幸喜とは?

大鵬 幸喜(たいほう こうき、本名:納谷 幸喜(なや こうき)、1940年5月29日 - )は、大相撲力士。第48代横綱である。身長187cm。樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町で育った。父親はウクライナ人のコサック、母親は日本人のハーフ。納谷は母の姓である。幸喜の名は皇紀2600年にちなんでつけられた。また、イヴァーンというウクライナ語名があったという。
ロシア系であることから、幼少期は酷く苛められたと言われている。1960年代に活躍し、ライバルといわれた柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた。1960年(昭和35年)1月場所新入幕で初日から11連勝で12勝3敗の好成績を挙げた。幕内で初めて敗れた相手が柏戸である。翌場所は一転の負け越しだったが以降横綱昇進まではすべて2桁の勝ち星であり、その後9勝に終わったのもたった1場所である。1961年(昭和36年)9月場所後に柏戸と共に横綱昇進(同時昇進は史上4例目)。このとき21歳3ヶ月。照國の持つ年少昇進記録を大幅に更新した(のち北の湖に破られる)。新入幕の翌年に横綱になった力士はそれまでになく、その後も出ていない。三賞受賞数が少ないのは、早くに大関・横綱に昇進したためである。
同じくハーフ(日本とロシア)である野球の太田幸司同様、大変な美男子だった。当時の子供の好きなものを並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉からも、当時の大鵬の人気と知名度がわかる。だが大鵬本人はこの言葉があまり好きではないと後に語っている。理由は、自身がアンチ巨人だった事と、団体競技の野球と個人競技の相撲を一緒にしてくれるなという気持ち、何より「大鵬の相撲には型がない」などと盛んに批判された時期に「大人のファンは柏戸と大洋ホエールズ」などと評論家から返されたこともある為。引退後、「生まれ変わってもう一度相撲取りになったら、今度は柏戸さんのような相撲取りでいたい」とこぼしたこともあった。
彼の四股名は、師匠二所ノ関が最も有望な弟子につけるべく温存していたものであり、その点では師匠の期待以上によく育ったといえるだろう。新十両が決まり、四股名がもらえることが決まった時には大砲と書くと思ったらしく、師匠に話すとそれは「おおづつ」と読むと言われ、横綱大砲の話をされたという[1]。
その強さと出世の早さゆえか、相撲の天才と呼ばれることも多かったが、本人はこれを嫌い、弟弟子の麒麟児(後の大関・大麒麟)のほうが天才と呼ぶにふさわしいと言っていた。
1963年(昭和38年)9月場所千秋楽の柏戸との一戦で敗北した事に、石原慎太郎に一方的に八百長疑惑をかけられた事もあったが、そんな訳が無いと石原にきちんと謝罪させている。
幕内最高優勝32回(2007年現在、最多優勝記録である)という成績からいっても大横綱であることに疑う余地はない。だが、戦前の双葉山と比べると評価が低い。最大の理由は、相撲の豪快さに欠ける点であろう。ただし相手次第で取り口を変える柔軟性を持っていたという点では今でも非常に評価が高い。
連勝数では双葉山(69連勝、最多連勝記録)に及ばず、45連勝が最高(昭和以降では3位)である。この記録は1968年(昭和43年)9月場所2日目から1969年3月場所初日の間に作られたが、同場所2日目、平幕の戸田(後の羽黒岩智一)に敗れて途切れた。但しビデオ画像や写真では戸田の足が先に土俵を割っていたので、誤審であるとして問題となり、相撲の勝負判定にビデオ画像を参考にするきっかけとなった。
