パンクとは?

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パンク・ロック (Punk Rock) は、ロックの1ジャンルとして位置づけられる音楽の様式のひとつ。省略してパンクとも呼ばれる。当時全盛となっていた、ハード・ロック、プログレシブ・ロックなどに代表される、極度に理論的、テクニック主義偏重となっていったロックへの反発を基盤にニューヨークを中心に発生したスタイル。
ビートルズなどを経てさまざまなミュージシャン、アーティストの試行錯誤により音楽的に高度化、洗練された1970年代頃のロックの楽曲は、すでに難解な音楽理論を必要とするものが多くなっていた。ロックの持つ元来の精神性は、若者の社会への主義主張が多くを占めていたが、速いテンポでの音数の多いギターソロなどに代表される高度な演奏技術をも使う楽曲を、昨日今日に楽器を始めた若者に演奏できるはずもなく、さらにロックミュージシャン達の軒並みの高年齢化、商業主義による精神性の形骸化も進み、それら若者の主義主張、社会批判手段としてのロックの側面は薄れていく。パンク・ロックはこれらへの不満を基に、どんな若者でも演奏できる音楽、転じて「若者達の叫び」としてのロックの回帰を核として生まれた。後にニューヨークから英国へブームメントが飛び火しロンドン・パンクが商業的成功をおさめ、世界的に音楽のみならずファッション面や思想面でも大きな影響を与えた。
演奏テクニックや理論を重視する音楽に対する反発から、スリーコード中心のシンプルな曲調を基本とし、テクニックよりも勢いを重視した攻撃的な演奏がメインである。この特徴はパンク・ロックの前に勃興したグラムロックの手法を受け継いでいる面もある。ミドルからやや速めのテンポの曲が多い。また、ブルーズからの影響がまったく感じられないのが、前世代のロックンロールとの最大の差異である。反システムや反暴力、差別の撤廃などを訴える政治的・社会的なメッセージを込めた歌詞が特徴として挙げられる。
くしくも、ジョン・ライドンが「思想的アナーキーではなく音楽的アナーキーだ」「僕は決して反キリスト者ではない。むしろその対極の人間だ」と語ったように、そもそも、パンク・ロックの成り立ちにおいては、明確な思想的・政治的な背景があったわけではない。 パンク・ロックの定義に関して、重要視される精神性が後づけされたのは、80年代のハードコア・パンク以降といってよい。その精神の内容は反社会性と自主性である事が多く、アナキズムとの結びつきが強い。DIY(Do It Yourself=自分達でやる)という言葉がしばしば標語として掲げられ、マネージメントに依存しないアーティストの自主性が重要視される傾向にある。代表例としては、半自給自足の共同生活を行ない、後のハードコア勢に多大な影響を与えたクラス、自らレーベル「ディスコード」を立ち上げて一切のマネージメントを自ら受け持ったイアン・マッケイ(フガジ、元マイナー・スレット)などが挙げられる。しかし、1980年代以降、反社会性やDIY精神を主題としないパンク・ロックバンドも数多く登場し、そういう面ではパンク・ロック黎明期の状況に戻りつつあるといっていいだろう。
ニューヨーク・パンクは、1960年代中期から後半にかけてアンダーグラウンドで活躍したガレージロック(オリジナル・パンク)バンド(MC5、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、イギー・ポップ&ザ・ストゥージズなど)やニューヨーク・ドールズから派生したものである。 ただし、当時はニューヨークで活動するアンダーグラウンド・ロック・バンド全般が十把一絡げにニューヨーク・パンクと呼ばれていたきらいがある。後世への影響云々で判断すればラモーンズ、ジョニー・サンダース&ハートブレイカーズあたりが厳密な意味でのニューヨークのオリジナル・パンクと呼べるだろう。 ラモーンズ、テレヴィジョンなどのニューヨーク・パンク勢はその音楽的な影響の強さにも関わらず、決して世界的な商業的成功を得ることは出来なかった。ポップ色の強いブロンディ、ワールドミュージックに傾倒したトーキング・ヘッズなどニューヨーク・パンクから派生したニューウェーブバンドの一部が、一定の商業的成功をおさめたにとどまる。
