爆弾とは?

この項目では兵器について記述しています。その他の「爆弾」については爆弾#比喩表現をご覧ください。
爆弾(ばくだん、英:bomb)とは、容器に爆薬を装填して信管などの発火装置を取り付けた兵器である。 一般的に大型の物は航空機などから投下され、小型のものは人力などで投射され手榴弾と呼ばれる。水中に投下される物は爆雷と呼ばれる。 大砲から投射するものを榴弾、推進装置を持つ物をロケット弾、さらに誘導装置まで持つものをミサイルと呼ぶ。ただし、推進装置は持たないが誘導装置を持つ物は一般的に誘導爆弾に分類される。
爆弾は、爆発させたときに爆風と破片によって周囲の目標物を破壊または人員を殺傷するように設計されている。そのほかに、中性子爆弾のように大量の中性子線を放射、生物への攻撃を主目的とし、経済的損失をできる限り抑える(戦後の鹵獲・接収を目的とする)爆弾もある。
爆弾の起爆タイミングの制御には、時計、遠隔装置、各種センサー、レーダーなどが使われている。内部に充填された爆薬への点火は、信管によって行われ、これが動作すると急速に反応を起こして爆発するものが一般に良く知られている。
爆弾は戦争でよく使われるほか、テロリズムでも使われる。現在最も威力の大きな爆弾は、水素爆弾である。また現在、核爆弾以外で最も威力のある爆弾は、Massive Ordnance Air Blast bomb(MOAB)である。
なおこの爆弾であるが、人の作った物である以上、動作不良を起こす事もある。予期しない時に爆発する場合も在れば、使用したのに爆発しない場合もある。特に後者は不発弾とも呼ばれ、安全装置が外れている事から、非常に危険な状態として扱われる。この危険性は、経年変化によって減少するわけではなく、一般人がみだりに触れるのは禁物である。日本では太平洋戦争中に使用された爆弾の不発弾が現在でも発見されることがあり、その場合陸上自衛隊によって処理されることになっている。
この他にも急速に影響を広範囲に与えるものなどが爆弾と形容され、いわゆる爆弾発言のような表現も存在するほか、コンピュータのオペレーティングシステムの深刻な動作不良状態を爆弾に模して表す例もある(Mac osの爆弾アイコン)。
古くから使われたが第一次世界大戦で飛行機が登場すると、大量の散布が可能となり、今日に至るまで軍事的に重用されている。太平洋戦争では皇居に舞い降りた米軍伝単を昭和天皇も拾い上げ見たとされる。
これは直接的な破壊を起こすものでは無いが、内容によっては拾って読む者に精神的なショックを与えて士気を下げさせるようにする物もあり、社会や信念といった無形の対象を破壊するといえよう。
爆弾には様々な種類があり、破壊する対象や用法によって、各々が工夫されている。単純に破壊する範囲を拡大させるために威力の増強を目指した物から、破壊する対象の種類や方向を限定させた物、被害を与える程度といった多様な工夫が施された物が存在する。
放射性物質を飛散させる事を目的としており、直接的な威力よりも核汚染が問題となる。テロによる使用も懸念されており、核物質の管理を強める一因ともなっている。
爆弾は古くより戦争に於いて多大な被害を与えるべく頻繁に使用されたため、しばしば一般語に於いても比喩的に用いられる。
太平洋戦争の終戦後の日本で出まわった、メタノールなどを混ぜた粗悪な密造酒のことを、「バクダン」と呼んでいた。爆弾の言葉をあてた理由として諸説あり、「酔いやすく、時には有毒なメタノールによって失明することがあったことから」、「原料のメタノールは航空燃料から抽出された物が多く、爆撃機からの連想」、「飲むと胃が破裂する・爆発するような酒であったから」[1]等がある。
韓国で爆弾酒といえば、ビールとウイスキーを混合する飲み方、およびそれを一気飲みしたりさせたりする慣習を指す。炭酸を含んで、アルコールの吸収が早いビールと、アルコール度数が高いウイスキーをカクテルし、さらにそれを一気飲みすることによって短時間で酔いが回る。名前から来る印象通り、健康には良くなさそうな飲み方と言える。
手榴弾のような形状や黒い球状をした食品を俗に爆弾と呼ぶ。内部にゆで卵を丸ごと入れた薩摩揚げやミンチカツ(スコッチエッグ)、片手では持てないほど大きく丸い形状に握って海苔を巻いたおにぎりなどが爆弾と呼ばれている。またフランス語で爆弾を意味するボンブは、ケーキの名前である。ただしこれらは形状による物で、特に危険な意味合いは持たない。