本場所開催中(奇数日目)は日刊スポーツに解説「土評」を連載している(奇数日目は高砂浦五郎=元大関朝潮の「大ちゃん 大分析」)。
取り口は非常に手堅く、若い頃は両差しを得意にしていた。自分有利の体勢に持ち込んだら確実に前に出て寄り切ると言うのが勝ちパターン。弱点である腰の脆さ(大鵬には反り腰がなく、上体が反ると残すことが出来なかった。常に前かがみを保ちながら相手を捌く取り口は、この弱点があるためである)を戦術と身体の柔らかさと懐の深さで補っていた。しかし、たまに土俵中央でがっぷり四つになったりすると、格下力士相手でも大相撲になった。大兵であるにも関わらず、巧みな前捌きに代表される緻密な技能を持っていた。また、左差し手を十分に返してから放たれる掬い投げは伝家の宝刀とも言われ、大一番になればなるほど輝きを放った。
このように、基本的には左四つに組みとめての重厚な寄りと強烈な投げが主体のスタイルだが、押し相撲や右四つでも相撲が取れた。つまり、良く言えば究極のオールラウンダーであり、悪く言えば絶対的な型がなかったということである。この点は、右四つの完成された型を持った双葉山とは対照的である。そのため、最初の6連覇(1962年7月〜1963年5月)の直後あたりから、一部の評論家からは「大鵬の相撲には型がない」と盛んに批判された時期があった。しかし、師匠である二所ノ関は「型の無いのが大鵬の型」「名人に型なし」と言ってこれを黙らせた。そしてさらに大鵬が勝ち続け、昭和の大横綱へと成長すると、「型の無い」大鵬の相撲は、状況に応じて相撲を変える「自然体」と評価されるようになった。
大鵬の素質に惚れ込んだ師匠・二所ノ関によって徹底的指導によって鍛え上げられた。口に水を含みながらの荒稽古など、その指導はスパルタ的なものであった。
その体の柔らかさは真綿やスポンジに例えられるほどのものであった。この体がどんな当たりをも受け止め、崩れない大鵬の相撲を可能にしていた。
色白の大変な美男であるためか若い頃の人気は物凄く、特に男性から人気の高かった柏戸と比べて、大鵬は女性・子供からの絶大な支持を誇った。大鵬の取組の時だけは銭湯の女湯ががら空きになったという有名なエピソードがある[2]。
全盛期には彼にあやかって「幸喜」と命名された男児がたくさんいた[3]。俳優・劇作家・脚本家の三谷幸喜はそのうちの一人である。
晩年は本態性高血圧や膝、肘など怪我や病気に苦しんだ。相撲でも叩きを多用して一部から批判されたが、なお精進を続け、次代を担うとされた北の富士と玉の海に対して最後まで壁として君臨し続けた(北の富士・玉の海が横綱に昇進して以降の対戦成績は共に大鵬4勝2敗でリード)。
様々な金字塔を打ち立てたが、特に入幕(1960年)から引退(1971年)までの12年間、毎年必ず最低1回は優勝した記録は「一番破られにくい記録」と言われる。
引退2場所前の1971年1月場所に玉の海を本割りと決定戦の2番連続で降し32回目の優勝、直前の1971年3月場所ですら12勝と健在ぶりを示したが、翌5月場所栃富士に敗れ尻から落ちたことで引き時を感じ、5日目に当時上り坂の貴ノ花に寄り倒しで同じく尻から落ちる敗戦を喫すると引退を表明した。
引退後は大鵬部屋を興し、関脇巨砲、前頭嗣子鵬らを育てた。現在は部屋を娘婿の貴闘力に譲っている。2000年(平成12年)に北の湖敏満・千代の富士貢の2横綱を率いて還暦土俵入りを披露した。
2001年(平成13年)にサハリン州(樺太)で父マルキャン・ボリシコの生涯が明らかになり、サハリン州の日本研究家の働きかけでウクライナのハリコフ市に大鵬記念館が建設されることになっている。大鵬自身もハリコフで相撲大会を企画しており、ロシアをはさんで日本とウクライナの国際交流の主役として脚光を浴びている。
