ショッキングとは?
|
この記事は、上記の親記事が長くなったために分割されて生じた記事です。このテーマについて体系的な情報を得たい場合には、上記の親記事(目次ページ)にあるリンクを順番に辿ってみてください。 テレフォンショッキングは、フジテレビ系列(FNN・FNS)でのテレビバラエティ番組森田一義アワー 笑っていいとも!の一コーナーである。毎回ゲストを呼んでタモリ(森田一義)とトークをするコーナーで番組の看板コーナーである。出演ゲストの詳細はテレフォンショッキング・出演ゲスト一覧の「1980年代」「1990年代」「2000年代」を参照のこと。 出演したゲストが「お友達紹介」として次回ゲストを紹介し、電話で出演依頼するのが特徴。第1回のゲストは桜田淳子。なぜ桜田淳子が選ばれたかというと、単にタモリ自身が桜田の大ファンだからである。 このコーナーの目的は当時、伊藤つかさの大ファンであったタモリが芸能界の交友関係を繋げて行き、伊藤つかさに辿り着く事であった(辿り着いたのは放送3年目の1985年7月8日、なお1987年6月24日にも出演)。 現在では現役いいともレギュラーはテレフォンショッキングにゲスト出演しないことが慣例化しているが、かつてはレギュラーが別の曜日にテレフォンショッキングにゲスト出演していたことがある。 間寛平がゲスト出演した際にはタモリと寛平が猿の喧嘩の真似をする事が恒例となっており、2004年8月12日放送分のテレフォンショッキングは猿の喧嘩だけで終わってしまったことがあった。 片岡鶴太郎がゲスト出演した際には、タモリ・片岡両方とも「きゅ〜チャン。オハヨ」と九官鳥の物真似をし合う事も恒例となっている。 竹中直人がテレフォンショッキングに出演すると、「竹中に代わって」と言って何らかのキャラクターに変装し、ほとんどプライベートを語らない。 大橋巨泉、ルー大柴、ユースケ・サンタマリア、出川哲朗、ふかわりょう、大泉洋などがゲスト出演する際は何かにつけてタモリがテレフォンショッキングを出演拒否をしようとしている。また「お友達紹介」の際もタモリが拒もうとしている。それとは別に和田アキ子に対しては、「土曜日ですけど大丈夫ですか?」「(和田さんは忙しそうなので)明日は無理のようですね」等なるべく遠まわしに言う。また、江頭2:50とふかわりょうは乱入という形で出演しているが、2人とも宣伝はちゃんとやっている。 笑っていいとも!年末特大号で、1年間の全出演者のテレフォンショッキングがある。曜日レギュラーと、2ヶ月ごとに紹介する。 ルー大柴が出演の際は、タモリが呼んで出た直後に、ルーが「みんな盛り上がってるか!!」と言い、観客が「イエーイ!!」と言うのが恒例になっている。 スタート以来、重複出演はなかったが、1985年頃から、2度目の出演が可能になった。第一号は山口いづみから紹介されたアン・ルイス(初登場は1982年11月)。 1992年頃からは「番組の儀式」として、冒頭でタモリが客席に「こんにちは!」と挨拶すると、観客も「こんにちは!」と返し、タモリが天気の事など時節柄の話題を振ると、観客が「そうですね!」と返しタモリが「ありがとうございます」、といったかけ合いを行う。なお、タモリからどんな質問をされようと、観客は「そうですね!」と返すのが恒例なっている。2006年12月頃から、この状況を逆手にとってタモリがことわざなど、何かしらのフレーズを途中まで言い、観客に続きの部分を言わせて客いじりをしている(馬の耳に→念仏!、犬も歩けば→棒にあたる!、ボンボンバカボン→バカボンボン!、セブンイレブン→いい気分! など)。このとき「そうですね!」と返す客もよくいて、タモリに突っ込まれる。知名度の低いことわざ(門前の小僧→習わぬ経を読む! 等)を言ったときなどに観客が言葉に詰まることもある(たいていの場合、タモリが『知らないの?』と突っ込みを入れる)。 1990年まで、ゲストが「友達の友達はみな友達だ、世界に広めよう友達の輪、輪っ!」というのを歌うのがあった。輪っ!のところで両手で頭の上にわっかを作るポーズをお客さんとする。また、ゲストが自ら電話をかけていた時に使っていたプラスチックの電話カバー(TEL(テレ)隠し)に絵で表示されていた。絵では、両手の真ん中にWA!という文字がある。 2006年11月29日、森山直太朗が、ゲスト時に「友達の輪!」を自分の曲に混ぜて歌った。この時、「これをやらなくなったのは何かまずいことがあったとかですかねぇ。」という話があったが、なぜかは明かされていない。 タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する。(1987年10月から)担当が女子アナの場合は観客から「かわいいー!」などの掛け声がかかることもある。最近では男性アナの場合も「かっこいー!」などの掛け声がかかる。特に渡辺和洋アナの場合は歓声が大きい。 ゲスト名をスーパーで紹介する。(番組開始から1993年9月までは手書き調、1993年10月から1995年9月までは白い丸ゴシック体、1995年10月からは青に白い縁取りをした明朝体であり、1998年ごろからゲストの簡単な経歴も紹介。ただしごく稀に誤った情報が流される場合がある) ゲストが舞台告知などの宣伝ポスターを持ってきた時は、タモリが「おーいこれ貼っといて」(2000年以降は「おーいこれ貼っといて頂戴」と言うことの方が多い)と言うと、スタッフ(通称:はるひと)がセット袖から現れて、セットの壁面にポスターを貼る。 1990年までは、古いポスターの上に新しいポスターを重ね貼りしていた。月曜日に全て剥がされる。現在は毎日コーナーが終わるとポスターがはがされていて、翌日には何もない状態になっている。 同様に大山のぶ代がテレフォンショッキングに来た時、当日のレギュラーで大のドラえもんファンの千秋が現れた。 安斎肇が来たとき、前の日のゲストみうらじゅんからポスターを貼るところが自分の作品を展示するスペースであると教えられたという。タモリが「違う!」と言っていたがそこにはみうらの絵が飾ってあったため、タモリが「なんで剥がさないの?」と突っ込んでいた。なお、安斎は「自分は良識がある」といって、作品と称した手書きのポスターを持参した。 1999年頃までは、ゲストが「お土産」をスタジオ観客全員にプレゼントすることもしばしばあったが、ゲストに負担となることや、品物によって客のリアクションが如実に現れることなどを理由に、観客への「お土産」は2000年春頃に一切なくなった。 タモリが、ゲストに贈られた出演祝いの花輪を紹介する。出演祝いの電報や、前回のゲストからのメッセージを読み上げることもある。 花がスタジオに入りきらず、ロビーに並べ、それを放送することもある。ミュージシャンがゲストの際に多い。最も多く花を贈られたゲストは東京プリンで、ロビーだけでなく屋上にも並べた。 花や電報が1通も贈られないこともある。ジャイアント馬場(1989年)、および吉田日出子出演時の出来事。 山本太郎がゲスト出演時に送られた電報の送り主はマイケル・ジャクソンであった。ただしこれは、前日に自分で贈ったものである(本人談)。しかも、送られた電報はこの1通のみであった(2006年5月4日) タモリがゲストとトークを行う。ミュージシャンがゲストの場合、曲を披露することもある。また、ラッパーなどがタモリと即興のセッションを行うこともある。 コーナーの最後にテレフォンアナウンサーが電話をつなぎ、次回ゲストと今日のゲストが電話で簡単なやり取りをしたあと、タモリに替わり、次回ゲストへ出演依頼をする。 ゲストとの電話のやり取りは「明日いいとも大丈夫ですか?」(「明日」の部分は、金曜日には「来週月曜」、年内最後の放送日には「来年1月○日」)とたずね、OKの返事が出るとタモリが「明日来てくれるかな!?」と問いかけ、「いいとも!」の返答でコーナーを締めるのがお約束になっている。(そのあとにタモリが「お待ちしています。」という。) タモリが「明日いいとも大丈夫ですか?」と質問したところでゲストが「いいとも!」と答えることもあり、その場合はそのままコーナーが終了する。 たまにではあるが、テレフォンショッキングに出演したゲストが、次のコーナーに引き続き出演する事もある。 お友達紹介(おともだちしょうかい)は、テレフォンショッキングの出演ゲストが友人・知人(タレントはもちろん、お笑い芸人・俳優・女優・作家・作詞家・小説家・ミュージシャン・演歌歌手・政治家など様々)を紹介、番組中に本人に電話連絡し、次回ゲストとして出演を依頼することである。ちなみにタモリが「じゃ、お友達を・・・」と言うと観客が「えぇー!!」と言うのが習慣になっている。これは出演ゲストとのトークが終わりであることを惜しむ気持ちを表したものとされている。但し、本人の希望からかルー大柴や山崎邦正がゲストだった回には「じゃ、お友達を・・・」のあとに「えぇ〜」と言わず、その変わりにシ〜ンと無視する演出がされたこともあった。ルー大柴の場合は「なんで『えぇ〜』と言わないんだよ!」とツッ込んで、観客から大爆笑の渦が巻いた。 1987年10月から、テレフォンアナウンサーが登場する。テレフォンアナウンサーは、ゲストに代わって友達に電話をかける役どころで、フジテレビアナウンサーが担当する。電話が繋がると、ゲストに電話器を手渡す。 タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する時、基本的に男性は「君」付け、女性は呼び捨て(唯一の例外は佐藤里佳(ごく稀に戸部洋子)の「ちゃん」付け)である(現レギュラーでは水曜担当の渡辺和洋アナと木曜担当の田淵裕章アナが「君」付け)。 テレフォンアナウンサー登場以前は、スタッフの小林豊(現フジテレビ執行役員・スポーツ局長)が「テレフォンディレクター・ブッチャー小林(後に「ぶーちゃん小林」に改称)」と名乗り、同様の役を担当した。