パットライスという米、とうもろこしなどに圧力を加えながら100℃以上に加熱したのち、急激に大気圧に戻して膨らませた菓子のことも、圧力を下げる工程で大きな音を放つ事などから「爆弾」と呼ぶ場合がある。爆弾あられ、ポン菓子などとも呼ばれる。
心臓病などの重篤な持病の事も爆弾に比喩される。「いつ爆発して命を落とすか分からない」という意味である。スポーツ選手が肩やひざなど傷めているときにも(爆発すれば選手生命が絶たれる、という意味で)爆弾の比喩が使われる。例えば野球では、ピッチャーの肩や肘が故障した時に「肩の爆弾」「肘に爆弾を抱える」などと呼ばれる。
Macintoshの旧Mac OSで致命的なシステムエラーが発生したときに出現する、爆弾アイコンつきのダイアログ、あるいはエラーそのもののことも「爆弾」と呼ばれる。
インターネットメールにおいて、嫌がらせや業務妨害を目的として特定の相手に大量のメールを送りつけることをメール爆弾と呼ぶことがある。多くは専用のスクリプトやウイルスを用いて、相手のメールサーバの容量をパンクさせるまで攻撃が続けられる。
現在はあまり使用されないが、コンピュータウイルスの中で特定の条件が満たされるまでは発動せず、満たされた場合に一気に活動を開始するタイプのものについての訳語として「論理爆弾」「情報爆弾」「ロジック爆弾」などの言葉が当てられる場合がある。
爆弾発言とは本来秘匿されるべき重大な情報が、予告なしに公式の場でいきなり発言されてしまうことを指す。
^ 「飲むと胃が破裂する・爆発するような酒であったから」説の出典:米川明彦編『日本俗語大辞典(第3版)』東京堂出版 2006年 495頁

[ 67] 爆弾 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E5%BC%BE

爆弾ハンバーグや金券半額返還フェアで大好評のファミリーレストラン、フライングガーデン。メニュー、ランチ、会社案内、採用情報、IR情報などをご紹介。
フライングガーデントップページ>>爆弾ハンバーグ誕生秘話〜こだわりの味はこうして生まれた〜
フライングガーデンという店名よりも爆弾ハンバーグのほうが有名といわれるくらいの、当社の看板メニューでもある、爆弾ハンバーグ。その爆弾ハンバーグの生い立ちをお話したいと思います。
写真を見ていただけるとわかりますが俵型の形をしたハンバーグを熱く熱した鉄板に載せて提供します。これをお客様の目の前でカットするのですが、その際の油のはねる様子や、ハンバーグの形状から、【爆弾】という名前になっています。
1988年、当時フライングガーデンが3店舗で、メニューも軽食主体であったころ、ある日、我が子から『FGで一番おいしいお料理って何なの』と問い掛けられたフライングガーデンの創業者、野沢八千万は、戸惑いました。「何でもおいしいよ」とは答えたものの、本当に薦められる1番の売り物が無いことに気づかされたのでした。フライングガーデンのまさに『看板』となる商品を開発したい。
そこで野沢はフランスのタルタルステーキを参考に、1度は開発・販売をしたものの納得が出来ず一旦販売を取りやめた「網焼ハンバーグステーキ」の品質改善に取り組みはじめたのでした。
野沢は自ら陣頭に立ち、視察や研究をつづけ、数ヶ月間で毎日20〜50Kgもの肉の試作・試食を繰り返したのでした。試食の繰り返しで、野沢の体重は15Kgも増え医師から、(コレステロールや高血圧などで)このままでは40代で間違いなく死ぬとまで言われるほどの状態になったのでした。しかし、それでも吐きながらも食べ続け、これはと思えるものを作り上げることに成功しました。文字通り、命がけの開発が行われたのです。ここに爆弾ハンバーグの前身である網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグが誕生したのでした。
このとき開発を開始してから2年8ヶ月の月日が流れていたのでした。
この網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグを売り出すにあたって、新規エリアである、宇都宮1号店の下戸祭店オープンにあわせて投入したのでした。 しかし、オープン当初の下戸祭店の売上は低い状態が続きました。