また慈善活動にも熱心で、「大鵬慈善ゆかた」などを販売し、その収益を元にして、日本赤十字社に血液運搬車「大鵬号」を毎年寄贈している。相撲協会を退職後、この事業は貴闘力が引き継いでいる。
2005年(平成17年)に日本相撲協会を65歳の停年(定年)退職し、9年近く空席だった相撲博物館館長に就任したが、協会在籍中に理事長や執行部在任経験がなく(1期のみ審判部副部長を務めたが、脳梗塞をわずらったためにその後は退任し、地方場所部長の職が長かった)、先に定年退職していた理事長経験者の佐田の山と豊山が健在にも拘わらず館長職に就いたのは異例の抜擢と言われている。
朝青龍のよき相談役としても知られ、相手次第で取り口を変える、自身のような万能型の大横綱の道を歩みつつある朝青龍を厳しく、かつ温かく見守っている。また、朝青龍のサッカー問題など色々な意味で批判されがちの角界で、OBとして発言力を持つ一人でもある。
なお、少年時代を過ごした北海道弟子屈町の川湯温泉の温泉街には、1984年に開館した川湯相撲記念館があり、化粧回しや優勝トロフィーなどのゆかりの資料が展示されている他、名勝負・名場面などの栄光の記録と生い立ちから現在に至るまでの歩みとを綴ったドキュメンタリー映像を上映するコーナーもある。また、記念館の前には、彼の銅像も建っている。
1969年9月 - 同年夏場所で30回目の優勝を達成したことから、その功績を称え協会より、一代年寄を授与される。現役中の一代年寄授与は大鵬と千代の富士(辞退)のみ。
2004年1月1日 - 娘婿である大嶽(元関脇貴闘力)が部屋を引き継ぎ、大鵬部屋の歴史に幕を閉じる。部屋の看板は縦書きの「大嶽部屋」と横書きの「大鵬道場」の2枚となる。
^ そ の世代の有名人の名を子供につけるという例は多い。夏の甲子園で人気を博した荒木大輔にちなんで名づけられた松坂大輔などの例がある。
初代明石志賀之助|2代綾川五郎次|3代丸山権太左衛門|4代谷風梶之助|5代小野川喜三郎|6代阿武松緑之助|7代稲妻雷五郎|8代不知火諾右衛門|9代秀ノ山雷五郎|10代雲龍久吉|11代不知火光右衛門|12代陣幕久五郎|13代鬼面山谷五郎|14代境川浪右衛門|15代梅ヶ谷藤太郎 (初代)|16代西ノ海嘉治郎 (初代)|17代小錦八十吉|18代大砲万右エ門|19代常陸山谷右エ門|20代梅ヶ谷藤太郎 (2代)|21代若嶌權四郎|22代太刀山峯右エ門|23代大木戸森右エ門|24代鳳谷五郎|25代西ノ海嘉治郎 (2代)|26代大錦卯一郎|27代栃木山守也|28代大錦大五郎|29代宮城山福松|30代西ノ海嘉治郎 (3代)|31代常ノ花寛市|32代玉錦三右エ門|33代武藏山武|34代男女ノ川登三|35代双葉山定次|36代羽黒山政司|37代安藝ノ海節男|38代照國万藏|39代前田山英五郎|40代東富士欽壹|41代千代の山雅信|42代鏡里喜代治|43代吉葉山潤之輔|44代栃錦清隆|45代若乃花幹士 (初代)|46代朝潮太郎|47代柏戸剛|48代大鵬幸喜|49代栃ノ海晃嘉|50代佐田の山晋松|51代玉の海正洋|52代北の富士勝昭|53代琴櫻傑將|54代輪島大士|55代北の湖敏満|56代若乃花幹士 (2代)|57代三重ノ海剛司|58代千代の富士貢|59代隆の里俊英|60代双羽黒光司|61代北勝海信芳|62代大乃国康|63代旭富士正也|64代曙太郎|65代貴乃花光司|66代若乃花勝|67代武蔵丸光洋|68代朝青龍明徳|69代白鵬翔
カテゴリ: 樺太出身の人物 | 敷香町 | ウクライナの人物 | 引揚者 | 北海道出身の大相撲力士 | 1940年生

