見せとは?

もしあなたが、「んー、アノ時用の、かな?」と思われたとしたら、「ブ・ブー!」不正解、そっちは「勝負パンツ」といいます。
見せパン、とは、この夏流行った、股上が極端に短いジーンズなどを履いた際に、かがむ、などしてはみ出して見えてしまっても良いように履いておく、見られる用のカワイイ♪パンツのことだそうです。
ジーンズの股上などというものは一定でよかろう、と思うのだが、やはり流行り廃りがあり、丁度ワタクシの20代前半の頃にも、同じように腰骨ギリギリの「ヒップハンガー」というタイプが流行っていた。
そのころのビデオなどを見ると、堺正章も吉田拓郎も中村雅俊も、みな揃いも揃ってヘンな丸首の、刺繍なんかの入ったダボ上着にピッチリしたベルボトムのジーンズ、小汚い長髪、といういでたちで、その画一性につい笑ってしまうのだが。。
というのは関係なく、言おうとしていたのは、今の流行では、この長いシャツ、というところに、短い、時としておへその出る短シャツ、というフレーズが置き換わる、という点である。
夏休み、みんなでどこかへ出かけた際に、必要品を買いに行った家族を待ちながら、一人で小田急線新宿駅構内の喫煙所に佇んでいた。
そこはちょっとスペースがあり、忙しく行き交う人にぶつかる恐れがないので、タバコを吸わない人も荷物整理のためなどに入りこんでくる。
すわったとたん、股上のかなり短いピッチリしたジーンズは思いっきりずり下がり、その下の下着もビキニ型らしく、すこしはみ出しながら、一緒に思いっきりずり下がって、短いシャツもバッグにかがみこんで丸くなった背中にひっぱられてずり上がり、結局女の子のお尻は、その割れ線もあらわに、まるまると露出してしまった。。。
もちろんチラッと見て慌てて眼をそらしたが、女の子は気づいてか気づかずにかまるで平気で、いつまでもバッグをあさっている。
カレシらしき男の子も、どういう考えなのか、何も言わずにアレコレ指図するだけ、注意する必要も感じないらしい。
それとなく周囲を窺ってみたが、やはりそうではなく、タバコを吸うためにその場にいた男性は残らず「それとなく」彼女のぞんぶんに露出したお尻をチラチラ眺めているのだった。
流行などと言うものは、別に害もないものであって服飾メーカーの売り上げ増が景気回復の刺激のひとつになるなら結構なぐらいなのであるが、まあ結論を言ってしまうと、今の流行はやはりちょっとどうかと思う。
中年の繰り言、ととられるのを承知で言うならば、今の女の子の露出は色気というより単なる無神経、にしか私には見えないのである。
出すのにたるんでいては見場が悪い、くらいの知恵はあるらしく、みなほっそりとたるみのないお腹をし、それはそれでいい。
パンツが見えてもいいようにカワイイのを、という前に、パンツくらいははみ出さないように心がければいいではないか。
つまり、やはり私は下着やお尻が見えてしまうのは見苦しい、と感じるが、彼女たちはそれを見苦しい、と感じない、ということなのだろう。
しかし、では見せては人に迷惑がかかるか?と言えば、別に見た人が怪我をしたりなんらかの損害が与えられたりするわけではないし、性器露出と違って犯罪行為にもあたらず、格別制止しなければならないようなことでもない。
ひとつには、女性がやたらに身体を露出すると、男性はその女性を知っていてもいなくても、欲情してしまったりする。
また、特定の女性の場合、彼女の露出の度合いが増すと、夫や恋人以外の男性の眼にも触れ、他の男性の欲情の前にさらされることになる。それは女の「所有者」としておもしろくない。
もうひとつは、これとまるで矛盾するのであるが、女がやたらと露出するのは、実を言うと、あまり「色っぽく」ないのである。
男が女に「色気」を感じるのは、露出しっぱなしの時ではなく、もちろん露出の可能性がゼロ、の時でもなく、露出するかしないか、スレスレのところなんだそうである。
しかし最近では女の子たちは、胸の谷間のニュアンスどころか、ふくらみまで大部分が見えてしまうシャツを着、お尻がすぐはみ出るジーンズを着、足をちょっと広げると簡単にパンツが見えてしまう、太腿スリットのスカートをはく。
これはつまり、男性の側に「欲情しそうになってしまう」という悩みや、「想像の余地を楽しみたい」という願望がなくなった、ということなのか?
