苦虫とは?

「苦虫」というのがどんな虫なのかは知らないが、きっと、噛むと苦いのであるに違いない。そういう虫を噛みつぶせば、思わず顔も歪むだろう。そんなふうに、あたかも苦虫を噛みつぶした“ような”顔を想像して、「苦虫を噛みつぶしたような顔」という表現が生まれたのだと思われる。辞書にも「苦り切った(不機嫌な顔の)様子のたとえ」(『岩波国語辞典』第4版)という説明がある。
ところが、上記の記事では、厚労省が「苦虫をかみつぶしている」、というのだから驚きだ。これは明らかに誤用であろう。「苦虫を噛みつぶしたような」とは言っても「苦虫を噛みつぶす」とは言わないのである。朝日新聞といえば一流の全国紙だ。記者の偏差値も高いことが想像される。校閲係もいるはずだ。それにもかかわらずこのような誤用が新聞の第二面に出るとは、意外なことである。
ところで、「苦虫」とはどういう虫なのだろう。カメムシのようなものであればいかにも苦そうだ。ゴキブリのようなものであれば口中油だらけになりそうだし、カマキリのようなものであればパサパサしていそうで口に入れるのもはばかられる。鈴虫のようなものであれば、ひょっとすると甘い味がするかも知れない、・・・・・・などと想像してみても、そもそも“苦虫”なる名称の虫は存在しないのだからあまり意味はない。そのような“いもしない”虫を厚労省が「かみつぶしている」というのだから、やはり驚きだ。
藤井良広も『縛られた金融政策』(日本経済新聞社、2004年、p. 43)の中で妙な言い方をしていることを知った。
「苦虫を噛んだ」とは、またまた驚きだ。「苦虫」は「噛む」のではなく「噛みつぶす」ものである。「虫」を噛めばつぶれるのだから、「噛んだ」と言っても「噛みつぶした」と言っても同じことではないかと反論してみても駄目である。両者は明らかに違う動作だし、「苦虫を噛みつぶしたような」と使って、はじめて紋切型表現になるからである。藤井良広がいかに腕の立つ書き手だとはいえ、この言い方はないだろう。
以上が2年前に書いたエッセイである。ところで、「苦虫」という“虫”についてはその後も気になっていたので、今回、手間を惜しまず辞書に当たってみることにした。『広辞苑』第4版である。そこにはこうあった。
この説明には思わず笑ってしまったが、やはりそうだったのだと安心した。「苦虫」などという虫は存在しないのだ。単なる想像上の虫なのである。しかも、噛むと苦いのである。とりあえずは青虫でも想像しておくことにしようと思う。

[ 112] 無題ドキュメント
[引用サイト]  http://www.nanzan-u.ac.jp/~mizutani/essay/nigamushi.shtml



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