っております。アジアの文化には麹(こうじ)文化があり、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)、お酒の文化は共通するものがあります。
中国で有名な紹興酒も麹菌で作られております。従って焼酎も中国の方に受け入れていただける時期が来るのではと期待をしております。
現在世界的にみても蒸留酒でありながら度数の低いお酒が好まれる傾向にあります。日本食ブームも世界に広がっております。麦焼酎も飲み方がわかり、慣れてくれば、中国の方に広く受け入れられるものと思っております。
感謝の気持ちをもってものづくりをするということでございます。私どもが今日あるのは「いいちこ」のおかげであり、それを飲んでいただいているお客様のおかげです。自分の周りの、すべての人に感謝をする謙虚な気持ちを常に持ちつづけることにより、本当にいいものができてくると信じています。また一緒に働いてくれる社員の人々が「働いていて、幸せな会社」でありたいと考えております。
わたくしどもは、毎朝、社員全員でラジオ体操と朝礼をするのですが、その際、社是を皆で唱和いたします。(1)品質第一(2)安全運転(3)おかげさまで..。お客様への感謝の気持ちを忘れずに、ものづくりに取り組もうという私どもの基本的な考え方を社員一同持ちつづけていきたいからです。感謝の気持ちを忘れずにしながら、「いいちこ」が世界のお酒になって欲しいという夢を持ちつづけております。
中国へは来るたびに圧倒されてしまいます。それほどパワーに溢れた国です。アジアには古来より共有できる「麹文化」がありますので、この中国でも食生活とアルコ
ールをマッチングするのに「いいちこ」がお役に立てるのではと思います。ぜひわたしどもが丹精込めてつくった「いいちこ」を味わっていただきたいと思います。
「いいちこ」正規輸入開始に関しては、代理店として、華東地区は上海良菱配銷有限公司が、また華北地区は北京伊藤忠華糖綜合加工有限公司が、それぞれ起用された。

[ 140] ウォーカービジネスオンライン | 巻頭インタビュー
[引用サイト]  http://www.shwalker.com/china/report/200406/



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