メキシコとは?

メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく)は、ラテンアメリカの連邦制国家である。北はアメリカ合衆国と、東南はグアテマラ、ベリーズと国境を接する。西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面する。ラテンアメリカの中では、最北に位置し、面積は3番目の大きさである。また、人口およそ1億人で、スペイン語圏で最大の人口を誇る。
公式の英語表記は、United Mexican States(ユナイテッド・メキシカン・ステイツ)、略称は、Mexico(メクスィコゥ)。スペイン語の国名を英語読みしたものである。
国名のメヒコは、独立戦争の最中の1821年に決定したものであり、アステカの言語ナワトル語(Nahuatl)で、「メシトリの地」という意味。メシトリ(メヒクトリとも表記される)は、アステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神であるウィツィロポチトリの別名で、「神に選ばれし者」という意味がある。アステカで最も信仰されたこの神の名に、場所を表す接尾語「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めた。
この地域は、紀元前2万年頃の人間が居住したと形跡があるといわれ、先古典期中期の紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興った。オルメカ文明は、彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られる。
先古典期の終わりごろ、メキシコ中央高原のテスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコ、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれたその後も後期マヤおよびアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。
14世紀後半、テスココ湖の西岸にあるアスカポツァルコを首都とするテパネカ王国にテソソモクという英傑があらわれ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモク没後、15世紀前半、テスココ、トラコパンとともに三都市同盟を築き、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握ってアステカ帝国を形成する。
16世紀初頭の1519年のスペイン人エルナン・コルテス (Hernan Cortes) の到着と1521年のアステカ人の敗北、そしてスペイン人による支配により、この地に「ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)」と呼ばれる植民地が誕生し、メキシコの植民地時代の始まりを告げた。
スペインによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争やフランス革命、ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョたちの間に独立の気運が高まった。スペイン王家がナポレオンに滅ぼされると、1810年9月15日に、スペイン打倒を叫ぶメキシコ独立革命が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。
1821年9月15日に独立闘争の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデがメキシコシティに入城し独立を宣言。しかし1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国と戦争を起こし(米墨戦争)たものの、1848年に終結するとテキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・グランデ川以北の領土(いわゆるメキシコ割譲地)を喪失した。
その後1876年には、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスが独裁体制を敷き、非民主的な政体は1910年以降のメキシコ革命をもたらす。革命軍は政府軍を敗北させ、1917年に革命憲法が発布されたことで革命は終息したが、20年以上の長年に渡る内戦を残した。
革命が終わると、1934年に成立したラサロ・カルデナス政権は国有化事業や土地改革を行い、国内の経済構造は安定した。与党の制度的革命党 (PRI) が第二次世界大戦を挟み、冷戦が終結した20世紀の終わりまで与党として政治を支配したが、蔓延する汚職や停滞する経済の責任を問われて総選挙で敗退した。しかし現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたる。
