賠償とは?

システム開発の契約では,損害を負担する範囲についての適切な取り決めが必要になる。それがないと,開発遅れやバグなどで問題が発生したときに,巨額の賠償金を支払うことになりかねない。今回は,契約に記載すべき責任制限条項と損害賠償にかかわる法律について解説する。
  1984年11月,日本電信電話公社(現NTT)の世田谷電話局管内で地下ケーブルに火災が発生し,電話回線が最長10日間不通になった。原因は,下請け企業の作業員の不注意だった。
この事故で電話による出前の注文などが止まった地元商店の店主90人は,「営業上の損害を受けた」として電電公社を提訴。総額4700万円の損害賠償を要求した。
電電公社は裁判で,「公衆電気通信法109条が電話使用料金を基準に損害賠償額の上限を定めており,それとは別に原告が営業上の損害などの賠償を請求することはできない」と主張。裁判所は,(1)電気通信サービスの不提供から生じるすべての損害を予測して料金に反映させることは困難,(2)通信サービスの不提供から直接・間接に生じる損害は多大となるので電電公社に過大な負担を強いる恐れがある――などの点を指摘し,「公衆電気通信法が損害賠償額を制限しているのは合理的で憲法にも反しない」として,原告の請求を棄却した。(東京高裁1990年7月12日判決,判例時報1355号3頁)]
情報通信システムにトラブルが起こると,ユーザーには多種多様な損害が発生する(図1)。損害を被ったユーザーは当然,ベンダーに対して損害賠償責任を求める。もし契約で損害賠償の範囲を決めていないと,ベンダーは多額の損害賠償に耐えかねて,倒産する事態にならないとも限らない。
上記の判例で分かるように,公衆電気通信法は,電電公社の損害賠償責任を制限していた。電電公社が民営化されてNTTとなってからは,通信上のトラブルで生じた損害の賠償責任を契約約款で制限している。また,読者もよくご存じの通り,パッケージ・ソフトの使用許諾契約書には,必ず損害に関する免責事項が記されている。システムの受託開発でも,ITベンダーは自身の損害賠償の範囲を契約で明確に限定しておくのが普通である。
ではその法的根拠は何なのか。そもそも「損害賠償の制限」は正当なもので,冒頭に挙げた判例は妥当といえるのだろうか。
法律的に言えば,損害賠償責任には2種類ある。1つは「債務不履行責任」(民法415条)。もう1つは「不法行為責任」(民法709条)である。
債務不履行責任とは,契約で義務を負っている企業が義務の履行を遅らせたり不完全にしか履行しなかったり,あるいは全く履行しない場合に,損害賠償責任を負わせるものである。一方,不法行為責任は契約の有無にかかわらず,不注意や過失で他人の権利を侵害して損害を被らせた者(や企業)に損害賠償責任を負わせるものだ。
ユーザーがベンダーに対して損害賠償を要求する場合,債務不履行責任でも不法行為責任でも,どちらでも構わない。ただし不法行為責任を追及する場合は,ユーザー側に「ベンダーの過失を証明する責任(証明責任)」がある。これに対し債務不履行責任を追及する場合は,ユーザーに証明責任はない。逆に債務不履行責任を追及されたベンダーは,無過失であることを証明しない限り損害賠償責任を免れることはできない。
つまりITベンダーとユーザー企業のように契約がある場合,債務不履行責任を追及する方がユーザー側に有利だし,またそうするのが普通である。
では債務不履行における損害賠償の範囲は,どう決まるのだろうか。実は民法にその規定があり,「不履行から通常生じるであろう損害,および特別の事情から生じたものだが債務者が予見したまたは予見できた損害」(民法416条)と定められている。
一方,“特別の事情から生じたものだが債務者が予見したまたは予見できた損害”は,「ベンダーが知っていたはずの特別な事情で生じた損害のこと」である。今ひとつピンと来ないかも知れないが,例えば開発した販売管理システムにバグがあって,顧客に迷惑をかけ,結果的にユーザーの売り上げも落ちたといったケースが考えられる。「顧客への迷惑料や売り上げダウンの分を補填しろ」となるわけだ。
この民法416条の規定をそのまま適用すると,ベンダーが負う賠償責任は非常に大きなものになってしまう。ベンダーがそのリスクを避けるには,システム開発のトラブルから生じるすべての損害を予測した上で,それを製品やサービスのコストに含めるしかないが,現実的な策とは言えない。ユーザーが支払えないほどのシステム構築費用になってしまうからである。
実は,これが洋の東西を問わず,ITベンダーが契約書に損害賠償の範囲を明記した「責任制限条項」を記載している理由だ。責任制限条項は民法416条の内容を変えることになるが,民法416条は「強行規定」ではなく「任意規定」なので,法律上は何の問題もなく有効である(強行規定と任意規定については前回を参照)。つまりベンダーが損害賠償責任の範囲を法律や契約で制限することは合理的,かつ合法であり,冒頭の判例も妥当なものだ。
しかし製造物の欠陥から生命や身体,財産に生じた損害に対してベンダーに過失責任を負わせる「製造物責任法(いわゆるPL法)」や,消費者と企業が結んだすべての契約で企業の責任を全面的に免れることを禁止する「消費者契約法」といった,強行規定に違反することはできない。こうした強行規定に違反しないように,ベンダーは責任制限条項を作成する必要がある。
なお,相手の知識の無さなどに乗じて不当な利益を得る行為は,「公序良俗違反」として法律的に無効とされる(民法90条)。しかし公序良俗違反は通常,個人の消費者と企業の間で発生するものであり,企業同士の契約における責任制限条項が公序良俗違反と判断されることはまずない。図2に,責任制限条項のひな形を示した。契約書作成時の参考にして欲しい。
1939年生まれ。61年東京大学法学部卒業。65年弁護士登録。74年から日本アイ・ビー・エムで社内弁護士として勤務。94年から99年まで同社法務・知的所有権担当取締役。現在は森・濱田松本法律事務所に所属。法とコンピュータ学会理事

