ドラえもんとは?
|
1973年に日本テレビ系列で放映されたテレビアニメ作品についてはドラえもん (日本テレビ版テレビアニメ)をご覧ください。 1979年からテレビ朝日系列で放映中のテレビアニメ作品についてはドラえもん (テレビ朝日版テレビアニメ)をご覧ください。 何をしても駄目な小学生、野比のび太と、22世紀から彼のもとにやってきたロボット・ドラえもんの日常生活を描いた作品である。 典型的なプロットは「のび太の身にふりかかった困難を、ドラえもんから貸し与えられたひみつ道具で一時的に解決するが、その後その道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」というものである。 このプロットは、SF(“すこしふしぎ”な)作品として本作を執筆していた作者の意図を反映しており、当時のSFの唱える "if"(もしも) についての対象を想定した回答であるといえる。 1969年より、小学館発行学年誌の一部(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」。1話ごとに完結する短編として執筆。 ちなみに、「リューイチ」は『ウメ星デンカ』の後継連載だが、新連載の予告カットに「出た!」という机から何かが飛び出てきた絵を描いたものの、その時点ではまだ新連載のアイデアが思い浮かばなかったという。それにも関わらずアイディアがすぐに思い浮かぶような便利な機械があったらいいのに、などと考えながら空想にふけってしまう。挙げ句の果てには、アイディアが思い浮かばないまま、気分転換に、ドラネコのノミ取りを始めてしまう。その結果、ついに入稿期日になってしまった(正確には、その日までにアイディアをまとめ描き始めねばならなかった)。あきらめかけながら、「わしゃ、破滅じゃー!」と叫びながら階段を駆け下り、娘の起き上がりこぼしにつまづいた瞬間、「ドラネコと起き上がりこぼし」というアイデアが結びつき、ドラえもんが誕生したという。また、ダメな人間を便利な機械で助けるという内容も自分に重ね合わせてこのときに思いついたのだという(このエピソードは1978年発行の『コロコロコミックデラックス ドラえもん・藤子不二雄の世界「ドラえもん誕生」』で紹介された)。 ちなみに、ドラえもんの名前にひらがなとカタカナが混在しているのは、ドラえもんが自分の名前を書くときに、カタカナの“エ”を思い出すことができず、“えもん”をひらがなにしてしまったからとされている[1]。 その後も連載誌を広げ、1980年頃には8本の雑誌に同時連載していた(執筆活動と連載誌参照)。また、テレビアニメやアニメーション映画としても展開している。1980年からはアニメーション映画の原作として単行本1巻分の長編の執筆を開始、これを大長編ドラえもんと称している。映画にふさわしくスケールの大きな舞台で、のび太が仲間と協力して困難を乗り越え、成長する冒険物語が描かれる。これら大長編はドラえもんの作品群中重要な位置を占めており、このことは作者がこれらの作品に傾けた精力のほどからもわかる。特にのび太とジャイアンは長編においてその(日頃は隠されている)個性を発揮し、このことはこれらの作品の大きな魅力となっている。作者が主に小学生をターゲットにした月刊誌連載という紙面上の制限を離れてキャラクターを縦横無尽に活躍させるためには、舞台として長編が必要であったのであろう。 藤子・F・不二雄が逝去した1996年以後もテレビアニメとアニメ映画の制作は続き、映画の漫画版を萩原伸一(後のむぎわらしんたろう、「ドラベース ドラえもん超野球外伝」の作者)、岡田康則が執筆している。 日経エンタテインメント!2007年10月号「最後に読みたい本・マンガは何ですか?」というアンケートで一位にランク入りした。 藤子・F・不二雄本人が執筆した作品は全1345話(短編・中編・長編の合計数)。