1983年の12月末に出演したプロレスラーの長州力はこの小林を大学(専修大学)の同級生と紹介した。在学中は長州はレスリング、小林はアルバイトにそれぞれ没頭していたと振り返った。 ゲスト自ら電話をかける場合もある。その際は、手の動きから電話番号が判別されないように「WA!」と書かれたプレート(照れ(tel)隠し)の後ろでプッシュボタンを押す。テレフォンアナウンサー登場以降は、ゲスト自ら電話をかけることは少ない。初期はプッシュ音の音声が流れていたが、出演後にいたずら電話がきた等の苦情がゲスト等から寄せられたため、現在では流れていない(プッシュホンはその原理上、音でボタンが判別できるため)。 1995年10月から、マッキントッシュを設置し、次回ゲストの顔と名前を表示する目的で使用する。パソコンは数年おきに取り替えているが、いずれもアップルコンピュータ製であり、現在はiMac G5を使用。シネマディスプレイを使用していた頃は、PC台の内側にPower Mac G4 Cubeを設置していた。 当初は、スケジュールの都合で番組中に出演を断られ、別の友達が紹介されることも珍しくなかった。また、留守もしくは留守電のためつながらなかったケースなどもある。また、携帯電話の普及前には移動中のタレントの新幹線車内への電話の取り次ぎが発生したりで時間中に間に合わず、CM中や、別のコーナーをやっている最中に電話が繋がったりすることもあった。 携帯電話普及以後はこのようなトラブルは減っているが、2006年2月2日の春風亭昇太→立川志の輔紹介時に電話が繋がらず、コーナー後のCM明けに紹介するというハプニングが起こった。原因は、志の輔が事前に自身の携帯電話の番号非通知着信拒否設定を解除していなかったため。また、志の輔の一件以外にも相手が何らかの理由で電話が通じないもしくは切れる場合にはCM明けに再連絡というケースも稀にある。 コロッケが、自身が物真似していた千昌夫を紹介した際に、「多忙」を理由に断られた事がある(千が実業家活動に本腰を入れていた頃)。 番組内で触れられることはないが、番組中の電話での出演依頼は「演出」に近く、実際は事前に出演が概ね決まっている(ただし全てのゲストがブッキング済みと言うわけではない)。特にフジテレビ系列の新番組の第1回放送日や、映画の公開日近くには宣伝を兼ねて出演者がブッキング(他のコーナーやエンディングに出演する場合もある)されることが多々ある。 100分の1アンケート(ひゃくぶんのいちあんけーと)は、テレフォンショッキング内のトーク終了後、「お友達紹介」の前に行う、コーナー内コーナーである。 2001年7月に夏休み特別企画として行った同様のコーナーが好評だったため、同年9月からレギュラー化されたものである。ただし、1人に該当するというものではなく、ゲストの気になることを観客にアンケートするものだった。 現在のコーナー内容は、スタジオ観客のうちランダムに選ばれた100人の女性がスイッチを持ち、ゲストがその100人中1人だけが該当する事柄を予想し、アンケートを行う。それに該当する観客がスイッチを押し、スイッチを押した人数が電光掲示板に表示される。その表示が1、つまりアンケート内容が1人だけに該当すれば成功というものである。ただし、アンケートのチャンスは1回のみ(そのことを知らずにもう一度チャレンジしようとしたり、「今のはなし」と再チャレンジしようとするゲストもいる)。 2003年3月からは、成功したゲストにいいとも!特製のタモリ人形がついた携帯ストラップをプレゼントしている。このプレゼントは春休み特別企画として始まったが、ゲスト達に好評だったため、現在も続いている。この時の形式が現在のものとなっている。なお、タモリストラップはこのコーナーでしか手に入らないオリジナルのもので、デザインは現在は2代目(夏休みバージョンとして使われたストラップが2代目となった)。ストラップは画面クリーナー付きで(裏に「笑っていいとも」のロゴ有り)ブルーは男性用、ピンクは女性用とタモリがその都度説明する。 第1号獲得者は加藤雅也(2003年3月19日)。アンケートの内容は「2月29日生まれの人」であった。ただ加藤本人曰く「嬉しくてすぐ(携帯ストラップを)付けたが半年後には頭部だけになり、その後行方不明になった」とのこと。 2005年3月28日から4月8日までは、春休み限定企画として過去のいいとも!内コーナー「だんだん減らしまSHOW」と同様の方式に変更した。 ルールは以下の通り。「100分の1アンケート」と同様にアンケートを行い、同一週のゲスト5人のアンケート結果人数が、順に減っていく形になれば成功。ただし、月曜日の結果が100人の場合と、金曜日の結果が0人の場合は失敗。また、途中で成功不可能になった場合、(例:木曜日の結果が1人の場合は、金曜日の結果によらず)その時点で失敗。 成功した場合には、同一週のゲスト5人全員に携帯ストラップがプレゼントされた。3月28日(小栗旬)から4月1日(田中律子)、4月4日(菊池麻衣子)から4月8日(高橋英樹)とも成功した。 またこの期間内は、観客がスイッチを押す間のBGMを「だんだん減らしまSHOW」で使用していたものに変更した。 2005年7月18日より22日までは、特別企画として「ダブルチャンス」を設けた。この期間はスタジオをお台場フジテレビ局に移しており、かつ夏休みイベント『お台場冒険王』の企画として番組セットをフジテレビ局舎22階フォーラムに再現し、一般公開していた。「ダブルチャンス」はこれを利用し、スタジオ観客での結果が1人以外の場合に、フォーラム見学者100人に対し同内容のアンケートを行い、その結果が1人の場合も成功をしたとみなすものであった。 2005年の『お台場冒険王』では、グッズ販売コーナーの三角くじ抽選で携帯ストラップをプレゼントしていたが、これはレプリカであり、『100分の1アンケート』のプレゼントとは異なる。見分け方はストラップの刻印で、本物には「WARATTE IITOMO!」、レプリカには「IITOMO TOURS!!」と記されている。 2007年1月29日に出演した岡林信康はアンケートに失敗(4人)したが、本来ノーカウントであるはずの二回目のアンケートで1人が出た(そのアンケートとは、鳩を飼っている人(4人)→レース用の鳩を飼っている人(1人))。しかし、これで携帯ストラップを得ることとなった。前代未聞のことである。タモリは指摘したものの、舞い上がっていたせいか本人には全く耳に届いておらず、何事もなかったかのようにお友達紹介へと進行した。アナウンサーのミスなのか、フォークの神様を逆撫ですることはゆるされないのか、詳細は不明。どちらにせよ、岡林から携帯ストラップを取り上げることはできないと思われる。 2007年10月からストラップのカラーが変更(女性は赤、男性は黄色)された。変更後初めてストラップを獲得したのは女性では佐藤藍子(10月2日、「今月自分の誕生日で、その日に結婚をする予定の人」)、男性は宮藤官九郎(10月5日、「アルタに来る前にゲームセンターで時間をつぶした人」)。 放送が中止になった場合は通常、テレフォンショッキングのゲストは出演予定日の次の放送日に出演するが、スケジュールの関係で出演できない場合もある。また、ゲスト自身の急な都合ででられない場合もままある。実例は以下の通り。 1988年12月16日、朝丘雪路が滞在先の金沢市が大雪により、飛行機が大幅に遅れて離陸したため、代わりに義理の兄で俳優の長門裕之が出演する。無線電話で連絡が繋がったが、この時朝丘は思わず「今飛行機の上〜!」と叫んでしまい、その後タモリは「早く飛行機の中に入って下さい!かんれーじぇんしぇん(正確には「寒冷前線」。気象予報士の福井敏雄の独特な発音で有名だった)が北上中です!!」とギャグを飛ばし、会場の爆笑を誘った。 1991年11月18日、ミッキー吉野が急病のため出演できず、急遽岡安由美子が代わりに出演することが決まり、番組開始40分後に出演。 宮沢和史(THE BOOM) (1995年1月17日〜20日の阪神・淡路大震災報道特番、23日は鹿児島でコンサートの為、女優の石田ゆり子が出演) 松村邦洋 (1995年3月20日、地下鉄サリン事件報道特番、21日は他番組のロケの為、写真家の加納典明が出演) プリンセス天功 (2001年9月12日のアメリカ同時多発テロ事件報道特番、13日は熊本公演の為、俳優の岡田真澄が出演。本人は9月20日に出演) なお、宮沢和史・松村邦洋・プリンセス天功は出演予定日のテレホンショッキングの冒頭で、電話で出演した。 2002年5月6日、宇多田ヒカルが出演する予定の日、卵巣腫瘍(良性)が発覚。摘出手術のため出演できず、急遽父であり音楽プロデューサーの宇多田照實が出演した。 1983年12月1日、佳山明生がゲスト出演した放送で、佳山が登場する直前に男性関係者がステージに乱入し、ゲスト席に座り込んだ。 タモリは当初、何がなんだか分からない様子だったが、「君、どうしたの?何か話したい事あるの?」と冷静に彼に話し掛けていた。しかし異変を感じ取った観客は大きくざわめき出し、スタッフが男を取り押さえることで事なきを得る。タモリも事後、事態を理解し「びっくりしたー!」と安堵。さらに桂文珍がアドリブで出てきて「番組を続けて続けて!」と盛り上げ、混乱した会場の空気を和ませた。ちなみにその青年は、「今年の芥川賞の選考結果」について視聴者に意見を発表したいと考えていたそうで、取り押さえたスタッフがその意見を一応聞いたが警察に引き渡したと後日タモリが番組で語っている。これをきっかけにスタジオアルタの警備がさらに厳重になったとされる。現在会場の警備はガードマンのほか、「本多芸能」、「BEEPS(ビープス)」という会社の社員やアルバイトが担当。 1984年3月14日、黒柳出演時には46分間トークした(これは当時のプロデューサーの横澤彪に続けるように言われたから、と2回目に出演した時に黒柳本人が言っていたが、真相は不明)。この記録は破られていない。