[ 37] 第2回 損害賠償責任の範囲を限定する:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070611/274385/

戦争賠償(せんそうばいしょう、英:war reparation、戦時賠償)は、戦争で生じた損害の賠償として、ある国が他の国へ金品や資産を提供すること。
多くの場合賠償金の形を取る。通常、戦争賠償が支払われるのは敗戦国から戦勝国に対してのみであり、逆の例はあまりない。賠償する対象は戦勝国の費やした戦費も含まれ、戦争法規違反には限らない。よく似た概念語として「戦後補償」があるが、一般に戦争賠償は国家間、戦後補償は国家対個人の賠償・補償を指す場合に使われる。
第二次世界大戦を例にとるならば、日本の場合は国家間の戦争賠償、ドイツの場合は国家対個人の戦後補償にも応じている。ドイツの個人に対する賠償の場合は、敗戦国であっても戦勝国に対し自国民が被った被害(戦勝国内や独立国内に遺棄されたインフラや資産など)に対する賠償を請求し実際に賠償がなされたことがあり、この点は敗戦国にのみ負担が偏るという賠償に対する批判に類しない。また、遺棄された在外資産は中間賠償と呼ばれる賠償の一部という形態をとることもある。
戦争賠償の慣習は、ポエニ戦争で共和政ローマがカルタゴに賠償金を課した例など古代からみられた。だが戦争賠償が戦後処理の手段として一般化するのは、ヴェストファーレン条約の締結により近代的な国際秩序が形成され、戦争の主目的が敵領土の併呑や奴隷労働力の獲得から一定の政治目的の達成へと変質した17世紀以降のことである。戦争賠償を巡っては様々な政治問題が発生した。
日露戦争の講和条約、ポーツマス条約締結は戦争賠償の有無を巡って難航した。日本は賠償金の支払いを要求したが、ロシア帝国は国内の政情不安のため講和に応じただけで、陸軍力は粉砕されておらず強気であった。対して日本は、旅順攻囲戦、奉天会戦や日本海海戦で、持てる戦力を全て出し切り、巨額の戦時国債を発行しており、それ以上戦争を続けることは軍事上も経済上も不可能であった。そこで、日本の全権大使小村壽太郎は、ロシア皇帝ニコライ2世が出してきた「賠償金は支払わないが樺太南部の割譲は認める」とする譲歩案を呑むしかなかった。ポーツマス条約の「屈辱的な」内容を知った日本国民は怒り狂い、小村を売国奴と罵り、日比谷焼き討ち事件が発生するなど混乱が続いた。
4年以上の長期戦となった第一次世界大戦の結果、欧州連合国は多額の対アメリカ・イギリス向け戦争債務を抱え込み、ヴェルサイユ条約で、ドイツに対し1,320億マルクもの巨額の戦争賠償金支払いを義務付けた。さらにフランスはルール地方を占領し、賠償金の早期支払いを迫ってきた(ルール問題)。しかし、これは逆効果であった。ルール工業地帯を失ったドイツ経済は破綻し、ハイパーインフレーションに陥り、1ポンド=20マルクだった為替レートは、1ポンド=500億マルクまでマルク安が進み、賠償金は支払い不能に陥った。