バケルくんとの共演作品「ドラとバケルともうひとつ」などを含めると全1433話となる(ただしそのうち『空中つりセット』(「小学一年生」1982年12月号掲載、単行本未収録)と『さかさカメラ』(「小学四年生」1981年12月号掲載、単行本未収録)の扉以外全てと、『空気中継衛星』(26巻収録)、『しずちゃんとスイートホーム』(35巻収録)、『サカユメンでいい夢見よう』(36巻収録)の後半部分は、アシスタントのたかや健二による執筆)。 本作に登場する人物たちは、作者の少年時代に周りにいた友人や人々がモデルとなっているとの説がある。そして町並みも話の設定では東京とされているものの、(裏山の描写は東京区部にしては緑地が多いこと等からも)少年時代を過ごした富山県の故郷の風景であるとする説がある。のび太については、作者本人が自身の子供時代をモデルにしていると語っている。作者の少年時代は、運動神経はにぶく、ドジで、いつも漫画を描いていたらしい。[9]さらに、源静香については作者の理想の女性を描いたものだとする説がある。[10] 本作の主人公は、東京都(練馬区月見台、あるいは田無市大字田無。詳細は野比のび太を参照)(ともに架空の地名)に住む小学生、野比のび太。のび太は、22世紀の未来から来たネコ型ロボットであるドラえもんと共に暮らしている。極めてさえない少年である。のび太を成長させるために、ドラえもんが22世紀の未来(「未来の国」と呼ばれる)から訪れるところから物語は始まる。 平凡な小学生のび太のもとに未来からやってきたドラえもんが、のび太の夢や願望をかなえるために未来の道具を与えることから、毎回騒動が巻き起こる。特に執筆初期では「のび太を助けるはずのドラえもんが暴走し、逆にのび太にたしなめられる」といういわゆる「ドタバタ調ギャグ」が顕著で、当初は『オバケのQ太郎』のような「生活ギャグ漫画」を前面に出していたと思われる。 のび太や、ときにはジャイアンなどが、その科学技術に頼りすぎた結果、最後にしっぺ返しをうける寓話的な一面、ドラえもんとのび太との友情物語的な一面を持つ。一方で、ときには漫画家の締め切り地獄ネタが落ちに使われた話や、のび太の両親が家賃や物価について悩んだりなど、ブラックユーモアや風刺等がみられる回もある。総数1900個を越すさまざまななひみつ道具が読者に夢を与える。 のび太が便利な道具を誤って使い、事態が悪化するという毎度お馴染みのギャグを「文明が進んでも最後は使う人間次第だという、藤子の大事なメッセージ」と受けとめる説もあり、作者他界直後の朝日新聞の投書欄に掲載された。 大長編は、一般的なアニメ映画にありがちなパラレルワールドものとしてではなく、本編のひとつとして認められており、原作内でもたびたび大長編内での冒険のことが語られていることも特徴。一般的に、アニメの劇場版となると、原作の進行具合からアニメのスタッフが独自にストーリーを展開することがあるが、ドラえもんに関してはすべて藤子が最初に原作を提示した上での製作であった。ただし映画オリジナルで製作されたパラレル西遊記、体調不良による休載が続き終盤の執筆が間に合わなかった雲の王国、絶筆作品となってしまったねじまき都市冒険記、そして当然ながら作者没後の南海大冒険以降は例外。 テレビアニメの放送は30年以上にものぼっていることもあり、初期と現在では生活環境が大幅に変わっていることも多い。例えば、最近の作品ではスネ夫が携帯電話[11]やDVDやニンテンドーDSに似たゲーム機を持っていたり、部屋にパソコンがあったり(出木杉も)、剛田雑貨店が自前のウェブサイトを開設していることなどが挙げられる。その他にも、若者女性が現代ではいわゆる「女言葉」をしゃべらなくなったなど、現代と違う点も多い。 『ドラえもん』の連載開始は1970年(昭和45年)頃。2巻『ぼくの生まれた日』では(1995年(平成7年)に定められた藤子公認の新設定でも同様)、のび太は1964年(昭和39年)8月7日生まれ[12]。1巻『未来の国からはるばると』で、ドラえもんとセワシが用意した「未来アルバム」に載っていた、のび太の未来を写した写真は1970年から1995年までが紹介されている。このアルバムには1979年(昭和54年)にのび太が大学受験に落第する未来が写っている。 