あゆみとは?

 延久の宣旨斗と「歩の内得米一升」米升法とものさし もくじ (およそ16ページ)
このカテゴリー(歩の内得米1升)のページ数がやたら多くなったので別に目次をつくりました。多くは発展途上の雑然としたページで、とても見られたものではありません。ただ、ようやく知りえたこととして、つぎの事実は間違いないと思います。
「歩」は古代中国にはじまる地上の距離と面積を数える単位です。日本の国に早くから伝えられ、"律令格式制の下に"全国的に普及しました。いまは、「坪」という、縦1間・横1間のひろさを表す単位になり、土地の面積を数えています。
「歩」は地上の距離を数える単位でした。これによって地上の距離がよく測り定められていたところを調べてみると、そこには経(たていと)と緯(よこいと)で織られた方向の流れがあり、「数里数歩」と数えられる距離の方向(→,↓,←,↑)をリードしています。
「歩」は等身大のものさしでした。しかし、身体ものさしの限界は手の届く高さ、つまり、足もとから(挙上した手の)指先までの距離であり、これが「間」というものさしになり、人ひとりが排他的に占拠する空間の大きさを規格していたのです。
「歩」は地上の面積を数える単位でした。とりわけ水田の面積が重要でしたが、租稲や地子稲(小作料)を厳しく徴収するために、町形〔町(⊃田)〕という求積図形の困難〜〔丁〕(畔)が挿し入って〔田〕(池)を狭めている〜を克服する高度な測量手法(高麗術)を要したと思われます。
また、地方によって度地尺度が若干異なり、また田積様式が異なる場合に、地と収実の割合を均衡させることによって、負担の公平を保つ必要がありました。そこへゆくと、歩の内得米1升という天地を一気通貫する統一原理の存在は信じられます。
「歩」という単位の、ここから始まり、いつの時代にも現れる足跡をたどることによって、距離と面積の歴史の様相は明らかになるでしょう。新着ページのおしらせ. 
  〜ローカルな地理空間の創出と国土測量の開始〜 『出雲国風土記』のいわゆる「国引き」説話によると、山陰の島根半島に4つの小国(支豆支乃御埼・狭田之国・闇見国・三穂乃埼)が作られたとき、
「古志」といえば、出雲の簸(肥)の河上で殺されたヤマタノオロチも「古志」の出身者ということは、ご存知でしたか。
「八俣遠呂智」は「越」つまり北陸のどこかから出雲の山奥までやって来たわけですが、これには、「古志之都都之三埼」に見つかった国が「三穂乃埼」に引いて来られたときと、同様の事情があるのではないか。それでもって、なるべくなら、
ということで、『古事記』の本文を読み直したところ、山の「国引き」説話は、なぞなぞ話の体裁になっていたのは意外でした。新着ページのおしらせ. 
2007.9.25. 続,方向の流れ(→,↓,←,↑) 最新の意見を書き加えました。すこしでも読みやすくなっていれば幸いです。
出雲国風土記にはその地図が添えられる。或いはその地図に添えられることが不可欠であるという主張の繰り返しですが、この点はあらためて強く感じました。
天平5年(733)に造られた『出雲国風土記』が、和銅六年(713)に与えられた課題に答えているのは当然ですが、和銅六年(713)五月甲子(続日本紀)
畿内七道諸国。郡郷名著好字。其郡内所生銀銅彩色草木禽獣魚虫等物具録色目及土地沃脊。山川原野名号所由。又古老相伝旧聞異事。載于史籍言上。加えて、つぎの課題にも、いちはやく答えているのではないか。
郡国郷邑駅道遠近。名山大川形体広狭。具録無漏焉。(駅は早馬のこと)夫は「それ」と読みますが、「おっと」と読んでもかまわないと思います。いわれている諸国地図の形態ではないけれども、出雲国風土記は、それらの事柄を具(つぶさ)に記録して遺漏なきものではあります。新着ページのおしらせ. 
実際には、田1段(250歩)の租として、稲1束5把を収めていた。 (令前租法) 大宝令施行から五年たった慶雲三年(AC706)の九月に、
しかし、気前のよい朝廷は、「百姓有食萬條即成、民之豊饒猶同充倉。」という慈愛の念の基に「宜収段租稲1束5把、町租稲15束。主者施行。」という結論に落着いた。
ただし、ここでもし令内と令前の束・把のサイズが同じだとすると、 2束2把/360歩
それで、いま指摘したギャップを解消するために、令内の束・把のサイズを小さくするか、令前の束・把のサイズを大きくするか。2つに1つの選択を迫られますが、案じるなかれ、既に令内の束・把のサイズが小さくしてあって、その心配には及ばなかったようです。これは令内束を受ける米升が「減大升」と呼ばれていることから推測される事実です。
そうすると、租稲の税率は現状維持、気持としては逆に我が身を削るようなことをしている。これはケチな私には信じられないことでしたが、最近すこし考えが変わって、有能な官僚なら必ずそうするところかなと思うようになりました。
恐らく朝廷にとっては、「令前租法は稲7束を収め足りない」という見方をここに確立することが最も肝心であり、なにも得るものはなくても、最大21束6把までの増加をいつでも言い出せる雰囲気をつくればそれでよかった。
それから十数年して、朝廷は「良田百万町を開墾する」と称して、租稲の増加を言い出した。「良田1段(300歩)の租稲は1束8把を収める」というと20%の増税です。 それって「エビでタイを釣る」という話に似ているというのが、現在の意見です。
而尺作長大。以二百五十歩為段者。亦是高麗術云之。 『高麗法』と『高麗術』のことは、僅かに『令集解』を通して知るのみですが、
とくに『高麗術』の場合は、歩を、もと(6尺)の1.2倍の、大6尺に伸ばして、(1段)360歩を(1段)250歩に数え直したというだけではない。『高麗術』で測る田は、
そこで、ことをこのように運んだ『高麗術』の測り方はどういうものかというと、〔左〕
「熟田5代」という耕地の面積は36歩です。租稲2把2分がかかるひろさです。
そこにまた、長さ大6尺の紐を20本連結した「エジプトひも」を張り巡らします。
これはなにをしているのかというと、「熟田5代」の(標準的な)本地のひろさを、間接的に測定しているのです。〔←〕すなわち、本地の周囲は20歩と推測され、面積は25歩であることが明らかにされます。
天平11年伊豆国正税帳を読む。(米升法とものさしの内) 令内租法「町租稲22束」の22は中途半端な数で、1町の正方形の中に均等に配置するのにも苦労します。ところが、「穀2斛2斗」を箕で振って精選して「町租実2斛」にまでなれば、1段につき2斗を配る整然とした配置が可能になります。
これは偶然の結果ではなくて、もともと「段租実2斗。町租実2斛。」を目途にして作られた仕組だということは認められるのではないか。そうだとすると、令内租法の生い立ちを考えるときには、「租実」という様態に最も注目しなければならない。

[ 166] あ ゆ み(歩)
[引用サイト]  http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/



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