[ 25] 大鵬幸喜 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B5%AC%E5%B9%B8%E5%96%9C

三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は日本の劇作家、脚本家、俳優。 血液型はA型。身長174.8cm。妻は女優の小林聡美。
東京都世田谷区出身。当時全盛期だった大相撲の横綱大鵬幸喜にあやかって「幸喜」と命名された(三谷が生まれた当時は大関で、生まれた年の9月場所後に横綱に昇進した)。
1983年、私立世田谷学園高等学校卒業後(私立獨協中学校中退)の日本大学藝術学部演劇学科在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」結成。活動初期では一橋壮太朗の芸名で自ら役者もつとめていた。劇団の活動と並行して放送作家としても活動をしており、『アイアイゲーム』『欽ドン!』『お笑いマンガ道場』などの番組構成などに携わる。テレビアニメ『サザエさん』の脚本を手がけたこともあるが、3本目に執筆した「タラちゃん成長期」(タラちゃんが筋肉増強剤を使ってオリンピックに出る夢をみるというストーリー)がプロデューサーの逆鱗に触れて降板させられたことを(なお、作品は4本作られたらしい)月刊「ドラマ」の特集で語っている。
フジテレビの深夜番組『やっぱり猫が好き』の脚本を一部担当し(「このドラマが小林聡美と結婚するきっかけとなった」とよく言われるが、あくまできっかけに過ぎず、実際にはもっと後のことらしい。)、その後番組『子供、ほしいね』のほとんどの回を担当(なお、この作品には主人公・久保田うららの兄役で三谷幸喜本人が出演している)したことから一般に名が知られるようになり、1993年『振り返れば奴がいる』で連続テレビドラマの脚本家としてデビューする。この時、脚本が現場で勝手に直されるという事実に直面し、その体験を活かした舞台『ラジオの時間』を上演する。この作品は後に三谷の映画監督デビュー作としてリメイクされ、数々の賞を総なめにする(ちなみに映画版は『ラヂオの時間』と表記)。
この作品の成功により、翌年には『刑事コロンボ』のような倒叙ミステリーとして『古畑任三郎』の脚本を手がけることになる。この作品で気弱な刑事・今泉慎太郎を演じたのは「東京サンシャインボーイズ」の盟友西村雅彦で、彼もこの作品で一躍有名になった(尤も、前作『振り返れば奴がいる』にも出演し「織田裕二を刺した役者」と言われた)。
また、同時期に「東京サンシャインボーイズ」の代表作『12人の優しい日本人』が中原俊監督によって映画化され、劇団からは相島一之、梶原善の2人が、舞台と同じ配役で出演している。
1994年頃、劇団の活動に行き詰まりを感じたため、新宿シアタートップスでの『東京サンシャインボーイズの罠』を最後に30年間の充電期間に入る。
劇団の人気が最高潮になり「チケットが取れない劇団」と言われ始めた1993年にはパルコによるプロデュース公演に参加、伊原剛志・松下由樹による二人芝居『ダァダァダァ』の演出・脚本を担当。翌年には、三谷の発案により唐沢寿明を起用したサスペンススリラー『出口なし!』の演出・脚本を担当する。それ以降も『君となら』『巌流島』『笑の大学』『温水夫妻』『オケピ!』(2001年第45回岸田國士戯曲賞受賞)『バッドニュース☆グッドタイミング』『彦馬がゆく』などのヒット作を次々生み出していく。また、松本幸四郎一家による演劇集団「シアターナインス」との共同プロデュースで『バイ・マイセルフ』『マトリョーシカ』でも脚本を担当した。現在、パルコプロデュースシリーズの中で最も新作の待たれる作家となった。ちなみに、松本幸四郎は、三谷が大河ドラマ『黄金の日日』で大河の脚本を夢見、その後『ラマンチャの男』で舞台脚本家を夢見た経緯があり、『王様のレストラン』の際に、駄目元で主演を依頼して以来のつきあいとなっている。幸四郎自身も、三谷の脚本を高く買っているようである。もっとも、『王様のレストラン』の出演は、娘である松本紀保が、三谷作品のファンで、彼女が強く薦めた結果らしい。