25巻『竜宮城の八日間』での現在は1982年(昭和57年)、33巻『ハリーのしっぽ』での現在は1985年(昭和60年)とされている。16巻『りっぱなパパになるぞ!』では、のび太としずかが結婚してマンションに住み、息子のノビスケがのび太くらいの年齢となった近未来が2002年(平成14年)とされている。2002年の描写が現実世界の2002年よりもはるかに進んでいるが、これにより戦後直後の「25年」は高度経済成長時代であり、街並等が劇的に変化した時期であったことを示している。作中の2002年の描写は戦後直後である過去25年間(1952年〜1977年)の速度での街並等の変化を前提とした25年後であった。 さらには3巻『白ゆりのような女の子』では、のび太の父親であるのび助についての戦時中における学童疎開の話があり、当時10歳前後であるとするとのび助は1930年代生まれと計算できるが、アニメ『タイムマシンでお正月』では1940年(昭和15年)生まれという設定。 また、藤子・F・不二雄自身の中にある固定の設定として、他の作品との時代関係は固定していたと述べている(例として、『ドラえもん』の数年前として『パーマン』[13]、同時期の設定として、『オバケのQ太郎』『エスパー魔美』『ウメ星デンカ』[14]など、数十〜百年後として、『21エモン』[15]など)。 ドラえもんのストーリーは寓話的な側面を持ち、教育的であるという進歩的な見方も出ている。例えば、のび太が毎回道具をドラえもんに出してもらいながら、失敗してもすぐ立ち直るという強さや、発奮してやる気を見せる場面などが教育上も肯定的に捉えられている。また、我々の現実世界の有名人物や世界情勢がドラえもんの世界で何らかの形でパロディー化されて登場しており、子供も見やすく、親しみやすく、ある時には教育的な効果をももたらす。ただし藤子本人はあくまでギャグ漫画として描いており、作品を発表してから読者や周囲に「あれは風刺的ですね」と言われてから自分で気付いた作品も多いという[16]。[要出典] 西城ひろみ(9巻『ジ〜ンと感動する話』に登場。おそらく郷ひろみと西城秀樹に由来)を始めとして、実在の有名人物のパロディーが多く登場する。また、名前だけで「郷ヒデキ」という人物も登場[17]。なお、郷ひろみはこの作品中で数少ない実名で登場した芸能人(西城ひろみとは別人)である[18](実名で登場した芸能人には他に天地真理がいる[19])。 世界情勢を基にした非常に教育的なパロディーの例としては、『ペンシル・ミサイルと自動しかえしレーダー』(プラス5巻収録)という話が挙げられる。のび太とジャイアン・スネ夫の対立がエスカレートし、遂にはボタン1つで相手を徹底的にペンシル・ミサイルで攻撃は出来るが、自分も同じ酷い目に遭うというストーリーはまさに東西冷戦の緊張をドラえもんレベルで子供にも分かる様にスケールダウンして描き、作者の平和への探求や考えをドラえもんの世界で実現している。また、この話のオチでは根絶されずに残ってしまった兵器の恐ろしさも同時に描いている。 ひみつ道具(ひみつどうぐ)とは、ドラえもんなどが四次元ポケットから出す未来の道具をさす総称。おもにのび太を助けるために取り出す。作品中に登場する道具の総数は、富山大学人間発達科学部の横山泰行教授が調査した「1963個」が有力な数字とされている。 方倉設定によると、ドラえもんの道具には最初からドラえもんの製造時にポケットに組み込まれていた物もあるらしい。しかし実際は未来のデパートからドラえもんが購入してくることが多い。 ドラえもんの買う道具の中には高価な物もあるが、ほとんどは安物であり1回きりの使い捨てである[20]。レンタルで済ますこともある[21]。道具は百ヶ月(すなわち8年4ヶ月)ごとにドラえもんとセワシが定期検査を行い、故障している物は修理に出す[22]。こうしたことから、いざ道具を使いたくても、目当ての道具が故障中、修理中、レンタル先へ返却済みといった理由で使えないことも多い[23]。 使えなくなった物や使い道のない物、また危険な物などは「四次元くずかご」に捨てるか[24]、穴を掘って埋める[25]。