2005年12月16日に22年ぶりに出演した際も39分間トークし、先を急いだタモリが次回の滝沢秀明との電話で、金曜日にも関わらず「明日来てくれるかな?」と間違えてしまった。エンディングでも「明日も見てくれるかな?」と発言、しかも金曜レギュラーも観客もまったく気づいた様子がなかった。ちなみに黒柳2度目の出演については、前回の例やタモリとの親密な仲(「徹子の部屋」年内最終放送にタモリが毎年出演)からトークが長くなりそうなことがスタッフ間で予測できていたためか、CM前には「まだまだ続くのか!?テレフォンショッキング!!」と左下にテロップが表記されるなど、ある程度の余裕があったように思われる。 1984年6月22日、有吉出演時には45分間トークした。有吉はこの日のために池田満寿夫デザインの奇抜な着物(生地にラッカーを吹き付けただけの大胆な代物)姿で登場。前日の有島一郎からの伝言が書かれたメモをいきなり破り捨てたり、かつてタモリが作詞した早稲田大学の応援歌を客席に強要して大合唱するなど、異様なハイテンションのまま独走したため、客席からは不満のどよめきが起こった。またこの当日のレギュラーであった明石家さんまが、あまりのトークの長さに怒り、突如スタジオに乱入し、「帰ってよ」「コーナー潰すな! 死ねや! クソババア!」と有吉と大喧嘩を始めた。同年8月30日に有吉が急性心不全で病死したため、タモリはさんまに対し「お前が(死ねと)言ったから死んじゃったんだぞ」と冗談交じりに話した。この「ハプニング」については、有吉個人の「暴走」という説と、事前からスタッフ側との打ち合わせで有吉だけでコーナーをぶち抜いてやることに決めていたという説とがある。前者について、同年の3月14日に長話最長記録を樹立した黒柳徹子は、2005年12月16日に出演した時「有吉さんは私の記録を抜きたいと言った。」と言ったため、この暴走にはある程度の計画性があったのではないかと示唆されている。 キレたさんまも、有吉が出演する少し前の1984年2月13日に出演した時に、35分間もトークしている。 1984年4月23日、泰葉(落語家の春風亭小朝元夫人)が「お友達紹介」の際に誤って別の一般人に電話をかけてしまった。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。その次に紹介された4人目が出演を拒否したため、一般人の出演はこの3人で終了。なお、一般人のテレフォンショッキングはこれが唯一。 1985年2月26日、森末慎二(前年のロサンゼルスオリンピックで金・銀・銅メダルを獲得した体操選手)が出演予定だったが、当時のアマチュアスポーツ選手既定では無断でのテレビ出演を禁じていたため、森末は即日引退を表明し、番組出演を強行。以後、タレントとして活動していくきっかけとなった。 1985年4月16日、松本伊代が「お友達紹介」の際に誤って再び一般人に電話をかけてしまった。この一般人は、その年の年末スペシャルに生出演し、放送中に名前を名乗ったためにデートの申し込みなど様々な電話が自宅にかかってきたことを話した。 1989年11月10日〜11月13日、プロレスラーのアントニオ猪木・同じくプロレスラーで当時売り出し中であった橋本真也とリレーし、14日に蝶野正洋が出演した。友達は田中美奈子だが蝶野と田中の会話が一切無く、本当に友達なのかという疑問が生じた。後に蝶野は「名前も顔も知らない人と何を話したらいいのか解らず困ったから何も話さずにタモリに電話を渡した」と語った。 1989年12月21日、当時話題の人物だった武豊が出演。前日のゲスト早見優は「お会いしたことは無いんですけど…」と前置きして紹介した。武は佐野量子を紹介した。 1991年6月27日、由紀さおりが、羽田空港からタクシーで向かう最中首都高速道路の渋滞に巻き込まれ、47分も遅刻した。由紀はタクシーから降りた後全力疾走してスタジオアルタへやって来たが、アルタに到着した直後にタモリから「早速ですが、『お友達紹介』して頂きたいんですが!」と言われてしまい(翌日は坂本冬美)、タモリと由紀とのトークの時間は殆ど無いまま終了となった。 1991年9月30日〜10月4日の1週間は放送10周年記念週間として、本コーナーにまつわる記録保持者がゲスト出演した(月曜:田原俊彦(番組瞬間最高視聴率獲得者)、火曜:桜田淳子(第1回ゲスト)、水曜:藤井郁弥(男性最多出演者)、木曜:明石家さんま(最多代理司会者)、金曜:和田アキ子(女性最多出演者))。 1993年2月26日、裏番組の『素敵な気分De!』(TBSテレビ系)がこの日最終回だったことから、ゲストのせんだみつおが同番組の司会者の一人である大島智子(現・大島さと子)を友達に指名し、生放送中のTBSのスタジオに電話をかけて番組同士で会話をした。 1993年5月20日、鈴木杏樹が、「一昨日くらいから緊張していました」と発言した。タモリが慌てて「そんなこと無い」とフォローした。この模様はその年の特大号でも放送された。 1994年5月30日〜6月3日の1週間は3000回記念週間として、旧レギュラー陣がゲスト出演した(月曜:所ジョージ、火曜:高田純次、水曜:ウッチャンナンチャン、木曜:渡辺正行、金曜:ルー大柴)。 1996年4月15日、木村拓哉が、友達として常盤貴子を紹介する際に「あんまり知らないんですけど・・・」と口走ってしまった。 1997年10月2日、片桐はいりが本コーナー出演に30分以上遅刻した。携帯電話で本人曰く「寝坊しました」とのこと。片桐は品川駅から急遽JR山手線で新宿駅へ向かい、12:35頃にようやくスタジオアルタへ到着。本コーナーは12:40過ぎから開始、片桐の寝坊と遅刻の話題に終始した。 1997年10月10日、この日ゲストのブラザーコーンが木村拓哉を紹介するも、木村は自分は行けないと言い、「代わりに松たか子が行きますので。」と松たか子を紹介する。翌週月曜の10月13日にゲストで松たか子が登場し、持参したポスターを貼るためタモリが「これ貼っておいて。」と言うとポスター係として木村拓哉がサプライズで登場し、会場を沸かせた。 1997年12月10日、大竹しのぶが、「友達じゃなくてもいいですか?変な人なんですけど」と前置きした上で離婚した元夫・明石家さんまを紹介する。さんまにも「友達ちゃうやろ」と(『変な人』と言われたからか)指摘を受け、苦笑しつつ電話をした。さんまはその電話中かなり動揺しており、翌日のゲスト出演の際も動揺していた。 1997年12月18日、山田まりやが、友達として所ジョージを紹介したが、山田は所に「友達じゃない」と言われた。 1999年4月14日、山田まりやが、「会ったことないんですけど、お友達になりたい人」として清春(黒夢)を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。 このことに関して岡村は、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の2005年5月5日放送回内において、「(安室奈美恵と)どういう接点があったか覚えていない」、「とりあえず紹介できそうな芸能人をリストアップしてくれ、とスタッフに頼まれて挙げたうちの一人」などと暴露した。 2005年9月21日、山崎邦正がゲストとして出演した際、作家の中村うさぎとの共著で人生悩み相談本を出版したことから、タモリに「何か悩みタモリさん言うてください」と言ったところ、突然男性の観客が「タモリさん、いいともが年内終了するって本当なんですかね?」と話し掛け出した。山崎はすかさず立ち上がって「ちょっと待ってください! ものすごいびっくりしてんけど! 何?いいとも年内に終了!?」と突然の出来事に慌てふためいた。タモリは冷静に「いや聞いてないですけど。違うんじゃないですか?」と返答。しかし男は同じ質問を繰り返し、客席は異様なムードに包まれた。客席の男性がスタッフに退席させられると、タモリは山崎に「お前が連れてきたんだろう!」言い放ち、山崎が「連れてきてないですよ!」と言うと、タモリに「連れてこなくてもお前が来るから変な奴が一緒に来るんだよ!」、「お前が(変な人を)呼び寄せるオーラがあるんだよ!」などと突っ込まれた。さらにタモリが「CMが明けたらあそこ(客席)にクマのぬいぐるみが座ってます。」と冗談まじりに言い(『ロンパールーム』で下品な言葉を喋った男の子がCM明けにはクマのぬいぐるみに入れ替わっていた、という逸話が元ネタ)、さらにタモリが「(コーナーが無茶苦茶になって)どうしてくれんだよ!」と山崎を責め立てると、山崎が「どうしてくれんだよって、僕が言いたいですよ!(テレフォンショッキング)初登場で楽しみにしてたのに。」と言うと、このタイミングでCMへ入ることになり「えーっ! なんやねん!」と絶叫。そしてCM明けに、本当に男性の客席に置かれたクマのぬいぐるみが映し出されると「クマが…クマが座ってた!(笑)」と山崎とタモリは爆笑した。その後の『NEWダウトJAPAN!』のコーナーでも爆笑問題の太田光が早速それをネタにし番組を沸かせていた。(番組側の説明によると、実際の所はこのままでは番組の進行にも支障をきたすと思われた為、男に理解してもらったうえ退席という処置をとったとの事。) この一件で一部週刊誌には打ち切りかという記事が相次いだが、フジテレビはこの記事を完全否定した。この件はこの週の増刊号では一切触れず、同様に『NEWダウトJAPAN!』もカットされ、CM明けのクマのぬいぐるみの部分が予告映像に使用された。 2006年4月27日ゲストの叶美香からパックンマックンのパックンへのお友達紹介の際、電話の最後で相方のマックンが「パックンマックンで行ってもいいですかね?」と聞くと、タモリが、「いいんじゃないでしょうか。」と言ったので、マックンが、「明日行ってもいいかな?」と言うとタモリが「いいとも!」と言ってコーナーを締め、本来とは逆のパターンとなった。 