1924年、新マルク(レンテンマルク・ライヒスマルク)の導入で通貨が安定すると共に、アメリカが賠償金の支払いを年20億マルクに抑えるドーズ・プランを提示し、欧州各国も了承した。さらに、1929年、賠償金の総額を370億マルクに軽減するヤング・プランが了承された。世界大恐慌の発生で再びドイツ経済が破綻したため、結局1932年のローザンヌ会議で賠償金支払いは廃止されたが、ドイツが被った痛手は大きく、ナチス台頭の原因となった。
第二次世界大戦の結果、ドイツは、1945年に合意されたポツダム協定で、主にソビエト連邦へ賠償金200億ドルと生産設備や動産を支払うこととされた。その後1953年に賠償金の支払いは停止された。
日本は、アジア諸国との個別の合意により、各国に対して1兆300億円の賠償金を支払っている。具体的な一覧は外務省のページ[1]参照。当時の国家予算からみてその額面は膨大であり、ドイツの例に漏れず円は高騰した。先の大戦からの推移は日本の戦争賠償と戦後補償を参照。
その他の旧枢軸国は、1947年に締結されたパリ条約で、連合国に対する以下の賠償金の支払いに合意した(いずれも1938年価格)。
イタリアは、ユーゴスラビア、ギリシャ、ソビエト連邦、エチオピア、アルバニアへ3億6,000万ドルを支払う。
湾岸戦争の後、イラクは国連安全保障理事会決議687を受け入れ、サダム・フセイン政権のクウェート侵略によって同国が負った損害を賠償している。クウェートの官民から提出された3,500億ドルという損害見積もりに対して、これまでに国連賠償委員会(UNCC)で521億ドルが承認され、イラクからは2005年までに192億ドルの支払いが行われている[2]。
多くの場合、敗戦国の政府が戦争を始めるのであり、敗戦国の一般国民には責任が無く、国全体に課される戦争賠償は無実の罪の人々まで罰することになる。
敗戦国の国民は既に困窮している状態にあることが多く、そこへ戦争賠償を課することは敗戦国民をさらに苦しめる結果となり、戦勝国に対する怨恨を深める恐れがある。
ジョン・メイナード・ケインズは、戦争賠償の国際経済に与える影響は破滅的であると指摘した。批判者の中には、戦争賠償が間接的な、しかし主要な、第二次世界大戦勃発の原因となったと指摘する者がいる。ヴェルサイユ条約でドイツが課せられた賠償金は疲弊したドイツの経済問題をさらに悪化させ、その結果生じたハイパーインフレはワイマール共和国を失敗させ、ナチスとヒトラーの台頭を助けた。第一次世界大戦の戦後処理の失敗の教訓は第二次世界大戦後の戦後処理において生かされ、戦勝国はドイツからは賠償金ではなく動産や機器による賠償を受けた。

[ 38] 戦争賠償 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F



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