ところが、命がけで開発した網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグが、月を追うごとに出数を伸ばしていったのです。本当の意味での我社の売り物がここに完成したのです。(今でも宇都宮ではフライングガーデンという名前よりも「爆弾ハンバーグ」「爆弾」という言葉のほうが有名で、タクシーでも「〜の爆弾のお店に行ってください」といったほうが通用することが多いようです。)
販売開始後も改善の取り組みは続きました。原材料の見直しによる販売価格の引き下げと同時に「爆弾ハンバーグ」への名称の変更を行いました。さらに認知度UPのために採算を度外視した爆弾ハンバーグ半額フェアを約2年の間続けました。店長をはじめとしたスタッフの努力もあり、爆弾ハンバーグはヒット商品となり、下戸祭店はオープン後5年で年商2.5倍の超繁盛店となり、爆弾ハンバーグの注文率は60%を誇る看板商品となったのです。また、この間に爆弾ハンバーグのパートナーでもある和風ソースも改善に改善を加え、よりおいしくなっていきました。このヒットを自信にフライングガーデン全店に爆弾ハンバーグを導入していき、認知度が上がっていく中で、全店平均でお客様の40%が注文するという看板商品となったのです。また爆弾ハンバーグのヒットこそが、今日のフライングガーデンの発展を作り上げたといっても過言ではありません。
そして今でも爆弾ハンバーグは完成したわけではありません。一人でも多くのお客様に召し上がっていただくために、品質の向上と安定供給のために世界各地を視察し、世界一安全なオーストラリアより原料を調達し、製造、調理についても安心・安全を追究する取り組みを進めております。

[ 68] 爆弾ハンバーグ フライングガーデン−THE FLYING-GARDEN
[引用サイト]  http://www.fgarden.co.jp/web/hiwa/top.html

予想以上のイラク軍の反撃、想定外の戦況の膠着と長期化の下、アメリカ軍は「作戦の失敗」に焦燥感を強め、ふりかまわぬ猛攻を開始した。劣化ウラン弾を大量に使用し始めた。都市部近郊で戦車や装甲車をめがけて放射性廃棄物がばらまかれているのである。私たちの予想が正しければ硬化目標貫通弾の形でも劣化ウランがばらまかれているはずだ。
軍民問わずクラスター爆弾を投下している。動く物であれば何であろうと破壊している。その結果、ヒッラをはじめ市民の間に多数の死傷者が出ている。ナパーム弾も使用している。
そしてアメリカ軍は、ついに通常兵器中最大の破壊力を持つ燃料気化爆弾の投入を開始したのである。4月2日、ロイター通信はイラク中央部の都市クートの近くで、2つの巨大な爆弾が投下され、空高く巨大なきのこ雲が立ち上ったと報じた。海兵隊はこの爆弾を「デージーカッター」と見なしていると、レポーターは伝えている。デイジーカッターとは、燃料気化爆弾のことである。通常兵器中最も大きな破壊力を持つ爆弾であり、戦術核に次ぐ威力を持っている。
アメリカ軍は、2日、首都に向けた侵攻を開始し、前進を阻むクートの共和国防衛隊に対して徹底的な攻撃を加えた。一方的で猛烈な空爆の下、大量のイラク兵士の命が奪われたに違いない。
ロイターによれば、きのこ雲はクートの共和国防衛隊バグダッド師団の宮殿から立ち上っているという。米中東軍ブルックス作戦副部長は「バグダット師団は撃滅された」と発表した。短期間での首都包囲陣の構築を狙うアメリカ軍が、バグダッド師団の一挙的壊滅を目的に燃料気化爆弾を使用した可能性は強い。
燃料気化爆弾は極めて大きな破壊力を持ち、窒息性ガス兵器と同じような効果を持つ。国連人権小委員会の決議でも認められているように、明らかな大量破壊・非人道兵器である。燃料気化爆弾の使用は、防御手段を持たないイラク側に対する圧倒的で過剰なまでの破壊力・殺傷力の行使であり、絶対に許されない。
■ 戦術核に準ずる破壊力:超高温の炎・熱線と人為的窒息状態で多数の人間を一挙に焼き尽くす。想像を絶する衝撃波で周辺の構築物全てを壊滅させる。
アメリカがクートで使用したとされるデイジーカッターは、おそらくBLU−82と呼ばれる燃料気化爆弾である。BLU−82は、総重量6.8トンの巨大な爆弾で、弾体には5.7トンのアルミニウムパウダーと硝酸アンモニウム、ポリスチレンの混合物が詰められている(※1)。BLU−82は、C130輸送機から投下され、地表すれすれで炸裂し、詰め込まれているアルミニウムパウダーを拡散、空気と混合して点火する(※2)。