未来のデパートから買ったものの場合は店員を呼び出して返品するが、返品前にのび太が使って騒動になることも多い[26]。 道具は個人的な用途以外に使用してはいけない規則となっている。例えば道具を金儲けに使うと、莫大な罰金を科せられてしまう[27]。しかし、ドラえもんも金儲けしようとしたことがあった[28]。道具を22世紀以外の時代で犯罪に使用するとタイムパトロールに逮捕される[29]。 この項目では漫画である大長編ドラえもんについて記述しています。アニメ映画としての映画ドラえもんについてはドラえもん映画作品をご覧ください。 テレビアニメに続いて劇場用アニメ映画が作られることになり、その原作とするために描かれた長編漫画を「大長編ドラえもん」と呼ぶ。全24巻。てんとう虫コミックスとして発売されている単行本(全24巻)のほか、小学館コロコロ文庫から文庫版も刊行されている(既刊17巻)。 第1作『ドラえもん のび太の恐竜』は、短編作品としてすでに発表されていたものに加筆したもの。コロコロコミック1980年1月号から3回にわけて漫画版が連載され、1980年3月15日にアニメ版が劇場公開された。それから毎年、映画制作スタッフや原作者がストーリーを構成し、映画公開までに漫画版を集中連載し、漫画が完結したすぐあとの3月初旬から中旬に映画を公開するというスケジュールが確立されていた。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の漫画版を執筆中に原作者が死去。原作者没後の『ドラえもん のび太の南海大冒険』(1998年)から『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(2004年)までは映画制作スタッフによるオリジナルストーリーであり、映画のストーリーを藤子・F・不二雄プロが漫画化した。 1988年公開の映画『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』のみ漫画が執筆されなかった。そのため『ドラえもん のび太の日本誕生』以降の作品の漫画版は、映画版のそれよりも作品数が1つ少なくなっている(例:『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』は、映画としては25作目であるが、大長編としては24作目)。 てんとう虫コミックスの単行本は『ドラえもん のび太の海底鬼岩城 (VOL.4)』が 第1弾として発売され、その後、『ドラえもん のび太の恐竜 (VOL.1) 』→『ドラえもん のび太の宇宙開拓史 (VOL.2)』 →『ドラえもん のび太の魔界大冒険 (VOL.5)』 →『ドラえもん のび太の大魔境 (VOL.3) 』→『ドラえもん のび太の宇宙小戦争 (VOL.6)』 という順で発売された。そのため、『ドラえもん のび太の恐竜』や『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』には映画主題歌を歌詞が書かれた描き下ろしページがあるが、『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』には主題歌の歌詞が書かれた描き下ろしページがない(藤子不二雄ランドの単行本や映画大全集の本では存在する)。なお、『ドラえもん のび太の魔界大冒険』にも同様のページは存在しない(同作の主題歌「風のマジカル」が使用契約期限の関係でビデオやDVDにも収録されていないため、同種の理由により掲載されていないのだとする説がある)。また、『ドラえもん のび太と雲の王国 (VOL.12) 』も作者病気のため原作が執筆されず、数年後に執筆されたため、次の『ドラえもん のび太とブリキの迷宮 (VOL.13)』 よりも後に単行本が刊行された。 表紙には『大長編ドラえもん VOL.** のび太の(のび太と)――」と記されている(**は通し番号)。作者没後の作品であるVol.18以降は、それに加えて「まんが版▽映画シリーズ」と記されている。