1997年には初の映画監督作品として『ラヂオの時間』を発表。多くの映画賞を受賞、絶賛を浴びる。2001年には自身の体験に基づいた「建築コメディ」とも言うべき監督第2弾『みんなのいえ』を発表。両作品共イギリスやドイツなどでも上映会が催され、多くの喝采を浴びた。
一方『古畑任三郎』以降も『王様のレストラン』『総理と呼ばないで』『今夜、宇宙の片隅で』『合い言葉は勇気』『竜馬におまかせ!』など次々作品を発表、2002年暮れには念願のシチュエーション・コメディ『HR』において、脚本だけではなく総合演出も手がけた。そして2004年に長年の夢であったNHK大河ドラマ『新選組!』の脚本を担当。三谷の意向も入れられたというそのキャスティングは賛否両論を呼んだものの、大きな話題となった。そして、2006年に、続編(大河ドラマ史上初)となる『新選組!! 土方歳三 最期の一日』が1月3日に正月スペシャルとして放送された。また同年1月3日・4日・5日には『古畑任三郎 ファイナル』も放送され、正月特番ドラマを連続して手がけたことになる。この2つのドラマはNHKが放送した『新選組!! 土方歳三 最期の一日』の裏のフジテレビに『古畑任三郎 ファイナル』の初日(第1夜「今、甦る死」)が放送され、三谷ファン泣かせな編成になってしまった。これに関し、『古畑〜』が21.5%に対し『新選組!!〜』は視聴率が9.8%と振るわず、フジテレビ側は「調整が間に合わなかった」と謝罪している。
2004年10月映画版『笑の大学』(監督:星護、主演:役所広司・稲垣吾郎)公開、2004年暮れに舞台『なにわバタフライ』(戸田恵子出演の一人芝居)、2006年に公開した映画『THE 有頂天ホテル』(監督も兼任、出演:役所広司、松たか子他)、2006年に東京ヴォードヴィルショーに書き下ろした『竜馬の妻とその夫と愛人』の再演など、相変わらずの人気作家ぶりが伺える。また2005年4月より清水ミチコとの対談形式のラジオ番組『MAKING SENSE』(J-WAVE)が放送されている。さらに2005年の11月〜2006年の1月にかけて、パルコ劇場プロデュース公演として「12人の優しい日本人」が再々々演された。出演は江口洋介他。この作品が、東京サンシャインボーイズ以外の出演者で上演されるのは、舞台としては初めてのことであった。
尚、『笑の大学』はロシアで上演されるなど国際的な広がりをみせており、IMDBでは少数ながらも高評価を得ている。
著作である『オンリー・ミー 私だけを』が50万部のベストセラーとなっているものの、あまり公表されていないので「ひそかなベストセラー」といわれる。
テレビ東京系の子供番組『おはスタ』で2006年1月10日?12日の間「やまちゃん」こと山寺宏一の代役として「コーキー」の呼び名で司会出演をした。
2006年の大河ドラマ『功名が辻』(大石静脚本)では、大石に請われて役者として出演、信長に翻弄される将軍足利義昭を演じた。