空気と混合された可燃性粉末あるいは可燃性の気体による爆発は、非常に速いスピードで伝播するため、1平方センチメートル当たり数十kg〜数百kgという、高性能爆薬よりもはるかに高い圧力の衝撃波を作り出す(その爆発のメカニズムは炭坑での粉塵爆発と基本的に同じもの)。このような高い圧力の衝撃波は、核兵器以外では生み出すことができない。しかもその衝撃波は、通常の爆薬のように1点から広がる形で作り出されるのではなく、広い空間から生み出されるので、持続時間が長い。このような持続的な衝撃波も、核兵器以外では生み出すことはできない。気化爆弾、あるいは粉塵爆発を引き起こすこの種の爆弾は、爆発点近傍では、核兵器ときわめてよく似た破壊・殺傷効果を与えるのである。
CIAのレポートは燃料気化爆弾について次のように述べている。「気化爆弾の爆圧は、短距離小型核爆弾のそれにほぼ等しい。限定地域使用の気化爆弾の威力は絶大である。爆心の付近は跡形もなく破壊される。外周部では体内に多くの障害をもたらすと思われる。この場合の体内障害とは、鼓膜破裂、内耳器官破壊、強度の震盪、肺臓および内臓の破裂、場合によっては視力の完全喪失である」。
BLU−82はこの種の兵器の中でも、最大の破壊力を持つ。その衝撃波は、地上の構造物と比較的脆弱な地下施設をことごとく破壊し、地表に巨大なクレーターを作り出す。また遠くまで届く衝撃波は、肺胞の破壊、内臓破裂といった致死的な効果を広い範囲に及ぼす。さらに広大な空間が一挙に1000度以上に加熱されるので、数百メートル四方が焼き尽くされ、激しい燃焼は周辺地域の酸素を奪う。激しい上昇気流は、大気上層に達するようなキノコ雲を作り出す。たとえ、地下壕に隠れ、衝撃波を免れたとしても、高温の炎と窒息効果によって、投下地点周辺に存在する人間は、ことごとく殺されるのである。
通常兵器の範疇をはるかに超え、戦術核に準ずるような破壊力の大きさ、殺傷効果の無差別性、非人道性からして、BLU−82および燃料気化爆弾は、明らかな大量破壊兵器・非人道兵器である。また、この燃料気化爆弾は窒息性の効果を持つため、国際的に使用が禁じられている窒息性ガス兵器に該当する。国連人権小委員会は、1996年8月、「核・化学・生物兵器・気化爆弾・ナパーム弾・クラスター爆弾・劣化ウラン兵器の製造・使用の禁止を求める決議」を採択している。アメリカによるBLU−82の使用は明らかな戦争犯罪である。
※1:粉塵爆発を利用するBLU−82は、厳密な意味では、ガスを利用する燃料気化爆弾(FAE:Fuel
Air Explosive)ではないが、その基本原理および破壊・殺傷効果は燃料気化爆弾とまったく同じである。
※2:BLU−82は1万5,000ポンド(約6.8トン)という超弩級の重量から、通常の爆撃機ではなく、C130輸送機のカーゴベイに積載され、運用される。
BLU−82は、ベトナム戦争末期に初めて使用され、湾岸戦争では11発のBLU−82の使用が明らかになっている(湾岸戦争で使用されたBLU−82の爆発を見たSASの兵士は、戦術核の使用かと誤認したとも言われている)。さらに対アフガニスタン戦争では、4発の使用が確認されている。
アメリカは対アフガニスタン戦争まで、その破壊力の大きさと殺し方の残忍さから、対人兵器としての使用を公然と認めることをためらってきた。対アフガニスタン戦争まで、BLU−82は対人目標に使われていないことになっていたのである。ベトナム戦争では、「森を消滅させ、ヘリコプターの発着場を作るため」に使われたことになっており、湾岸では地雷原除去のために使われたとされてきた。湾岸戦争時、報道各社は当初、このBLU−82をイラク側の「恐ろしい新型兵器」と全く逆に報じた。米当局による世論誘導である。しかしその後、アメリカによる使用が隠せなくなってくると、国防総省関係者はクウェートの地雷原を除去や、心理的効果を目的に使っているのだと言い始めた(※3)。
ところがアフガニスタン戦争では、それまでの態度を変え、国防総省は対人兵器であることを隠さなくなった。記者会見の場で「人を殺すために使ったのだ」と公然とコメントし、アフガニスタンに対する使用目的は、タリバンの地下施設の破壊と、兵士の一挙的な殺害であることを認めるようになった。
隠せなくなったというだけではない。アメリカはその残虐性を隠さなくなったのである。アフガン以降アメリカは、燃料気化爆弾の使用について、歯止めを失い、エスカレートをはじめている。
アメリカは対アフガニスタン戦争の直前から、BLU−82を硬化目標貫通型に改良した新型の燃料気化爆弾BLU−118の開発を進め、アフガン東部のトラボラ掃討戦で実験的に使用した。
