退院とは?
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退院して夫に迎えに来てもらい、車で、40分ほどの道のりを自宅まで帰った。頭が、座席のヘッドレストにあたるたびに違和感があった。自宅に入ると、2階に上がっただけでも疲れを感じた。退院して、とても疲れたので、眠ったら、今度は、ひどい頭痛がした。病院でもらった頭痛薬を早速飲み、ようやく頭痛が治まった。普通の生活をするのには、まだ時間がかかりそうだと思い知らされた。 手術の日からちょうど1ヶ月がたった。退院当日のようなひどい頭痛はなくなったものの頭の左側のしびれと時々起こる刺すような痛み、また、首の左側と肩の突っ張る感じは退院当時と変わらなく続いている。しかし、体力は少しずつついてきているので普通の生活ができるようになってきた。 頭のしびれや痛みをやや不安に感じながら、B医師の診察を受けた。症状について話すと、手術の際に、頭の神経を痛めているために起こる神経痛であるとのことだった。また、首の凝りの症状については、運動をしたほうがよいと言われた。また、これらの症状は、必ず時とともに軽くなっていき、いつかは感じなくなるということだった。首や肩の凝りのためにナパゲルンローションという塗り薬と夜貼って寝るためのモーラステープという湿布薬を処方してもらった。症状の経過をみてもらうために、来月の診察予約を入れてもらった。 運動は、何でもよいということなので好きな水泳を来週から始めようと思う。仕事を始める前に十分な体力をつけておかなければならない。 前回の診察から今まで週に2、3度水泳をしたり、毎日のようにストレッチ体操をしたりした。はじめはモーラステープという湿布薬を貼らないと首や肩がとても痛くて眠れなかったが、最近は貼らなくても大丈夫な日が多くなってきた。ただ、まだ左側の首や肩の凝りはあり、左側をずっと向いているというようなことはつらくてできない。前回と同じ薬をまた処方してもらった。 手術した左側の頭のしびれ、左耳の上5cmと左耳後ろ5cmあたりに一日に何度か針で刺したような痛みがある。これは、大後頭神経痛というものだそうだ。手術のときに、その神経を引っ張ったために神経が傷つき、そのために神経の末端で痛みが出ているということだった。水泳をするときにスイミングキャップやゴーグルをつけると頭を締め付けられるような感じがあってつらい。神経を切ってはいないので、次第に痛みや痺れを感じなくなり、手術後半年ほどでそれらの症状はなくなるということだった。 手術の傷跡の下の方が盛り上がってややかたくなっているのが気になっていたので見てもらった。傷跡をきれいに治すためにヒルドイドソフトという塗り薬を処方してもらった。これを傷跡に塗ると傷跡がもっときれいになるそうである。 これらの症状があっても、手術前の苦しみや暗さに比べたら、今は全く明るく元気に過ごしている。三叉神経痛の再発の可能性を聞いたところ、手術からこれまで再発していないことを考えると再発の可能性はかなり低いということだったので安心した。間もなく、仕事に復帰することになった。今まであまりに楽な生活をしていたのでうまく適応できるか、かなり不安だが、頑張り過ぎない程度に頑張っていきたい。 6月末から仕事に復帰した。初日は、勤務の忙しさにかなり疲れを感じたが、次の日からは、慣れることができた。何よりも、再び仕事ができることの喜びは大きかった。職場の同僚も生徒たちもわたしの復帰を心から温かく迎えてくれた。自分が、多くの人に支えられていたことを改めて感じた。 仕事を始めてからは、その忙しさであまり痛みやしびれを意識せず過ごすことが多く、時々、それらにふと気づくという感じであった。たまにヒヤッとした瞬間に頭の左側に電気が走るような違和感を感じることがあり、不思議である。 診察で、手術跡を見てもらうとかなりきれいになっているということであった。首筋の痛みや肩こりは残っているものの湿布を貼ったりローションを塗ることは少なくなってきた。手術後、3ヶ月なので、もうしばらくこれらの症状が治るまでには続くということであった。 |
[ 163] 退院後
[引用サイト] http://www.h6.dion.ne.jp/~happy/newpage117.html