2006年11月には、劇団東京ヴォードヴィルショー第61回公演「エキストラ」の脚本・演出を担当。 2007年には、パルコ劇場で舞台「コンフィダント・絆」、伊東四朗、三宅裕司、佐藤B作による舞台「社長放浪記」の脚本(演出は三宅裕司)、芸術座の後継劇場となる「シアタークリエ」のこけら落し公演「恐れを知らぬ川上音次郎一座」の脚本・演出を担当することになっている。 また、第4弾監督作品「ザ・マジックアワー」(2008年6月公開予定)のクランクインも予定されている。
彼の作品は、基本的に喜劇である。本人も「面白い話しか書けない」と言っているように、悲劇やシリアスは苦手なところがある。
仕事ぶりの方では、毎回締め切り間近に台本・脚本が仕上がるほどの遅筆が有名で、監督泣かせと言われている。舞台『巌流島』では、三谷の遅筆により台本が完成せず、予定していた公演初日が大幅にずれ込むことになり、佐々木小次郎役の陣内孝則が降板している。この時に三谷は、「今後、同様なことを起こしたら筆を折る」と宣言している。
テレビドラマの演出家には不信を持った時期があるようで、かつてはドラマディレクターに対する辛辣な発言振りが目立ったが(ドラマの現場で脚本が勝手に書き換えられるといった事など)、それでも共同テレビの河野圭太、星護などには一定の信頼は置いているようである。
自身のドラマや映画では、自らプレゼンターとして視聴者やマスコミの前に登場するが、その際は必ずタキシードを身にまとう。希望するBGMは布施明「君は薔薇より美しい」。
2007年日本アカデミー賞で、最優秀監督賞を逃し、一気飲み後、テーブルに突っ伏し悔しがるという「演技」をしていた。ただし日本アカデミー賞自体では、「ラヂオの時間」で最優秀脚本賞を受賞している。
神経質な性格の持ち主であり、自身の作品に否定的な意見を目にし、創作力の減退を防ぐという理由から、インターネットはほとんどみない。
気難しい性格を現す一面に、なかなか他人を家に入れないという面がある。ココリコの田中直樹にコレクションを見せると約束し、自宅を訪れた田中を玄関の外で応対し、自宅の中に招き入れることはなかった。妻・小林聡美の父親(つまり義父)が、小林の外出中に訪ねてきたときも自宅に入れなかった程である。
幼い頃に母と離婚した父が「長男(三谷幸喜)は俺があそこまで育て上げた」と各所で吹聴するようになってからは、その父が経営する印刷屋によって自作の台本が印刷されることを頑として拒否している(現在は腹違いの弟が家業を継いでいるが、拒否を続けている)。この辺りの複雑な生い立ちが人間不信に結びつき、気難しい性格を作り出した一因があると思われる。
子供の頃からかなりのテレビ狂であり、三度の飯よりテレビが大好きだったという。実家には今も当時使っていたテレビが残っているらしい。非常に数多くのテレビ番組に詳しく、海外ドラマ、特に『刑事コロンボ』には精通している。他にも『ドラえもん』『パーマン』『おそ松くん』などのアニメ番組や『ポンキッキーズ』『おはスタ』などの児童向け番組にも詳しい。彼が手がけたテレビドラマにも、これらの番組に使われたセリフや内容が度々登場する。
また「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)を初期の頃から見続けた「夜ヒットフリーク」であり(この点については「スカイパーフェクTV!」の月間広報誌でもインタビューの中で三谷自らが発言している)「ラヂオの時間」における井上順の配役の人物考証は夜ヒットでの井上のキャラクターに基づくものであるともいわれている。
少女趣味な一面があり、りぼん系の少女コミック「姫ちゃんのリボン」を読んでいる。他に「赤ずきんチャチャ」はアニメだけ見ていたらしい(これが、後に間接的ではあるが当時声優をつとめた香取慎吾との出会いになっており『古畑任三郎vsスマップ』の回では、古畑がこのアニメについて語っている)。