さらにアメリカは、MOABと呼ぶ、BLU−82の約1.5倍の重さを持つ超弩級の精密誘導型気化爆弾の開発を進めてきた。「すべての爆弾の母(Mother
of All Bombs)」がその名の由来だという。その名の通り、史上最大の爆弾である。そしてイラク戦争に先立って、イラク指導部を「衝撃と畏怖」せしめることを目的に、アメリカはMOABの投下実験をおこなったのである。
戦況が思惑通りに進まなければ、さらに米軍が燃料気化爆弾の使用をエスカレートさせる危険性は高い。BLU−82の大量投入のみならず、MOABを投入する危険性もある。都市部の作戦で、これらの燃料気化爆弾が使われ始めれば、兵員だけでなく民間人も大量に殺害されることになる。
アメリカによる燃料気化爆弾の使用は明らかな戦争犯罪である。このような兵器を躊躇なく使う、残忍なアメリカの戦争に反対の声を上げていかねばならない。劣化ウラン、クラスター爆弾、ナパーム弾、そしてこの燃料気化爆弾。ブッシュを支持した小泉政権も同罪である。イラクの兵士と民衆を大量虐殺した責任は小泉首相とその政権全体が負わねばならない。
※3:アメリカは、BLU−82の爆発を撮した写真と共に「スカッドよりも強力」「次はお前だ」と大きく書いたリーフレットを作成し、イラク兵士にばらまいていた。BLU−82の圧倒的な破壊・殺傷能力を見せつけ、イラク側の戦意を喪失させようとしたのである。BLU−82が対人目的の兵器であることを示すものであり、実際にイラク兵に対して使用されなかったとは考えにくい。事実今回のイラク戦争では、兵士の大量殺害のために使用された。

[ 69] 米軍が大量破壊=非人道兵器”燃料気化爆弾”を使用!
[引用サイト]  http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/daisy_cutter_in_kut_apl2.htm

この項目は、記事の一部を「1945年の広島・長崎に対する原爆投下」に分割することが提案されています。
議論はノート:原子爆弾を参照してください。なお、分割作業を行う際には履歴不継承にならないように注意してください。
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原子爆弾(げんしばくだん)又は原爆は、ウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂反応を超臨界状態にすることで爆発させる核兵器である。
原子爆弾の威力は通常兵器と比べ極めて大きく、無差別かつ大量に殺戮する大量破壊兵器であるため、この兵器の保有・使用に伴う危険性は世界中で危惧されており、現在では他の核兵器と共に包括的核実験禁止条約、核不拡散条約などで規制する動きがある。
原子爆弾はアメリカ合衆国が最初に開発し、1945年7月16日にニューメキシコ州アラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で最初の原爆実験が実行された。この原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadget) と呼ばれた。
また実際の戦争で使用された原子爆弾は、太平洋戦争末期の1945年に日本の広島市に投下されたリトルボーイ(濃縮ウラン型)と長崎市に投下されたファットマン(プルトニウム型)の2発である。
これらの原子爆弾は大量の放射線を放出し、また放射能を有する塵などを多量に排出したため、被害は爆発の熱や爆風だけに留まらず、原爆症と呼ばれる放射線障害や白血病や癌などの重大な病気を被爆者に引き起こし、その影響は現在も続いている。
原子爆弾は放射性元素の核分裂反応で放出されるエネルギーを利用する爆弾である。TNT火薬などの通常兵器に用いられる物質が化学反応によって原子間の結合エネルギーを解放するのに対して、原子爆弾では原子核を構成する核子の結合エネルギーが解放される。化学結合のエネルギーは電子ボルト (eV) のオーダーだが、核力の結合エネルギーはメガ電子ボルト (MeV) のオーダーである。そのため、原子爆弾で解放される単位質量あたりのエネルギーは通常兵器のそれに比べて約106倍も大きい。
