香織とは?
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持田 香織(もちだ かおり、1978年(昭和53年)3月24日 - )は日本の歌手、作詞家。Every Little Thingのヴォーカルと作詞担当。旧芸名持田かおり(後述)。作詞家クレジットではKaori Mochidaも使用。東京都江東区亀戸出身。東京都江東区立第三亀戸中学校卒業、江東区私立中村高等学校卒業(先輩には森尾由美がいる)。血液型A型。ニックネームは「もっちー」(テレビ番組によってはモッチーと表記されることもある。)、「かおりん」「だもきち」。甥と姪には「かっか」と呼ばれている。 子役として数々のテレビCM、モデル雑誌で活躍。小学校時代は一輪車クラブに所属しており、登下校は一輪車でしていた。バトントワリング(高校でバトントワリング部に所属)の経験がある。 その後、持田かおりの名で「週刊ヤングマガジン」誌上で公募されたアイドルグループ・黒BUTAオールスターズ(第2期)のメンバーとして芸能界入りし、テレビ東京『黒BUTA天国』に出演。同グループ名義でCDデビュー、後に1993年にシングル「もう一度」(テイチク)でソロデビューを果たすが、特にヒットすることはなく一旦芸能界を離れ、学業に専念する。なお、「もう一度」はブレイク後の1998年6月に再発されている。 HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPでは子役時代に出演した第一家庭電器CMが放送された。また本人も稀にアイドル時代のことについて語る場合があり、このことについて特に隠そうとはしていない。アイドル時代に松本人志にナンパされたと語ったこともある。 当時東京都町田市にあったレコード輸入卸会社兼レコード制作会社エイベックス・ディー・ディーを訪ねた時に、エイベックスが経営する録音スタジオプライム・ディレクションの電話番をしながら音楽プロデューサーを志し音楽創作を続けていた五十嵐充を紹介された。そしてスタジオ勤務を終えた五十嵐充と、五十嵐の作詞、作曲、編曲、プログラムした曲に歌を入れ、デモテープを作り続けた。 1996年に持田が高校を卒業したのを機に、五十嵐、五十嵐の大学の先輩であったギタリスト伊藤一朗とともに、バンドEvery Little Thingを結成し、「Feel My Heart」で8月7日にCDデビューした。 また、テレビCMにも多数出演しており、その多くはBGMにCMとタイアップしたELTの楽曲(詳細は当該項参照)が使用されている。さらに、2003年には『ミドリノヘイワ』というフォト・エッセイを本にして出版している。 2004年10月20日には、尊敬する井上陽水のプロデュース(「持田香織 produced by 井上陽水」名義)でシングル「いつのまにか少女は」(作詞・作曲:井上陽水)をリリースした。オリジナルは1973年3月の井上陽水「夢の中へ」のカップリング曲。「YOSUI TRIBUTE」にも収録されている。 2006年3月24日に発売された女優・タレントの綾瀬はるかのデビュー曲「ピリオド」の作詞(小林武史と共作)をしている。 2007年3月14日に発売された歌手・中島美嘉のアルバム『YES』に収録されている『GOING BACK HOME』と言う曲の作詞をしている。 19thシングル『jump』(実質は、Rescue meあたりからやや変化が見られている)近くから現在の癖をつけた歌い方に変わり始めた。しかし、次20thシングル『キヲク』は17th『fragile』までの歌い方だった。 そして21thシングル『ささやかな祈り』以降は、以前の歌い方と現在の歌い方の中間のような曖昧な歌い方になり、 26thシングル『ソラアイ』から、現在の歌い方に転換した。 ちなみに、『jump』の曲を「MUSIC STATION」(テレビ朝日)で発表したとき、タモリに「歌い方変えた?」と聞かれたが、持田は「ライブの流れな感じで…」と返答をした。その他の歌番組でも、「歌い方が昔と随分違うけど、どうかしたの?」と聞かれた際、「そうでしょうか?」と言っていた。