また、20世紀に入って以降は石油や銀の産出とその輸出が大きな富をもたらしたものの、その後の近代工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、20世紀中盤に工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中が現代に至るまで国民を苦しめる結果となった。
公用語はスペイン語だが、先住民族の65言語(マヤ語など)は政府が認めている。宗教はローマ・カトリックが89%、プロテスタントが6%、その他が5%である。
北米大陸の南部に位置し、約197万平方kmの面積(日本の約5倍)を持つ。海岸線の総延長距離は1万3868kmに達する。海外領土は持たないが、領土に含まれる島の面積は5073平方kmに及ぶ。
メキシコの地質構造は北に接するアメリカ合衆国とは異なり、クラトンが存在しない。アラスカから太平洋岸に沿って伸びるコルディレラ造山帯とアメリカ合衆国東岸に沿う古いアパラチア山脈に続くワシタ造山帯(メキシコ湾岸)がメキシコ国内で一つにまとまる。地向斜による膨大な堆積物がプレート運動により褶曲山脈を形成しているほか、第三紀以降の新しい火山が連なる。このため、メキシコは高原の国であり、北部は平均1000m前後、中央部では2000m前後である。標高5000mを超える火山も珍しくなく、メキシコ最高峰のピコ・デ・オリサバ山(シトラルテペトル山)の5689m(もしくは5610m)をはじめ、ポポカテペトル山 (5465m、もしくは5452m)、イヒタキウアトル山 (5286m)、シシュタシワトル山 (5230m) などが連なる。最も頻繁に噴火を起こすのはコリマ山 (4100m) である。
最長の河川はアメリカ合衆国との国境を流れるリオ・ブラボ・デル・ノルテ川(リオ・グランデ川)であり、3057kmのうち2100kmが両国の国境を流れる。最大の湖はチャパラ湖(1680平方km)である。
メキシコの気候は地域により変化に富んでいる。例えば、年平均降水量が100mm以下の地域もあれば、5000mmを超える地点もある。カリフォルニア半島の大部分と、メキシコ高原中央部は、ケッペンの気候区分でいう砂漠気候 (BW) であり、北回帰線より北のほとんどの地域はステップ気候 (BS) に分類される。いずれも乾燥気候である。北回帰線よりも南では、海岸線に沿って熱帯気候に分類されるサバナ気候 (Aw) が伸びる。ユカタン半島南部にのみ弱い乾期の存在する熱帯雨林気候 (Am) が見られる。熱帯雨林気候 (Af) はテワンテペク地峡北部にのみ存在する。メキシコ湾岸沿いの一部の地域には温帯気候である温暖湿潤気候 (Cfa) が、山岳部は温帯気候である温帯夏雨気候 (Cw) と高山気候 (H) が卓越する。首都メキシコシティの平均気温は、13.7℃(1月)、16.5℃(7月)。年平均降水量は1266mmである。メキシコシティの標高は2268mであり、典型的な高山気候である。亜寒帯気候にも似ている。
平均的には非常に温暖な気候で、沿岸部には世界的に有名なビーチリゾートがたくさんある。東部・カリブ海沿岸ではカンクンなど、太平洋沿岸の西南部ではアカプルコやイスタパなど、西端にあり太平洋に面する細長いバハカリフォルニア半島のカボ・サンルーカスやラパスなどがこれに該当し、世界中から観光客を引きつけるとともに、貴重な外貨の収入源となって多くの雇用をもたらしている。
首都メキシコシティの全域は、どの州にも属さない連邦区 (Distrito Federal) とされている。連邦区庁長官=メキシコ市長は、大統領によって指名・任命される。
大統領は、国家元首であり、行政府の長である。国民の直接選挙によって選出され、任期は6年、再選は禁止されている。現大統領は、国民行動党 (PAN) フェリペ・カルデロン(任期:2006年12月1日 - 2012年11月30日)。大統領の権限は絶大で、憲法は三権分立を規定するが、事実上、立法府も司法府も大統領の統制下にある。また、軍部も大統領の下でのシビリアンコントロールが制度的に確立している。
大統領は、行政各省の大臣を指名する。ただし、司法相のみは、上院の承認が必要である。各大臣は大統領直属の地位にあり、大統領に対し責任を負うのみで、議会や国民に対して責任は負わない。副大統領や首相という役職はなく、大統領が死亡などで欠ける場合は、議会が暫定大統領を選出する。
議会は、両院制(二院制)。上院は、全128議席で、そのうち4分の3にあたる96議席が連邦区と州の代表(各3議席)、残りが全国区の代表である。それぞれ比例代表制で選出され、任期は6年。下院は、全500議席で、300議席は小選挙区制、200議席は比例代表制。任期は3年。両院とも連続再選は禁止されている。
主要政党には、国民行動党 (PAN) 、制度的革命党 (PRI) 、民主革命党 (PRD) の3つが挙げられる。ほかにも、労働者党やメキシコ緑の環境党などの小政党が存在する。
2006年7月2日、大統領選挙が実施され、当日投開票された。初の中道左派政権が誕生するかに注目が集まった。大統領選挙には5人が立候補したが、前政権党の制度的革命党 (PRI) の候補への支持の低さにより、事実上、民主革命党 (PRD) と国民行動党 (PAN) の一騎打ちになった。選挙戦は事実上、与党の右派・国民行動党 (PAN) のフェリペ・カルデロン (43) と中道左派・民主革命党 (PRD) のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール (52) の一騎打ち。