原子核を構成する核子は核力によって強く束縛されているため、通常はこの結合を切ってエネルギーを取り出すことは困難だが、原子番号の大きな原子核では、中性子をぶつけるなどして比較的小さなエネルギーを与えると原子核が液滴のように二つに分裂することがある。これを原子核分裂と呼ぶ。この核分裂によって、分裂前後の核子の結合エネルギーの差分が外部に放出される。
核分裂の際には通常数個の中性子が外部に放出される。そのため、核分裂を起こす物質が隣接して大量に存在する場合には、核分裂で放出された中性子を別の原子核が吸収してさらに分裂する、という反応が連鎖的に起こることがある。このような反応を核分裂の「連鎖反応」と呼ぶ。核分裂性物質の量が少ない場合には連鎖反応は短時間で終息するが、ある一定の量を超えると中性子の吸収数と放出数が釣り合って連鎖反応が持続することになる。この状態を「臨界」といい、臨界となる核分裂性物質の量を臨界量と呼ぶ。発電等に用いられる原子炉ではこの臨界状態を保持して一定のエネルギー出力を得ている。核分裂性物質が臨界量を大幅に超えて存在する場合には、分裂反応を繰り返すごとに中性子の数が指数関数的に増加し、反応が暴走的に進む。この状態を「超臨界」または臨界超過と呼ぶ。原子爆弾では核分裂性物質を短時間で超臨界の状態にする必要がある。
核分裂反応を起こす物質(核種)はいくつか存在するが、原子爆弾にはウラン235またはプルトニウム239が用いられる。
ウラン235は広島に投下された原子爆弾で用いられた。天然ウランに含まれるウラン235の割合はわずか0.7%で残りは核分裂を起こさないウラン238である。そのため、原爆に用いる為にはウラン235の濃度を通常90%以上に高めなければならず、辛うじて核爆発を引き起こす程度でも最低70%以上の濃縮ウランが必要となる。放射能が少ない為に取り扱いは容易であるが、ウラン濃縮には大変高度な技術力と大規模な設備、大量のエネルギーが必要とされる。
ウラン濃縮による原爆製造は初期設備投資は比較的安価だが、電力を発生せず大量に消費し運転経費がかかる上、同じ核物質の量でプルトニウムより少ない数の原爆しか作れないため、原爆1個あたりの製造コストはプルトニウム原爆より高価になる。一方で、ウラン濃縮施設はプルトニウム生産黒鉛炉と違って地下に設置しやすく大量の赤外線を放射しないので偵察衛星に位置を察知されにくい。(米国が北朝鮮のウラン濃縮施設の位置をつかめず、空爆破壊できないのはこの理由による。)また、ガンバレル方式は必要臨界量が多く製造効率が甚だ悪いものの、核実験なしでも核兵器を持てる。そのため、核開発初期段階の国はウラン原爆を選択する場合が多い。イランの核開発もウラン原爆計画が主体である。
ガンバレル方式のウラン原爆の臨界量は100%ウラン235の金属で22kgとされている[1]。広島型原爆では濃縮度約90%のウランが約60kg使用されたとされる(原子力百科事典)。起爆には後述のガンバレル方式が用いられた。
プルトニウム239は自然界には殆んど存在しない重金属であるが、原子炉(燃料転換率の高い原子炉が望ましい)内でウラン238が中性子を吸収することで副産物として作られるため、ウランのような電力を食う濃縮過程を必要せず、逆に原子炉で電力が得られる。また臨界量が5kgとウラン235に比べてかなり少量で済む利点がある[2]。
プルトニウムは放射能が強く取り扱いは難しく、生産に黒鉛炉や再処理工場の建設費がかかるが、副産物で電力が得られ、1発あたり生産コストがトータルではウラン原爆より安価に済み、核兵器量産に向く為、5大国と北朝鮮の核兵器生産は現在はプルトニウムが主体である。
しかし通常の工程で作られたプルトニウムにはプルトニウム240という同位体が含まれており、この同位体が高い確率で自発核分裂を起こす性質を持っている。このため、ウランの場合のようなガンバレル方式ではプルトニウム全体が超臨界に達する前に一部で自発核分裂が起きて爆弾が四散してしまうなど、効率の良い爆発を起こすことが難しい。このために後述のインプロージョン方式と呼ばれる特殊な起爆方式を用いる。長崎に投下された原子爆弾にはこのタイプが用いられた。
尚、インプロージョン方式を用いる場合でもプルトニウム240の含有量が7%を超えると過早爆発の原因になり、核兵器製造に向かない。日本の原子力発電で使われている軽水炉の使用済み燃料抽出プルトニウムはプルトニウム240を22-30%前後含有し、プルトニウム240を分離しないと核兵器に使えない。核兵器製造にはプルトニュウム240含有量が7%以下の兵器用プルトニウムが得られる黒鉛炉かカナダ型重水炉か高速増殖炉を使うのが普通で、北朝鮮の原爆計画の主力であるプルトニウム計画は黒鉛炉、イラン原爆計画において傍流であるプルトニウム原爆計画では重水炉が使用されている。