あるいは、そんな男性側の事情のために女達の奔放を許さないでおけるだけの権威を男はもう失った、ということなのか?
それとも男性側も変貌をとげ、ちょっと欲情すれば電車の中でも路上でも露出部分を欲情のまま触ってしまえばいい、丸出しで色気が足りなければより強い刺激を得られる方法論や道具を駆使してなんとでも楽しむ、という傾向に変わりつつあるのか。
いずれにしても、女の子のファッションから「露出」を締め出す根拠は、女の側にも男の側にも見当たらないようである。
するとつまり、私のような「たしなみ」重視の人間はないがしろにされ、突然見知らぬ女の子のはみ出たお尻を目の当たりにさせられたり、前スリットの間から下着が見えているところから慌てて眼をそらしたりせざるを得ない、あるいは脂っぽい男の子が欲情のままに電車の中でカノジョの耳たぶをいじったりキスしたり抱きしめたりする横を無言ですりぬけなければ電車を降りられない、というような情況が続いていく、と考えていいだろう。
よくわからないが、こんな現代の風潮に、明らかに欠けている、と思われる、別の古臭い概念を私は知っている。
「たしなみ」や「品格」や「礼儀」は、生きていくうえで、絶対忘れてはならないものである。それを欠いた生活態度は良くない、とはっきり言っていいだろう。
追記: 文中、「見せケツ」というような表現をしましたが、これはそんな造語を使うまでもなく、すでに「半ケツ」という言葉で表現されている現象らしいです。
すなわち、若い子の間ではすでに異常現象とは捉えられていないアタリマエの風景となっている、と考えていいでしょう。大騒ぎした私は古かったワケですね。

[ 56] 「見せパン」
[引用サイト]  http://home.att.ne.jp/omega/cabin/misepan.htm

単写真と組写真で異なる点の1つに、写真の見せ方があります。単写真の場合は、たった1枚しか写真がないので、工夫する必要はほとんどありません。
それに比べて組写真は、考慮しなければならない点がいくつかあります。写真を見せる順序によって印象が変わります。また、1枚ずつ見せるのではなく、何枚かを並べて一緒に見せる方法も使えます。その際には、どの写真を組み合わせるかで印象が違います。
見せ方によって印象が変わるということは、狙った表現意図の伝わり方も変わるということです。つまり、表現意図をより分かりやすく伝えるために、見せ方も考慮する必要があるのです。それは「写真の見せ方も、組写真による表現の大きな要素である」ことを意味します。
見せ方というと、広い意味では、写真の展示方法や照明方法なども含まれます。しかし、純粋に写真の部分だけ考えると、展示方法に依存しない部分が、見せ方と中心となります。組写真においては、以下のとおりです。
分かりやすくするために、個々の写真に近い部分から説明します。用意した写真を見せるとき、個々の写真を1枚だけ見せる方法と、何枚かを一緒に見せる方法があります。この両方を組合せることも可能です。何枚かを単独で見せ、残りを数個のグループに分け、グループごとで一緒に見せるという形に。
グループとして見せる場合には、見せ方を決めなければなりません。それがグループの場合の表現方式です。特定の写真だけ大きく見せたりなど、何種類かの表現方式があります。
単独でもグループでも、写真の見せる順番を決めなければなりません。この順番が、全体の流れとなります。同時に、全体と要素の表現方式も決めます。要素の表現方式は、撮影前の準備段階で決めてあります。残るのは全体での表現方式で、どの要素を強調するとか、流れにメリハリを付けるとか、全体を整える役割を持っています。当たり前ですが、表現方式を選ぶ際に重視するのは、組写真の表現意図が上手に伝えられるかです。
以上のように、組写真における見せ方は、全体と部分の両面から考えます。作業の順番としては、表現意図を意識しながら分解要素を先に決めていくのですが、内容を理解するには、写真に近い側から説明した方がよいでしょう。
一緒に見せるためにグループ化した写真の集まりは、見せ方となる表現方式を決めなければなりません。それには、次のようなことが含まれます。