2006年5月26日、SMAPの稲垣吾郎がゲスト出演した時、前日のゲストである大竹しのぶのコメントの訂正があった。コメントの訂正はめったにない珍しいことである。 2006年10月3日、ゲストの岡村隆史から矢部浩之へのお友達紹介の際、平井理央アナが2度一般の会社へ間違えて電話をしてしまい、3度目で矢部へ無事つながったが、「会社員してないよね?」という岡村からの一言があった。 2006年11月22日、DJ OZMAにかけた際、タモリが「じゃあ明日来てくれるかな?」を言い忘れて「お待ちしてます」と言って電話をそのまま切ろうとした。そのため、あわててゲストのKREVAが「いいとも!!」と言って指摘した。 テレビドラマ「今週、妻が浮気します」の初回放映日にドラマの番宣を兼ねて主演のユースケと石田が『笑っていいとも!』のコーナーにゲスト出演した際、タモリが「今週、妻が浮気します」をシャレて「九州、熊が積み木します?」と発言したところ、これが他のレギュラー陣や観客に大受けした。その後、2007年2月14日、ユースケが本コーナーに出演した際に、美術チーム自作の「九州、熊が積み木します。」のポスターをタモリにプレゼントしていた。 2007年3月2日、テレフォンアナウンサーを南海キャンディーズの山ちゃんが、すべり インタ(この年の日本アカデミー賞授賞式でのインタビューが下手だったことによる)名で、担当した。但し、次回のゲストに電話する際は、間違い電話防止のことか横に通常のテレフォンアナウンサーがついていた。 2007年5月7日、松岡修造が出演した際、トーク時の服装と、CM明け時の服装が変わっていた。CM中に観客の前で着替えをしたからで(上のスーツを脱いでユニフォーム姿になった)、その一部始終が増刊号で放送された。 2007年6月14日、ロビーの花紹介で、オープニングコーナーのゲストの諸星和己が、まぎれて登場した。 2007年9月25日、ゲストに高岡蒼甫が出演した際、トークの途中で突然何の予告もなくCM画面に切り替わるというハプニングがあった。これは地方局によるミスではなく、フジテレビ側で起きたミスであった為、全国のネット局全てでこのようなことが起こった。その後のコーナーでは、品川庄司の品川が早速この件について触れる発言をし、笑いをとっていた。 出演ゲストの顔写真パネルを張るカレンダーボードは、番組開始時から使用している(そのため、交換などはされていない)。 フジテレビのバラエティ番組のトークなどでタレントの話題が出た時に、そのタレントの写真が画面の隅に表示されるが、たまに本コーナーで使用された写真を使用することがある。その写真の背景がブルー・グリーン・オレンジ・ピンクのどれかとなっている。 本コーナーでセットとして使用するテーブルは現在4代目で、2001年から使用している。初代は番組開始時から1989年まで7年、2代目は1990年まで1年、3代目は2001年まで11年それぞれ使用していた。歴代どのテーブルにもマイク2つと真ん中に花がある。ただしKONISHIKIなど重量級のゲストが来た場合は、イスが壊れるおそれがあるので、ソファーと低いテーブルを特別に用意し、『徹子の部屋』のようなスタイルで行う。 番組開始当時は、番組オープニングのコーナーは「タモリの世界の料理」で、本コーナーはエンディングに行われていた。その後、本コーナーがオープニングコーナーに移動した後、現在は1994年7月以降、オープニングコーナーの次に移っている。 1990年までは、トーク前にゲストが本コーナーのテーマである「友達の友達は皆友達だ。世界に広げよう友達のWA!」と叫び(三波春夫の作曲したメロディーで歌うゲストもいた)、その後出演者・観覧者全員が輪の形に両手を挙げ「WA!」と叫ぶのが恒例であった。 1990年まではトーク中、タモリが手元のメモ帳にしばしば下品な悪戯書きをしていた。この悪戯書きは「安産のお守り」と称され、ゲストが持ち帰ることも多かったが、ゲスト出演した横山やすしやダンプ松本が、悪戯書きの書きかけをカメラに映し、放送されてしまうというハプニングがあった。その後、ある宗教団体からの抗議を受けてからは中止した。しかし、この「お守り」を欲しがるゲストは後を絶たず、番組上でゲストに依頼された場合は、タモリは番組終了後に密かに書いて手渡しているが、2006年6月2日放送分では、ゲストの七瀬なつみにお願いされたタモリが生放送中に書いていた。 1993年のフジ主催のイベント『LIVE UFO』の開催期間中に代々木第一体育館の特設スタジオで公開放送され、1997年11月6日にタイガー・ウッズがコーナーゲストとして出演した際に相手への配慮もあってか、フジのスタジオ内で公開放送された。 原田芳雄、中川家礼二などの鉄道ファンがゲスト出演した際には、ほぼ鉄道関係の話題に終始する。原田やタモリは鉄道ファンの内でも「線路ファン」であると称しており、鉄道に関する話題のうちでも特に線路や配線に関する話題で盛り上がる。それまで沿線ローカルネタだった京浜急行の「ドア閉めます」は、タモリがこの中で発言したことにより全国に広まった。 2004年7月25日の『FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are! 楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!』内で放送された「笑っていいとも! 増刊号生スペシャル」では、番組史上初めてタモリが本コーナーにゲストとして登場。司会はナインティナインの岡村隆史が行った。 2007年現在、本コーナーのゲストのうち、最多登場は18回出演の和田アキ子。次いで17回出演の浅野ゆう子と藤井フミヤと陣内孝則、16回出演の中村雅俊、14回出演の原田芳雄。最多出演の和田は、12回目の出演時の1998年6月30日の放送中、関東地方に地震が起こり、タモリに「今頃テレビで『震源地は和田』と言われて・・・」と言われたこともある。 タモリが番組で「俺、22年番組やってるけど一度も花をもらったこと無いな〜」と言ったらその翌日、三谷幸喜からタモリ宛へ花が贈られていた。 1度だけ、日替わりとして放送されていたモノマネ芸人を当てるコーナーで、よゐこの濱口優がタモリに扮し、タモリ本人がテレホンショッキングにゲスト出演した事がある。この放送回では正式なテレホンショッキングも行われている為、テレホンショッキングのゲスト出演者には含まれない。 ウッチャンナンチャンやナインティナインなど、コンビとして出た後、次は2人別々に出演することがあるが、これはそのままカウントされる。 前で述べたように、荒井昭博がプロデューサーに就任した1995年の10月から、ネームプレートをゲストが持ってくるようになり、翌日のゲストの写真と名前が出てくるマッキントッシュが設置され、ゲストの名前のスーパーの字体も現在のものへ変更された(詳しくは後述)。物が物だけに他の番組では使えないはずだったが、山本シュウが「タモリ倶楽部」の収録に持参してきたことがある(もちろん、「いいとも」のロゴは手で隠していた)。 すべてのコーナー、オープニングのレギュラー出演者登場の際含め、基本的には同じ字体が使用されている。ただし、増刊号は1993年10月の手書き廃止以降、平日の本編と違う字体を使用している。 現行のもの。青い字の明朝体。1998年頃からゲスト出演者のみ、この字の背景に男性なら青、女性ならピンクの背景の線が入っている。 1987年頃にテレフォンアナウンサーを導入してからは、在籍中のフジテレビアナウンサーはこのコーナーには出演できなくなった。 ただし、導入してからも露木茂や、当時、増刊号アナを担当していた西山喜久恵と、西山の同期である小島奈津子が、フジテレビに所属していながら共演している。 生田悦子・江口洋介・かたせ梨乃・河原崎長一郎・沢村一樹・島田楊子・清水章吾・太地喜和子・中村玉緒・山本陽子 里見浩太朗・石坂浩二・横内正・大和田伸也・あおい輝彦・山田純大・照英・原田龍二・加賀まりこ・山口いづみ・せんだみつお・馬渕英里何・三波豊和・山本學・舟木一夫・橋幸夫 変わったところでは、浅井企画の浅井良二社長や、現職の世田谷区長(大場啓二、1985年12月18日)が出演したことがある(せんだみつおの紹介)。彼は『タモリ倶楽部』の「世田谷区横断ウルトラクイズ」でも「私は誰でしょう」という問題に登場した。 またタモリの従妹である伊佐山ひろ子や裏番組『おもいッきりテレビ』現(おもいっきりイイ!テレビ)の司会者の山本コウタロー、みのもんたも出場したことがある(ただし、おもいッきりテレビが放映される1987年以前のことである)。 この「テレフォンショッキング」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。 |
[ 44] テレフォンショッキング - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
|