このニューヨークでのアンダーグランドの動きに注目したのは海の向こうの英国である。ラモーンズのロンドン公演などを機に、ロンドンを中心にニューヨーク・パンクを模倣したバンドが多数結成されるようになる。ロンドン・パンクの特徴としては、初期のロックンロールが持っていた攻撃的で反社会的な面や、スリーコード中心の曲調、前衛的な歌詞などが挙げられる。また、その少し前の時期に流行っていたパブロックといわれる音楽もロンドン・パンクに大きな影響を与えている。ファッションにも影響を与え、破れた細いジーンズ、古Tシャツ、革ジャン、よれよれのジャケットなどが若者の間で流行した。イギリスで最も大きな成功を収めたのはストラングラーズとセックス・ピストルズであるが、この2大バンドのアメリカ進出は成功とはいえなかった。むしろ後発のクラッシュがアメリカではそれなりの成功を収めた。
ストラングラーズは、1974年にロンドンで結成される。完全に当時の流行を無視した短い髪、細いズボン、短いギターソロ、攻撃的な歌詞と音楽。彼らの斬新さはニューウェーブと呼ばれ次第に人気がでるようになり、アイスクリームバン(アイスクリーム販売用のバン)に楽器を載せ、イギリス中で毎日のようにライヴを行った。反体制のシンボルとして右翼団体の襲撃も受けることもあったが、人気はうなぎのぼり、各アルバムをイギリスのトップ5に送り込んだ。70年代当時、イギリスでも日本でも後述のセックス・ピストルズ以上に人気があった。
アメリカに渡り準メンバーとしてニューヨーク・ドールズに関わったマルコム・マクラレン(後にアダム&ジ・アンツ、バウ・ワウ・ワウのマネージャーを勤める。)が、ロンドンで、アートスクールの仲間ヴィヴィアン・ウエストウッドの店SEXに出入りしていた若者を集め、店の宣伝のために、1975年、セックス・ピストルズが結成された。テレヴィジョンのリチャードのファッション、破れたシャツ、安全ピン、逆立てた髪を真似、傍若無人な言動を繰り返す彼らはイギリスで話題になり、パンクがアンダーグラウンドから一躍、メジャーなものとなった。それまで大学のキャンパスでしか口にされることのなかった、Anarchyと言うフランス語源の言葉をポップ音楽の中に取り入れた。
その後、ジェネレーションX(ビリー・アイドルが在籍)などフォロワーが次々に生まれイギリス・パンクシーンは一気に盛り上がった。
1976年、ダムドがデビュー、今までの社会的批判・主張から生まれたパンク・ムーブメントの中にあって、彼らはパンクを楽しんでいた様子で、会的な主張はあまり盛り込まれていない。しかし、その圧倒的なスピード感と激しさで地獄に堕ちた野郎どもが大ヒット。ちなみに、最初にシングル、およびアルバムをリリースしたロンドンパンクのバンドである
クラッシュは1976年にロンドンで結成され、翌1977年『白い暴動』でデビュー。1st、2ndアルバムは音楽的にパンク色が強いものであったが、コミュニストであり精神的なパンクを追求した彼らはパンクと同じ精神を持つレゲエや、カリプソ、ロカビリーへの接近を試み、パンクの枠にとどまらない3rdアルバム『ロンドン・コーリング』1979年を発表して普遍的なロックバンドへと成長していく。大きくレゲエやダブといった当時先進の音楽を取り入れていった彼らは、大ヒットシングル「ロック・ザ・カスバ」によってアメリカでも大成功を収め、スタジアムでツアーを行うようになるが、メンバーの意見の相違により解散する。
他にザ・ジャムが、ネオモッズ・ムーブメントを巻き起こしUKでNo1ヒットを4曲も出すなど82年の絶頂期の解散まで人気バンドとして君臨していた。またスペシャルズ、マッドネスなどの2トーン系スカバンドが人気を博した。キャリアの長いメンバーで結成されたポリスでさえ、デビューアルバムはパンクであった。
イギリスでは、失業者の増加と言う社会問題と相まって社会や体制に対する反抗的な姿勢、怒り、乱暴な演奏などによって大きな社会現象となる。後の音楽はもとより、ファッション、芸術、文学に至るまでその波は広がっていくことになる。しかし、話題性とファッションだけが先行し、さらにブームの火付役であったセックス・ピストルズの初のアメリカツアーが失敗に終わり、オリジナルアルバム1枚を残しただけで解散する。その後、セックス・ピストルズ以上に髪を逆立たせ、服を破いたスタイルのロンドン・パンク・ファッションは世界に広がっていった。1980年代のロンドンでは外国からの観光客向けのパンク・ファッションで街頭に立ち、写真を撮られる度にお金をもらうビジネスもあった。(ちなみに日本ではこういった行為は違法である)