歴史マニアでもあり、中学校の同級生が歴史の教科書の江藤新平の写真に似ていると思うと、彼に写真と同じような着物を着せて写真をとったという。以来、友達をモデルに幕末の志士のコスプレ写真をとり続けたというエピソードがある。また、横山光輝の『水滸伝』『三国志』のファンでもある。
ウィットやユーモアに富んだ演出による、ハートウォーミング、人間賛歌が多く、露骨な社会風刺やグロテスクな描写、きわどい台詞などは一切使わない。そうした独特の暖かみとなっており、多くのファンを魅了している。また劇中において登場するギャグはほとんどが三谷の考案によるものである。
ちなみに、織田裕二主演のテレビドラマ『振り返れば奴がいる』は、当初コメディ色の強い作品だったが、制作スタッフが現場で勝手に脚本を書き換え、当時流行っていたシリアスな作風になってしまった経緯がある。最終的には三谷の意図とは外れ、全く別の作品になってしまうという憂き目に遭っている。
三谷は自分が執筆した劇作品を、初演と違う出演者によって再演することを絶対に許可しない作家としても知られている。その理由のひとつは、全ての戯曲・台本をそれぞれの役を演じる役者への「当て書き(先に役者を決めてから、その役者をイメージしながら台本を書くこと)」として執筆していることによる(ただし、同じ役を異なる複数の役者が演じることを前提に企画されたTVドラマ『3番テーブルの客』は例外)。
たとえば『笑の大学』は、もともと三宅裕司と坂東八十助 (5代目)に宛てて書かれたラジオドラマ脚本であるが、後に西村雅彦と近藤芳正出演で舞台化された際や、役所広司と稲垣吾郎出演で映画化された際には、そのたびごとに脚本自体を一から書き直している(ただし、ロシアで公演されているロシア語版に関してはその範囲外である)。
他の脚本家や監督もやることではあるが、気に入った俳優を自身の作品に積極的に起用することが、三谷には顕著に見られる。それは舞台俳優にも同じで、三谷の作品がきっかけでTVドラマに出演し、脚光を浴びるようになる俳優も少なくない。
そして、その起用法ゆえか、三谷が監督をした映画には、普通の映画に出演すれば必ずエンディングのキャスト欄で最終に表記(いわゆるトメ)されると思われるほどの役者が多く出演しており、監督一作目の「ラヂオの時間」のエンディングでは、キャストの表示される順番が「あいうえお順(五十音順)」、三作目の「THE 有頂天ホテル」では「登場順」になっている。(注:キャスティングの「五十音順」は三谷作品に限るものではなく、昔からオールスターキャストの映画などで多く用いられた手法である。これは、当時から役者が自分の名前の表記順にこだわっていたことを示すものでもある。)
三谷作品を語る上では欠かせない「赤い洗面器を頭の上に乗せた男」の小咄。これまでに複数作品の登場人物によってこの話が語られるが、誰もが最後のオチを口にしようとした途端、必ず何かしら邪魔が入って話が途切れてしまい、結末はいまだ明かされず謎のままである。詳細については、「赤い洗面器の男」を参照。
2006年8月31日〜9月3日にかけて、声優の櫻井孝宏が主宰する劇団joy2006が、『東京サンシャインボーイズの罠』の題名及び脚本の一部を改変して無断で上演したことが判明した。櫻井は三谷本人に直接謝罪して自身の公式サイトに謝罪文を掲載した他、9月30日から1ヶ月間、ラジオ番組への出演を自粛した(11月から復帰)。また、櫻井の所属事務所である81プロデュースも公式サイト上に謝罪文を掲載した。
やっぱり猫が好き(第1シリーズ1988年〜1990年、第2シーズン1990年〜1991年、フジテレビ)