ビジネス業界用語コンピュータ電車自動車・バイク工学建築・不動産学問文化生活ヘルスケア趣味スポーツ生物食品人名方言辞書・百科事典 関連広告ショッピングなら≪日本直販≫www.666-666.co.jp季節に応じて新アイテム続々入荷!テレビの人気商品やネット限定品もNTTビジネスホンが問屋価格www.d-nda.co.jp取付工事も安い・保守万全で安心・信用第一・NTT特約店20年の実績'); この記事は、上記の親記事が長くなったために分割されて生じた記事です。このテーマについて体系的な情報を得たい場合には、上記の親記事(目次ページ)にあるリンクを順番に辿ってみてください。 テレフォンショッキングは、フジテレビ系列(FNN・FNS)でのテレビバラエティ番組森田一義アワー 笑っていいとも!の一コーナーである。毎回ゲストを呼んでタモリ(森田一義)とトークをするコーナーで番組の看板コーナーである。出演ゲストの詳細はテレフォンショッキング・出演ゲスト一覧の「1980年代」「1990年代」「2000年代」を参照のこと。 出演したゲストが「お友達紹介」として次回ゲストを紹介し、電話で出演依頼するのが特徴。第1回のゲストは桜田淳子。なぜ桜田淳子が選ばれたかというと、単にタモリ自身が桜田の大ファンだからである。 このコーナーの目的は当時、伊藤つかさの大ファンであったタモリが芸能界の交友関係を繋げて行き、伊藤つかさに辿り着く事であった(辿り着いたのは放送3年目の1985年7月8日、なお1987年6月24日にも出演)。 現在では現役いいともレギュラーはテレフォンショッキングにゲスト出演しないことが慣例化しているが、かつてはレギュラーが別の曜日にテレフォンショッキングにゲスト出演していたことがある。 間寛平がゲスト出演した際にはタモリと寛平が猿の喧嘩の真似をする事が恒例となっており、2004年8月12日放送分のテレフォンショッキングは猿の喧嘩だけで終わってしまったことがあった。 片岡鶴太郎がゲスト出演した際には、タモリ・片岡両方とも「きゅ〜チャン。オハヨ」と九官鳥の物真似をし合う事も恒例となっている。 竹中直人がテレフォンショッキングに出演すると、「竹中に代わって」と言って何らかのキャラクターに変装し、ほとんどプライベートを語らない。 大橋巨泉、ルー大柴、ユースケ・サンタマリア、出川哲朗、ふかわりょうがゲスト出演する際は何かにつけてタモリがテレフォンショッキングを出演拒否をしようとしている。また「お友達紹介」の際もタモリが拒もうとしている。それとは別に和田アキ子に対しては、「土曜日ですけど大丈夫ですか?」「(和田さんは忙しそうなので)明日は無理のようですね」等なるべく遠まわしに言う。また、江頭2:50とふかわりょうは乱入という形で出演しているが、2人とも宣伝はちゃんとやっている。 笑っていいとも!年末特大号で、1年間の全出演者のテレフォンショッキングがある。曜日レギュラーと、2ヶ月ごとに紹介する。 ルー大柴が出演の際は、タモリが呼んで出た直後に、ルーが「みんな盛り上がってるか!!」と言い、観客が「イエーイ!!」と言うのが恒例になっている。 スタート以来、重複出演はなかったが、1985年頃から、2度目の出演が可能になった。第一号は山口いづみから紹介されたアン・ルイス(初登場は1982年11月)。 1992年頃からは「番組の儀式」として、冒頭でタモリが客席に「こんにちは!」と挨拶すると、観客も「こんにちは!」と返し、タモリが天気の事など時節柄の話題を振ると、観客が「そうですね!」と返しタモリが「ありがとうございます」、といったかけ合いを行う。なお、タモリからどんな質問をされようと、観客は「そうですね!」と返すのが恒例なっている。2006年12月頃から、この状況を逆手にとってタモリがことわざなど、何かしらのフレーズを途中まで言い、観客に続きの部分を言わせて客いじりをしている(馬の耳に→念仏!、犬も歩けば→棒にあたる!、ボンボンバカボン→バカボンボン!、セブンイレブン→いい気分! など)。このとき「そうですね!」と返す客もよくいて、タモリに突っ込まれる。知名度の低いことわざ(門前の小僧→習わぬ経を読む! 等)を言ったときなどに観客が言葉に詰まることもある(たいていの場合、タモリが『知らないの?』と突っ込みを入れる)。 1990年まで、ゲストが「友達の友達はみな友達だ、世界に広めよう友達の輪、輪っ!」というのを歌うのがあった。輪っ!のところで両手で頭の上にわっかを作るポーズをお客さんとする。また、ゲストが自ら電話をかけていた時に使っていたプラスチックの電話カバー(TEL(テレ)隠し)に絵で表示されていた。絵では、両手の真ん中にWA!という文字がある。 2006年11月29日、森山直太朗が、ゲスト時に「友達の輪!」を自分の曲に混ぜて歌った。この時、「これをやらなくなったのは何かまずいことがあったとかですかねぇ。」という話があったが、なぜかは明かされていない。 タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する。(1995年10月から)担当が女子アナの場合は観客から「かわいいー!」などの掛け声がかかることもある。最近では男性アナの場合も「かっこいー!」などの掛け声がかかる。特に渡辺和洋アナの場合は歓声が大きい。 ゲスト名をスーパーで紹介する。(番組開始から1993年9月までは手書き調、1993年10月から1995年9月までは白い丸ゴシック体、1995年10月からは青に白い縁取りをした明朝体であり、1998年ごろからゲストの簡単な経歴も紹介。ただしごく稀に誤った情報が流される場合がある) ゲストが舞台告知などの宣伝ポスターを持ってきた時は、タモリが「おーいこれ貼っといて」(2000年以降は「おーいこれ貼っといて頂戴」と言うことの方が多い)と言うと、スタッフ(通称:はるひと)がセット袖から現れて、セットの壁面にポスターを貼る。 1990年までは、古いポスターの上に新しいポスターを重ね貼りしていた。月曜日に全て剥がされる。現在は毎日コーナーが終わるとポスターがはがされていて、翌日には何もない状態になっている。 同様に大山のぶ代がテレフォンショッキングに来た時、当日のレギュラーで大のドラえもんファンの千秋が現れた。 安斎肇が来たとき、前の日のゲストみうらじゅんからポスターを貼るところが自分の作品を展示するスペースであると教えられたという。タモリが「違う!」と言っていたがそこにはみうらの絵が飾ってあったため、タモリが「なんで剥がさないの?」と突っ込んでいた。なお、安斎は「自分は良識がある」といって、作品と称した手書きのポスターを持参した。 1999年頃までは、ゲストが「お土産」をスタジオ観客全員にプレゼントすることもしばしばあったが、ゲストに負担となることや、品物によって客のリアクションが如実に現れることなどを理由に、観客への「お土産」は2000年春頃に一切なくなった。 タモリが、ゲストに贈られた出演祝いの花輪を紹介する。出演祝いの電報や、前回のゲストからのメッセージを読み上げることもある。 花がスタジオに入りきらず、ロビーに並べ、それを放送することもある。ミュージシャンがゲストの際に多い。最も多く花を贈られたゲストは東京プリンで、ロビーだけでなく屋上にも並べた。 花や電報が1通も贈られないこともある。ジャイアント馬場(1989年)、および吉田日出子出演時の出来事。 山本太郎がゲスト出演時に送られた電報の送り主はマイケル・ジャクソンであった。ただしこれは、前日に自分で贈ったものである(本人談)。しかも、送られた電報はこの1通のみであった(2006年5月4日) タモリがゲストとトークを行う。ミュージシャンがゲストの場合、曲を披露することもある。また、ラッパーなどがタモリと即興のセッションを行うこともある。 コーナーの最後にテレフォンアナウンサーが電話をつなぎ、次回ゲストと今日のゲストが電話で簡単なやり取りをしたあと、タモリに替わり、次回ゲストへ出演依頼をする。 ゲストとの電話のやり取りは「明日いいとも大丈夫ですか?」(「明日」の部分は、金曜日には「来週月曜」、年内最後の放送日には「来年1月○日」)とたずね、OKの返事が出るとタモリが「明日来てくれるかな!?」と問いかけ、「いいとも!」の返答でコーナーを締めるのがお約束になっている。(そのあとにタモリが「お待ちしています。」という。) タモリが「明日いいとも大丈夫ですか?」と質問したところでゲストが「いいとも!」と答えることもあり、その場合はそのままコーナーが終了する。 たまにではあるが、テレフォンショッキングに出演したゲストが、次のコーナーに引き続き出演する事もある。 お友達紹介(おともだちしょうかい)は、テレフォンショッキングの出演ゲストが友人・知人(タレントはもちろん、お笑い芸人・俳優・女優・作家・作詞家・小説家・ミュージシャン・演歌歌手・政治家など様々)を紹介、番組中に本人に電話連絡し、次回ゲストとして出演を依頼することである。ちなみにタモリが「じゃ、お友達を・・・」と言うと観客が「えぇー!!」と言うのが習慣になっている。これは出演ゲストとのトークが終わりであることを惜しむ気持ちを表したものとされている。但し、本人の希望からかルー大柴や山崎邦正がゲストだった回には「じゃ、お友達を・・・」のあとに「えぇ〜」と言わず、その変わりにシ〜ンと無視する演出がされたこともあった。ルー大柴の場合は「なんで『えぇ〜』と言わないんだよ!」とツッ込んで、観客から大爆笑の渦が巻いた。 1987年10月から、テレフォンアナウンサーが登場する。テレフォンアナウンサーは、ゲストに代わって友達に電話をかける役どころで、フジテレビアナウンサーが担当する。電話が繋がると、ゲストに電話器を手渡す。 タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する時、基本的に男性は「君」付け、女性は呼び捨て(唯一の例外は佐藤里佳(ごく稀に戸部洋子)の「ちゃん」付け)である(現レギュラーでは水曜担当の渡辺和洋アナと木曜担当の田淵裕章アナが「君」付け)。 テレフォンアナウンサー登場以前は、スタッフの小林豊(現フジテレビ執行役員・スポーツ局長)が「テレフォンディレクター・ブッチャー小林(後に「ぶーちゃん小林」に改称)」と名乗り、同様の役を担当した。1983年の12月末に出演したプロレスラーの長州力はこの小林を大学(専修大学)の同級生と紹介した。在学中は長州はレスリング、小林はアルバイトにそれぞれ没頭していたと振り返った。 ゲスト自ら電話をかける場合もある。その際は、手の動きから電話番号が判別されないように「WA!」と書かれたプレート(照れ(tel)隠し)の後ろでプッシュボタンを押す。テレフォンアナウンサー登場以降は、ゲスト自ら電話をかけることは少ない。初期はプッシュ音の音声が流れていたが、出演後にいたずら電話がきた等の苦情がゲスト等から寄せられたため、現在では流れていない(プッシュホンはその原理上、音でボタンが判別できるため)。 