Vol.21からVol.24の4作の単行本には、書き下ろし漫画作品が同時収録されている。 『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』にて大長編シリーズは完結し、それより後の映画作品の漫画版は、大長編としては執筆されていない。『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』については「大長編」ではなく「映画ストーリー」と冠した上で、岡田康則が漫画版を執筆した。 映画『ドラえもん のび太の恐竜2006』公開時には「特製アクションバッジ」とセットになった『ドラえもん のび太の恐竜』の単行本が、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(2007年公開)公開時には「マジカル両面ストラップ」とセットになった『ドラえもん のび太の魔界大冒険』の単行本が発売された。 短編に比べて物語の規模が大きいのが特徴。短編では狭い町内を舞台に数人の友達だけで物語が進むことが多いが、このシリーズでは大昔の地球や他の惑星といった非日常の世界を舞台に、その世界の住人や強力な敵などさまざまな人物が登場する。毎回『ドラえもん のび太の――』『ドラえもん のび太と――』と題している通り、のび太たちの成長と活躍が主に描かれている。いつもはダメな少年のび太が、冒険が始まると露骨にかっこよくなる(いつも通りの失敗などもあるが、ゲストキャラクターを助けて奔走したり、敵に果敢に立ち向かったりといった描写が多くなる)、という指摘もある(『ドラえもん のび太と銀河超特急』ではスネ夫までが、「のび太……、大長編になると、かっこいいことをいう」と発言し認めている。そしてジャイアンが持ち前のパワーを生かして好人物になるといわれることもある)。 このシリーズでは主要なメンバーがのび太、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人に固定されており、基本的に5人とその話のゲストキャラを含めた自力で危機を解決する。タイムパトロールなど例外はあるが、第三者、ことに「現在の地球にある存在(小は出木杉やのび太の両親、大は自衛隊や国際連合など)」が問題解決の本筋に介入することは少ない。こうした事情のため、短編とは人間関係がやや異なる。たとえば、短編ではジャイアンやスネ夫がのび太をバカにしたり仲間はずれにした仕返しに(ここまでは大長編でも導入によく使われる)、2人(特にジャイアン)を仲間はずれにして、静香や他の町の同級生たちと道具で遊ぶことがある。しかし、大長編ではジャイアンを締め出そうとして失敗することはあっても、結局は仲間になる。逆に、短編なら不特定多数の町の子供を誘うような場合でも、大長編では「いつもの5人」以外の町の子供は絶対に仲間に入れず、興味を持たれると嘘をついて追い返している(『ドラえもん のび太の日本誕生』、『ドラえもん のび太と雲の王国』)。 複数の雑誌で同時連載されていたため、本作の絵柄は急速に変化したと考えられる。1つの作品の異なる物語を各学年誌に同時連載することは連載漫画としては比較的珍しい形態であるが、学習雑誌連載作品としての性質上、学年誌ごとの物語のテイストの傾向がみられる。低学年雑誌には、大きいコマとシンプルなコマ割、分かり易いプロットで描かれていたものが学年があがるにつれ表現やプロットが少しずつ複雑になっていくのが最大の特徴。低学年雑誌は、「道具で楽しく遊ぶ」、学年が上がれば「のび太が道具のしっぺ返しをくらう」など、変化が見られる。単行本ではそれらが順不同に収録されている。(登場人物の等身の違いなど)これらの作業を藤子プロと藤子がどのような役割分担で作業していたかは不明。 自他ともに認める作者の代表作であり、国際的に知られる作品でもある。第2回(昭和47年)日本漫画家協会賞優秀賞、第27回(昭和56年度)小学館漫画賞、第1回(1997年)手塚治虫文化賞マンガ大賞、第23回(1994年)日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞している。