16日、中道左派・民主革命党 (PRD) のオブラドール候補が呼びかけ、大統領選挙の全投票数の数え直しを求める集会が、メキシコ市の憲法広場で開かれ、全国から80万人以上が参加した。
30日、メキシコ市で、中道左派・民主革命党 (PRD) の大統領候補オブラドール前メキシコ市長の支持者約120万人が、開票作業に不正があったと主張、集計のやり直しを要求し、抗議集会を開いた。
8月5日、連邦選挙裁判所は、7月に行われた大統領選挙の全投票数の数え直しを求める中道左派・民主革命党 (PRD) のロペス・オブラードルの異議申し立てを退け、全体の約9%に当たる11,839の投票所についてだけ開票をやり直すよう決定した。7人の判事全員の一致で決まった。
スペインからの独立以降も元の宗主国であるスペインとの関係は非常に強いものの、1975年9月にブランコ前首相の暗殺に関わったとされる活動家5人が処刑された際に、抗議して一時国交を断絶したことがある。
19世紀以前は隣国のアメリカとの間に領土獲得戦争を行ったものの、その後はアメリカの強い影響下の元で多元外交を行っており、その一例として、第二次世界大戦後の冷戦当時から、隣国のアメリカとの深い関係を保ちつつも、ソビエト連邦やキューバなどの共産圏の国との関係を維持してきた。特に隣国であるキューバとの間では、1959年のキューバ革命以降近隣の中南米・カリブ海諸国がキューバとの関係を断絶した中、国交を継続している。
江戸時代の始めの1609年(慶長14年)、フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がマニラからの帰途に、大暴風の為房総の御宿海岸に座礁難破した。地元の漁民達に助けられ、時の大多喜藩主本多忠朝がこれら一行を歓待し、徳川家康が用意した帆船でメキシコへ送還したことから、日本とメキシコとの交流が始まった。そして1613年に仙台藩主伊達政宗の命を受けた支倉常長は、ローマ教皇に謁見すべくメキシコ、スペインを経由しイタリアのローマに向かった。支倉常長の一行が乗ったサン・フアン・バウティスタ号は太平洋を横断しアカプルコへ、その後陸路メキシコシティを経由し大西洋岸のベラクルスからスペインへ至った。メキシコでは大変手厚いもてなしを受け、現在、記念碑や教会のフレスコ画などに当時を偲ぶことができる。
また、日本が開国して諸外国と通商条約を結んだなかで、1888年(明治21年)メキシコと締結した日墨修好通商条約は日本にとって初めての平等条約であり、諸外国の駐日大使館のうちでメキシコ大使館のみ東京都千代田区永田町にある。
19世紀末には榎本移民団によるメキシコへの移住が始まり、戦後まで続いた。移民者の数は総計10,000人余りに達し、その子孫が現在でもメキシコの各地に住んでいる。その後の第二次世界大戦後の高度経済成長期に日産自動車や日立製作所、JALホテルズや東京海上日動など、重工業から観光業、金融業に至るまで約300社にわたる様々な分野の日本企業が進出している。
特に日本企業としては最初期の1966年7月からメキシコ現地工場での自動車生産を開始した日産自動車は、アメリカとの国境地帯とメキシコシティーとの中間点に位置するアグアスカリエンテスやメキシコシティ郊外のクエルナバカに工場を持ち、2004年度販売台数ベースでトップシェアを誇るなど(親会社のルノーと併せての台数)現地に深いネットワークを持っている。
メキシコの独立記念日の9月15日が、かつて日本での敬老の日で休日であったことから、大阪市のメキシコ総領事館が主催で、「フィエスタ・メヒカナ大阪」というお祭りを領事館の入居している梅田スカイビルのワンダースクエアーで開催している。メキシコ政府が国外で行う文化交流としての祭事としての規模は最大のものである。
カリブ海沿岸地域を中心にして油田が多く、第二次世界大戦頃より国営石油会社のぺメックスを中心とした石油が大きな外貨獲得源になっている他、銀やオパールの産地としても古くから世界的に有名である。他にも水産業や観光業、製塩やビールなどが大きな外貨獲得源になっている。また、20世紀前半より工業化が進んでおり、自動車や製鉄、家電製品の生産などが盛んである。GDPでは現在世界第14位と、中南米諸国においてはブラジルに次ぐ経済規模を持つ。主な貿易相手国はアメリカ、カナダ、日本、スペインなど。
特に1994年1月1日に北米自由貿易協定 (NAFTA) が発効した後は、その安価な労働力を生かしてアメリカやカナダ向けの自動車や家電製品の生産が増加している。しかし、その反面経済の対米依存度が以前にもまして増えたため、NAFTA加盟国以外との経済連携を進めており、2004年9月17日には日本との間で、関税・非関税障壁の除去・低減や最恵国待遇の付与を含む包括的経済連携「日本・メキシコ経済連携協定」について正式に合意した。