カテゴリ: 日本の劇作家 | 日本の脚本家 | 日本の俳優 | 日本の演出家 | 日本の映画監督 | 岸田國士戯曲賞 | 東京都出身の人物 | 1961年生

[ 26] 三谷幸喜 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%96%9C

超少女!はるひワンダー愛 ある日いきなりエイリアンが頭の中に住みついて私の恋はメッチャくちゃ!私はダーレここはドコ?(超少女はるひ!ワンダー愛)
織田 裕二、石黒 賢、千堂あきほ、松下 由樹、佐藤 B作、鹿賀 丈史、中村あずさ、相原 勇、西村 雅彦
田村 正和、西村 雅彦、(以下、ゲスト)中森 明菜、堺 正章、古手川祐子、鹿賀 丈史、笑福亭鶴瓶、池田 成志、坂東八十助、小林 昭二、角田 英介、中丸 新将、木の実ナナ、河原 さぶ、桃井かおり、菅原 文太、石黒 賢、小堺 一機、小林 稔侍
松本幸四郎、筒井 道隆、山口 智子、鈴木 京香、西村 雅彦、村井 国夫、近藤 芳正、小野 武彦、ジェロル・ド・マルテ、中村嘉葎雄、梶原 善、白井 晃、伊藤 俊人、田口 浩正、杉本 隆吾、ジャッケー・ローロン、金田 明夫、松本 留美、森 廉、藤村 俊二、橋 幸夫、三谷 幸喜(語り・森本 レオ)
松本幸四郎、筒井 道隆、山口 智子、中村嘉葎雄、鈴木 京香、西村 雅彦、小野 武彦、梶原 善、白井 晃、伊藤 俊人、田口 浩正、杉本 隆吾、ジャッケー・ローロン、金田 明夫(語り・森本 レオ)
田村 正和、西村 雅彦、白井 晃、小林 隆(以下ゲスト)明石家さんま、小高 恵美、沢口 靖子、秋本奈緒美、田山 涼成、中丸 新将、草刈 正雄、藤村 俊二、一色 彩子、木村 拓哉、加藤 治子、絵沢 萠子、大谷 亮介、唐沢 寿明、山城 新伍、澤村藤十郎、夢路いとし、久保 晶、角野 卓造、小林 隆、松 たか子、池田 成志、岩咲 朱美、森田 聖子、廣谷くみ子、鈴木保奈美、風間 杜夫
田村 正和、山口 智子、西村 雅彦、長内美那子、小林 隆、伊藤 俊人、森下 哲夫、巴 千草、諏訪 太朗、宮本 大誠、酒井 麻吏、峰 三太、橘 未於、菊地 均也、小松 裕奈、進藤 浩志、JOSE
田村 正和、西村 雅彦、明石家さんま、堺 正章、唐沢 寿明、木村 拓哉、鈴木保奈美、山口 智子、中森 明菜、鹿賀 丈史、桃井かおり、陣内 孝則、古手川祐子、沢口 靖子、山城 新伍、笑福亭鶴瓶、坂東八十助、菅原 文太、草刈 正雄、水野 真紀
浜田 雅功、伊東 四朗、緒川たまき、反町 隆史、西村 雅彦、別所 哲也、内藤 剛志、梶原 善、北原 雅樹、相島 一之、石丸謙二郎、阿南 健治、とよた真帆
(「小田切成明演出版」・桑名 正博、かたせ梨乃)、(「松岡錠司演出版」・筒井 道隆、緒川たまき)
田村 正和、鈴木保奈美、筒井 道隆、鶴田 真由、西村 雅彦、風間 杜夫、佐藤 藍子、藤村 俊二、小松 政夫、松金よね子、仲本 工事、二瓶 正也、小林 勝也、戸田 恵子、田山 涼成、篠井 英介、青柳文太郎、郷田ほづみ、堤 和男、黒瀧 順治、相関 雅之、灰崎 武浩、相沢 友子、小原 雅人(以下ゲスト)内藤 剛志、近藤 芳正(8)、小林 隆(9)、高杉 哲平(9)、穂高 稔(9)、久保 晶(9)、唐沢 寿明(11)
※「世にも奇妙な物語(2)」のうち、三谷幸喜さん脚本の「父帰る」が放送されたのは、1991/04/11です。

[ 27] 三谷幸喜さん
[引用サイト]  http://www.tvdrama-db.com/koki_mit.htm



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