本作を執筆中に藤子が逝去した際、「代表作であり、同時にライフワークであった」とも関係者・読者に再認識させた。 日本では説明不要の「一般教養」と化しており、新聞の見出しで青い服を「ドラえもん」と比喩したり、新聞の投書欄や他の漫画作品で「欲しいものが何でも手に入る」という比喩で「ドラえもん」や「ドラえもんのポケット」が使われたことがある。また、ドラえもん以外のレギュラーも有名で、ドラマの台詞でも「(眼鏡をかけた顔を見て)のび太みたい」、それに対して「そっちこそスネ夫みたいな顔して」などというものがある。 2002年には、タイムアジア版の「アジアのヒーロー」25人の一人としてドラえもんが選出された。[30] 2005年、日本財団がニューヨークで行った展覧会「リトル・ボーイ:日本の爆発するサブカルチャー作品」は、本作を日本の文化にとって重要な作品として位置づけている[要出典]。展覧会を企画したアーティスト村上隆は、『ドラえもん』の類型化した筋立ては1970年代の日本の「願望充足希求」的心性を的確に示していると分析している[要出典]。1970年代の日本では電子技術の発達により、個人の知性や勤勉よりも、機械の使用によって問題が解決されるという予測が魅力的な未来像として提示されていた。 コロコロコミック黎明期においてはページの7割以上が本作品で占められていた。「だいばくしょうギャグマンガ」という触れ込みで人気を博しており、"のび太はドラえもんに力を借りても失敗する"という道化の笑いを意図した作風であることからPTAを始めとする教育者層からは当時で言うところの悪書として批判にさらされていた。[要出典] そのため近年は#大長編ドラえもんなどの映画化作品では「友情」をテーマにした作風に変貌しつつあり、「だめな奴は何をやってもだめ」というオチに代表されるギャグマンガの王道からはかけ離れたものとなっている。 『ドラえもん』は漫画・アニメ双方とも日本語以外にも翻訳され、人気作品となっている。 1970年代にはすでに香港で、そして台湾で中国語の海賊版が出版されており、また日本文化が当時解放されていなかった韓国でも海賊版が横行した。そのため韓国、中国などでは日本の本家ドラえもんの方がコピーであると過去に誤解されたこともあった。[31]海賊版は現在でも東南アジアで広く見られている。 漫画は1991年以降、東アジア、東南アジア、ヨーロッパを中心に翻訳がなされている。中国・台湾・マレーシアなどの中国語表記は長らく"机器猫"、"小叮?"などとなっていたが、現在正規出版物は"??A夢"に統一されている(いまだに「小叮?」と書いてあるものはまず海賊版)。 アニメーションは他に中南米(コロンビア、チリ、アルゼンチン、エクアドル、パナマ、メキシコ、プエルトリコ、ボリビア、ベネズエラ)、アラビア語圏(アルジェリア、チュニジア、リビア、サウジアラビア、カタール、UAE、オマーン)、南アジア(インド)、ロシア連邦、イスラエルでも放送されている(アラビア語圏、パナマからベネズエラの5つの国および地域、ロシア連邦では放送終了)。 本作が出版されたおもな国および地域は、香港、台湾、中国、韓国、ベトナム、マレーシア、シンガポール、タイ王国、インドネシア、キプロス、イタリア、スペインである。スペインではスペイン語(カスティーリャ語)、カタルーニャ語を含む5言語で出版された。2006年からフランスでの翻訳出版も決定している。受け入れられ方の特徴としては、ベトナムやインドネシアをはじめとする東南アジア諸国で絶大な人気を誇り、まじめなドラマのワンシーンで画家を目指す青年がドラえもんを描いていたり、子供たちが日本人観光客に対して「日本には本当にタケコプターがあるのか」などと聞いたりするなど「日本は未来の国」という印象をつけている。[32] 一方、欧米諸国ではドラゴンボールなど他の代表的な日本の漫画と比べて浸透度が低い。