南北アメリカ間、太平洋とカリブ海を結ぶ中南米の交通の要所として、メキシコシティが航空の要所として、ベラクルス港やアカプルコ港が海運の要所として、また、国土を縦断するパンアメリカン・ハイウェイや国土を網羅する鉄道網が陸運の要として機能している。また、メキシコシティやグアダラハラなどの大都市には充実した地下鉄網や市バス網が完備されている。
日本との交通は、日本航空インターナショナルとアエロメヒコ航空が成田国際空港とメキシコシティの間に(アエロメヒコ航空はティファナにも)それぞれ週2便の直行便を就航させている他、アメリカやカナダ乗り継ぎで行くことも可能である。
古くから音楽や絵画、彫刻など芸術面で世界的に有名な人物を輩出してきている。特に1930年代からはじまったディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコなどの壁画家たちによるメキシコ壁画運動は世界の美術史の中でも特出している。ディエゴ・リベラの妻のフリーダ・カーロもメキシコの女流画家として世界中で紹介されている。
2003年に、隣国・アメリカにおいて著作権の保護期間を死後70年・公表後95年に延長した法律が最高裁判所において合憲となったことを受けて、それまで「死後または公表後75年」であった規定を「100年」に延長した。この規定は、コートジボワールの99年を抜いて世界で最も長い保護期間である。
一般的に辛いことで知られているメキシコ料理は世界的に人気があり、特に隣国のアメリカではアメリカ風に独自にアレンジされたタコスやブリトーがファストフードとして広く普及しているが、それらはテックス・メックス(Tex-Mex)と呼ばれメキシコ国内ではそれほど普及していない。主食はトルティーヤと呼ばれる粉を練ってのばして焼いた薄いパンのようなもので、北部では小麦粉、中部、南部ではトウモロコシの粉を使ったものが主流である。基本的には豆やとうもろこし、鳥肉を原材料に使ったメニューが主体になっており、他にも米や魚類、牛肉なども使われることが多く、一見単純に見えて繊細な味がその人気の理由とされている。
メキシコの伝統料理とは、修道女たちがメキシコで収穫される農作物で王宮料理をつくる目的で研究されたもので、プエブラという古都が有名である。代表的なものに、モレがある。
海に囲まれているため魚介類も豊富で、魚や海老などを使った料理も多い。特に日本にとってはえびの大きな供給元として知られている。
また、メキシコはビールの特産地としても知られており、コロナビールやXX(ドスエキス)などの著名なブランドが世界中に輸出されている。
伝統的にサッカー、プロレス、モータースポーツなどが高い人気を誇っている他、野球(メキシカンリーグを参照)や闘牛、ボクシングなども非常にポピュラーで、多くの著名な選手を世界に送り出している。
サッカーはブラジルやアルゼンチン、コロンビアなど他の中南米諸国同様、メキシコでも最も人気のあるスポーツである。メキシコリーグは中南米でもレベルの高いリーグの一つで、有名な選手を世界中に送り出している。かつて元日本代表選手の福田健二が1部リーグの強豪チーム・パチューカに所属していた。サッカーメキシコ代表はFIFAワールドカップの常連であり、北中米カリブ海地域屈指の強豪である。
また、1970年と1986年にはFIFAワールドカップメキシコ大会が開催されている。その時の決勝戦の開催地であるメキシコシティ中心部にあるアステカ・スタジアム (Estadio Azteca) は、1968年にメキシコシティで中南米諸国で初の夏季オリンピックが開催された時のメインスタジアムでもある。
サッカーと並んでメキシコを代表するスポーツと言えば、派手なマスクと華麗な空中戦が見もののメキシカン・プロレス、ルチャ・リブレであろう。日本にも熱狂的なファンが多く、日本からの観戦ツアーが多数企画されるのみならず、日本のレスラーが空中戦の技術を学ぶために留学するケースも多数見られる。また、日本の全日本プロレスやアメリカのWWEなどの団体に多くの選手を送り込んでいる。
メキシコシティ市内にある競技場、アレナ・メヒコ (Arena Mexico) とアレナ・コリセオ (Arena Coliseo) は、ルチャ・リブレの2大聖地と言われ、メキシコ最大のルチャ団体・トリプレ・アの看板スター、ドス・カラス・ジュニアやエル・イホ・デル・サントが繰り広げる華麗な空中戦を見るために世界中から観客がやってくる。
ブラジルやアルゼンチン等の他の中南米の主要国同様、富裕層を中心にモータースポーツが高い人気を誇っている。1950年代に行われたメキシコを縦断する公道レースカレラ・パナメリカーナ・メヒコや、カリフォルニア半島を縦断するオフロード・レース、バハ1000は世界的に有名。また、1990年代初めまではメキシコシティ国際空港近くのエルマノス・ロドリゲス・サーキットでF1世界選手権が開催されていた。2004年からはWRCがメキシコ北部を舞台に毎年開催され人気を博している。
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[ 36] メキシコ - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3



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