1995年10月から、マッキントッシュを設置し、次回ゲストの顔と名前を表示する目的で使用する。パソコンは数年おきに取り替えているが、いずれもアップルコンピュータ製であり、現在はiMac G5を使用。シネマディスプレイを使用していた頃は、PC台の内側にPower Mac G4 Cubeを設置していた。 当初は、スケジュールの都合で番組中に出演を断られ、別の友達が紹介されることも珍しくなかった。また、留守もしくは留守電のためつながらなかったケースなどもある。また、携帯電話の普及前には移動中のタレントの新幹線車内への電話の取り次ぎが発生したりで時間中に間に合わず、CM中や、別のコーナーをやっている最中に電話が繋がったりすることもあった。 携帯電話普及以後はこのようなトラブルは減っているが、2006年2月2日の春風亭昇太→立川志の輔紹介時に電話が繋がらず、コーナー後のCM明けに紹介するというハプニングが起こった。原因は、志の輔が事前に自身の携帯電話の番号非通知着信拒否設定を解除していなかったため。また、志の輔の一件以外にも相手が何らかの理由で電話が通じないもしくは切れる場合にはCM明けに再連絡というケースも稀にある。 コロッケが、自身が物真似していた千昌夫を紹介した際に、「多忙」を理由に断られた事がある(千が実業家活動に本腰を入れていた頃)。 番組内で触れられることはないが、番組中の電話での出演依頼は「演出」に近く、実際は事前に出演が概ね決まっている(ただし全てのゲストがブッキング済みと言うわけではない)。特にフジテレビ系列の新番組の第1回放送日や、映画の公開日近くには宣伝を兼ねて出演者がブッキング(他のコーナーやエンディングに出演する場合もある)されることが多々ある。 100分の1アンケート(ひゃくぶんのいちあんけーと)は、テレフォンショッキング内のトーク終了後、「お友達紹介」の前に行う、コーナー内コーナーである。 2001年7月に夏休み特別企画として行った同様のコーナーが好評だったため、同年9月からレギュラー化されたものである。ただし、1人に該当するというものではなく、ゲストの気になることを観客にアンケートするものだった。 現在のコーナー内容は、スタジオ観客のうちランダムに選ばれた100人の女性がスイッチを持ち、ゲストがその100人中1人だけが該当する事柄を予想し、アンケートを行う。それに該当する観客がスイッチを押し、スイッチを押した人数が電光掲示板に表示される。その表示が1、つまりアンケート内容が1人だけに該当すれば成功というものである。ただし、アンケートのチャンスは1回のみ(そのことを知らずにもう一度チャレンジしようとしたり、「今のはなし」と再チャレンジしようとするゲストもいる)。 2003年3月からは、成功したゲストにいいとも!特製のタモリ人形がついた携帯ストラップをプレゼントしている。このプレゼントは春休み特別企画として始まったが、ゲスト達に好評だったため、現在も続いている。この時の形式が現在のものとなっている。なお、タモリストラップはこのコーナーでしか手に入らないオリジナルのもので、デザインは現在は2代目(夏休みバージョンとして使われたストラップが2代目となった)。ストラップは画面クリーナー付きで(裏に「笑っていいとも」のロゴ有り)ブルーは男性用、ピンクは女性用とタモリがその都度説明する。 第1号獲得者は加藤雅也(2003年3月19日)。アンケートの内容は「2月29日生まれの人」であった。ただ加藤本人曰く「嬉しくてすぐ(携帯ストラップを)付けたが半年後には頭部だけになり、その後行方不明になった」とのこと。 2005年3月28日から4月8日までは、春休み限定企画として過去のいいとも!内コーナー「だんだん減らしまSHOW」と同様の方式に変更した。 ルールは以下の通り。「100分の1アンケート」と同様にアンケートを行い、同一週のゲスト5人のアンケート結果人数が、順に減っていく形になれば成功。ただし、月曜日の結果が100人の場合と、金曜日の結果が0人の場合は失敗。また、途中で成功不可能になった場合、(例:木曜日の結果が1人の場合は、金曜日の結果によらず)その時点で失敗。 成功した場合には、同一週のゲスト5人全員に携帯ストラップがプレゼントされた。3月28日(小栗旬)から4月1日(田中律子)、4月4日(菊池麻衣子)から4月8日(高橋英樹)とも成功した。 またこの期間内は、観客がスイッチを押す間のBGMを「だんだん減らしまSHOW」で使用していたものに変更した。 2005年7月18日より22日までは、特別企画として「ダブルチャンス」を設けた。この期間はスタジオをお台場フジテレビ局に移しており、かつ夏休みイベント『お台場冒険王』の企画として番組セットをフジテレビ局舎22階フォーラムに再現し、一般公開していた。「ダブルチャンス」はこれを利用し、スタジオ観客での結果が1人以外の場合に、フォーラム見学者100人に対し同内容のアンケートを行い、その結果が1人の場合も成功をしたとみなすものであった。 2005年の『お台場冒険王』では、グッズ販売コーナーの三角くじ抽選で携帯ストラップをプレゼントしていたが、これはレプリカであり、『100分の1アンケート』のプレゼントとは異なる。見分け方はストラップの刻印で、本物には「WARATTE IITOMO!」、レプリカには「IITOMO TOURS!!」と記されている。 2007年1月29日に出演した岡林信康はアンケートに失敗(4人)したが、本来ノーカウントであるはずの二回目のアンケートで1人が出た(そのアンケートとは、鳩を飼っている人(4人)→レース用の鳩を飼っている人(1人))。しかし、これで携帯ストラップを得ることとなった。前代未聞のことである。タモリは指摘したものの、舞い上がっていたせいか本人には全く耳に届いておらず、何事もなかったかのようにお友達紹介へと進行した。アナウンサーのミスなのか、フォークの神様を逆撫ですることはゆるされないのか、詳細は不明。どちらにせよ、岡林から携帯ストラップを取り上げることはできないと思われる。 2007年10月からストラップのカラーが変更(女性は赤、男性は黄色)された。変更後初めてストラップを獲得したのは女性では佐藤藍子(10月2日、「今月自分の誕生日で、その日に結婚をする予定の人」)、男性は宮藤官九郎(10月5日、「アルタに来る前にゲームセンターで時間をつぶした人」)。 放送が中止になった場合は通常、テレフォンショッキングのゲストは出演予定日の次の放送日に出演するが、スケジュールの関係で出演できない場合もある。また、ゲスト自身の急な都合ででられない場合もままある。実例は以下の通り。 1988年12月16日、朝丘雪路が滞在先の金沢市が大雪により、飛行機が大幅に遅れて離陸したため、代わりに義理の兄で俳優の長門裕之が出演する。無線電話で連絡が繋がったが、この時朝丘は思わず「今飛行機の上〜!」と叫んでしまい、その後タモリは「早く飛行機の中に入って下さい!かんれーじぇんしぇん(正確には「寒冷前線」。気象予報士の福井敏雄の独特な発音で有名だった)が北上中です!!」とギャグを飛ばし、会場の爆笑を誘った。 1991年11月18日、ミッキー吉野が急病のため出演できず、急遽岡安由美子が代わりに出演することが決まり、番組開始40分後に出演。 宮沢和史(THE BOOM) (1995年1月17日〜20日の阪神・淡路大震災報道特番、23日は鹿児島でコンサートの為、女優の石田ゆり子が出演) 松村邦洋 (1995年3月20日、地下鉄サリン事件報道特番、21日は他番組のロケの為、写真家の加納典明が出演) プリンセス天功 (2001年9月12日のアメリカ同時多発テロ事件報道特番、13日は熊本公演の為、俳優の岡田真澄が出演。本人は9月20日に出演) なお、宮沢和史・松村邦洋・プリンセス天功は出演予定日のテレホンショッキングの冒頭で、電話で出演した。 2002年5月6日、宇多田ヒカルが出演する予定の日、卵巣腫瘍(良性)が発覚。摘出手術のため出演できず、急遽父であり音楽プロデューサーの宇多田照實が出演した。 1983年12月1日、佳山明生がゲスト出演した放送で、佳山が登場する直前に男性関係者がステージに乱入し、ゲスト席に座り込んだ。 タモリは当初、何がなんだか分からない様子だったが、「君、どうしたの?何か話したい事あるの?」と冷静に彼に話し掛けていた。しかし異変を感じ取った観客は大きくざわめき出し、スタッフが男を取り押さえることで事なきを得る。タモリも事後、事態を理解し「びっくりしたー!」と安堵。さらに桂文珍がアドリブで出てきて「番組を続けて続けて!」と盛り上げ、混乱した会場の空気を和ませた。ちなみにその青年は、「今年の芥川賞の選考結果」について視聴者に意見を発表したいと考えていたそうで、取り押さえたスタッフがその意見を一応聞いたが警察に引き渡したと後日タモリが番組で語っている。これをきっかけにスタジオアルタの警備がさらに厳重になったとされる。現在会場の警備はガードマンのほか、「本多芸能」、「BEEPS(ビープス)」という会社の社員やアルバイトが担当。 1984年3月14日、黒柳出演時には46分間トークした(これは当時のプロデューサーの横澤彪に続けるように言われたから、と2回目に出演した時に黒柳本人が言っていたが、真相は不明)。この記録は破られていない。2005年12月16日に22年ぶりに出演した際も39分間トークし、先を急いだタモリが次回の滝沢秀明との電話で、金曜日にも関わらず「明日来てくれるかな?」と間違えてしまった。エンディングでも「明日も見てくれるかな?」と発言、しかも金曜レギュラーも観客もまったく気づいた様子がなかった。ちなみに黒柳2度目の出演については、前回の例やタモリとの親密な仲(「徹子の部屋」年内最終放送にタモリが毎年出演)からトークが長くなりそうなことがスタッフ間で予測できていたためか、CM前には「まだまだ続くのか!?