トーマス・コクラン博士はインプロージョン方式の場合、より少量で超臨界が可能であることに着目して臨界量を分析しなおし、今日では従来より少量の核物質で超臨界が可能であると発表した。
プルトニウム原爆では過早爆発防止のためインプロージョン方式のみ可能で、ウラン原爆の場合ガンバレル・インプロージョン(爆縮)両方式が可能。
長崎型原爆が20キロトンを超えていたのに対し、北朝鮮が2006年に行った核実験では中国への事前通知が4キロトン、実験結果が0.8キロトンだったことから、限界までプルトニウムを節約した小型核弾頭実験に挑んで、結果はやや過早爆発気味であったのではないか?という観測もある。
原子爆弾の構造は単純である。本質的には、臨界量以下に分割した核分裂性物質の塊を瞬間的に集合させ、そこに中性子を照射して連鎖反応の超臨界状態を作り出し、莫大なエネルギーを放出させる、というものである。ただし実際には、爆弾に用いる物質の性質に応じて大きく2種類の構造が用いられる。
ガンバレル(gun barrel)方式はウランを臨界量に達しない2つの半球に分けて筒の両端に入れておき、投下時に起爆装置を使って片方を移動させてもう一つと合体させ、球形にすることで超臨界に達するものである。広島に投下されたリトルボーイがこの方式を採用した。しかしリトルボーイでは、60キログラムとされるウランのうち実際に核分裂反応を起こしたのは約1キログラムと推定されている。その他のウランは核分裂を起こさずに四散した。
インプロージョン (implosion) とはexplosion「爆発」という語のex-(外へ)という接頭辞をin-(内へ)に置き換えた造語であり、和訳は「爆縮」。インプロージョン方式とはその名の通り、プルトニウムを球形に配置し、その外側に並べた火薬を同時に爆発させて位相の揃った衝撃波を与え、プルトニウムを一瞬で均等に圧縮し、高密度にすることで超臨界を達成させる方法である。長崎市に投下されたファットマンで採用された。プルトニウムは自発核分裂の確率が高いため、自発核分裂によって爆発が不完全に終わるのを防ぐためにこの方式が考案された。
しかしこの方式は衝撃波の調整や爆縮レンズの設計が非常に難しく、数学者ジョン・フォン・ノイマンの10ヶ月にも及ぶ衝撃計算がなければ実現し得なかったと言われている。ガンバレル方式の原爆は実地テストなしで広島に投下されたが、インプロージョン方式の爆弾はこのような高精度の動作が求められたため、ニューメキシコ州アラモゴードのトリニティ実験で設計通りに作動することを確認するテストが行なわれた。この方式は前述のガンバレル方式より効率が良い。核分裂反応が始まって核物質を四散させようとする圧力が働いても、爆縮による内向きの圧縮力が押さえこみ、核分裂が継続するためである。そのため、以後製造された原子爆弾は、プルトニウム型もウラン型もインプロージョン方式を用いている。
第二次世界大戦後は、東西冷戦の激化とともに、アメリカ・ソヴィエト連邦を中心に重要な兵器として原子爆弾の改良が進められた。威力を100キロトン以上に強大化した大型原爆や、熱核反応をプラスして300キロトン程度に増強した強化原爆が開発された。
この動きとは逆に日本投下時には4〜5トンもあった爆弾重量を軽減させる開発も行われ、280ミリ砲から原爆の砲弾(Mk-9など)を発射する原子砲や、歩兵一人で使用可能な核無反動砲(デイビー・クロケット、威力は0.02キロトン)も製作された(いずれも現在は退役)。
プルトニウム原爆においてプルトニウム240含有量が7%を超えた粗悪なプルトニウムであったり、爆縮が不完全な場合、軽量化のため爆縮火薬を削減しすぎた余裕のない設計の場合、インプロージョン方式であってもプルトニウム240の自発核分裂の発生する外向きの爆風がTNT爆縮火薬の内向きの圧力に打ち勝って、プルトニウム239の塊が充分に核分裂を完了する前に吹き飛ばしてしまう。この現象が過早爆発であり、プルトニウム239の一部しか核分裂しないため、爆発力が計画値を大幅に下回ってしまう。2006年の北朝鮮の核実験は過早爆発気味だったのではないかと見られている。