グループに含まれる写真を比べ、重み付けが必要かを考えます。特定の写真だけ目立たせた方がよいなら、その写真を決めておきます。通常は、目立たせる写真とその他の写真という2段階ですが、場合によっては3段階以上を利用することもあります。
目立たせ方は、展示方法を決める際に検討しますが、要素の内容に合わせて、ある程度決めておいた方がよいでしょう。もっとも一般的なのは、目立たせたい写真だけ大きくする方法です。
写真の配置は、複数の写真を一緒に見せる場合、意外に重要な要素です。あまり意識せず並べたのに、並び順や配置で印象が少し変わってしまうからです。単に並べるだけの場合でも、余計な印象を与えないように、並び順や配置を決めた方が安全です。
写真の位置としては、格子状、放射状、円形、バラバラなど数多くあります。このうち、バラバラと格子状が、余計な印象を与えにくいものです。
特殊な並べ方として、何かの基準を設けることもあります。たとえば、複数の写真で地平線を揃え、横に並べるとかです。各写真の地平線の位置が異なるとき、写真は上下が揃ってない状態で横に並びます。こうした並べ方も、表現上の意味があれば適切なのです。
撮影前の準備として、表現意図を複数の要素に分解しました。その要素は、要素の表現方式を選び、1枚または複数の写真を求めます。この段階で、要素の表現方式は決まっているわけです。
写真を単独で見せるかグループ化するか、それらをどの順序で見せるかは、分解した要素ごとに考えます。表現方式を選んであるので、それに沿って決めていくだけです。要素の内容がもっとも伝わる形で。
分解した要素をさらに分解している場合には、下側の階層の要素から決めていきます。上側の要素に含まれているのは、写真ではなく複数の要素です。そのため、写真の順序ではなく、要素の見せる順序を決めることになります。
このように、組写真全体ではなく、分解した要素で見せ方を考えるわけです。それにより、考える範囲が大きく広がるのを防げ、失敗が起こりにくくなります。
下側の要素から見せ方を決めていくと、最後には組写真の全体に達します。この段階で、全体の表現方式を考えます。ただし、要素ごとの見せ方を細かく決めてあるため、決める内容はそれほど多くありません。あくまで、全体の調整という役割です。具体的には、以下のようなことが含まれます。
まず最初に、要素の見せる順序を決めます。その上で、どの要素を強調すべきか判断します。表現意図を分解した要素が、すべて同じ重みとは限りません。より強く良く伝えたい要素を選びます。強調する方法は、展示方法が決まった段階で検討するため、ここでは考えません。写真の枚数が多いときは、リズムや印象の変化などをどうするかも決めておきます。
分解した要素ごとに写真を撮影してあるので、要素の区切りをある程度は示さないと、要素ごとに伝えたい内容が伝わりません。逆に、区切りが強すぎると、見ている人に余計な印象を与える場合もあります。その両方を考え、適していると思う区切りの強さを決めておきます。区切りを強く見せる場合には、つながりの部分をどうするかも決めます。要素ごとに写真の枠のデザインを変えるとか、いろいろな方法があるでしょう。
組写真では、何枚もの写真を見せます。枚数が多いほど、後に見た写真の印象が強く残ります。こうした特性を利用して、見終わった際の印象を整えます。場合によっては、要素の順序を変えることもあります。また、途中で見せた写真を最後に再び見せる方法も可能です。特に印象深い写真だけ選び、前の方で見た内容を思い出させるとか、主な要素をまとめて思い出させるとか。
この段階で決めるのは、組写真全体に関わることです。そのため、どの決定でも、狙った表現意図が一番伝わるように考慮しなければなりません。
ここまでは、個々の写真に近い方から順に説明してきました。それは、実際に作業する流れとは異なります。そこで、もっとも効率的と思われる作業の流れを作ってみました。それは以下のとおりです。