テレフォンショッキング!!」と左下にテロップが表記されるなど、ある程度の余裕があったように思われる。 1984年6月22日、有吉出演時には45分間トークした。有吉はこの日のために池田満寿夫デザインの奇抜な着物(生地にラッカーを吹き付けただけの大胆な代物)姿で登場。前日の有島一郎からの伝言が書かれたメモをいきなり破り捨てたり、かつてタモリが作詞した早稲田大学の応援歌を客席に強要して大合唱するなど、異様なハイテンションのまま独走したため、客席からは不満のどよめきが起こった。またこの当日のレギュラーであった明石家さんまが、あまりのトークの長さに怒り、突如スタジオに乱入し、「コーナー潰すな! 死ねや! クソババア!」と有吉と大喧嘩を始めた。同年8月30日に有吉が急性心不全で病死したため、タモリはさんまに対し「お前が(死ねと)言ったから死んじゃったんだぞ」と冗談交じりに話した。この「ハプニング」については、有吉個人の「暴走」という説と、事前からスタッフ側との打ち合わせで有吉だけでコーナーをぶち抜いてやることに決めていたという説とがある。前者について、同年の3月14日に長話最長記録を樹立した黒柳徹子は、2005年12月16日に出演した時「有吉さんは私の記録を抜きたいと言った。」と言ったため、この暴走にはある程度の計画性があったのではないかと示唆されている。 キレたさんまも、有吉が出演する少し前の1984年2月13日に出演した時に、35分間もトークしている。 1984年4月23日、泰葉(落語家の春風亭小朝元夫人)が「お友達紹介」の際に誤って別の一般人に電話をかけてしまった。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。その次に紹介された4人目が出演を拒否したため、一般人の出演はこの3人で終了。なお、一般人のテレフォンショッキングはこれが唯一。 1985年2月26日、森末慎二(前年のロサンゼルスオリンピックで金・銀・銅メダルを獲得した体操選手)が出演予定だったが、当時のアマチュアスポーツ選手既定では無断でのテレビ出演を禁じていたため、森末は即日引退を表明し、番組出演を強行。以後、タレントとして活動していくきっかけとなった。 1985年4月16日、松本伊代が「お友達紹介」の際に誤って再び一般人に電話をかけてしまった。この一般人は、その年の年末スペシャルに生出演し、放送中に名前を名乗ったためにデートの申し込みなど様々な電話が自宅にかかってきたことを話した。 1989年11月10日〜11月13日、プロレスラーのアントニオ猪木・同じくプロレスラーで当時売り出し中であった橋本真也とリレーし、14日に蝶野正洋が出演した。友達は田中美奈子だが蝶野と田中の会話が一切無く、本当に友達なのかという疑問が生じた。後に蝶野は「名前も顔も知らない人と何を話したらいいのか解らず困ったから何も話さずにタモリに電話を渡した」と語った。 1989年12月21日、当時話題の人物だった武豊が出演。前日のゲスト早見優は「お会いしたことは無いんですけど…」と前置きして紹介した。武は佐野量子を紹介した。 1991年6月27日、由紀さおりが、羽田空港からタクシーで向かう最中首都高速道路の渋滞に巻き込まれ、47分も遅刻した。由紀はタクシーから降りた後全力疾走してスタジオアルタへやって来たが、アルタに到着した直後にタモリから「早速ですが、『お友達紹介』して頂きたいんですが!」と言われてしまい(翌日は坂本冬美)、タモリと由紀とのトークの時間は殆ど無いまま終了となった。 1991年9月30日〜10月4日の1週間は放送10周年記念週間として、本コーナーにまつわる記録保持者がゲスト出演した(月曜:田原俊彦(番組瞬間最高視聴率獲得者)、火曜:桜田淳子(第1回ゲスト)、水曜:藤井郁弥(男性最多出演者)、木曜:明石家さんま(最多代理司会者)、金曜:和田アキ子(女性最多出演者))。 1993年2月26日、裏番組の『素敵な気分De!』(TBSテレビ系)がこの日最終回だったことから、ゲストのせんだみつおが同番組の司会者の一人である大島智子(現・大島さと子)を友達に指名し、生放送中のTBSのスタジオに電話をかけて番組同士で会話をした。 1993年5月20日、鈴木杏樹が、「一昨日くらいから緊張していました」と発言した。タモリが慌てて「そんなこと無い」とフォローした。この模様はその年の特大号でも放送された。 1994年5月30日〜6月3日の1週間は3000回記念週間として、旧レギュラー陣がゲスト出演した(月曜:所ジョージ、火曜:高田純次、水曜:ウッチャンナンチャン、木曜:渡辺正行、金曜:ルー大柴)。 1996年4月15日、木村拓哉が、友達として常盤貴子を紹介する際に「あんまり知らないんですけど・・・」と口走ってしまった。 1997年10月2日、片桐はいりが本コーナー出演に30分以上遅刻した。携帯電話で本人曰く「寝坊しました」とのこと。片桐は品川駅から急遽JR山手線で新宿駅へ向かい、12:35頃にようやくスタジオアルタへ到着。本コーナーは12:40過ぎから開始、片桐の寝坊と遅刻の話題に終始した。 1997年10月10日、この日ゲストのブラザーコーンが木村拓哉を紹介するも、木村は自分は行けないと言い、「代わりに松たか子が行きますので。」と松たか子を紹介する。翌週月曜の10月13日にゲストで松たか子が登場し、持参したポスターを貼るためタモリが「これ貼っておいて。」と言うとポスター係として木村拓哉がサプライズで登場し、会場を沸かせた。 1997年12月10日、大竹しのぶが、「友達じゃなくてもいいですか?変な人なんですけど」と前置きした上で離婚した元夫・明石家さんまを紹介する。さんまにも「友達ちゃうやろ」と(『変な人』と言われたからか)指摘を受け、苦笑しつつ電話をした。さんまはその電話中かなり動揺しており、翌日のゲスト出演の際も動揺していた。 1997年12月18日、山田まりやが、友達として所ジョージを紹介したが、山田は所に「友達じゃない」と言われた。 1999年4月14日、山田まりやが、「会ったことないんですけど、お友達になりたい人」として清春(黒夢)を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。 このことに関して岡村は、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の2005年5月5日放送回内において、「(安室奈美恵と)どういう接点があったか覚えていない」、「とりあえず紹介できそうな芸能人をリストアップしてくれ、とスタッフに頼まれて挙げたうちの一人」などと暴露した。 2005年9月21日、山崎邦正がゲストとして出演した際、作家の中村うさぎとの共著で人生悩み相談本を出版したことから、タモリに「何か悩みタモリさん言うてください」と言ったところ、突然男性の観客が「タモリさん、いいともが年内終了するって本当なんですかね?」と話し掛け出した。山崎はすかさず立ち上がって「ちょっと待ってください! ものすごいびっくりしてんけど! 何?いいとも年内に終了!?」と突然の出来事に慌てふためいた。タモリは冷静に「いや聞いてないですけど。違うんじゃないですか?」と返答。しかし男は同じ質問を繰り返し、客席は異様なムードに包まれた。客席の男性がスタッフに退席させられると、タモリは山崎に「お前が連れてきたんだろう!」言い放ち、山崎が「連れてきてないですよ!」と言うと、タモリに「連れてこなくてもお前が来るから変な奴が一緒に来るんだよ!」、「お前が(変な人を)呼び寄せるオーラがあるんだよ!」などと突っ込まれた。さらにタモリが「CMが明けたらあそこ(客席)にクマのぬいぐるみが座ってます。」と冗談まじりに言い(『ロンパールーム』で下品な言葉を喋った男の子がCM明けにはクマのぬいぐるみに入れ替わっていた、という逸話が元ネタ)、さらにタモリが「(コーナーが無茶苦茶になって)どうしてくれんだよ!」と山崎を責め立てると、山崎が「どうしてくれんだよって、僕が言いたいですよ!(テレフォンショッキング)初登場で楽しみにしてたのに。」と言うと、このタイミングでCMへ入ることになり「えーっ! なんやねん!」と絶叫。そしてCM明けに、本当に男性の客席に置かれたクマのぬいぐるみが映し出されると「クマが…クマが座ってた!(笑)」と山崎とタモリは爆笑した。その後の『NEWダウトJAPAN!』のコーナーでも爆笑問題の太田光が早速それをネタにし番組を沸かせていた。(番組側の説明によると、実際の所はこのままでは番組の進行にも支障をきたすと思われた為、男に理解してもらったうえ退席という処置をとったとの事。) この一件で一部週刊誌には打ち切りかという記事が相次いだが、フジテレビはこの記事を完全否定した。この件はこの週の増刊号では一切触れず、同様に『NEWダウトJAPAN!』もカットされ、CM明けのクマのぬいぐるみの部分が予告映像に使用された。 2006年4月27日ゲストの叶美香からパックンマックンのパックンへのお友達紹介の際、電話の最後で相方のマックンが「パックンマックンで行ってもいいですかね?」と聞くと、タモリが、「いいんじゃないでしょうか。」と言ったので、マックンが、「明日行ってもいいかな?」と言うとタモリが「いいとも!」と言ってコーナーを締め、本来とは逆のパターンとなった。 2006年5月26日、SMAPの稲垣吾郎がゲスト出演した時、前日のゲストである大竹しのぶのコメントの訂正があった。コメントの訂正はめったにない珍しいことである。 2006年10月3日、ゲストの岡村隆史から矢部浩之へのお友達紹介の際、平井理央アナが2度一般の会社へ間違えて電話をしてしまい、3度目で矢部へ無事つながったが、「会社員してないよね?」という岡村からの一言があった。 2006年11月22日、DJ OZMAにかけた際、タモリが「じゃあ明日来てくれるかな?」を言い忘れて「お待ちしてます」と言って電話をそのまま切ろうとした。