ただし、核実験の場合、計測器を装着して実験するので、一回目の実験に失敗した場合でも、プルトニウムの240の含有量を減らすとか、爆縮火薬の威力や同期を改善するなどして生産する核兵器の信頼性を高める事は可能。むしろ、実験データーを参考に「どれぐらいの品位向上/爆縮威力改善が必要か」がわかってしまう。したがって、核実験が過早爆発気味であったからと言って必ずしも「技術レベルが低くて正常に機能する核弾頭を作ることができない」という事を意味しない。
長崎の爆心地公園。レンガ造りの構造物(手前)は旧浦上教会の被爆遺構を建て替え時に移設したもの。黒色の構造物(奥)が原爆落下中心碑
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。原子爆弾リトルボーイは、第33代アメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマンの原子爆弾投下への決意[1]により発した大統領命令を受けたB-29(エノラ・ゲイ)によって投下された。市内ほぼ中央に位置するT字形の相生橋が目標点とされ、投下された原爆は上空580メートルで炸裂した[2]。 爆発に伴って熱線と放射線、周囲の大気が瞬間的に膨張して強烈な爆風と衝撃波を巻き起こし、その爆風の風速は音速を超えた。爆発の光線と衝撃波から広島などでは原子爆弾を「ピカドン」と呼ばれた。
爆心地付近は鉄やガラスも熔けるほどの高熱に晒され、石材に焼き付けられた人影が今も残る[3]。また、3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は火傷を負った。
爆風と衝撃波による被害も甚大で、爆心地から2kmの範囲で(木造家屋を含む)建物のほとんど全てが倒壊した[4]。 爆発による直接的な放射線被曝のほかに爆発後の放射性降下物(フォールアウト)による被曝被害も発生した。広島市の北西部に大量の放射性降下物を含む「黒い雨」が降った。また投下後に救援や捜索活動のために市内に入った人も含めて急性障害が多発した(二次被害)。なお当時の広島市内には34万2千の人がいた。爆心地から1.2kmの範囲では8月6日中に50%の人が死亡した。1945年12月末までに14万人が死亡したと推定される。その後も火傷の後遺症(ケロイド)による障害、胎内被曝した出生児の死亡率の上昇、白血病や甲状腺癌の増加など見られた。
広島の3日後の1945年8月9日午前11時2分、B-29(ボックスカー)が長崎市に原子爆弾ファットマンが投下した[5]。
投下地点は長崎市北部の松山町171番地[6]テニスコートの上空であった。当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった。
^ 実際の爆心地の中心は戦後の調査で相生橋から300m離れた島病院の上空と推定されている。なお島病院の院長は、不在の為無事だったという。
^ 最近まで、そこに座っていた人間が石に焼き付けられたものだと思われていたが、近年の調査で、その石材からは人間の組織は発見されなかった。また、目撃情報として黒焦げの死体がそこにあった、というのもある
^ しかし爆心地から僅か700m付近で線路から脱線した状態で発見された被爆電車(広島電鉄650形電車)は今もなお原形のままで走り続けるなど奇跡的に残った物もある。
^ 投下の第一目標が八幡製鉄所に近い小倉市、第二目標が長崎市、その他人口密集地福岡市、軍港のある佐世保市であった。しかし福岡と佐世保は1945年6月に爆撃済み、また九州北部に濃い雲が広がり、目視で投下できる長崎に変更された。この「濃い雲」は、アメリカ軍が原爆投下前日に小倉を爆撃して、八幡製鉄所周辺から発生した「煙」とも言われる。悪天候とこの煙、及び残燃料の量から、第2候補の佐世保が原爆を投下できる限界であったが、その佐世保も十分に狙いをつけて投下できる時間的・燃料的余裕はなく、なおかつ悪天候でもあり、雲の隙間から見えた長崎市の市街地へ向けて投下せざるをえなかった、ともいわれる。
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[ 70] 原子爆弾 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86



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