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【はじめに】平均在院日数800日という極端に入退院の少なかった社会復帰病棟で、「病棟を閉鎖する」という告知および町内のグループホームの開設を期に生じた「退院ブーム」について報告する。併せてその経過から「沖縄流のリハビリテーション」についても考察したい。 【症例】平成11年6月から翌年5月までに8人の長期(1年以上)在院者が退院した。以前から服薬・金銭自己管理などのセルフケアの取り組みを続けて来たが、「病棟閉鎖」の方針を家族会で院長から当事者と家族に告知。社会復帰施設を数ヶ所バスで見学。地域の協力を得てグループホームを開設。リハビリテーションの講義を職員、当事者、家族で一緒に聞く。などの働きかけを行った。 いずれも当人から「退院したい」と申し出た。家族が協力しない状況で、当事者自身の退院の意志と地域でのサポート体制の充実により実際に退院が可能となった。 症例Eは、もともと気弱な青年で、「兄さんがダメというから(退院できない)」が口癖だった。社会復帰施設見学や病棟閉鎖の告知の中、「自分も働けますね」と少しずつ語り出した。当事者で会社組織を作っている作業所を見て「負けてないね」。退院への意志、退院予定期日もころころ変わりながら「退院したい」と徐々に一貫するようになり、アパート探しなどするが実際の退院はグループホームへの外泊ではじめて現実的となった。従兄弟と一緒にグループホーム入りすることでやっと兄の了解を取り、退院後は「一人暮しすることと病気を治すことが夢」と見違えるほどにしっかりしている。 【考察】 血縁関係が大きなウェイトを占める沖縄の文化の中で、「兄さんからダメと言われる」ことは重大である。門中と呼ばれる一族から離れてのアイデンティティーの確立は難しい。頼れる家族がいない人から順に自分の帰属先を探しはじめた形となっている。症例Eの退院先は従兄弟同士のルームメイトであり、グループホームへの退院は「琉球病院家からの分家」との印象がある。一人一人でなく病棟丸ごと居場所が無くなることを告知し、数人まとめて独立させる。沖縄流のリハビリテーションの具体的な形については当日詳しく論じたい。 「退院ブーム」は如何にして起こったか? 社会参加が可能になった要因を考えてみると、結果的に病棟全体の治療構造が変わったこと、病棟スタッフと当事者の関係が変貌(別配布資料参照)したことが決定的であったと私なりに整理してみた。 当事者を個別で扱う個別的アプローチでは「スタッフと患者の縦の関係」が中心となり、その治療構造で現実への直面化を行うと当事者は単独では現実を受け止めきれず症状悪化を来すことが多い。治療局面はサポートに戻り、「やはり退院は無理」と当事者もスタッフも考えて長期在院パターンにはまる。 対照的に集団療法的アプローチでは、「当事者の集団をスタッフが側面から支援する」形の治療構造となる。病棟全体に病棟が無くなることを告げただけでは当事者に動揺はそれほど起こらない。(個別の退院促進の方がプレッシャーは大きい)。バスで病棟みんなで施設見学をして情報を出来るだけ伝え、「行き先はいろいろある」ことを目にみえるようにしたり、スタッフも家族も一緒にリハビリの講演会を聞いたり、結果的に集団療法的アプローチとなっている。グループホームも、開設から外泊練習まで、当事者の目の前でつくり、メンバーも当院に長く居る顔見知りの「集団退院」の形となっている。終始個別に扱わないことがポイントであったと私は振り返る。 また当事者は仲間がいれば現実に容易に直面化出来る。このことは多くの当事者組識が実証している。 退院した例はいずれも当事者本人から「退院したい」と申し出た。頼れる家族がいない例から退院した形となっているのは興味深い。 病棟ではその後の経過も含めて3例が病棟内で拒薬、一時症状悪化している。スタッフは動揺したが、「現実に直面した時に一度は通る関門」と考えて退院への方針を継続、結局3例とも治療病棟に移らずに乗り切り、その後は退院への意志が確実となっている。 この間病棟スタッフは極論すれば「サポートを断念」した。社会参加、セルフケア病棟では、治療病棟と同じ個別サポートは依存を招くだけでマイナスとなる面がある。「本人が困ってもぎりぎりまで手を出さずそばにいて見守る」というセルフケアの精神が結果的に自立につながることをスタッフは痛みを持って学んだ。 長期在院者を社会復帰させるために、医療として変わるべき点はどこか? 私は「社会参加・セルフケア病棟では個別にはサポートしない」「集団療法的に現実に直面化する」という方法を提案したい。最近SA(Schizophrenia Anonymous)というアルコール依存症と同じ方式の、当事者会を中心とした治療・リハビリ論が提唱されているが、「アルコール依存症と同じやりかた」で長期在院者の社会参加は可能である。 |
[ 164] 病棟閉鎖の告知およびグループホームの開設を期に退院した5症例
[引用サイト] http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/paper_12byouchi.htm