流れで示したように、下側の要素から始めて、全体へたどり着きます。最後に全体を調整して、見せ方に関する決定は終了です。
撮影前の準備段階では、表現意図から出発して、それを複数の要素に分解し、最後に個々の写真を求めました。表現意図が全体と同じですから、上側から下側へ進んでいるわけです。見せ方を決める際の流れとは、ちょうど逆になります。撮影前の準備では、分解しながら下側へ進み、見せ方を決める段階では、それに沿って戻ってくる感じですね。
この流れが絶対ではありませんから、自分がやりやすいようにアレンジして使うとよいでしょう。
ここまでの説明では、写真を見せる順序が、要素単位に分かれています。そうしたのは、各要素の内容が伝わりやすいようにと考えてのことです。その結果、組写真の表現意図も伝わりやすくなります。
そうではなく、要素単位を無視した見せ方も、やろうと思えば可能です。ただし、表現意図を伝えるのが非常に難しくなるので、見せ方がよほど上手でない限りお薦めできません。たいていは、大失敗に終わりますから。
1つの例として、次のような見せ方を考えてみましょう。表現意図を分解した要素が2つあり、それぞれの要素に10枚の写真があるとします。これを見せる方法として、2枚ずつのペアの10グループに分けたとします。ペアの左側には、分解した最初の要素に含まれる写真を必ず入れます。ペアの右側には、分解した2番目の要素に含まれる写真を必ず入れます。こうしたペアを10グループ用意し、順番に見せるわけです。
この方法で、表現意図が伝わるでしょうか。左側と右側の写真は別な要素に属していて、次のペアが登場するたびに消えていきます。その結果、10個のペアを見終わった段階で、それぞれの要素を頭の中で整理する必要性が生じます。普通に考えて、要素ごとに区分けして見せた方が、要素の内容を理解しやすいでしょう。
要素単位を無視した見せ方は、必ず悪いとは限りません。特別な理由、それも表現意図を上手に伝えられる理由があれば、やって構わないのです。しかし実際には、特別な理由があることはまれで、失敗することが多いでしょう。
以上が、純粋に写真の部分だけ考えた見せ方です。実際に展示するときは、決めた見せ方に合わせる形で、展示の条件を整えます。最初に決めた見せ方を通常は変えませんが、展示場の制限などやむを得ない事情があった場合にだけ、見せ方を修正することもあります。もちろん、表現意図を邪魔しない範囲で。
インターネットのおかげで、写真の展示手段が増えました。純粋に写真の部分だけ考えた見せ方は、ウェブ上での展示にも利用できます。というより、展示手段に影響を受けにくい部分なので、たいていの展示手段で利用可能です。
どんな展示手段であっても、表現意図が一番伝えられるように、展示方法を考えることが大切です。つまり、展示場に依存する部分の設定も、表現意図を重視する形で決めなければなりません。
表現意図のテーマとして選んだ内容の中には、1回や2回の撮影で終わらないものもあるでしょう。さらには、5年とか10年とかの歳月が必要となるテーマもあるでしょう。
そんなテーマの場合は、ずっと撮影し続けて最後に発表するのでなく、途中の段階でも発表して構わないと思います。2年ぐらいに1度の頻度で発表するとかです。もちろん、組写真ですから、複数の要素に分解して、それぞれの要素を写真に仕上げます。すべての要素が揃ってないと発表できません。揃うのが大前提です。
発表した組写真の感想を聞いたり、分解した要素が適切か考え直したりすると、もう少し改良できる箇所が発見できます。また、要素は同じでも、それを表すための写真として、別な被写体を思い付いたりします。こうして見直しを繰り返すと、同じテーマの組写真でも、完成度はだんだんと向上するでしょう。

[ 57] 写真道:表現意図に適した組写真の見せ方
[引用サイト]  http://www.asahi-net.or.jp/~SL7K-KWMR/c_viewpoint/vp5_high/vph140_m_show.html



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