っきりとは?

こちらには、町をゆったり回るハイキングコースがあり、鎌倉時代に創建された永明寺へと導いてくれます。2人も、島根最古の禅寺へと足を運ぶことに…。
全国でも珍しい単層茅葺屋根を見ながら、お寺の奥へと進むと、美しい日本庭園が広がっています。縁側に座って、お抹茶でひと休み。
川合「汗かくぐらい歩いて、ちょっと涼しいところにきて、景色見ながらお抹茶を飲む。いいですよねえ」
だしに秘伝のタレを加えて煮込んでおり、代々付け足して使っているうちにタレの色がだんだんと濃くなったのだとか。
こちらの名物は、1000本近い朱塗りの鳥居。トンネルのように参拝者を迎えてくれます。そして、登りきったところに用意されているのが“おあげ”と“ろうそく”。これを買ってお参りするのが、こちらの神社ならではの参拝方法。2人も、お祈りすることに…。
津和野銘菓「源氏巻き」のお店の中で、最も古いお店です。源氏巻きとは、卵たっぷりのふんわりした生地でコクのあるこしあんを包んだお菓子です。
こちらのお店では、予約をすれば、この源氏巻き作り体験が無料でできるんです。2人も早速体験してみることに・・。280度に熱された鉄板の上に生地を敷いて、焼けてきたらその上にこしあんをのせます。それを3つ折りに…。およそ2分間の勝負です。
川合「音楽がないとダメなタイプで、家に帰るとすぐに音楽をかけるんですけど、この滝の音だったら、音楽いらない。落ち着きますね」
また、自慢の温泉「維新の湯」の浴槽は、1860年に作られ、伊藤博文、坂本龍馬、西郷隆盛など維新の志士も入浴し、汗をながしたお風呂。
寺門「これは、“名残りはも”ですねえ。料理には、はしり、盛り、名残りっていうのがあって。季節の変わり目は“名残り”っていうんですよ。だから、ふぐは“はしり”だね」
寺門「そう言ってられるのも、今だけだって。まあ、なんか相談ごとがあったら、僕に言って!そうしてるうちに…もしかしたら…」
そして翌朝、2人は温泉街をのんびり散歩することに…。すると、千春ちゃんがあるものを発見!
川合「キツネの像がなにか持っていますよ。文房具屋の前のキツネは、エンピツ。魚屋の前のキツネは魚…」
ここ湯田温泉は、足を怪我した白狐がお寺にある池でキズを癒した事から温泉が発見されたという言い伝えがあるんです。
2人は、旅のお土産に湯田温泉の地酒を購入。そして、お店の人からある情報をゲットしました。

[ 30] || KTV || 関西テレビ放送 [ 番組 旅っきり!〜ふれあい紀行〜 ]
[引用サイト]  http://www.ktv.co.jp/b/tabi/

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いまでは静岡県の民謡としてし親しまれている「ちやっきりぶし」は、昭和2年、静岡鉄道(当時、静岡電気鉄道)が狐ヶ崎遊園地の開園を記念し、沿線の観光と物産を広く紹介するために、北原白秋に依頼して作詞された珠玉の名篇です。町田嘉章による軽妙芳香なメロディを得て、全国の人たちに愛唱されるようになり、郷土静岡の観光と名物・特産品のアピールに少なからぬ貢献をしてきました。
「ちやっきりぶし」は、いまや私たち郷土の無形の宝であり、これからも永く歌い伝えていきたい尊い一曲です。「ちやっきりぶし」誕生70周年に当たり、ここにその由来とこれまでの過程をご紹介いたします。
北原白秋は明治18年(1885)福岡県山門郡沖端村(現在の柳川)の酒造業「油屋」に生まれた。本名隆吉。同42年には処女詩集「邪宗門」を、その2年後には柳川で過ごした幼少時代をしのぶ「思い出」を出版して、詩壇にデビュー。
昭和元年(1926)には、すでに押しも押されもせぬ詩文学の重鎮として、童謡集の「二重虹」「からたちの花」「象の子」、さらにまた随筆集「風景は動く」や詩誌「近代風景」の発刊など、幅広く積極的な活動を続けていた。
その当時、東京・谷中にあった白秋宅へ、ある日ひとりの男が訪ねた。取り次ぎの者に手渡した名刺には、静岡電鉄・遊園部長 長谷川貞一郎とあり、用件というのは「静岡から清水への沿線に、新しく狐ヶ崎遊園地がオープンすることになったので、その完成記念に白秋先生にぜひ唄をつくっていただきたい」とのことだった。しかし白秋は、取り次ぎの者を通して「私は民謡をつくったことがないから」と、面会を断った。要するに、門前ばらいをしたのである。そして長谷川部長は、その後も数回にわたって白秋宅を訪れたが、そのたびに同じ理由で用件も面会も断られたという。
しかし、それから半年の後たまたま政宗白鳥と親しいある友人の彫刻家と巡り合い、長谷川部長はさっそく白鳥から白秋への紹介状を書いてもらい、それを持って大森近くの緑ヶ丘に引っ越したばかりの白秋を訪ねたところ、今度はようやく会ってくれた。だが、肝心の用件については相変わらず許諾してくれない。
はたして何時間ねばったのだろうか。地域開発と発展のために一私鉄である静岡電鉄が、社運をかけて遊園施設の建設に踏み切ったこと、園内には料亭兼旅館(翠紅園)があり、名産のお茶やミカンの買い付けのため、全国各地から訪れる人々にも広く利用されるよう願っていること、したがって、その利用客や入園者にも愛唱されるサービス用の唄が、どうしても必要なこと、その唄を通じて特産品が認識され、輸出産業として発展すれば国策にもかなうこと、など長谷川部長はじっくりと熱意をこめて説明した。その結果、白秋もついに長谷川部長の熱意に感動し、唄をつくることを快諾したばかりか、今までの非礼を詫び、励ましの言葉さえかけてくれたのだった。
このときの長谷川部長のねばり強さには、白秋も大いに心を動かされたらしく、後日部長に、「目の尻の線の動きやもずの声」の一句を贈っている。

[ 31] 静鉄グループ|なるほどコラム ちゃっきりぶし誕生秘話
[引用サイト]  http://www.shizutetsu.co.jp/column/column_cya_story_01.html



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