一説には「畳にふすまといった日本家屋や日本文化に深く根ざした描写」「のび太が降りかかる難題に自力で立ち向かわず、常にドラえもんに頼っているともとれるストーリー展開」が欧米人になじまないためともいわれ、これが原因で本作のアメリカ進出が実現しないともいわれている。[要出典] また、各国のコミック雑誌(香港青文社「HAPPY DRAGON 快樂龍」など)にも連載されている。[33] 未収録作品も含めた1345話(1433話)すべての作品をそろえた「ドラえもん文庫」が2004年に開設された。場所は、作者の出身地で知られる富山県高岡市の高岡駅前再開発ビル「ウイング・ウイング」内の高岡市立中央図書館の「ドラえもんコーナー」と、富山大学横山研究室である。このコーナーはドラえもん研究で知られる富山大学の横山泰行教授が、収集した単行本計671冊を寄贈、図書館側も協力して実現した。 同コーナーは、収集家の間でも入手困難とされる初版初刷の単行本1巻から10巻を含む全45巻を所蔵。1969年12月発売の「小学一年生」に掲載されたドラえもんのデビュー作など雑誌類のコピーも製本化して収められている。 小学館「小学六年生」/1973年 - 1991年(※ただし、1990〜1991年は掛け持ち掲載や再掲載が多かった) また、「コロコロ創刊25周年記念 名作劇場ドラえもん」としてコロコロコミック2002年4月号から再掲載されている。 1994年に隔月刊誌として発刊された雑誌。全4号。連載途中で中断した「のび太と雲の王国」の完結編や、未収録作品なども再録されていた。 ドラえもんグッズ大図鑑として1997年から不定期に発刊され、グッズ大図鑑としつつも3号には「てんとう虫コミックス」未収録作品をカラーで2本再録している。1999年12月に発売されたドラえ本3を最後に完結したと思われていたが、2007年3月10日に「映画ドラえ本」が発行された。 2004年2月20日より毎月5日と20日の月2回発行の雑誌。全25号。創刊号は低価格でDVDも付いていたため売り切れが相次ぎ、後で再発行までされた。「てんとう虫コミックス」未収録作品を毎号2〜4話程度付録として収録しており、往年のファンをひきつけた。 2005年4月25日発売。「ぼく、ドラえもん。」に続く雑誌。全5号。付録としてフィギュアが付く。またオバケのQ太郎など、他の藤子・F・不二雄作品情報も掲載された。4号ではスネ夫のフィギュアがつく予定がしずかのフィギュアが付いていた(次の5号でスネ夫、しずか、シークレットのフィギュアが付けられた)。 低年齢向けの作品を集めた単行本。てんとう虫コミックス収録済みの作品が多いが、未収録作品も若干含まれている。 小学館/てんとう虫コミックススペシャル「デジタルカラーセレクションドラえもん」/1〜6巻/2004年〜刊行中 この他に、最初のアニメ化に合わせて虫プロ商事の虫コミックスにて初の単行本が刊行される予定があったが、発行の前に虫プロ商事が倒産したため幻になったといわれている。 1972年頃、うしおそうじ主宰のピー・プロダクション制作、フジテレビをキー局とした企画があったという。この際にドラえもんの声優として挙がっていたのが、奇しくも大山のぶ代だった。この作品は実写版だったらしく、既にドラえもんの着ぐるみまで試作されていたものの、諸事情で実現はされなかった。 映画ファンの藤子の要望としてドラえもん実写化というのはある程度念頭にあったらしく、90年代に東宝製作の実写映画の短編をアニメの劇場版と同時上映するという噂もあった。その映画ではドラえもんはCGだといわれていたが、後にCMフィルムで何度かその形式の実写化は実現している。[34] オリンピックなどのスポーツイベントになると、テレビ朝日の関係者に配られるピンバッジのデザインはドラえもんで、外国メディアとの交換が多いほど人気がある。 交通安全運動の一環でショートフィルム(防災アニメ)、「交通安全だよドラえもん」が2本製作されたことがある。パート1の内容は、のび太を追いかけていたジャイアンが交通事故に遭ってしまう。その後、パート2が製作され、交通ルールについて教える内容。主に交通安全指導の日に小学校などで上映された。 