えびすとは?

えびすは日本の神で、外来の者を意味する。夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも書く。えびっさん、えべっさん、おべっさんなどともいう。
現在では一般に七福神の一員としての福の神であるとイメージされるが、それは中世以降の信仰で、由来をたどると非常に複雑な経緯を持つ。実は、えびすを称する神は複数あって、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。そのため、同じえびすを祀る神社でも、場所によって神は異なっている。また、少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。
様々な記紀神話の神に当てられるえびす神だが、いずれの神も後世の付会であって、元来の姿ではない。えびす神の漢字に戎や夷などが当てられている事は、中央政府が地方のまつろわぬ民や東国の者をえみしやえびすと呼んで、戎や夷の字を当てたのと同じことで、いずれも異邦の者を意味している。「えびす」という神名の文献における初見は平安時代後期の『伊呂波字類抄』であるが、そこには「夷 エビス 毘沙門」と記されている。少し時代が下った『諸社禁忌』には「衣毘須 不動」とある。古い時代には、えびす神は毘沙門天や不動明王を本地仏とする神格として信仰されていたことがわかる。えびすの神像も、古い時代のものほど威厳に満ちたものとなっており、この時代のえびすは「荒々しい神」として信仰されていたものとみられる。
そこからもわかる通り、もともとは異邦より村に時たま訪れる外来の神であり、海の向こうからやってくる水の神である。漁村では近年までイルカやクジラなどをえびすとよんだり、水死体のことをえびすとよんだりする地域もあり、漁のときに水死体を拾うと大漁になるという信仰もあるという。漁業に使う網の浮きに神が宿り正月などに祀る地域があるが、四国の宇和島周辺や隠岐などでは、その浮きのことを「えびすあば」(あばとは浮きのこと)と呼んでおり、えびすが海神であることが示す好例である。九州南部には、漁期の初めに海中からえびすの御神体とするための石を拾ってくるという風習があるという。これらの民俗信仰は、えびすの本来の性格を比較的とどめているものと考えられる。
えびすを蛭子命と結びつける説は鎌倉時代ごろに現われたものである。記紀神話において、蛭子命は3歳になっても足が立たなかったため流し捨てられたとされる。その神話を受けて、流された蛭子命はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、その海からやってくる姿が海の神であるえびすの姿と一致したため、二つの神は同じ神だとされるようになった。その漂着した地の伝承は各地にあるが、その代表が兵庫県西宮市の浜で、そこには蛭子命系のえびす神社の総本社である西宮神社がある。また、えびすのことを夷三郎と呼ぶ事があるのは、日本書紀において、三番目に生まれたことによるという。
一方、事代主神は託宣の神といわれ、記紀神話においても直接に水との関連はない。しかし、記紀神話の中の国譲りの項で、天津神からの国譲りの要請を受諾するかどうかを大国主神の使者が事代主に聞きに行ったとき、事代主は釣りをしていたとされ、その海で釣りをする姿とえびすの海の神であることが結びつき、同一の神とされるようになったといわれる。七福神の絵図でえびすが釣竿を持っていたり、それで鯛を釣っていたりする事があるのは、この事代主神の話にもとづくものである。また、えびすと大黒は親子とも言われるのも、事代主の父親である大国主命が大黒天と習合した事による。
なお、えびす信仰が生まれる以前から事代主神を祀っていた神社で、後にえびす神を祀るという形にしたものも多数ある。逆に、明治維新の際、国学の神道理念によりえびす神や蛭子といった神格を軽視し、祭神名を事代主神に改め、由緒も書き換えた神社も存在する。
平安時代の後期には、えびすを市場の神(市神)として祀ったという記録が有り、鎌倉時代にも、鶴岡八幡宮内に市神として、えびすを祀ったという。このため、中世に商業が発展してくるにつれ、商売繁盛の神としての性格も現れる。それは同時に福神としても信仰されるようになり、やがて七福神の一員として数えられるようになる。
えびすを祀る神社では、毎年1月10日を中心とする数日間、十日戎(とおかえびす)と呼ばれる祭が行われ、商売繁盛に御利益のある福笹・熊手などの授与が行われる。

[ 52] えびす - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%B3%E3%81%99



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