また、「POP JAM」(NHK)出演時、過去の映像を見終わった後に、当時番組の司会者であった同業者の西川貴教から「歌い方が昔とは大分変わったね。」と指摘されたが、その時は否定も肯定もしなかった。 噂では持田は2005年1月に風邪をこじらせ急性気管支炎になって以来、喉に負担をかけられないため、現在の歌い方に変わったという話もある。しかし歌い方が変わってきたのは2002年頃からなのでその情報は有力ではない。また、元々昔から喉は弱かったとも、過去の著書の中には書かれている。(今まで、五十嵐が持田の声域にあった曲を作り、歌われてきたが、五十嵐が脱退後、さまざまな人が提供する曲を歌わなければならず、今まで以上の負担がかかってしまったという説もある。また逆に、五十嵐の時にはキーの高い曲ばかりで、また世界観を尊重するために持田がそれに合うような澄んだ声を出していたが、五十嵐が離れてからは世界観を重視する必要もなくなり、声が自然と変わっていったという説もある。) 2006年年末のFNS歌謡祭に出演して31stシングルのスイミーを発表した際には高音の出が悪く、一部で「歌い方が雑だ」、「声が出てない」などといった批判がインターネット上を中心に起きた。理由は同番組がライブ期間中であったことだと言われている。声に関しては、2006年発売の雑誌で「年を重ねるごとに高いキーが出しづらくなっている」と発言したことがある。また、10周年記念ウェブサイトにて、「最初の頃の作品を自分のもののように歌うことは、やはり今もとても難しいです」とコメントしている。mu-moのインタビュー「持田香織の素」で、意識はしていなかったようだが歌い方が変わっていることを認めている。 2007年発売のキラメキアワー以降では明朗な声を披露している。GyaOの動画中においても「声が進んで出るようになった」と発言している。 TV出演時はとても静かで大人しいがライブでは全く逆で力強い煽り方をする。特にライブでの「アホになる気はあんのかお前ら」という発言はもはや定番である。 dreamが合格したオーディションであるavex dream 2000の最終選考イベントでは、プレゼンテーター(授賞役)を務めた。 ボウリングの腕前はかなりあるらしく、テレビの企画でボウリング対決を行ったこともある。(しかし番組では緊張の為か、散々な結果になってしまった。) 主に作詞担当だが、アルバム「4 FORCE」で作曲に初挑戦し、以降アルバムを出すごとに1曲ずつ作曲をしている。 歌いながら左下に目線を落とす癖があると言われるが、それはライヴの際左側のスピーカー手前にセットリストを書いた紙が貼ってあるためと思われる。 友人に女優の坂井真紀、歌手の中島美嘉、aikoなどがいる。坂井真紀とはスタイリストが一緒だった事、中島美嘉とは歌番組の本番直前に持田が鼻毛が出ていないかを中島に確認してもらった事がきっかけだと語っている。 女性なのにも関わらず、「おわっ」「スゲェ」と言った男口調で喋る事がしばしばある。また、性格は「おっさん」「マイペース」とのこと。 料理が得意で、自分のノートにはオリジナルメニューがいくつも載っており、うたばん等でその腕前を披露している。また、よく店屋物ばかり食べているいっくんのことをだいぶ心配している。 2004年後半から急に大人しくなった。毎年大声を出して喋っていたCDTVの年越しライブでは特に大人しくなった。 最近は髪型やファッションが大人らしくなり、持田個人への人気が出たのか、CDTV内の恋人にしたいアンケートで上位に位置するようにもなっている この「持田香織」は、歌手に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(P:音楽/PJ芸能人) カテゴリ: Every Little Thing | エイベックス | 日本の歌手 | 日本のアイドル | 日本の作詞家 | 1978年生 | 東京都出身の人物 | 江東区 | 歌手に関するスタブ |
[ 95] 持田香織 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%94%B0%E9%A6%99%E7%B9%94