セックス・ピストルズのリードボーカルだったジョン・ライドンは、P.I.L.(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成。前衛的、実験的なサウンドや缶のジャケット、45回転のアルバムなどの新奇・斬新なアイデアは従来のパンク・ロックのファンの間には決して評判は良くなかったが後世の音楽的な評価は高く、またその独特のサウンドはむしろダンス音楽などのミュージシャンに大きな影響を与えている。
1978年のセックス・ピストルズ解散によりパンクは事実上の終焉を迎えた。しかしながら、かつてモッズが70年代にネオモッズとしてリバイバルしたように、イギリスにおいては、1980年代に入り、ハードコア(極端)なサウンドをよりスピードアップされたリズムに乗せて政治的なメッセージを伝えるネオ・パンクバンドが次々と生まれる。いわゆる1981年から82年にかけて起こった「ハードコア・パンク・ムーブメント」であり、ディスチャージ、G.B.H.、ジ・エクスプロイテッドといったバンドが次々に登場、シーンは活性化する。イギリスのハードコアの源泉となったのは、エセックスのコミューン出身のバンドクラスだとされる。クラスはメンバーが共同生活し半自給自足の生活を送るなど徹底的な反システム、アナーキズムを貫き、パンク・ロックにより過激な主張を持ち込んだ。
また、ハードコアとは別にイギリスでは、ストリートとより密接に結びついたパンク・リヴァイヴァル/ネオ・パンクの動きOi!パンクが勃興する。シャム69、コックニー・リジェクツなどを中心とするこのムーブメントは、音楽的にはロンドン・パンクのポップさ、キャッチーさを継承しつつも、オリジナル・パンクにあったユニ・セックス的な側面は影を潜め、男らしさを打ち出すバンドが多かった。これは当時のポップミュージックの中心だったニューウェーブに反目する意味合いがあった
アメリカにおいても、1970年代後半にニューヨーク・パンクやロンドン・パンクに影響を受けたバンドが次々と誕生、ブラック・フラッグやバッド・ブレインズといった有力バンドにより各地でハードコア・シーンが生まれたが、あくまでも局地的・アンダーグラウンド・レベルでの現象でしかなかった。当時のマキシマム・ロックンロールやフリップサイド誌等を読み返しても、紙面の大半を占めていたのは、ガレージやカレッジ・ロック、ポスト・パンク等で、ハードコアが大きな盛り上がりを見せるのは、1980年代半ば以降のスラッシュメタルとのクロスオーバー以降である。この時期、大手レーベルと契約するバンドが増え、80年代初頭に比べてインディー・レーベルのディストリビューションも拡大していたことも、その盛り上がりの要因だったと思われる。
アメリカにおけるハードコア・ムーブメントはアンダーグラウンドな動きにとどまったが、その過程において各地のバンド、インディ・レーベルを結ぶネットワークができあがる。そのような状況下、サウンドガーデンやグリーン・リヴァー、マッドハニーといったバンドがシアトルのインディ・レーベルサブ・ポップより次々とデビューし、シアトルのアンダーグラウンドシーンは盛り上がりを見せる。そして、1980年代初めからニューヨークのアンダーグラウンドシーンで活躍していた ソニック・ユースが、1990年にメジャー・レーベルゲフィンよりデビュー、翌1991年にはニルヴァーナが『ネヴァーマインド』でメジャーデビューし、全世界で1,000万枚を売り上げる大ヒットを記録する。その後パール・ジャムなどが次々とメジャーデビューし、グランジ・ブームが訪れる。
当時のアメリカは1980年代の深刻な不況に見舞われ若者が未来に希望を持てない状況であったが、それはパンク・ロックが大流行した1970年代後半のイギリスと酷似しており、それゆえにグランジは「90年代のパンク革命」といわれる。
しかしながら、1994年にニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンが自殺すると、グランジがオルタナティブ・ロックに呑み込まれる形で、グランジ・ブームは急速に終焉を迎える。
1980年代後半にバッド・レリジョンが、パンク的なサウンドをよりメロディックにスピーディーにさせたスタイルを確立。NOFX、スナッフ、ペニーワイズや、イギリス系パンク・ファッションを継いだランシドなどがその音楽性を発展させ、そのサウンドはポップ・パンクやメロディック・ハードコアと呼ばれるようになる。