そのため、あわててゲストのKREVAが「いいとも!!」と言って指摘した。 テレビドラマ「今週、妻が浮気します」の初回放映日にドラマの番宣を兼ねて主演のユースケと石田が『笑っていいとも!』のコーナーにゲスト出演した際、タモリが「今週、妻が浮気します」をシャレて「九州、熊が積み木します?」と発言したところ、これが他のレギュラー陣や観客に大受けした。その後、2007年2月14日、ユースケが本コーナーに出演した際に、美術チーム自作の「九州、熊が積み木します。」のポスターをタモリにプレゼントしていた。 2007年3月2日、テレフォンアナウンサーを南海キャンディーズの山ちゃんが、すべり インタ(この年の日本アカデミー賞授賞式でのインタビューが下手だったことによる)名で、担当した。但し、次回のゲストに電話する際は、間違い電話防止のことか横に通常のテレフォンアナウンサーがついていた。 2007年5月7日、松岡修造が出演した際、トーク時の服装と、CM明け時の服装が変わっていた。CM中に観客の前で着替えをしたからで(上のスーツを脱いでユニフォーム姿になった)、その一部始終が増刊号で放送された。 2007年6月14日、ロビーの花紹介で、オープニングコーナーのゲストの諸星和己が、まぎれて登場した。 2007年9月25日、ゲストに高岡蒼甫が出演した際、トークの途中で突然何の予告もなくCM画面に切り替わるというハプニングがあった。これは地方局によるミスではなく、フジテレビ側で起きたミスであった為、全国のネット局全てでこのようなことが起こった。その後のコーナーでは、品川庄司の品川が早速この件について触れる発言をし、笑いをとっていた。 出演ゲストの顔写真パネルを張るカレンダーボードは、番組開始時から使用している(そのため、交換などはされていない)。 フジテレビのバラエティ番組のトークなどでタレントの話題が出た時に、そのタレントの写真が画面の隅に表示されるが、たまに本コーナーで使用された写真を使用することがある。その写真の背景がブルー・グリーン・オレンジ・ピンクのどれかとなっている。 本コーナーでセットとして使用するテーブルは現在4代目で、2001年から使用している。初代は番組開始時から1989年まで7年、2代目は1990年まで1年、3代目は2001年まで11年それぞれ使用していた。歴代どのテーブルにもマイク2つと真ん中に花がある。ただしKONISHIKIなど重量級のゲストが来た場合は、イスが壊れるおそれがあるので、ソファーと低いテーブルを特別に用意し、『徹子の部屋』のようなスタイルで行う。 番組開始当時は、番組オープニングのコーナーは「タモリの世界の料理」で、本コーナーはエンディングに行われていた。その後、本コーナーがオープニングコーナーに移動した後、現在は1994年7月以降、オープニングコーナーの次に移っている。 1990年までは、トーク前にゲストが本コーナーのテーマである「友達の友達は皆友達だ。世界に広げよう友達のWA!」と叫び(三波春夫の作曲したメロディーで歌うゲストもいた)、その後出演者・観覧者全員が輪の形に両手を挙げ「WA!」と叫ぶのが恒例であった。 1990年まではトーク中、タモリが手元のメモ帳にしばしば下品な悪戯書きをしていた。この悪戯書きは「安産のお守り」と称され、ゲストが持ち帰ることも多かったが、ゲスト出演した横山やすしやダンプ松本が、悪戯書きの書きかけをカメラに映し、放送されてしまうというハプニングがあった。その後、ある宗教団体からの抗議を受けてからは中止した。しかし、この「お守り」を欲しがるゲストは後を絶たず、番組上でゲストに依頼された場合は、タモリは番組終了後に密かに書いて手渡しているが、2006年6月2日放送分では、ゲストの七瀬なつみにお願いされたタモリが生放送中に書いていた。 1993年のフジ主催のイベント『LIVE UFO』の開催期間中に代々木第一体育館の特設スタジオで公開放送され、1997年11月6日にタイガー・ウッズがコーナーゲストとして出演した際に相手への配慮もあってか、フジのスタジオ内で公開放送された。 原田芳雄、中川家礼二などの鉄道ファンがゲスト出演した際には、ほぼ鉄道関係の話題に終始する。原田やタモリは鉄道ファンの内でも「線路ファン」であると称しており、鉄道に関する話題のうちでも特に線路や配線に関する話題で盛り上がる。それまで沿線ローカルネタだった京浜急行の「ドア閉めます」は、タモリがこの中で発言したことにより全国に広まった。 2004年7月25日の『FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are! 楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!』内で放送された「笑っていいとも! 増刊号生スペシャル」では、番組史上初めてタモリが本コーナーにゲストとして登場。司会はナインティナインの岡村隆史が行った。 2007年現在、本コーナーのゲストのうち、最多登場は18回出演の和田アキ子。次いで17回出演の浅野ゆう子と藤井フミヤと陣内孝則、16回出演の中村雅俊、14回出演の原田芳雄。最多出演の和田は、12回目の出演時の1998年6月30日の放送中、関東地方に地震が起こり、タモリに「今頃テレビで『震源地は和田』と言われて・・・」と言われたこともある。 タモリが番組で「俺、22年番組やってるけど一度も花をもらったこと無いな〜」と言ったらその翌日、三谷幸喜からタモリ宛へ花が贈られていた。 1度だけ、日替わりとして放送されていたモノマネ芸人を当てるコーナーで、よゐこの濱口優がタモリに扮し、タモリ本人がテレホンショッキングにゲスト出演した事がある。この放送回では正式なテレホンショッキングも行われている為、テレホンショッキングのゲスト出演者には含まれない。 ウッチャンナンチャンやナインティナインなど、コンビとして出た後、次は2人別々に出演することがあるが、これはそのままカウントされる。 前で述べたように、荒井昭博がプロデューサーに就任した1995年の10月から、ネームプレートをゲストが持ってくるようになり、翌日のゲストの写真と名前が出てくるマッキントッシュが設置され、ゲストの名前のスーパーの字体も現在のものへ変更された(詳しくは後述)。物が物だけに他の番組では使えないはずだったが、山本シュウが「タモリ倶楽部」の収録に持参してきたことがある(もちろん、「いいとも」のロゴは手で隠していた)。 すべてのコーナー、オープニングのレギュラー出演者登場の際含め、基本的には同じ字体が使用されている。ただし、増刊号は1993年10月の手書き廃止以降、平日の本編と違う字体を使用している。 現行のもの。青い字の明朝体。1998年頃からゲスト出演者のみ、この字の背景に男性なら青、女性ならピンクの背景の線が入っている。 1995年10月にテレフォンアナウンサーを導入してからは、在籍中のフジテレビアナウンサーはこのコーナーには出演できなくなった。 ただし、導入してからも露木茂や、当時、増刊号アナを担当していた西山喜久恵と、西山の同期である小島奈津子が、フジテレビに所属していながら共演している。 生田悦子・江口洋介・かたせ梨乃・河原崎長一郎・沢村一樹・島田楊子・清水章吾・太地喜和子・中村玉緒・山本陽子 里見浩太朗・石坂浩二・横内正・大和田伸也・あおい輝彦・山田純大・照英・原田龍二・加賀まりこ・山口いづみ・せんだみつお・馬渕英里何・三波豊和・山本學・舟木一夫・橋幸夫 変わったところでは、浅井企画の浅井良二社長や、現職の世田谷区長(大場啓二、1985年12月18日)が出演したことがある(せんだみつおの紹介)。彼は『タモリ倶楽部』の「世田谷区横断ウルトラクイズ」でも「私は誰でしょう」という問題に登場した。 またタモリの従妹である伊佐山ひろ子や裏番組『おもいッきりテレビ』現(おもいっきりイイ!テレビ)の司会者の山本コウタロー、みのもんたも出場したことがある(ただし、おもいッきりテレビが放映される1987年以前のことである)。 この「テレフォンショッキング」は、テレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています。(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組) スポンサーリンク ショッピングなら≪日本直販≫季節に応じて新アイテム続々入荷!テレビの人気商品やネット限定品もwww.666-666.co.jpNTTビジネスホンが問屋価格取付工事も安い・保守万全で安心・信用第一・NTT特約店20年の実績www.d-nda.co.jp人気の通販≪ショップジャパン≫世界中のアイデア商品が大集合!暮らしを楽しくする、TVショッピングwww.shopjapan.co.jp国際電話は001モバイルトークあなたのケータイから格安国際電話!基本料・登録料無料の申込はこちらwww.001.kddi.comこのページの上へ'); スポンサーリンク人気の通販≪ショップジャパン≫世界中のアイデア商品が大集合!暮らしを楽しくする、TVショッピングwww.shopjapan.co.jp国際電話は001モバイルトークあなたのケータイから格安国際電話!基本料・登録料無料の申込はこちらwww.001.kddi.com格安リチャージ式国際電話カード激安&高音質!アジア・米国等世界中に格安コール!海外からも通話可能www.neo-platinumcard.net電話で簡単!あおぞらの定期預金3年もの年1.00%(税引後年平均利回り0.810%)の好利回り。www.aozorabank.co.jp'); |
[ 45] テレフォンショッキング とは
[引用サイト] http://www.weblio.jp/content/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