1994年、NEDOの広報用オリジナルアニメーションとして「ドラえもん のび太と未来ノート」が制作された。永らく幻のドラえもんアニメとして知られていたが、「ぼく、ドラえもん」の13号に「ドラえもんの誕生日特集」の記念DVDとして収録されている。 米国連邦通信委員会のマスコット『ブロードバンド君』はなぜかドラえもんに似ている。米国連邦通信委員会の関係者はその件については何も答えなかった。考案者は「一時的にページ作成に携わったデザイナーで、現在は消息不明」とされた。米国連邦通信委員会 キッズゾーンも参照されたい。 藤子不二雄Aはコンビ解消以前の1980年代中頃、テレビ朝日の夕方30分の特番でタイの小学校へ取材した際に、のび太をホワイトボードで描き(Fはドラえもんを描いた)、記念プリペイドカードなどでドラえもんやその他の藤子キャラを描くこともあった(『ドラえ本』より)。 藤子・F・不二雄の葬儀中、テレビのワイドショーで藤子不二雄Aがレポーターから「『ドラえもん』の執筆を引き継ぐのか」という内容の質問を多く浴びせられていた。これに対し藤子Aは「僕には描けないタイプの作品」とコメントしている。[要出典] 2006年度、武蔵野美術大学の入学試験において、「ドラえもんを幾何図形を用いて再デザインしなさい」という問題が出た。 藤子・F・不二雄の短編『倍速』にドラえもんの手らしきものが描かれている。当時のチーフアシスタントがこれを見つけ、誰が描いたのかと問いただしたところ、藤子・F・不二雄本人が恐る恐る手を上げたという。 「ドラえもん Sound Track History〜菊池俊輔 音楽集〜」 (CD・オリジナルサウンドトラック・BGM・効果音・音楽) 音楽:菊池俊輔 ドラえもん のび太と復活の星 (PS版1996年2月16日発売、SS版同年3月15日発売、復刻版1998年12月3日発売/機種:プレイステーション・セガサターン) ドラえもん のび太のドキドキ!おばけランド (1996年末〜1997年初頭に発売予定だったが、発売中止/機種:バーチャルボーイ) ドラえもん2 SOS!おとぎの国 (1997年2月21日発売、復刻版1999年11月2日発売/機種:プレイステーション) ドラえもんのGAMEBOYで遊ぼうよデラックス10 (1998年11月27日発売/機種:ゲームボーイ) ドラえもん3 魔界のダンジョン (2000年12月14日発売、復刻版2002年4月4日発売/機種:プレイステーション) キッズステーションドラえもん ひみつのよじげんポケット (2001年11月29日発売/機種:プレイステーション) ドラえもんのスタディボーイ かんじのよみかきマスター (2003年7月18日発売/機種:ゲームボーイ) ^ しずちゃんのモデルはヘップバーン?!、横山泰行(2004年、10月6日)。初出は朝日新聞、2006年4月1日朝刊。 ^ 『ぼくの生まれた日』の雑誌での初出(『小学四年生』1972年8月号)では1962年(昭和37年)8月7日生まれであり、単行本化される際に1964年(昭和39年)に変更された。 ^ 19巻『影とりプロジェクター』でそれを示唆する記述があり、24巻『めだちライトで人気者』で明確となる 忍者ハットリくん - 怪物くん - プロゴルファー猿 - 魔太郎がくる!! - ビリ犬 - ウルトラB - 笑ゥせぇるすまん - まんが道 - 少年時代 - パラソルヘンべえ ドラえもん - キテレツ大百科 - パーマン - 21エモン - エスパー魔美 - ウメ星デンカ - ポコニャン - モジャ公 - バケルくん - チンプイ - みきおとミキオ - ジャングル黒べえ - 藤子・F・不二雄 SF短編PERFECT版 カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2007年7月 | ドラえもん | 漫画作品 と | 絶筆作品 |
[ 138] ドラえもん - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93