そして、1994年、グリーン・デイのメジャーデビュー、オフスプリングの3rdアルバム『スマッシュ』の大ヒットにより、ポップ・パンクが爆発的なブームを巻き起こす。
世界中でグランジが流行する1990年代前半、よりハードコアな姿勢を貫こうとするバンドが現れるようになる。特にストレート・エッジの思想を持つイアン・マッケイ率いるフガジは反抗精神とアンチ商業主義を持ち続け、いつしかその音楽性はエモ・コアと呼ばれるようになる。そして、ポップ・パンク・ブームも落ち着いた1990年代後半からジミー・イート・ワールドやゲット・アップ・キッズ、アタリスなど数々のフォロワーが生まれ、現在に至る。
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 音楽のジャンル | パンク・ロック | パンク | ロック

[ 133] パンク・ロック - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF

自転車に乗っていて困るのがパンク。最も多いトラブルのひとつでしょう。毎日の通勤・通学の足として活躍しているならばもっと困りますね。自分で修理できるパンク術を紹介します。1回でも実際に直してみると、コツがわかってマスターできますよ。
■バルブ本体を抜くバルブを止めているナットを外し、バルブ本体を抜き取ります。本体を抜くと「プシューッ」と勢いよく空気が抜けていきますね。バルブ本体には「虫ゴム」がついていますが、ここに穴がないか、点検します。ボロボロになっているようであれば、交換します。
リムに止めてあるナットをスパナ(またはプライヤー)でゆるめて外します。ナットやバルブ、キャップなどの細かい部品はなくさないようにまとめておきましょう。
■リムをはずすリムとタイヤの間にタイヤレバーを差し込みタイヤを起こすようにします。場所は、バルブの位置から4〜5cm離れた部分が良いでしょう。 差し込んだ反対側の切り欠き部分を、スポークに引っかけて固定します。バルブを挟んで反対側へ10cm位離れた場所に、2本目を同様に差し入れて起こします。
3本目のタイヤレバーと手を上手に使い、タイヤをリムから外します。2本のタイヤレバーによってできた「すき間」に手を入れるときれいに外せます。チューブから出ているバルブ受け部分をリムの中に押し込み、チューブを外します。
パンクの原因となった穴を探します。目で見て明らかに大きな穴の他にも小さな穴があるかもしれません。念のため空気入れを使ってチューブを膨らまし、「シューシュー」と空気漏れがないか確かめます。
確実に小さな穴を見つけるには、バケツや洗面器に水を入れ、出る空気泡で判断します。チューブを水に浸ける部分を回し変えていきます。穴を発見したら、印を付けておくと便利です。
■パッチを貼るタオルなど乾いた布で水気を良く拭き取り、紙やすりで穴の周囲1cm程度の範囲を擦ります。こうすることで汚れを落し、ゴムのりの「なじみ」を良くします。ゴムのりをチューブに塗ります。薄く塗り、べとつきが無くなるまで乾かします。ゴムのりが乾いたらパッチを貼り、上からカナヅチで軽く叩いて圧着します。
ゴムのりは「乾いてから貼る」不思議なのり。塗りすぎると乾きにくいので気を付けましょう。
■チューブを入れるパッチが完全についたのを確認し、チューブを元どおりに入れます。タイヤの内側に小石やガラス片がないか、手で触って確かめましょう。チューブを少しずつタイヤの中に入れていき、最後はタイヤレバーを使って入れ込みます。
パンクの主な原因は「鋭利なものが刺さること」。道路に落ちている小石やガラス、金属片が刺さって穴があくケースが大半です。そこで…1.砂利など荒れた路面を走る場合はスピードを落す2.段差の部分は避けて通る3.タイヤの空気圧は適正になるように注意することを心がけることで、パンクを防ぐことにつながります。これに「日々の自転車点検」が加われば、完璧でしょう。

[ 134] コメリ・ドットコム|HowTo情報:自転車のパンク修理
[引用サイト]  http://www.komeri.com/howto/html/00150.html



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